Word.30 唯一ツノ真実 〈1〉
七声の城、城門前。
「へへっ!“凹め”ぇぇ!」
『ぎゃああああ!』
兵吾が緑色に光る拳を地面へと勢いよく振り下ろすと、地面が大きくヒビ割れし、その上に立っていた待ち伏せ連中がバランスを崩し、雪崩のように一気に倒れ込んだ。
「おぉ~し、コンプリートじゃん!」
周囲に立っている連中が誰もいなくなったことを確認すると、兵吾は満足げに微笑み、光っていた右手から言玉を分離させる。
「全部片付いたじゃん!ヒロト!」
「ああ」
兵吾が振り向き、すでに休戦状態のヒロトへと声をかける。
「で、どう?わかった?蛍」
「ほぉー…」
ヒロトのすぐ横には、深くしゃがみ込み、手の中にある白い宝石をじっと見つめている蛍の姿があった。宝石を見つめながら、蛍が唸るような声を出す。
「これ…言玉じゃないね。とってもよく出来てるけど、精巧なニセモノ…」
「ニセモノ?」
「うん…誰かが人工的に造ったものだ…」
聞き返したヒロトへ、蛍が顔を上げて頷き返す。
「それって、こいつらの持ってた言玉じゃんっ?」
「ああ」
戦いを終え、歩み寄って来ながら問いかける兵吾に、ヒロトが答える。
「人工的って、んな簡単に言玉って造れるものじゃん?」
「まぁ、まず造れない…」
「ああ。それに、こんな五十音士でも何でもない普通の人間たちに、言葉を与えていた」
ヒロトが蛍の持つ偽の言玉を見下ろし、真剣な表情を作る。
「これを造った人間は、相当な力の持ち主と考えて、間違いないと思う」
「ほぉー…で、どうするの?この件、韻に報告とかするわけ…?」
「そうだなぁ」
蛍の問いかけに、首を捻るヒロト。
「報告するに越したことはないと思うけど…んっ?」
考えていたヒロトが、トラの姿から戻った言玉を握り締め、足早にその場を歩き去って行こうとしている不治子に気付く。
「どこへ行くんだ?不治子」
「帰る」
「えっ?」
短く答える不治子に、ヒロトが少し目を丸くする。
「帰る?」
「うん。もうここに、あの方の気配はないもん。居る意味ないから、不治子帰る」
あっさりと答え、不治子はそのまま背を向け、何も迷うことなく帰っていった。
「相変わらず灰示様命だね、不治子は。ヒヒっ」
見えなくなっていく不治子を見送り、ヒロトがどこか呆れたように笑みを浮かべる。
「けどまぁ、一理あるかな。言われたことはやり終えたんだし、余計なことする必要もないだろ?ヒヒっ」
「ほぉー、そうだね…そこまで韻に義理立てする必要もないし…」
「へへ!じゃあ、俺たちもとっとと帰ろうじゃん!」
三人は言葉を交わし、先程まで見つめていた偽の言玉を地面へと放り投げて、その場を去ろうと立ち上がる。
「ヒヒ、まぁ精々頑張ってよ。安団っ」
ヒロトが振り向き様にそう言い落とすと、ハ行の四人は、その場から去っていった。
七声の城、地下一階。吹き抜け大広間。
「ひげぇあああっ!!」
大きな大きな広間に、届かない場所などないくらいいっぱいに広がる叫び声。
「か、勘弁して下さぁ~い!」
「響けぇ!“響”!」
「ぎぃやああぁぁ!」
大きな叫び声をあげて、広間を逃げ回る保。その後方では、七声の幹部の一人、誘が、巻き物の中から飛び出て来た無数の文字を、保へと向けて放っていた。
「お、俺、アヒルさんたちと城に入って、穴にどわぁっと落ちただけなのに、何でこんなことにっ…!?」
「いつまでも逃げられると思うなよぉ?」
「えっ?」
後方から聞こえてくる誘の声に、保が振り向く。
「“狭”!」
「へっ?うわああ!」
誘が言葉を発すると、その次の瞬間、前方へと走り続けていた保が、壁に思いきり体当たりし、思わずその場にしゃがみ込んだ。
「痛たたたたっ…な、なんでこんな所に壁がぁ?」
打った胸部を押さえながら、保が顔を上げ、目の前に立ち塞がる壁を見上げる。
「確かこの部屋、もっと広かったような…」
「壁とお話してる場合かぁっ?」
「えっ?うっ…!」
振り返った保に迫る、文字の集団。
「うわああああっ!」
激しい衝撃音とともに、保の叫び声が響き渡った。
「あぁ~あ、終わっちゃった」
まだ止むことのない衝撃風を見つめながら、誘がつまらなそうに口を尖らせ、深々と肩を落とす。
「あぁ~あ、これじゃ全然、遊び足りな…んっ?」
言葉を吐き捨てていた誘が、何かに気付いた様子で、ふと眉をひそめる。
「あれは…?」
「ふぅ~っ」
安心するような声とともに、衝撃の去った風の中から見えてきたのは、真っ赤な塊であった。その塊は、細長い糸となって徐々に解けていき、中を明らかにしていく。
「た、“助かった”ぁ~…」
糸の塊の中から姿を現したのは、ホッとした様子の保であった。両手の指に赤い糸を巻きつけており、その糸で身を包んで誘の攻撃を防いだようで、傷は負っていない。
「あ、また出てきてる。この糸」
「あの一瞬で言玉の解放を…」
わけのわかっていない様子で、両手の糸を見下ろしている保を見つめ、誘が少し考えるように目を細める。
「ってことは、あの人はやっぱり地底人さんで、俺はやっぱりここは戦うべきでぇ…」
「ヒャハハハ!面白いぜぇ!」
「へっ?」
考えを巡らせていた保の声を遮るように、勢いよく叫びあげる誘。その声に、保が戸惑うように顔を上げる。
「もっと俺を楽しませろよぉ!“響”!」
「ま、またぁ!?」
誘の突き出した右手を合図に、空中に広がった巻き物から、再び飛び出してくる無数の文字。向かってくる文字の集団を見上げ、保が困った表情を見せる。
「ひいいぃぃ~!た、“耐えろ”!」
「何っ?」
情けない声をあげながらも、言葉を放つ保。すると保の両手の糸が、保の前で幾重にも重なり、盾のように形を変えて、誘の攻撃を受け止める。その様子に、誘は眉をひそめた。
「た、“溜めろ”っ」
保がさらに言葉を放つと、糸がしなり、文字を受け止めている部分が大きく曲線を描く。
「“倒せ”!」
「なっ…!」
しなった糸が勢いをつけて、受け止めていた文字たちを、誘へと弾き返す。返ってくる文字たちに、大きく目を見開き、驚く誘。
「クっ…!」
誘から言葉は出ず、文字たちはそのまま誘へと直撃した。
「ふはぁ~っ」
誘に攻撃が当たったことを確認し、保がどこか安心したように一息つく。
「為介さんたちに教えてもらった言葉、地球大生命体さんだけじゃなくって、地底人さんにも有効でっ…」
「ヒャハハハハ!」
「……っ」
部屋に響き渡るその笑い声に、止まる保の言葉。
「ヒャハハハ!いいぜ!いいぜぇ!太守!面白れぇ!」
「有効、じゃないみたい…」
確かに攻撃は直撃したはずだが、まるで平気な様子で、高々と笑いあげている誘を見て、保がどこかがっかりしたように肩を落とす。
「波守のんが強ぇって聞いてたが、太守でも十分に楽しめそうだ」
「ハモリ…?」
聞きなれない言葉に、保が大きく首を傾げる。
「じゃあこっちも、本気といこうかぁっ」
「えっ…?」
右手を振り上げる誘に、保が戸惑いの表情を見せる。
「“饗”っ」
「またキョウ…?」
誘が放つ、先程と同じ言葉。誘の言葉が放たれると、先程まで空中に浮かんでいた巻き物が白い言玉の姿へと戻り、ゆっくりと降下してくると、突き上げられている誘の右腕の中へと収まる。
「ヒャハ!」
「なっ…!?」
長い舌を伸ばし、誘がそのまま言玉を口の中へと入れて、よく響く音を立てて呑み込む。その光景に、大きく目を見開く保。
「こ、言玉をっ…」
「ヒャハハっ!」
「えっ…?」
言玉を呑み込んだ誘が、保のもとへと、勢いよく駆け込んでいく。
「ま、丸腰でっ…?」
何の武器を持ったわけでもなく、ただ大きく笑って駆け込んでくる誘に、保が戸惑いながらも両手を構える。
「た、“倒せ”…!」
向かってくる誘へと両手を向け、数本の糸を放つ保。前方から鋭く迫る糸に、誘は足を止めることもなく、そのまま突き進み続けた。
「直で食らう気っ…?」
「ヒャハっ!」
前方の糸に、右手を振り上げる誘。
「“凶”!」
「あっ…!」
言葉とともに誘の振り上げた右手が白く輝き、勢いよく振り下ろされたかと思うと、保の向けていた糸がすべて、あっという間に切り落とされた。
「そ、そんなっ…手で糸を…?」
「気を付けろよぉ?今の俺は、全身凶器だぁ!」
「凶器って…うっ…!」
戸惑う保の懐へと入り、思いきり右足を振り上げる誘。
「た、“耐え…!」
「遅せぇっ!」
「……っ!」
保が言葉を言い終える前に、誘が白く輝く右足を振り下ろす。
「うあっ…!」
振り下ろされた誘の右足が、まさに凶器のように保の胴体部を斬り裂き、飛び散る自らの血に、保は大きく目を見開いた。
「うああああぁぁっ…!!」
激しく叫び声をあげ、保がその場に倒れしゃがみ込む。
「い、痛いっ…痛い…!」
血の流れ落ちる腹部を押さえ、苦しそうにその言葉を繰り返す保。
「“痛い”…?そういえば、もう一人のお前の口癖は、こうだったな」
保の前に立った誘が、薄く浮かべた笑みで、高々と保を見下ろす。
「“もっと痛みをあげよう”」
「うっ…!」
再び振り上げられる右足に、保の表情が強張る。
「ヒャハハハ!」
「うわあああああっ!」
誘がもう一度、保へ向けて右足を振り切ると、保はその足に刃のように斬り裂かれながら、蹴りの衝撃も受けて、勢いよく吹き飛ばされた。壁に背中を打ちつけ、保が力なく床に倒れ込む。
「どうだぁ?“痛み”は。これだけ与えてもらえば満足かぁ?ヒャハハハ!」
「う…ううぅっ…」
誘の笑い声が響き渡る中、床に突っ伏した保が、苦しげに声を漏らす。
「痛、い…痛いよ…」
力なく、その言葉を呟く保。
「嫌だ…痛いのは、嫌だっ…」
過去に得た痛みを、記憶では失っていても、そのものは強く拒絶する。
―――僕に、痛みをくれない…?―――
「助けて…助けてよっ…」
あの日、差し出された手へと、無意識のうちに、必死に助けを求める保。
「……助けて…くれないんだね…」
返って来ない声に、保が諦めたように笑みを浮かべる。
「おぉい!もう終わりかぁ?太守!」
「……っ」
誘から投げかけられる言葉に、保がかすかに表情を動かす。
「これで終わりじゃ、つまんねぇーんだけどぉっ?」
「……もう、いいよ…」
倒れたままの保が、誘には届かないであろう、か細く弱々しい声を発する。
「立ち上がったって…また痛い目に遭うだけ…」
諦めきった表情で、保が力のない言葉を続ける。
「また痛みを味わうくらいなら…このまま…」
そう言って、そっと目を閉じる保。
「何だっ、ホントに終わりかよ」
目を閉じた保に、誘ががっかりした様子で肩を落とす。
「まぁ、次行って楽しめばいいかぁ。ヒャハハ!じゃあ、そういうことでっ」
見切りをつけたように言い放ち、倒れたままの保へと、右手を向ける誘。
「じゃあなぁ、太守!“行”!」
誘の右手から、大きな白い光の塊が放たれると、その光は逆巻いてさらに規模を増し、倒れたままの保へと勢いよく向かっていく。
「ヒャハハハ!終わりだぁ!」
「…………」
勝ち誇った誘の笑い声が響く中、保が目を閉じたまま、静かに光がやって来るのを待つ。
「もう…いっ…」
―――この“痛み”を忘れたら、俺は一生っ…本当の笑顔で笑えなくなる気がするから…―――
「……っ」
再び諦めの言葉を発しようとした保の脳裏に、浮かぶ一つの言葉。その言葉を思い出した途端、保は深く閉じていた瞳を、パッと見開いた。
「誰…?」
誰の言葉かを思い出せず、保が戸惑うように視線を泳がせる。
「アヒル…さん…?」
かすかに残る記憶を頼りに、保がそっとその名を口にする。
―――神の言葉は…守った…―――
―――私そんなに、腑抜けじゃないって…―――
―――あの人のために、私は戦うって…!―――
「みん、な…」
思い出される仲間の姿に、力なく床に落ちていた拳を、強く握り締める保。
「……っ!」
保が大きく目を見開き、口を開く。




