Word.31 意地 〈4〉
七声の城、四階。王の間。
「“彼らの言葉は、あげられない”…?」
少し首を傾けた弔が、ゆっくりと、どこか責めるように、囁の言葉を繰り返す。
「何を、言っているんだい?囁…」
弔が優しく微笑みながらも、視線だけを鋭くして、まっすぐに正面に立つ囁を捉える。
「彼ら、五十音士からすべての言葉を奪うことが、俺と君の夢への一歩だろう…?」
「…………」
問いかける弔を、囁もまっすぐに見つめ返す。
「彼らの言葉は、彼らが使ってこそ意味を成すもの…」
囁の小さな声が、静まり返った広い部屋に響き渡る。
「私たちが奪っても、何の意味も成さないわ…」
「“意味を成す”…?」
弔が再び囁の言葉を繰り返し、大きくその表情を曇らせる。
「何を言っているんだ?囁。この世界の言葉に、何一つ意味などっ…」
「ないって思ってた」
「……っ」
囁が弔の言葉を続けるようにして、弔の言葉を遮る。
「この世界の言葉は全部、嘘だって…」
―――大好きだよ、囁。世界で一番、君が大好きだ―――
―――愛してるわ、囁。お母さんはこの世界のどこに居ても、あなたを見守ってるから…―――
「この世界の言葉は全部、たったの一つだって、意味なんてないって…」
言葉に裏切られたあの日から、言葉に意味がないことを確信し、言葉を信じることをやめた。
「けど、あなたの命で安団に潜入してた数ヶ月…」
囁が弔から視線を落とし、懐かしむように、そっと目を細める。
「私の周りで飛びかった、たくさんの言葉の中には…」
―――ダチが泣いてんのに、黙って見てなんかいられっかよぉ!―――
―――神附きであることを、誰よりも誇りに思っている…!―――
―――俺もいつか、本当の笑顔で、笑えるかなぁ…―――
―――あの人のために、私は戦うって…!―――
思い出されるアヒルたちの姿に、囁が強く拳を握り締める。
「意味のない言葉に思えるものなんて、何一つなかったっ…!」
顔を上げた囁が、再びまっすぐに弔を見つめ、はっきりと言い放つ。
「意味のない言葉が、何一つない…?」
囁の言葉を繰り返す弔の表情が、先程までとは異なり、明らかに歪む。
「何を、馬鹿なことをっ…潜入している間に、悪影響を受けすぎたんじゃないのかい?囁」
弔が笑みを浮かべるが、その笑みは引きつったものとなる。
「この世界の言葉に、意味なんてものはっ…」
「ならっ…」
「……っ」
弔の言葉を、囁が再び遮る。
「本当に彼らの言葉に意味がないのなら、なら何故っ…」
囁の声が、かすかに震え、徐々にその音量をあげていく。
「何故、あんなにも強く、私の心を打ったの…!?」
「囁…」
強く声を張り上げ、問いかける囁に、弔が目を細める。
「あの時、初めてこの城で出会ったあの時っ…私にとって、あなたの言葉だけが、唯一つの真実だった…」
―――なら、一緒に言葉を創らないかい…?―――
「新しい言葉を創ろうって言う、あなたのその言葉だけが、私の真実だった…」
「それでいいんだよ、囁」
弔が両手を広げ、すかさず囁に語りかける。
「君にとっての真実は、俺の言葉だけでいいんだ。君は、俺の言葉にさえ従っていれば、それでいいっ」
何度も自ら頷き、自分の言葉を肯定する弔。
「ずっと、そうやって生きてきたじゃないか!俺たちはっ…!」
「けど、あなたの言葉は、彼らから言葉を奪おうと言うわ!」
説得するように、強く言い放つ弔に、囁も負けじと言葉を発する。
「彼らは、私の仲間ではないと言うわ…」
「ああ、そうだ。それが真実だろう?」
大きく頷き、弔が問いかける。
「彼らは、君の仲間などではっ…」
「でも、私はどうしても、その言葉を信じたくないの」
険しい表情を見せながら、囁がはっきりと言い放つ。
「私は…」
囁が少し後方を振り返り、傷つき倒れている保と七架の姿を目に入れる。
「私は…彼らの仲間になりたいっ…これからもずっと、彼らの仲間で居たいっ…!」
「……っ」
強く主張する囁に、弔の表情から笑顔が消える。
「愚かなことを…んっ?」
思わず囁から視線を外した弔の視界に、右手の中で淡く光る夢言石が入って来る。輝き始めた夢言石に、敗北し、石へと奪われた言葉が浮かび上がった。
「“の”に、“と”と“お”…」
その文字を見て、弔の表情が一層、曇る。
「轟までがっ…」
唇を強く噛み締め、弔が表情を歪める。
「やはり、彼らの言葉だけでも奪っておいた方が良さそうだな」
瞳を鋭くし、弔が再び保たちへと夢言石を向ける。
「“た”、“な”、封印…!」
夢言石から白い光線が、勢いよく放たれる。
「“遮れ”」
「……っ!」
言葉とともに、美しい笛の音が流れると、夢言石の光が、再び強く弾き飛ばされた。弾かれ、天井へと突き刺さった光を見送った後、弔がゆっくりと視線を落とす。
「囁っ…!」
「言ったはずよ?彼らの言葉はあげられないと…」
睨みつけるように見つめる弔に、囁も強い視線を送る。
「何故だ。今になって何故、こんなことをっ…」
どこか困惑するように、弔が囁へと問いかける。
「やっと夢言石を手にしたんだ。後もう少しっ…もう少しで、俺たちの夢が完成するというのにっ…!」
「たぶん…」
険しい表情を見せる弔に、囁がそっと言葉を投げかける。
「たぶん…出会ってしまったから…」
―――囁っ…!―――
「私の、本当の神様に…」
「…………」
はっきりと、何の迷いもなく言い放つ囁に、弔の目が細まる。
「そうか…俺は君の、本当の神様ではなかったというわけか…」
「ええ…」
ふいに低い音調に戻す弔に、囁が頷きかける。
「じゃあ、もうっ…」
弔が夢言石を懐へと入れ、代わりに白い言玉を取り出す。
「優しくする必要もないねっ…」
「……っ」
その表情を冷たく変える弔に、強い殺気を感じ、囁が素早く横笛を身構える。
「“変格”…!」
構えた横笛を、槍へと変形させる囁。
「“裂け”…!」
囁が槍を突き出し、強い突きを弔へと向ける。
「…………」
向かってくる赤い光の突きを、落ち着いた表情で見つめる弔。
「“向”」
「えっ…?」
弔が一言呟いた途端、囁の放った突きが、その向きを真逆に変え、囁の方へと戻って来る。
「戻って…?クっ…!」
後ろで倒れている保と七架の姿を振り返り、避けられないことを確認して、その表情を歪める囁。
「“遮れ”…!」
言葉を使い、前方に赤い膜を張って、囁が戻ってきた自らの技を防ぐ。
「うっ…!」
弾き返した時にかかった圧に、囁は思わず表情をしかめた。
「はぁ…」
「“硬”っ」
「えっ…?」
一息つく暇もなく、囁の耳に届く言葉。
「ううぅ…!」
囁の全身を白い光が包み込むと、次の瞬間、囁の体が鉛のように重く、硬くなって、囁は立っていられずに、思わずその場に膝をついた。
「こ、これはっ…」
「悪く思わないでね、囁」
「うっ…」
思うように体の動かない囁へと、弔がさらに、言玉を持った右手を向ける。
「君が悪いっ」
冷たい微笑みで、弔が言い放つ。
「俺と、俺たちの夢を裏切った、君が悪いんだ…」
「クっ…」
輝き始める言玉に、囁が厳しい表情で唇を噛み締める。
「さようなら…」
弔の言玉から、大きな白い光の塊が放たれる。
「“光”」
「……っ!」
向かってくる光に、囁は諦めるように、強く目を閉じた。
―――パァァァァン!
大きく、光の弾ける音が、広い部屋へと響き渡る。
「……っ?」
光の音が響いたというのに、何の痛みも、何の変化もない体に、きつく瞳を閉じていた囁が、戸惑った様子で瞳を開く。
「…………」
「あっ…」
開かれたばかりの瞳に映る、すぐ目の前の人影。
「アヒ、るん…」
その人物を見上げ、囁はそっと、その人物の名を口にした。
「やぁっぱお前には、そう呼ばれる方が落ち着くなぁ」
囁の前に、囁を庇うようにして立っているその人物が、明るい口調を発しながら、ゆっくりと囁の方を振り返る。
「別に気に入ってはねぇけどっ」
振り返り、囁へと大きな笑顔を向けたのは、アヒルであった。
「アヒるん…」
目の前に現れたアヒルを、囁が戸惑うように見つめる。
「なっ?ちゃんと、“会いに来た”だろっ?」
「……っ!」
アヒルの言葉に、大きく目を見開く囁。
「俺の言葉、嘘なんかじゃなかっただろっ?」
「……っ」
続けて問いかけるアヒルに、細められた囁の瞳が、かすかに潤む。
「ええっ…」
囁は潤んだ瞳をさらに細め、笑顔を見せながら、少し震えた声で大きく頷いた。
「さぁーてとっ」
笑顔を見せた囁に、安心するように微笑んだ後、アヒルがすぐさま目つきを鋭くし、再び正面へと体を向ける。
「やっと会えたな、弔」
「俺は別に、焦がれた覚えもないけれどね…」
はっきりと言い放つアヒルに、弔はどこか皮肉った笑みを浮かべる。
「まぁいいよ。今のところ全敗な上に、仲間だと思ってた女の反逆にもあって、むしゃくしゃしてた所だし…」
「……っ」
弔のその言葉に、そっと視線を落とす囁。
「君の言葉くらい奪わないと、収まりそうにないからねぇ」
「…………」
冷たい瞳を見せる弔と見つめ合いながら、アヒルが素早く、右手の銃を構えた。
「囁、保と奈々瀬を頼む」
「アヒるんっ…」
囁へと二人を託し、一歩前へと出るアヒル。
「俺は、あいつを倒すっ…!」
「……っ」
強気に言い放つアヒルに、弔はどこか楽しげな笑みを浮かべた。




