Word.30 唯一ツノ真実 〈2〉
「た…“高くなれ”!」
「何っ?」
言葉を放って空へと舞い上がり、誘の攻撃を避ける保。上昇した保を目で追いながら、誘が驚いた様子を見せる。
「まだ言葉を…」
「“束ねろ”」
誘が表情を曇らせる中、保が上空に飛び上がったまま両手を交差させ、左右の手から伸びる数本の糸を束ね、一本の太めの糸を形成する。
「“叩け”っ…!」
二本となった左右それぞれの糸を、腕を振り上げ、大きくしならせて、保が上空から勢いよく、床に立つ誘へと振り下ろした。
「チっ…!」
降りてくる糸を見上げ、少し顔をしかめる誘。
「“鏡”!」
誘が上空へと両手を押し出すと、両手から白い光が放たれ、誘の前に、鏡のように輝く盾を造り出す。その鏡に、保の繰り出した二本の糸が、思いきり振り降りた。
「なっ…!」
だがすぐに鏡にヒビが入り、誘がその表情を険しくする。
「こ、これはっ…!」
ヒビは一気に鏡全体へと走り、次の瞬間、あっという間に砕け散った。
「うっ…!ぐううぅぅ…!」
鏡を砕き割った糸が、誘の腹部に炸裂し、誘が勢いよく後方へと吹き飛ばされる。
「うがっ…!」
腹部へとめり込んだ糸に、地面へと強く叩きつけられ、誘が声にならない声を漏らした。
「う、くぅ…」
床に倒れた誘が、そのまま腹を抱えて倒れ込む。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
倒れ込んだ誘を見つめながら、大きく息を切らし、上空からゆっくりと降りてくる保。
「はぁ…」
「ヒャハハ…」
「……っ」
呼吸を整えていた保が、かすかに聞こえてくる笑い声に、その眉をひそめる。
「ヒャハハっ…面白れぇ…まじサイコーっ…」
糸に叩きつけられた腹部を庇うように、少し身を屈めながらも、その表情には笑みを浮かべた誘が、ゆっくりとその場で立ち上がる。
「マジ楽しいぜぇ。ええっ?太守っ」
「…………」
立ち上がり、微笑みかける誘に、保が表情を険しくする。
「お前の強さで、もっともっと俺を狂わせろ!」
誘が間髪入れずに、保のもとへと駆け込んでくる。
「“凶”!」
先程と同じ、白く輝く凶器の右手を、誘が保へと突き出した。
「た…」
保が表情を鋭くし、自らの言葉を口にする。
「“耐えろ”!」
両手の糸を体の前で幾重にも重ね合わせ、盾を形成する保。
「ヒャハハハ!さっき見てなかったかぁ?てめぇの糸なんざ、俺の凶器相手じゃなぁっ…!」
盾ごと保を斬り裂こうと、誘が右手を勢いよく振り下ろす。
「うっ…!」
だが振り下ろされた誘の右手は、保の糸を斬り裂くことなく、それに止められる。
「な、何でだ!?さっきは簡単にっ…!」
「“倒せ”」
「クっ…!」
誘が戸惑っている中、保が新たな言葉を口にすると、誘の手を受け止める盾となっていた糸が解け始め、誘の手を絡め取りながらも、その中の数本が誘へと、勢いよく飛び出してくる。
「チっ…!“行”!」
険しい表情を見せた誘が、向かってくる糸へと、左手で白光の玉を飛ばし、糸を弾き返す。
「うっ…」
糸と白光の衝撃で、後ろへと押し返される誘。右手は、先程の自らの攻撃で傷を負い、赤い血が流れ落ちていた。走る痛みに、誘が少し顔をしかめる。
「さっきとは力の具合がまるで違うっ…」
前方に立つ保を見つめ、誘がそっと目を細める。
「言葉に気持ちが乗ってるってヤツかぁ?ヒャハっ」
追い込まれながらも、まだ楽しそうに微笑む誘。
「じゃあ俺も、もっともっと狂わなきゃっ…ヒャハハハハ!“強”!」
「……っ?」
高々と笑いあげ、再び言葉を発する誘に、保が戸惑うように眉をひそめる。
「ヒャハハハハハァ!」
狂気に満ちた瞳をさらに大きく見開き、声が枯れてしまうのではないかと思えるほどに、大きな声を発した誘が、両手をいっぱいに広げ、天を仰ぐ。
「まじサイコー!まじ楽しい!ヒャハハハハ!」
解放感を楽しむように、誘が力いっぱい叫ぶ。
「久々だぜぇ。ここまで力出して、戦える相手はよぉ。ええっ?太守!」
「うっ…!」
みなぎるほどの白光を纏って、再び保へと駆け出してくる誘に、保が思わず表情を険しくし、素早く両手を身構える。
「“束ねろ”っ」
左右の手の数本の糸を、それぞれ一本へと束ね上げる保。
「“叩け”…!」
大きくしならせ、保が糸を駆け込んでくる誘へと向ける。
「ヒャハ!」
前方から向かってくる糸を見つめ、誘が口角を吊り上げる。
「“鏡”!」
胸の前へと突き出した両手で、鏡の盾を造り出した誘が、その鏡で向かってきた保の糸を受け止める。
「ほらよぉっ…!」
「ううぅっ…!」
誘が強く鏡を押し出すと、その勢いで受け止められていた保の糸が、弾き返って来る。糸の戻って来る衝撃で、保が少しバランスを崩した。
「さっきは砕けたのにっ…」
「ヒャハハハ!“凶”!」
「クっ…!」
力の強くなっている誘の言葉に、保が眉をひそめていると、保の目の前まで駆け込んできた誘が、保へと勢いよく右手を振り下ろした。
「“耐えろ”…!」
先程同様に、重ね合わせた糸で誘の右手を受け止める保。
「“倒せ”!」
またしても先程と同様に、数本の糸で誘の右手を絡め取ったまま、その他の糸を、誘へと向かわせる。
「……っ」
向かってくる糸を見つめ、誘はそっと目を細めた。
「なっ…!?」
次の瞬間、大きく目を見開く保。誘は左腕を突き出し、向かってきた糸をすべて直接、その腕で受け止めた。鋭く尖った糸の突き刺さった誘の左腕から、真っ赤な血がボタボタと流れ落ちる。
「そ、そんなっ…手で…」
「ヒャハハハハ…!」
茫然としている保へと、誘が楽しげに笑いかける。
「喰らいやがれえぇ!」
「うっ…!」
左腕に糸を突き刺されながらも、誘は間を置くことなく、保へと右足を振り上げる。誘の左右の手に、すべての糸を封じられた保は、言葉を放つことも出来ず、表情を歪めた。
「うあああああっ…!」
振り下ろされた誘の右足に斬り裂かれ、保が後方へと吹き飛ばされる。
「う…うぅ…」
強く斬り裂かれた左肩を押さえ、床へと蹲る保。
「ヒャハハっ…ハハ…」
左腕に突き刺さった糸を一本一本抜き、滴る血を見つめながら、誘が溢れだすような笑みを零す。
「楽しい…楽しいっ…ヒャハハっ」
自らの血を眺め、誘は心から楽しそうに笑う。
「う、ううぅっ…」
「んっ?」
楽しさに酔っていた誘が、かすかに聞こえてくる声に顔を上げる。すると誘の視界に、ふらつく体を必死に動かし、何とか立ち上がろうとしている保の姿が入って来た。
「まだ動けんのかぁっ」
立ち上がろうとする保を見て、誘はさらに楽しげに笑う。
「結構、根性あんじゃねぇか」
立ち上がる保へと、誘が意外そうに声をかける。
「どういう心境の変化だぁ?ええっ?さっきはあっさり諦めようとしてたくせによぉ」
「はぁ…はぁ…べ、別に、どうってことじゃないんです…」
息を乱しながら、やっとのことで立ち上がった保が、屈めていた上半身を起こしながら、誘の問いかけに答えていく。
「ただっ…本当の笑顔で、みんなと…仲間と笑い合いたいからっ…」
力なく下げていた右手をあげ、傷だらけの胸の前で、強く握り締める保。
「こんな“痛み”くらいで、倒れてなんかいられないんですっ…!」
顔を上げた保が、迷いのない表情で、堂々と言い放つ。
「ふぅ~んっ」
保の言葉を聞いた誘が、あまり興味なさそうに頷く。
「一人は“痛み”を消し去ろうとして、もう一人は“痛み”を受け入れようとする」
先程までここに居た灰示と、今の保の姿を比べ、誘が感心するように言う。
「可笑しな人間だな、お前たちは」
「はぁっ…はぁっ…」
微笑みかける誘の言葉が届いているのか、届いていないのか、保は必死に呼吸を整えることに集中する。
「まぁでも、楽しかったぜぇ?お前との戦いっ」
誘が、満足げな笑みを浮かべる。
「後は…」
少し低く落とされた誘の声が、部屋に響く。
「俺がもっともっと狂えるように、お前の言葉を貰うぜぇ!」
声を張り上げた誘が、右手を高々と突き上げる。
「ヒャハハ!“狭”!」
「なっ…!」
誘の言葉とともに、眩いばかりの白光が部屋全体へと放たれると、部屋の四方の壁が前方へと動き出し、広間であった部屋を、保と誘、それぞれの立っている空間、六畳間分ほどまでに小さく、狭めた。
「これは…」
背中のすぐ後ろまで迫った壁を振り返り、保が少し眉をひそめる。
「これで逃げ場はねぇっ」
誘が、掲げていた手をゆっくりと下ろす。
「ヒャハハ!さぁっ、最後の一撃を思いっきり楽しもうぜぇ?太守!」
「……っ」
勢いよく両手を広げる誘を見つめ、鋭い表情を作る保。
「行っくぜぇ!?」
両手を前へと突き出した誘が、今までで一番大きな白光の塊を造り出す。
「“行”っ!!」
造り出した白光を、保へ向けて、勢いよく放つ誘。白光は逆巻きながら、その規模をさらに大きくして、狭い部屋の中を、保へ向かって突き進む。
「…………」
だが保は両手を力なく下げたまま、微動だにせず、向かってくる白光を見つめた。
「何だぁ?やっぱり諦めたかぁ?」
そんな保の様子に、怪訝そうに顔をしかめる誘。
「言葉とか、そういうのはよくわかんないけど…」
白光が迫る中、保がそっと声を発する。
「ボケボケでバカで、何にもよくわかってない俺だけどっ…」
―――“サヨウナラ”…―――
「……っ!」
思い出される囁の言葉に、保が目つきを鋭くし、勢いよく顔を上げる。
「この戦いが、絶対に負けられないものだってことくらいはわかるからっ…!」
糸を絡めた両拳を、保が目いっぱい広げる。
「“猛ろ”…!!」
―――パァァァン!
保が言葉を放ったその瞬間、保の両手から無数の糸が放たれ、床や天井を突き刺したかと思うと、また別の壁から突き出し、狭い部屋の中を、一瞬で駆け巡った。
「な、何っ…!?」
視界に一気に増えていく赤い糸に、焦りの表情を見せる誘。
「あぁっ…!」
あらゆる角度から突き出す糸を浴びた誘の白光が、細かい光の粒となって、床へと砕け散っていく。その光景に、誘が大きく目を見開く。
「そ、そんな、俺の言葉がっ…うっ…!」
茫然としていた誘に、床から飛び出してきた一本の糸が迫る。
「グっ…!」
避ける術もなく、険しい表情を見せる誘。
「うううぅぅ…!」
床から突き上げた糸が、思いきり誘の腹部を貫いた。誘が大きく目を見開き、押し潰されたような声を漏らす。
「お、俺が…負ける…?」
見開いた瞳のまま、信じられないといった表情で、誰へともなく問いかける誘。
「ヒャハっ…楽しく、ねぇっ…」
笑みを零した誘へと、八方から、無数の糸が襲いかかった。
「うがああああああっ!!」
無数の糸に突き刺され、誘が激しい叫び声をあげる。
「あっ…あぁ…う…」
狂気に満ちた瞳をゆっくりと閉じ、その場に力なく倒れる誘。開かれたままの誘の口から、自発的に出てくるように、言玉が床へと零れ落ちる。
「……っ」
言玉が床へと落ちると、誘の言葉の効果が消えたのか、部屋を狭めていた壁が後方へと下がっていく。広い部屋へと戻った広間に、ただ一人、保だけが立ち尽くした。
「はぁ…はぁ…」
乱れた息のまま、ゆっくりと手を下ろす保。
「こんな俺が…勝っちゃってすみませんっ…」
誰へ向けた謝罪なのか、小さな声が広間へと落とされた。
「“ショウ”に、“キョウ”…」
夢言石に刻まれていく言葉を見下ろし、玉座に座る弔が、その言葉を読み上げる。
「やっぱり捨て駒か。言玉を与えても、たかが知れてたな…やれやれ…」
弔が深々と、肩を落とす。
「このままだと、すぐに俺も動くことになりそうだね…」




