Word.32 神ニ、捧グ 〈1〉
七声の城、四階。王の間。
「“遮れ”…」
部屋の隅へと移動させた保と七架の周囲に、囁が横笛を吹き、赤い光の薄膜を張る。膜を張り終えると、囁は横笛を下ろし、ゆっくりとした動作で部屋の中央を振り向いた。
「アヒるん…」
囁のどこか不安げな声が、響く。
『…………』
部屋の中央には、銃を構えたアヒルの姿があり、アヒルはまっすぐ前を向いて、玉座の前に立つ弔へと、鋭い視線を投げかけていた。
「君の団を前に、七声は皆、敗北したようだよ」
再び懐から夢言石を取り出し、弔がそっと呟く。
「まぁ、ここに君の仲間しか来ていないところを見れば、一目瞭然だけれどね」
弔はそう言いながら、玉座の上へと夢言石を置いた。
「だから、後、七声で残っているのは、俺の言葉のみ…」
石を置いた後、弔が体の向きをアヒルの方へと変える。
「俺に勝ったなら、この夢言石は君のものだ。韻に手渡すなり、於の神に返すなり、好きにするといい」
ゆっくりと歩を進め、アヒルのもとへと歩み寄っていく弔。
「ただし、俺が勝ったなら、君は勿論、君の団の人間、すべての言葉を貰い受けるよ」
「んなマネっ」
アヒルが銃を握る手に、力を込める。
「絶対、させねぇよっ」
「素晴らしい自信だね、さすがは皆の神様だ」
はっきりと言い放つアヒルに、弔がどこか感心したように微笑む。
「でも、そのまっすぐさ…」
ふと細まる、弔の瞳。
「嫌いだなっ…“光”!」
「……っ」
言玉を持った右手を振り上げ、アヒルへと白い光線を放つ弔。アヒルがさらに表情を鋭くし、銃口を自分のコメカミへと向ける。
「“上がれ”…!」
銃声とともに赤い光に包まれ、上空へと舞い上がるアヒル。
「“当たれ”!」
上空へと上がったアヒルが素早く銃を下方へ向け、床に立つ弔へと弾丸を放った。
「……“高”っ」
「何っ?」
弔がそっと声を落とすと、弔の体が白い光に包まれ、勢いよく上昇した。弾丸は弔を捉えることが出来ずに、そのまま床を貫く。
「あいつも空、飛べんのかっ」
同じ程度の高さまで上昇した弔を見つめ、少し眉をひそめるアヒル。
「“コウ”…あれがあいつの言葉っ…」
「考え事なんか、していていいのかい?」
「へっ?」
聞こえてくる声に、首を捻っていたアヒルが振り向く。
「“硬”」
「クっ…!」
すかさず飛んできた白い光を、避ける暇もなく、正面から浴びるアヒル。
「うおっ…!?」
光を浴びた途端、急にアヒルの体が鉛のように重くなり、下降し始める。勝手に落ちていく体に、アヒルは焦った様子で声をあげた。
「な、何だ!?これっ!」
「神が落ちていく様も、なかなか素敵だよ」
「うっ…!」
下降していくアヒルへと、上から右手を向ける弔。
「“光”」
「……っ!」
重い体に、腕も動かすことが出来ないアヒルへと、白い光線が降り落ちた。激しい衝撃音とともに、床の破片の混じった白い煙が、部屋を覆う。
「ふぅ…」
その煙を見下ろしながら、弔が上空で一息つく。
「これ以上、俺の機嫌を損ねる真似は、あまりしてほしくないんだけどね…」
弔がゆっくりと、その冷たい視線を動かしていく。
「囁…」
「…………」
弔が見つめる先には、横笛を構え、険しい表情を見せた囁の姿があった。
「ふっはぁ~、危なかったぁっ」
収まってきた煙の中から、姿を見せるアヒル。アヒルの周囲には、赤い光の膜が張られており、その光に守られたからか、弔の攻撃を直撃したというのに、アヒルはまったくの無傷であった。
「これ、囁の“遮れ”か」
「君が、自身で選んだ神に味方するというのなら、それは構わないよ」
「んっ?」
周囲に張り巡らされた膜を見ていたアヒルが、上から降って来る声に顔を上げる。
「だが、それは同時に、俺から“手加減”というものを奪うことになる」
「…………」
見透かすような笑みを浮かべる弔に、さらに厳しい表情を作る囁。
「だぁれが、手加減してくれなんて頼んだよ!」
『……っ』
割って入って来る声に、同時に振り向く弔と囁。
「どんっどん本気で来いよ!俺はいつでも、受け入れ態勢出来てんぜ!」
「アヒるん…」
「虚勢を…」
立ち上がりながら、強く言い放つアヒルに、囁が少し表情を曇らせ、弔がそっと笑みを零す。
「君など、囁の助けがなければ、今の攻撃で終わっていたんだよ?」
「さぁっ?それはどうか、わからねぇーぜっ」
「……っ」
得意げに笑うアヒルに、少し顔をしかめる弔。
「試そうか…?」
「ああっ!行くぜ!“上がれ”!」
弔の挑発にあっさりと乗り、再び自らに弾丸を向け、アヒルが上空へと舞い上がる。
「“当たれ”…!」
「また“当たれ”か…」
向かってくる弾丸を見つめ、弔がどこか呆れた様子で肩を落とす。
「本当に馬鹿の一つ覚えだね。“向”っ」
弔が冷静に言葉を放ち、迫り来る弾丸の向きを変える。
「へっ?うお!あ、“上がれ”!」
戻ってきた弾丸に焦りながらも、アヒルがさらに自らへと弾丸を放って上昇し、何とか避ける。
「ふぃ~っ」
「“硬”」
「しまっ…!うっ…!」
一息ついていたアヒルに、下方から弔がすぐさま言葉を放つと、アヒルの体が再び鉛のように重くなり、上昇していた動きを止め、ゆっくりと下降していく。
「また、これかよっ…!」
「終わりだ」
弔の横を通り、落ちていくアヒルへ、弔が右手を向ける。
「“光”」
「クっ…!」
迫り来る光線に、アヒルが険しい表情を作るが、光線はそのまま、アヒルへと直撃した。先程と同様に激しい衝撃音が響き渡り、部屋の中を白い煙が立ち込める。
「どうして、今回は助けなかったんだい?囁」
ゆっくりと床へと降り立ち、再び囁の方を振り向く弔。
「君が助けなかったせいで、君の神様がやられてしまったよ…?」
「…………」
横笛を下ろしたまま、囁は鋭い表情で、弔を見つめ続ける。
「それとも、やはり彼の言葉の無意味さを知っ…」
「なんで助けなかったか、教えてやろうか?」
「……っ」
囁へと言葉を投げかけていた弔が、別方向から聞こえてくる声に、少し驚いた表情となって振り向く。だが煙の収まったそこに、アヒルの姿はなかった。
「どこにっ…」
「助ける必要がなかったからだよ!」
「上…?」
上空から聞こえる声に、顔を上げる弔。
「“当たれ”!」
弔が顔を上げた先には、銃を身構えたアヒルの姿。弔が顔を上げたとほぼ同時に、アヒルが引き金を引き、勢いよく弾丸を放つ。
「クっ…!」
顔を上げた途端に迫る弾丸に、弔がその表情を歪めた。弾丸はそんな弔を直撃し、部屋に再び、大きな衝撃音が走る。
「ハァっ」
上空で、深く息を吐くアヒル。
「いけると思ったんだけどなぁ~っ」
アヒルがすぐにその表情を、苦い笑みへと変える。
「“甲”…」
アヒルの見下ろすその先、すでに赤い絨毯も吹き飛び、穴だらけとなった床の上に立っているのは、無傷の弔であった。弔が突き上げた右手の上方には、分厚い白光の膜が張られている。
「“欺き”の弾丸か。そういえば君には、そんな言葉もあったね…」
膜を消しながら、弔が顔を上げ、上空のアヒルへと、余裕の笑みを向ける。
「でも、俺には通じないよ」
「通じるかどうかは…」
微笑む弔へと、アヒルが再び銃を身構える。
「俺が決めるさ!“当たれ”!」
勢いよく言い放ち、弔へと弾丸を撃ち込むアヒル。
「“高”」
弔が短く言葉を落とし、降って来た弾丸を避けて、上空へと舞い上がる。
「“絞”っ」
「何っ…!?クっ…!」
上空へとやって来た弔が、アヒルへ向けて右手を伸ばすと、まるで指が伸びるように、五本の白い光が伸びてきて、アヒルの四肢と首を捉えた。
「“降”…!」
「えっ…!?うわわわわっ!」
弔が右手を振り下ろすと、アヒルの四肢を捉えた白光も、アヒルの体を引っ張るようにして、勢いよく振り落ちていく。
「うぐっ…!」
床に思いきり叩きつけられ、アヒルが苦しげな声を漏らす。
「痛ってぇ!痛ててててっ」
打ちつけた背中を押さえながら、アヒルが起き上がり、痛みにその表情を歪める。
「ったく、一体いくつあんだよっ。“コウ”って」
「素晴らしいだろう…?」
「……っ」
ボヤくように吐き捨てていたアヒルが、そこへ入って来る声に顔を上げる。涼しげな笑みを浮かべた弔が、上空からゆっくりと床へと降り立った。
「たったの二文字…“コウ”という、たったの二文字で、こんなにもたくさんの言葉が生まれる…」
右手に持つ言玉をアヒルに見せるようにして、どこか得意げに話す弔。
「君たち五十音士では、とても思いつかない…俺が生み出した、俺だけの言葉の力だ」
「…………」
弔の言葉を聞きながら、アヒルが鋭く目を細める。
「君たち五十音士は、俺のこの素晴らしき力を恐れ、俺を五十音の世界から追放した…」
「追放?じゃあ、お前はっ…」
「ああ。元は君と同じ五十音士、己守だった」
「己守って、紺平の…」
アヒルが少し俯き、その表情を曇らせる。
「じゃあ、お前がすべての言葉を奪おうとすんのは、その追放した五十音士たちへの復讐か?」
「復讐?そんな陳腐な言葉で、片づけないで欲しいな」
「……?」
あっさりと否定する弔に、アヒルが眉をひそめる。
「俺が、そこに居る囁とともに目指したのは、新たな言葉世界の創造だ」
「新たな、言葉世界…?」
その言葉に、アヒルが一層、困惑した表情となる。
「この世界には、意味のない言葉が満ち溢れている…口にする価値もないような言葉が、山ほどっ…」
―――愛しているわ、囁…―――
「…………」
言葉に絶望するきっかけとなった言葉を思い出し、囁は思わず、深く俯いた。
「何故、こんなに意味のない言葉が溢れているか、わかるかい…?」
微笑んだ弔が、アヒルへと問いかける。
「君たち、無能な五十音士が、言葉世界を支配しているからだよ」
はっきりと言い放つ弔に、アヒルも厳しい表情を見せる。
「新しい言葉を創る力も持たぬくせに、大昔に創られた古臭い言葉を振りかざしては、神を気取る…」
弔が少し煩わしそうに、その表情を歪める。
「自らが創った言葉でもないくせに、まるで創造主のように君臨する。偉そうにっ…」
その歪みが、さらに大きくなる。
「その権威を絶対のものとするため、俺の言葉の素晴らしさを理解せず、俺を言葉世界から追放したんだよ。君たちは」
歪みを消し、そっと微笑んだ弔が、冷たい瞳でアヒルを見つめる。
「だから俺は、君たちから言葉を奪う。すべての言葉を、無能な君たちから解放して、新しい、意味ある言葉の世界を創る」
弔が大きく両手を広げ、自信満々にそう語る。
「それが俺と、そこに居る囁が目指した夢だよ」
「……っ」
弔のその言葉を聞き、囁は少し目を細める。
――― 一緒に、新しい言葉を創らないかい…?―――
「…………」
囁の脳裏に、ただ一つの真実であった言葉と、あの日差し伸べられた手が思い出された。




