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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
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Word.30 唯一ツノ真実 〈4〉

――――『もちろん、君が一番大好きだよ、囁。君が世界で一番、大好きだ』

 その言葉が口癖だった父は、私が五歳の時、私と母を捨てて、他の女のところへ去って行った。


「母さんは大丈夫よ。囁が居てくれるもの」

 見るからに弱っていった母は、私の前ではいつも、無理して笑っていた。

「私は囁が居てくれるだけでいいの」

「…………」

 母がそう言うから、私もあんな父のことは忘れて、母と二人、初めから二人であったように、生きていけばいいと、諦めた。なのに。


『愛しているわ、囁。母さんはいつも、どこに居ても、あなたのことを見守っているから』


 そう書かれた手紙だけを残して、母が消えたのは、それから一年も経たない頃だった。


 言葉では、何とでも言える。

 例え、まったくそう思っていなかったとしても、言葉で紡ぐのは、とても簡単。

 言葉なんていつも、そう、嘘ばかり。


「辛いことがあったら、何でも言ってね、囁ちゃん」

 嘘。そんな気、さらさらないくせに。

「一人じゃ寂しいでしょ?いつでも遊びに来て」

 嘘。行ったら絶対、迷惑そうな顔するくせに。

「おばさん、ちょくちょく会いに来るから、何かあったら、すぐに言うのよ?」

 嘘。ろくに会いにも来ないくせに、ろくに聞く気もないくせに。

「私たちが力になるから、気を落とさないで」

 嘘。そんなのは、嘘。あの言葉も、その言葉も、全部、嘘。嘘。嘘。


 この世界の言葉は、どうしてこうも、嘘ばかりなんだろう。

 この世界の言葉に、意味のあるものなんて、きっと、たったの一個もない。



 嘘ばかりの人間の中に居ることが嫌で、特にあてもなく抜け出した。辿り着いたのは、人の気配もまるでしない、深い森の中だった。

「お城…?」

 深い森の中に建つ、古びた城を見つけた。

「何で、こんなところに…」

「珍しいな」

「……っ」

 人の気配なんてまるでしなかったのに、すぐ近くから聞こえてきたその声に、私は勢いよく振り返った。

「こんな場所に、お客さんなんて」

 そこに立っていたのは、まだ若い男の人だった。とても穏やかに微笑んでいたけれど、その瞳はどこかとても冷たくて、その矛盾が、とても印象的だった。

「こんなところで、何をしてるの?お嬢ちゃん」

「…………」

「んっ?」

 何も答えない私に、その人は少し首を傾げる。

「口がきけないのかな?」

 その人が私の顔を覗き込み、考えるように呟く。

「えっと、じゃあ紙とペンで…」

「……きけるわ…」

「あれっ?」

 ようやく口を開いた私を見て、その人は驚いたような顔を見せる。

「何だ。話せるなら、初めからちゃんと話してくれればいいのに」

「話したって、意味がないもの…」

「えっ…?」

 諦めたように言い放った私に、その人は眉をひそめる。

「この世界の言葉は嘘ばかり…意味のあるものなんて、一個だってないの…」

 今、こうして放っている言葉にも、きっと意味はない。

「だから、こんな言葉…使うだけ無駄で…」

「わかるな」

「えっ…?」

 返ってきた思いがけない言葉に、私は少し驚いて、振り向く。

「本当、この世界の言葉って、意味のないものばかりだよね」

「……っ」

 私の言葉に賛同しながら、薄く笑みを浮かべ、遠くを見つめるその人を、私は戸惑いながら見つめた。

「あなた、は…」

「だから、ねぇ、君」

 振り向いたその人が、私を見る。

「僕と一緒に、新しい言葉を創らないか?」

「えっ…?」

 その言葉に、私は戸惑いの表情を見せる。

「新しい…言葉っ…?」

「うん、そう」

 聞き返した私に、その人は大きく頷いた。

「嘘偽りのない、意味ある言葉を創るんだよ…」

「嘘、偽りの、ない…」

 すべての言葉が嘘に聞こえていたあの頃の私に、何故か、その言葉だけは嘘に聞こえなかった。

「意味の、ある…」

「ああ」

 その人は私に、もう一度、大きく頷きかける。

「創ろう?僕らが支配する、僕らだけの言葉をっ…」

「私たち、だけのっ…」

 差し伸べられたその手に、ゆっくりと手を伸ばす。

「言葉っ…」


 嘘ばかりの世界を生きてきた私にとって、彼のその言葉だけが、ただ一つの真実だった……――――



「ん…」

 部屋の寝台に転がり、再び眠りについていた囁が、ゆっくりとその瞳を開く。目を開くとそこには、相変わらず無機質の白い天井が広がっている。

「また、あの夢か…」

 繰り返し見る、この城の前で弔と出会った頃の夢。夢が頭の中に刻みつけているようで、囁はどこか疲れたように、深く肩を落とした。

「はぁ…そろそろ外に…んっ…?」

 寝台の上で起き上がった囁が、壁の向こうからかすかに聞こえてくる、何かがぶつかり合うような衝撃音に気付き、そっと耳を澄ませた。

「誰か…戦っているの…?」

 その音は、明らかに戦いの音であった。

「弔、と…?」


―――“会いに行く”からっ…!―――


「……っ!ま、まさかっ…!」

 アヒルの姿が脳裏を過ぎり、囁は焦った様子で身を乗り出した。




「うあ…あぁ…」

 七架に傷の治療をしてもらったばかりであったというのに、再び全身傷だらけとなった保が、真っ赤な血を床に滴り落としながら、力なくその場に倒れ込んでいく。

「た、高市くんっ…!」

 倒れた保の名を必死に呼ぶ七架もまた、全身に傷を負い、保の後方で、うつ伏せに倒れ込んでいた。

「安団もこんなものか。大したことないな」

「うっ…」

 倒れた保のすぐ目の前に立つ弔が、挑発めいた笑みを浮かべる。その笑みに七架は顔をしかめるが、七架には、その場から立ち上がる力も残されていなかった。

「クっ…うぅ…」

 痛みが激しく、七架の意識も、徐々に失われ始める。

「こんなに…強いなんてっ…」

「残念だったね。囁を取り返せなくって」

「……っ」

 弔の笑みをその視界に入れたまま、七架がゆっくりと目を閉じていく。

「真田、さんっ…」

 前へと、必死に伸ばされる七架の左手。

「朝比奈…くん…」

 その手が、力なく床へと落ちた。

「ふぅっ」

 保と七架が気を失ったことを確認し、弔が一息つくように肩を落とす。

「暇潰しにもならなかったな」

 少し不満げに、言葉を吐き捨てる弔。

「まぁいい。とりあえず言葉を頂くとしようか」

 そう言って微笑んだ弔が、懐から夢言石を取り出し、倒れたままの二人へと夢言石を向ける。

「貰うよ。君たちの言葉」

「弔」

「んっ?」

 弔が二人の言葉を奪おうとしたその時、左方から名を呼ぶ声がして、弔は手の動きを止め、ゆっくりと振り返った。

「やぁ、囁」

 弔が振り向いた先から、弔の方へと歩いてくるのは囁であった。

「お目覚めかな?」

「ええ…ここから戦う音がしっ…なっ…」

 自分の部屋から出て、弔へと歩み寄っていた囁が、弔の前で倒れている傷だらけの保と七架を見つけ、思わず眉をひそめる。

「ああ、これね」

 囁の視線の先を追い、そっと微笑む弔。

「さっき来たんだ。みちびきたちが結構、役に立たなくてね」

 困ったように笑いながらも、弔のその瞳はひどく冷たい。

「何か、とても熱くなっていたよ?彼ら」

 弔がその笑みを、今度は囁へと向ける。

「君を返せって、しつこくてね」

 弔の言葉が続く中、囁がますます険しい表情を見せながら、倒れ込んでいる保と七架を見つめる。

「彼らも可笑しなことを言うよね。君は元々、俺たちの仲間だっていうのに」

 微笑みかける弔と視線を合わせることはなく、囁が少し俯く。

「本当に勝手な人間ばかりだ。今の言葉を使う連中というのは」

 弔がどこか呆れた様子で、肩を落とす。

「自分の都合のいいようにしか、言葉を使わない。君もそう思うだろ?囁」

「…………」

 問いかける弔に答えず、囁はただ、険しい表情を見せる。

「けど、大丈夫」

 囁の答えを待たずに、弔は次の言葉を口にした。

「こんな連中からは、すぐに取り上げることにするよ。言葉をね…」

「なっ…!」

 再び夢言石を保たちへと向ける弔に、囁が大きく目を見開く。

「と、弔っ…!」

「大丈夫。すぐ終わるさ」

 思わず身を乗り出した囁に、弔はまるで安心させるかのように、優しい笑みを向ける。

「少しの間だけ待っていてくれ、囁。これで…」

 弔の右手の中の夢言石が、淡い白色の光を放ち始める。

「君と俺の夢に、また一歩近づくから…」

「あっ…!」

 徐々に輝きを強くする夢言石が、保と七架へと向けられる。倒れたまま、気を失っている二人は、夢言石を向けられていることすら知らない。囁は思わず、手を伸ばそうと右手を上げる。

「クっ…」

 だがその右手はすぐに下げられ、囁は何かを堪えるように、強く唇を噛み締めた。


―――やったね!真田さん!真田さんに教えてもらった言葉、バッチリだったよ!―――

―――はぁっ!朝から見るにはちょっとキツイ俺なんかが、真田さんと登校しちゃって、すみませぇ~ん!―――


「クっ…!」

 思い出される二人の笑顔に、囁が力いっぱい拳を握り締める。

「さぁ…」

 部屋中に広がるほどに光を発し始めた夢言石を、弔は微笑みながら、ゆっくりと握り直した。

「言葉を貰うよ…」

 冷たい微笑みが、夢言石の光に映える。

「五十音“た”、“な”…封印…」

 夢言石から保と七架へ向け、まっすぐに放たれる白い光線。

「……っ!」

 その光線に、囁は大きく目を見開いた。


―――パァァァン!


 放たれた光線が何かに当たり、部屋に響く、高い音を立てる。

「…………」

 その音を聞き、弔が浮かべていた笑みが消える。

「何の、つもりだ…?」

 どこか、低い声を発する弔。

「囁…」

「…………」

 振り向いた弔の、突き刺すような鋭い視線の先に立っていたのは、真っ赤な横笛を口に当てている囁であった。囁が手を動かし、ゆっくりと唇から横笛を離す。

「“さえぎれ”…」

 横笛から離した口で、小さく言葉を落とす囁。倒れている保と七架の周囲に、淡い赤色の光が、まるで二人を守るかのように張られていた。先程の高い音は、その張られた膜が、夢言石の光を弾いた音だったようで、二人の言葉が奪われた様子はなかった。

「もう一度、聞こうか…」

 弔が夢言石を下ろし、囁の方へと体の向きを変える。

「何の、つもりだ?囁…」

「……ごめんなさい…」

 問いかける弔に、囁は謝罪の言葉を呟いた。

「でもっ…」

 その瞳を強く光らせ、囁がまっすぐに弔を見つめる。

「彼らの言葉は、あげられないわっ…」

「……っ」

 はっきりと言い放つ囁に、弔はそっと目を細めた。



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