Word.30 唯一ツノ真実 〈3〉
「はぁ…か、階段…?」
壁のもとに戻った部屋を見回していた保が、部屋の隅にある、上へと続く階段を見つける。
「上れば…みんなのとこに戻れるかな…」
保が傷だらけの体を引きずるように、重い足取りで階段へと進み、ゆっくりと一段ずつ、階段を上っていく。静かなその場に、保の足音がよく響き渡った。
「何か…不気味だなぁ…」
あまりの静けさに、思わず表情を引きつる保。
「あれ?ここまで?」
一階分上った辺りで階段は途切れ、保は、何もない横長の部屋へと辿り着いた。何もない部屋の奥の壁際に、横開きの扉のようなものが見える。
「あれは…」
それを見て、眉をひそめる保。
『エレベーター?』
保と揃う、もう一つの声。
「へっ?」
重なるその声に、保が戸惑うように振り向く。
「だっ…」
「誰っ!?」
「ひいいぃぃぃ~!」
誰かを確かめようとしたその時、眼前へ、勢いよく突き出される刃に、保は思わず情けない悲鳴をあげた。
「ご、ごめんなさぁ~い!こんな俺、ゆ、許して下さぁ~い!」
「た、高市くん?」
天井を見上げたまま、必死に謝る保に、目を丸くしたのは七架であった。保へと向けられたのは、七架の薙刀の刃であった。
「良かった~高市くんも無事だったんだねっ」
「今、まさにその無事が失われようとしてますけど…」
刃を向けたまま、大きな笑顔を見せる七架に、保が少し表情を引きつって呟く。
「あ、ごめんごめんっ」
七架が慌てた様子で、保へ向けていた刃を引っ込める。
「また七声の人が出たのかと思っちゃって」
「俺もまた、トチ狂った人が来たのかと思いましたよ…」
「トチ狂った?って、高市くん、ひどい傷だよっ!?」
げっそりとした様子で答える保に、首を傾げていた七架が、保の全身の傷に気付き、驚きの声をあげる。肩口や腹部の傷からは、まだ血が流れており、保が暢気な表情を見せているのが信じられないほどの傷であった。
「大丈夫っ?す、すぐ治すねっ」
「あ、お願いします」
保の傷へと、薙刀を持った右手を伸ばす七架に、保が軽く頭を下げる。
「はぁ!こんな、そもそも神経通ってんの?って感じの俺が、一丁前に傷の治療なんてしてもらってすみませぇ~ん!」
「ま、まぁ元気そうで良かったよ…」
相変わらず謝り散らす様子に呆れながらも、傷のわりには元気そうな保に、七架が少しホッとした表情を見せる。
「あのエレベーター乗りながら行こ?上行ったら、朝比奈くんたちと合流出来るかも知れないし」
「あ、はい!」
七架の言葉に保が頷き、二人が部屋の奥にあるエレベーターへと向かう。すぐ横にあるボタンを押すと、横開きの扉が開き、狭い空間の中に二人が足を踏み入れた。七架が上という選択肢しかない、エレベーターのボタンへと指を伸ばす。
「何階とかはないんだ…」
「はぁ!ちょっとばかり、閉所恐怖症ですみませぇ~ん!」
「はいはい、すぐ着くと思うから我慢してね」
頭を抱え、閉所な空間を恐れている保を、あしらうように適当に宥め、七架がボタンを押した。
「高市くん、傷」
「あ、はい」
七架に言われ、保が頭を抱えていた両手を下ろし、七架の方へと傷口を向ける。
「“治せ”…」
七架が言葉を発すると、保の傷口へと向けられた七架の右手から、柔らかな赤色の光が放たれ、保の体を包み込んだ。淡い光に包まれた傷が、徐々に塞がっていく。
「すごい傷…よっぽど、大変な戦いだったんだね」
「ま、まぁ…半分以上は記憶ないんですけど…」
「えっ?」
保のその言葉に、七架が戸惑うように顔を上げる。
「記憶がない?」
「は、はいっ…この前の地球外生命体さんの時もなんですけど、俺戦ってる最中、結構記憶失くすみたいで…」
「記憶失くすって…」
微笑んで答える保に、ますます表情を曇らせる七架。
「大丈夫なの?それって。為介さんとか、恵先生とかに相談してみた方がっ…」
「大丈夫です」
「えっ?」
七架の声を遮って即答する保に、七架が戸惑うように目を丸くする。
「大丈夫って、確信だけはあるんです。何かっ…」
「高市くん…」
左胸に手を当て、保が穏やかな笑みを浮かべる。そんな、いつもとは違う様子の保を、七架は少し目を細め、見つめた。
「随分と楽になりました。ありがとうございます、奈々瀬さん」
「あ、うん」
二人がそう会話を交わしていたその時丁度、エレベーターが到着を告げる甲高い音を立てる。
「着いたみたい」
「でも何か変な感じしますよねぇ」
保が、開いていくエレベーターの扉を見つめながら、そっと呟く。
「こんなお城の中に、エレベーターだなんてっ…」
「不釣り合いで申し訳ないね」
『……っ』
開いた扉の向こうから聞こえてくる声に、保と七架が同時に表情を強張らせ、勢いよく振り向く。
「一階から四階まで階段で上るの、結構辛いもんだからさ」
エレベーターから出て来た二人を迎えたのは、広い部屋にポツリと置かれた玉座に腰を下ろしている弔であった。エレベーターで辿り着いたのは、四階の王の間だったようである。
「あ、あなたはっ…!」
「あの時の…!」
険しい表情を見せ、それぞれの武器を構える保と七架。
「ああ、於崎の屋敷で会ったかな?悪いね。君たちのこと、あまりよく覚えていないや」
二人を見つめながら、弔が涼しげな笑みを浮かべる。
「はぁ!大して記憶にも残らない存在で、すみませぇ~ん!」
「高市くん…」
挑発で言われているというのに、謝り散らしている保に、七架が呆れた表情を見せる。
「あなたも七声の人?」
「ああ。一応、七声のリーダーをやってる、弔さ。よろしくね、安団の皆さん」
問いかける七架に、弔が隠すことなく、あっさりと答える。
「ならっ」
七架が目つきを鋭くし、勢いよく薙刀を振り上げる。
「真田さんを返してっ!」
「あっ」
強く叫ぶ七架に、ハッとした様子で顔を上げる保。
「そ、そうです!真田さんを、地底世界から解放してもらいますよ!」
保も大きな声で言い放ち、糸を絡めた左右の手を構えた。
「囁なら、すぐ隣の部屋にいるよ。俺に勝ったら、連れて帰るといい」
隣の部屋を指差しながら、弔が落ち着いた様子で答える。
「ただし、俺が勝ったなら…」
ゆっくりと玉座を、立ち上がる弔。
「君たちの言葉、貰うからね…」
『……っ』
冷たく微笑む弔に、保と七架が厳しい表情を見せた。
七声の城、三階。
「“上がれ”!」
言葉を放ちながら、自らの体へと弾丸を撃ち、赤い光に包まれたアヒルが、天井へ向けて高々と上昇する。
「のの…“昇れ”」
巨体の男、罵も、言葉を発し、アヒルを追うように空中へと舞い上がる。
「の…“伸びろ”」
舞い上がった罵が、アヒルへと両手を向け、周囲に網状の白光を張り巡らせ、アヒルを捕らえようとアヒルへ向かって伸ばす。
「“荒れろ”…」
周囲を巡る白光を見つめながら、アヒルが目つきを鋭くする。
「“嵐”…!」
「のっ…!」
吹き荒れる強い風に、アヒルへと向かって来ていた白光の網がすべて押し返され、その後ろに居た罵も風を受け、床へと吹き落される。
「のの、の…」
床へと着地した罵が、少し乱れた声を落とす。
「食らっとけ!」
「のっ…?」
上空から降って来るアヒルの声に、罵が顔を上げる。
「“当たれ”!」
「のっ…!」
まだ膝を床についたままの罵へ向け、アヒルが上空から弾丸を放つ。勢いよく向かってくる赤い光の弾丸に、罵が焦ったように表情を歪める。
「のの…!」
その大きな手にはあまりにも小さな言玉を、指で必死に挟み込み、自分の前へと突き出す罵。
「“納”…!」
「ノウっ…?」
罵が発する言葉に、アヒルが眉をひそめる。
「あっ…!」
白く輝いた言玉の中へと、吸い込まれるようにして消えていくアヒルの弾丸。その光景に、アヒルが驚いた様子で、大きく目を見開く。
「轟の“トウ”と同じ、あいつらの特殊言葉ってやつかっ」
「の…“臨め”…!」
「何っ…!?」
罵のその言葉が放たれたと同時に、罵の言玉から、先程吸収されたはずのアヒルの弾丸が、アヒルへ向かって飛び出してくる。
「うおっ!あ、“当たれ”!」
アヒルが慌ててもう一度、弾丸を放ち、向かってきた弾丸と相殺させる。
「ふぅ~っ」
弾丸が互いに砕け散ったことを確認し、ホッとしたように一息つくアヒル。
「吸収したもんを返すことまで出来んのかよぉ」
「のの、の…」
言玉を下ろした罵が、アヒルに攻撃を浴びせ損ねたからか、少し不満げな表情を見せる。
「こりゃ、下手に弾丸撃ち込むわけにもいかっ…」
「のの…」
「んあっ?」
再び言玉を構える罵に、アヒルが首を傾げる。
「“濃霧”…」
「へっ?」
罵の言葉により、部屋中に一気に広がる濃い霧。上空にいるアヒルの周囲にも、真っ白な霧が立ち込め、アヒルの視界を遮っていく。
「熟語か。やっべ、これじゃ何も見えねぇっ…」
周りに広がる白い霧を見つめ、アヒルが険しい表情を見せる。
「一体、どっからっ…」
「ののっ…!」
「なっ…!」
霧の中で罵の姿を探していたアヒルの、その背後から、罵の巨体が勢いよく飛びかかって来る。
「クソっ…!“上が…!」
「“乗り上げろ”…」
「うぅっ…!」
上へと上がろうとしたアヒルよりも先に、アヒルの上空へと乗り上げる罵。舞い上がった罵の巨体が、そのまま真下のアヒルへと、降り落ちてくる。
「うわあああああっ!」
罵に乗られる形となって、勢いよく床へと下降していくアヒル。
「うぐっ…!」
床へと背中をついたアヒルが、自分の二倍はある大きな体の罵に押し潰され、苦しげに顔を歪める。
「く、クソ…!どけ!このっ…!」
何とか右手だけを、その体重から解放し、上に乗る罵へとアヒルが銃を向ける。
「“当たれ”…!」
アヒルが素早く、罵の顔面めがけて、弾丸を放つ。
「のの…」
「あっ…!」
罵が顔の前へ、言玉を持ってくると、アヒルが大きく目を見開いた。
「やっべ…!しまっ…!」
「“納”…」
罵が先程と同じように、言玉の中へとアヒルの弾丸を吸収する。弾丸を吸いきると、罵は吸い取ったその言玉を、アヒルの目の前へと持ってきた。
「“臨、め”…」
「うっ…!」
罵の言玉から、アヒルの弾丸が、今度は相殺させる間もない至近距離から、アヒルへと放たれた。
―――バァァァン!
弾丸がアヒルへと放たれ、アヒルの下の床まで貫いて、大きな衝撃音を立てる。
「ののっ…」
目の前に立ち込める衝撃風を見ながら、満足げに微笑む罵。
「ののの…のふふふっ…!」
「へぇ~、笑うと“の”以外の文字も言うようになんだぁ」
「のふっ…?」
背後から聞こえてくる声に、罵が漏らしていた笑い声を止める。
「のっ…!?」
「結構面白い仕組みしてんなぁ、お前っ」
罵が振り返った先には、まるで傷を負っている様子もなく、元気そうなアヒルが立っていた。
「の…!?のっ…!?」
自分の下にアヒルの姿がないことを確認し、再び立っているアヒルを見て、戸惑いの表情を見せる罵。
「“欺け”」
困惑している罵へ、アヒルが微笑んで、言葉を投げかける。
「残念ながら、お前の乗っかってた俺はニセモノでしたっ」
「ののっ…」
得意げに微笑むアヒルに、罵が悔しげな表情を見せる。
「のの…!“伸びろ”…!」
怒りを表情に示した罵が、勢いよく声をあげ、再び網状に広がった白光をアヒルへと向ける。
「うおっ…!」
襲いかかって来る白光を、身を反らして、必死に避けるアヒル。だが一本を避けても、他の白光が一気に飛びかかって来る。
「やべ…!“当たれ”…!」
正面から向かってくる白光に対し、アヒルが反射的に弾丸を放つ。
「ののっ…」
「何っ…!?」
アヒルが放った弾丸の前へと、後方から罵が乗り出してくる。
「“納”…」
アヒルの弾丸を、突き出した言玉で吸収する罵。
「“臨、め”…!」
「うっ…!」
吸収した弾丸を、罵がアヒルへと返す。アヒルは向かってくる弾丸を避けようとするが、その周囲には、網状の白光が張り巡らされている。
「く、クソっ…!」
弾丸に当たるか、白光に飛び込むか、二択を迫られたアヒルが表情を歪めながら、勢いよく白光の小さな隙間の中へと飛び込んでいく。
「うっ…!くぅ…!」
それでも数本の白光が腕をかすめ、掠り傷を負ったアヒルが、表情をしかめた。
「痛って」
弾丸が床へと落ち、周囲の白光が消えると、傷ついた右腕を押さえたアヒルが、その場にしゃがみ込む。破れた制服の下からは、赤い血が滲み出していた。
「のの、のっ…」
再び満足げな笑みを浮かべ、言玉を持ちあげる罵。
「マっズイなぁ。“当たれ”が使えないんじゃ、ろくに防御も出来っ…おっ」
顔をしかめ、首を捻っていたアヒルが、急に何か思いついたような声を漏らす。
「どうかなぁ~まっ、思いついちまったし、とりあえずやってみっかっ」
軽い調子で声を出したアヒルが、罵へ向けて、銃を構える。
「“当たれ”!」
「のっ…?」
何か回りくどい攻撃をするわけでもなく、ただシンプルに罵へ向けて、弾丸を放つアヒル。そんなアヒルの攻撃に、罵が少し戸惑った表情を見せる。
「の…“納”!」
戸惑いつつも弾丸を食らうわけにはいかないので、罵は言玉を突き出し、またしても同じように、言玉の中に弾丸を吸収した。
「のの…“臨っ…」
「“当たれ”」
「のっ?」
返そうとしたその時に、再び向かってくる弾丸に、罵が少し目を丸くする。
「のの…?“納”!」
首を傾げながらも、再び言玉の中へと弾丸を吸収する罵。
「“臨っ…」
「“当たれ”っ」
「のっ…!?」
再び返そうとする罵であったが、またしてもアヒルが弾丸を放ってくる。
「“当たれ”、“当たれ”、“当たれ”っ」
休むことなく、何度も何度も、罵へ向けて弾丸を撃ち込むアヒル。
「ののっ…!“納”!」
次々に向かってくる弾丸を、罵は一つ残らず、すべて吸収していく。
「よっ」
今度は何も言葉を言わずに、引き金を引くアヒル。そこで引き金を引く手を止め、やっと銃の連射を終わらせる。
「“納”…!」
その最後の弾丸も、言玉に吸収する罵。
「ののっ…!“臨っ…!」
「あ…」
罵が言葉を放つ前に、アヒルが言葉を口にした。
「“溢れろ”」
そっと落とされる、言葉。
「ののっ…!?」
アヒルの言葉が放たれると、罵の大きな手の中に収まっていた言玉から、激しい赤色の光が溢れ始めた。
「のののおおぉぉっ!」
溢れ出す光に堪え切れなかったのか、言玉は勢いよく砕け散り、その中から一気に溢れ出した赤い光が、罵へと降り注いだ。
「の…のぐっ…」
床に両手をついた罵が、苦しげに声を漏らす。
「…………」
「のっ…!」
すぐ前へと立つ気配を感じ取り、俯いていた罵が、勢いよく顔を上げる。そこには、銃を構えたアヒルの姿があった。
「の…!ののぉっ…!」
言玉を失った罵は、恐怖に顔を歪ませながら、必死に首を横に振り、懇願するような瞳でアヒルを見つめる。
「悪いな」
そんな罵へと、はっきりとした口調で言い放つアヒル。
「こんなとこで、止まっちまうわけにはいかねぇんだ」
「のっ…!」
「“当たれ”!」
大きく口を開いた罵へと、アヒルが躊躇うことなく、弾丸を放った。
「のおおおおおぉぉっ…!!」
弾丸に貫かれ、罵が奥の壁まで吹き飛ばされていく。
「のっ…のの、の…」
壁に背中を打ちつけ、そのままその場に倒れ込むと、罵は力なく瞳を伏せ、気を失った。
「ふぅっ」
銃を下ろしたアヒルが、ホッと一息つくように、肩を落とす。
「さてとっ」
体の向きを変え、上へと続く階段へと視線を移すアヒル。
「囁っ…」
階段の上に見える四階を見上げ、アヒルはそっと瞳を鋭くした。




