Word.31 意地 〈1〉
アヒルたち安団と、七声との激戦が続いている頃。於崎家屋敷。
「…………」
どこか厳しい表情を見せた和音が、見張りのいる門をくぐり、再び屋敷の中へと足を踏み入れた。
「おかえり」
「……っ」
入口棟に入ってすぐのところで声を掛けられ、和音が振り向く。和音を出迎えるように、屋敷の奥から玄関へと現れたのは、檻也であった。
「あら、檻也」
和音がすぐに、笑顔を作る。
「もうお体はよろしいんですの?」
「ああ、問題ない」
問いかける和音に、檻也はどこか素っ気ない態度で答える。
「どこへ行っていたんだ?」
「韻へ、七声のことを報告にですわ」
檻也の問いに答えながら、和音が玄関を上がり、廊下をゆっくりとした足取りで進んで、檻也の立っているすぐ前まで歩み寄っていく。
「討伐に行く安団の見送りもせずに…?」
「急いでいたものですから」
少し責めるように、鋭く問いかける檻也に対し、和音は笑顔を崩すことなく、すぐさま答えた。
「安の神たちは無事、七声のアジトに辿り着いたようですわよ。援軍に送った者たちから、報告が来ました」
「そうか」
和音の言葉に、檻也がホッとした様子で肩を落とす。
「和音」
「はい?」
改めて呼びかける檻也に、和音が不敵な笑みを向ける。
「何故、七声討伐に安の神を…」
「檻也くんっ」
『……っ』
檻也の後方から聞こえてくる声に、檻也の言葉は止まり、檻也と和音は同時に声をした方へと視線を移した。
「紺平」
「言われた通り、辞書読み終わっ…って、あっ、ごめん。話し中だった?」
屋敷の奥から現れた紺平が、檻也の背後に和音を姿を見つけ、申し訳なさそうに表情を歪める。
「構いませんわ」
「えっ?」
そっと微笑みかける和音に、戸惑った顔となる紺平。
「あなたは、えっと…」
「自己紹介がまだでしたわね。わたくし、“わ”の力を持つ、第二十八代言姫の和音ですわ」
「言姫、様っ…」
「以後、お見知りおきを。己守さん」
「あ、は、はいっ!こちらこそ!」
名を名乗る和音に、紺平が慌てた様子で深々と頭を下げる。まだ言姫のことなどは詳しく知らぬはずの紺平であるが、和音が纏っているその空気に、身分の高さを感じ取ったのだろう。
「あなたにも、今回の件では、色々とご迷惑をおかけしましたわね」
「ああ、いえ!そんな…!俺は何もっ…」
「韻に行っていたのだろう?」
かしこまる紺平の横から、再び檻也が口を挟む。
「七声のこと、新たに何かわかったのか?」
「ええ、色々と…」
檻也の問いかけに頷き、和音が真剣な表情を見せる。
「今からお話いたしますわ」
「じゃあ、こちらへ。ここの客間が空いている」
檻也は指し示した手で、廊下のすぐ横にある襖を開いた。誰もいない、テーブルだけが置かれた畳の部屋へと、先に和音を通し、檻也も中へ入っていく。
「あ、あの俺は、居ない方が…」
「いいえ、あなたもぜひ、一緒に聞いて下さい」
遠慮がちに問いかけた紺平の方を、和音が振り返る。
「あなたにも、関係のないお話ではありませんので…」
「えっ?」
「……っ」
意味深に言い放つ和音に、紺平は首を傾げ、檻也もそっと眉をひそめた。三人が客間へと入り、紺平が襖を閉じる。三人はテーブルを囲むように、畳へと腰を下ろした。
「今回、新たに判明したのは、七声主導者のこの男のことです」
和音がそう言って、テーブルの上に一枚の写真を出す。
「時定…いや、弔のことか…」
「ええ…」
名を言い直した檻也に、和音が深々と頷く。
「弔。本名を、鴻上皇紀」
和音が、その瞳を鋭くする。
「かつて五十音士の己守であった者です」
「えっ…?」
「なっ…!」
和音のその言葉に、檻也と紺平がそれぞれ、衝撃を走らせる。
「奴が、元・五十音士っ…?」
「俺と同じ、己守…」
「あなたから数えて、三代前の己守になります」
驚く二人に対し、和音が紺平の方を見ながら、冷静に言葉を続ける。
「十四の時、“こ”の力に目覚めた彼は、その優れた知識と身体能力で、五十音士の中でも圧倒的な強さを示しました」
和音がテーブルの上に置かれた、弔の写真へと視線を落とす。五十音士時代の写真なのか、その写真の弔は、檻也が知っている弔よりも少し若く見えた。
「彼は多くの忌を倒し、また於附として、完璧なまでに於の神を守り抜きました。ですが…」
和音の表情が、ふと曇る。
「その裏で、とある研究を行っていたのです…」
「研究っ…?」
その言葉に、檻也が大きく首を傾ける。
「嘘言玉と呼ばれる、言玉と同等の力を持つ物体を、人工的に造り出す研究です」
「言玉を、造るっ…!?」
檻也が大きく目を見開き、和音の言葉を繰り返す。
「馬鹿なっ…!言玉を造るなんて、そんな真似が出来るはずっ…!」
「ですが、彼の研究は成功しました」
声を荒げた檻也に、和音が冷静に切り返す。
「その嘘言玉を使えば、五十音士でもない人間が言葉を使えるようになる…しかも、その言葉の力は、五十音士のそれに匹敵するほどの強さでした」
「そ、そんなっ…」
あまりの驚きに、紺平も言葉を失う。
「彼の力を恐れた韻は、彼から己守の称号を剥奪し、五十音の世界からも追放して、すべての嘘言玉を処分したのです」
「だが奴は、再び動き出した」
「ええ…恐らくは新たに嘘言玉を造り出し、仲間を集め、機を狙っていたのでしょう…」
檻也の言葉に、和音が険しい表情を作る。
「彼がかつて己守であったのならば、代々於の神が受け継いでいる、夢言石の存在を知っていたことも頷けます」
「夢言石を奪った、奴の目的は…?」
「…………」
檻也の問いかけに、和音がそっと目を細める。
「自分を追放した我々五十音士への復讐か、すべての言葉を奪い尽くすという野心か、もしくは…」
「もしくは…?」
「我々、五十音士とは異なる…まったく新しい、言葉世界の構築…」
「世界の、構築って…」
「……っ」
大きくなっていく話に、恐怖すら覚え、険しい表情を見せる紺平の横で、檻也が考え込むようにそっと俯く。
―――彼らの目的は…五十音士に成り代わって、すべての言葉を支配すること…―――
考える檻也の脳裏に浮かんできたのは、弔たちの反逆に遭った際の、囁の言葉であった。
「三つめが正解だな、恐らく…」
「檻也くん…?」
そう呟きながら、その場から立ち上がる檻也を、紺平が戸惑うように見上げる。
「三つめが正解だというのであれば、言葉世界の未来がすべて、安団の皆様に懸かってくるというわけですわね」
「懸けさせたのは、お前だろう」
「わたくしは韻の考えの下、最も合理的な方法を選んだだけですわ」
鋭く言い放つ檻也に、和音は穏やかな笑みを向ける。
「安の神を選んだことにも、きちんとした理由があっ…」
「大丈夫かな…」
和音の言葉を、どこか不安げな紺平の声が遮る。
「ガァたち…」
「……っ」
アヒルたちの身を案じ、表情を曇らせる紺平に、檻也もそっと目を細める。
「大丈夫ですわよ」
すぐさま笑顔で、紺平へと語りかける和音。
「彼らは強いですもの。ねぇ?檻也」
「…………」
和音の問いかけを聞きながら、檻也が厳しい表情を見せたまま、客間の大窓へと近付いていき、外に広がる空を見つめる。
「言葉世界の未来、か…」
空を見つめ、遠くを見るような瞳を見せる檻也。
「篭也…」
檻也の、どこか不安げな声が、小さく落とされた。
七声の城、一階。玄関ホール。
「“落ちろ”」
轟が右手を掲げ言葉を放つと、二階まで吹き抜けとなっている天井から、小さな白光の玉が幾つも、雨のように勢いよく降り注ぐ。
「“囲え”」
降り注ぐ光の雨の真下に立つ篭也が、同じく言葉を発し、六本の格子で頭上を覆って、それを防ぐ。
「うっ…」
だが格子にかかる力は強く、篭也が少し表情を歪める。
「“尖れ”…」
「なっ…!」
轟が新たに言葉を重ねると、降り注いでいた光が鋭く尖った刃のように形を変え、受け止めていた格子を四方から刻むように傷つける。
「クっ…!か、“返せ”…!」
篭也が言葉を変え、格子を激しく回転させて、降下してくる光を天井へ向けて、一つ残らず弾き返した。
「はぁっ…はぁっ…」
攻撃を凌ぎきった篭也が、軽く息を乱す。
「ワタクシの持っている言葉は、弟さんの“お”の言葉だけではないのですよぉ~?」
「……っ」
耳に届く、その軽い口調の声に、篭也が眉をひそめながら振り向く。
「ワタクシは元々、止守だったんですからぁ」
「そうだったな…」
轟の言葉に答えながら、篭也が少し目を細める。
「そんなワタクシを相手に、そのままでよろしいんですかぁ?」
「…………」
含んだ笑みを向けてくる轟に、表情を曇らせる篭也。だがすぐに篭也は六本の格子を一本にまとめ、その一本を右手へと納めた。
「……“変格”」
篭也の声に反応し、格子が赤い光を放ちながら、その形を変えていく。
「それが、あなたの変格活用ですか…」
真っ赤な鎌を構えた篭也を見て、轟が満足げな笑みを浮かべる。
「面白いっ…!」
大きく口元を歪ませて、轟が両腕を振り上げた。
「“捕らえろ”っ」
言葉を放った轟の周囲から、紐状の白光がいくつも飛び出し、篭也を捕らえようと伸びてくる。
「“絡まれ”…!」
篭也が鎌を振り下ろしながら言葉を発すると、鎌から放たれた赤い光を浴びた、その紐状の白光が、空中で互いに絡まり、動きを封じられ、床へと落ちて消える。
「“圧し潰せ”っ」
「“掻き消せ”!」
轟がすかさず向けた白光の塊を、鎌を手元に戻すように一振りして、一瞬で消し去る篭也。
「さすがに言葉数が多いっ…」
次々と轟の攻撃を打ち破る篭也を見つめ、轟がそっと目を細める。
「ならばっ…」
「……っ?」
言玉を左手へと持ち替え、右手を振り上げる轟に、篭也が眉をひそめる。
「“灯”っ」
振り上げられた轟の右手から生じたのは、真っ白に輝く炎であった。
「ほ、炎っ…?」
轟の纏った炎に、戸惑いの表情を見せる篭也。
「行きますよ?……っ!」
「うっ…!」
右手を振りかぶり、こちらへと勢いよく駆け込んでくる轟に、篭也が戸惑いを払い、少し慌てた様子で身構える。
「か、“刈れ”…!」
向かってくる轟に対し、先手を討つべく鎌を振り上げる篭也。
「……っ」
鎌を振り上げる篭也を前に、轟はそっと口元を歪め、炎を纏った右手を、振り落ちてくる鎌へと掲げた。
「“凍”っ…」
「なっ…!」
轟が同じ音のその言葉を放った瞬間、炎が勢いよく鎌へ向け燃え盛ると、鎌があっという間に凍りつく。
「炎で、凍るっ…!?」
「“討”…」
「うっ…!」
鎌を凍らされた篭也へと、放たれる炎。
「うああああああっ…!」
正面から炎を浴びた篭也が、勢いよく後方へと吹き飛ばされた。
「うぅ…うっ…」
軽く火傷を負った左腕を抱えながら、篭也が起き上がり、床に鎌を何度か突き刺して、纏わされた氷を払いながら、すぐさまその場で立ち上がる。




