Word.32 神ニ、捧グ 〈2〉
「どうして…」
弔の言葉を聞き、少しの間を置いて、口を開くアヒル。
「どうして、大昔からの古臭い言葉を使うことが、いけないんだ…?」
「何…?」
ゆっくりとした口調で問いかけるアヒルに、弔が眉をひそめる。
「今更、何を愚かなことをっ…言葉は廃れ逝くもの。古き言葉は捨て、新しい言葉を生みだしていかねば、この言葉世界はっ…」
「ウチの国語教師が言ってたんだ」
弔の言葉を遮り、アヒルがよく響く声を発する。
「“信じる”って漢字が出来たのは、今から三千五百年も昔のことだって」
「“信じる”、だと…?」
「アヒるん…?」
突発的に話を始めるアヒルに、弔と囁がそれぞれ、戸惑った表情を見せる。
「俺は凄げぇって思ったよ。そんなに大昔から、“信じる”って言葉がこの世界にあったこと」
話しながら、アヒルが穏やかな笑みを零す。
「“信じる”って言葉が、三千五百年、なくならずにずっと、今、この時まで伝えられてきたってことを」
「何をっ…」
弔が浮かべていた笑みを消し、眉間に皺を寄せる。
「今は、国語の授業中ではなっ…」
「そんなに長い間、人は“信じる”って言葉を忘れることなく、ずっと使ってきたんだ」
弔の言葉を、アヒルが再び遮る。
「俺は詳しくねぇけど、他の言葉だって、きっとそうなんだと思う」
正面を見るアヒルの瞳が、強く光る。
「だからこそ、今、俺たちの発するこの言葉には、重みがある。力があるっ」
握る拳に、力を込めるアヒル。
「意味があるっ!」
「……っ!」
大きく微笑んで言い放つアヒルのその言葉に、部屋の端で聞いていた囁は、思わず大きく目を見開いた。ずっと意味がないと思っていたその言葉は、囁にとても強く、響いたのである。
「意、味っ…」
その二文字を口にしながら、囁が強く胸元の服を握り締め、俯く。
「意味があると…?馬鹿らしいっ…」
アヒルのその言葉を受け、先程よりもさらに不快そうに、その表情を歪める弔。
「君たちの放つ言葉になど、意味はない」
冷たく言い放ち、弔が言玉を握る右手を振り上げる。
「古き言葉とともに、君もここで消え逝くがいいっ…!“光”!」
「……っ!“上がれ”!」
弔の向けた光線を、天井へと舞い上がり、避けるアヒル。
「“絞”…!」
「さっきのっ…!」
上げられた弔の指先から伸びてくる、五本の白い光に、アヒルが険しい表情を見せる。
「あれっきゃねぇか!“荒れろ”…」
言葉を発しながら、アヒルが下方へと銃口を向ける。
「“嵐”っ…!」
アヒルが強く引き金を引くと、銃口から激しい風の塊が放たれ、徐々にその規模を大きくし、向かって来ていた五本の白光を掻き消しながら、一気に下降していく。
「名詞と動詞の併用…語句か…」
迫り来る嵐を、冷静に分析しながら見つめる弔。
「確かに強力だ…けれど…」
「……っ?」
嵐へと右手を向ける弔に、アヒルが少し眉をひそめる。
「“抗”」
「あっ…!」
生み出した小さな白光で、弔があっさりとアヒルの嵐を受け止める。
「お、俺の嵐を、簡単にっ…?」
「力を拮抗させただけのことだよ…」
驚きの表情を見せるアヒルに、そっと微笑みかける弔。
「それに、驚くのはまだ早い」
「へっ?」
「“荒”っ」
「なっ…!?」
弔の言葉を受けた途端、嵐がその勢いを増し、より一層荒れ狂う。
「行くよ…?“攻”!」
「うっ…!」
激しさを増したその嵐が、アヒルへと返って来ると、アヒルは大きく目を見開いた。
「うわああああああっ!!」
浮いている状態で風の塊をかわす術もなく、アヒルは嵐に呑まれるようにして切り裂かれ、力なく床へと墜落していく。
「アヒるんっ…!」
床へと倒れ込むアヒルに、思わず身を乗り出す囁。
「うっ…ク…」
「どうかな…?」
苦しげな声を漏らしながら、傷ついた体を何とか起き上がらせるアヒルを見つめ、弔がそっと問いかける。
「君の言葉と俺の言葉、どちらが消え逝くべきか、理解してもらえたかな…?」
「クっ…」
頬から流れる血を拭いながら、アヒルが少し顔を歪める。
「さすがは、ラスボスってとこか…他の連中とは、比べもんになんねぇ強さだっ…」
アヒルが呟きながら、苦い笑みを浮かべる。
「“嵐”も効かねぇんじゃ…もう、言葉もねぇっ…やっべぇな…」
「…………」
弔の力を前に追い詰められ、苦い笑みを浮かべているアヒルを見つめ、囁が目を細める。
「言葉の数も、力も、違い過ぎる…」
アヒルと弔の言葉を比べ、厳しい表情を見せる囁。
「このままじゃっ…」
囁の額から、一滴の汗が流れ落ちた。
「ハァっ…ハァっ…」
息を乱しながら、アヒルがその場で何とか立ち上がる。
「まだ、続けるのかい…?」
「当ったり、前だろっ…」
「そうか…」
強気に答えながらも、明らかに弱っているアヒルの状態に、弔が冷たく笑みを浮かべる。
「じゃあ…“絞”」
「うっ…!」
弔の指先から、伸びる白光。
「うがっ…!」
立っている時でさえ、足元をふらつかせた状態であったアヒルが、その白光を避けきれるはずもなく、伸びてきた白光に、アヒルは四肢と首を絡め取られた。首を絞られ、アヒルが苦しげに表情を歪める。
「グ、ウウゥ…!」
「“光”…」
「……っ!」
アヒルが苦しみもがきながら、放たれた光線に、大きく目を見開いた。
「うあああああああっ…!!」
光線に貫かれ、アヒルが血を流しながら、再び床へと倒れこんでいく。
「うあっ…!あぐっ…うぅ…」
「…………」
倒れたまま、全身に走る痛みに苦しげな声を落とすアヒルの方へと、弔が静かな表情で、ゆっくりと歩み寄っていく。
「そろそろ…理解したかな…?君の言葉の、無意味さを…」
「クっ…」
すぐ前までやって来た弔を見上げ、強く睨み上げるアヒルであるが、銃を構える力は愚か、その場に立ち上がる力すらなかった。
「君は先程、囁にこう言ったね…?“俺はあいつを倒す”、と…」
薄く笑みを浮かべたまま、落ち着いた口調でアヒルへと問いかける弔。
「君のその言葉…」
弔が、ゆっくりと右手を振り上げる。
「“嘘”にしてあげるよ…!」
「クっ…!」
振り下ろされる弔の右手に、アヒルは強く唇を噛み締めた。
「“裂け”…!」
「……っ!」
「えっ…?」
聞こえてくるその言葉に、アヒルと弔が同時に目を見開く。
「クっ…」
アヒルへと振り下ろされようとしていた弔の右手が、赤い光に斬り裂かれ、その動きを止める。空中で止まった弔の手から、赤い血が滴り落ちた。
「君は、どうあっても俺の邪魔をしたいようだね」
滴る血を拭いながら、視線を動かしていく弔。
「囁…」
「…………」
弔が見た先には、真っ赤な槍を構え、弔へと鋭い瞳を向けている囁の姿があった。
「囁っ…」
アヒルも少し体を起こし、囁の方を見る。
「もう…もう、やめましょう…弔…」
構えていた槍を下ろし、囁がそっと言い放つ。
「やめる…?何をかな…?」
「あなたがやろうとしていること、すべてよ…」
問い返した弔に、囁は間を置くことなく答えた。
「彼らからすべての言葉を奪うことも…まったく新しい言葉世界を創ることも…もう、やめましょう…」
囁が険しい表情を見せながら、諭すように弔へと語りかける。
「こんなことっ…すべてが無意味だわ…」
「無意味…?」
囁のその言葉に、弔が一気にその表情を引きつる。
「俺のやろうとしていることの、何が無意味なんだ?」
すぐに笑みを浮かべた弔が、軽く手を広げながら、囁へと聞き返す。
「無意味なのは、俺を認めなかった五十音士たちの言葉や…」
弔が鋭く細めた瞳を、囁へと向ける。
「“愛している”とほざきながら、あっさりと君を捨てた、君の両親の言葉の方だろう…?」
「捨てた…?」
「……っ」
わざとらしく言い放った弔に、アヒルが少し首を傾げ、囁がその表情を曇らせる。
「確かに…あなたの浴びた言葉も、私の浴びた言葉も、無意味なものだったかも知れない…」
険しい表情を見せたまま、囁が黙り込むことなく、言葉を続ける。
「でも、それは無意味で当然よ」
「何…?」
強く言い切る囁に、弔が眉をひそめる。
「だって、私たちは…言葉の可能性を、まるで信じていなかったんだもの」
曇っていた囁の表情が、徐々に晴れていく。
「そんな私たちに、言葉が応えてくれるはずもないわ」
「言葉が、応える…?」
囁の言葉を繰り返しながら、弔が表情をしかめる。
「まるで、言葉に意志でもあるかのような言い方だね。馬鹿らしいっ…」
「そんなことばかり言ってるから、あなたにとって、言葉はいつまでも無意味なままなのよ」
「……っ」
少し強い口調で言い放つ囁に、弔の表情が明らかに曇る。
「いい加減にしなよ…?囁…」
一層、冷たくなった表情で、弔が囁を睨みつける。
「俺が許せているうちに、その愚かな口を閉じっ…」
「閉じないわ」
「…………」
言葉を遮られ、弔がさらに目を細める。
「そうか…なら…」
弔が、言玉を握る右手に力を込める。
「俺が閉じてあげるよ…!“焦がせ”…!」
囁へと向けられた弔の右手から、激しく燃え上がる、真っ赤な炎が放たれる。
「……っ!」
「囁っ…!」
大きく目を見開く囁と、必死に身を乗り出すアヒル。
「きゃああああっ!」
真っ赤な炎に包まれ、囁の姿が見えなくなっていく。
「その愚かな言葉とともに、燃え尽きるといいよ…」
炎に包まれた囁を、楽しげな笑顔で見つめる弔。
「…………」
「ん…?」
だが、それ以上は続かない囁の悲鳴と、倒れることもなく立ち尽くしている炎の中の人影に、弔が眉をひそめる。灼熱の炎の中にいて、平気なはずもないのに、その人影はもがくどころか、動こうともしていない。
「これは…」
「“欺け”…」
「……っ」
聞こえてくる言葉とともに、消える炎の中の人影。
「やはり、君の言葉だったか…」
「ハァっ…ハァっ…」
弔が後方を振り向くと、そこには少し息を乱したアヒルが立っていた。アヒルのすぐ横には、まるで無傷の囁の姿がある。アヒルが、あの炎の中から、言葉を使って囁を助け出したのであった。
「“焦がせ”って、今の言葉っ…」
「弔は元・己守…今も、“こ”の言葉が使えるの」
表情を曇らせたアヒルに、答えるように横から囁が言い放つ。
「そっか。そりゃ、さらにやべぇな」
「えっ…?」
困ったような笑みを浮かべながら、アヒルが傷だらけの手で再び銃を構え、囁よりも数歩前へと出る。
「あ、アヒるん…!」
「お前は下がっててくれ、囁」
前へと出たアヒルを、止めるように名を呼んだ囁へ、アヒルは振り返ることなく、そう言った。
「俺はあいつを倒すから」
「まだ言うのか…」
強く言い切るアヒルに、弔がどこか呆れたように肩を落とす。
「いいだろう。今度こそ、君のその言葉…打ち砕いてあげるよっ…!」
弔が冷たく微笑み、右手を振り上げる。
「“焦がせ”…!」
「……っ“上がれ”!」
放たれた灼熱の炎をかわし、再び天井へと上がるアヒル。
「“高”っ」
弔も言葉を放ち、上空へと舞い上がる。
「“当たれ”!」
「“光”」
空中で弾丸と光線が、激しくぶつかり合う。
「アヒるんっ…」
赤と白の光のぶつかり合いを、大きく見開いた瞳で見上げる囁。
「“荒れ狂え”…」
アヒルが言葉を呟きながら、そっと目を細める。
「“嵐”…!」
アヒルの銃から放たれた風の塊が、先程よりもさらに激しく逆巻き、まっすぐに弔へと飛んでいく。
「…………」
向かってくる嵐を、冷静に見つめる弔。
「“越えろ”」
小さく、言葉が落とされる。
「……っ」
「えっ…?」
一瞬にして嵐を越えた弔が、アヒルの目の前へと現れる。
「なっ…!」
「“こ…」
驚きながら、必死に身構えようとするアヒルへと、伸ばされる弔の右手。弔の右手がアヒルの左手を掴み、弔の口が開かれた。
「“壊せ”…」
「……っ!」
アヒルが目を見開くと同時に、骨の砕ける音が響き渡った。
「うがああああああっ!!」
アヒルの悲痛な叫び声が、部屋全体へと落ちる。
「うああっ…!ああああっ…」
骨の砕かれた左手を、押さえつけることも出来ず、ただ空中で苦しむアヒル。
「ううぅっ…!」
「苦しいか…?安の神…」
苦しむアヒルへと、口元を歪めた弔が静かに問いかける。
「その苦しみから、今すぐ解放してあげるよ…」
「……っ!」
微笑む弔に、下方から見上げていた囁が大きく目を見開く。
「ま、待って!弔っ…!」
飛べぬ体で必死に身を乗り出し、手を伸ばし、枯れそうなほど大声で叫ぶ囁。
「そ、その言葉っ…!その言葉だけはっ…!」
「“こ…」
苦しむアヒルの額へと、弔が右手の人差し指を当てる。
「“殺せ”…」
「……っ!」
放たれる言葉に、大きく目を見開くアヒル。
「…………」
だがアヒルは、見開いた瞳のまま、声を発することもなく、体のすべての動きを止め、力なく下へと落ちていく。
「ああっ…!」
落ちてくるアヒルを見上げ、表情を止める囁。
「嫌…嫌っ…」
目の前に広がる光景を否定するように、囁が必死に首を横に振る。
「アヒるんっ……!!」
「……っ」
轟との戦いを制し、四階を目指して、必死に階段を駆け上がっていた篭也が、ふと何かに気付いたように顔を上げ、その足を止める。
「何、だ…?今の…」
感じた何かに自分でも戸惑いながら、篭也が確認するように、周囲を見渡す。
「まさか…」
見回していたその視線を、先程から衝撃音の聞こえてくる最上階へと移す篭也。
「神っ…」
篭也が、どこか不安げに呟いた。




