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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
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Word.29 はなツチカラ 〈2〉

「うぁっ…あ…」

 えぐれた壁にあいた穴の中へと、再び力なく倒れ込む導。

「ふぅ…」

 導が倒れたことを確認し、両手の血を軽く拭いながら、灰示が一息つくように肩を落とす。

「ん…?」

 不意に灰示が目を細め、右方を振り向いた。

「…………」

 灰示の振り向いた先に立っていたのは、右方の壁にもたれかかるようにして、相変わらず無表情のまま立ち尽くしている誘であった。先程まで、導の倒れ込んでいる壁にもたれていたのだが、灰示の針が壁に降り注いだ時にか、いつの間にか移動したようである。

「僕の針を…避けた…」

 そんな誘を見つめながら、灰示が眉をひそめる。

「ハァっ…!ハァっ…!」

「……っ」

 聞こえてくる荒い息遣いに、灰示が再び前を見る。

「ク、クッソっ…!」

 えぐれた壁の穴から立ち上がり、吐き捨てるように声を落とす導。その体の所々に、灰示の先程放った針が刺さっており、そこから赤い血が流れ落ちていた。息遣いを聞くと、相当のダメージを負っているようである。

「どうだい…?少しは痛みを理解したかな…?」

「ハァ…ハァ…」

 灰示の問いかけに、導が苦しげな表情をさらに歪ませる。

「冗談じゃ、ねぇっ…」

 導が途切れ気味の声で、必死に言葉を吐き出す。

「俺は…俺は言葉を手に入れるんだっ…」

 左手で、右手に刺さっている針を引き抜き、導が再び爪の伸びた右手を構える。

「てめぇの言葉を、奪い尽くすんだよぉっ…!!」

 大きく声を放ち、導が灰示のもとへと駆け込んでいく。

「“早”!」

 言葉を放った導が、先程と同じように、その速度を増し、一瞬一瞬姿を消しながら、灰示へと一気に距離を詰める。

「食らえぇ!“掻”!」

 灰示の目の前まで迫り、導が勢いよく爪を振るう。

「“ねろ”」

 灰示が言葉を放ち、その場を高々と飛び上がって、導の爪から逃れる。力強く振り下ろされた爪が、床を大きくえぐりあげた。

「避けんのかよっ」

 導が爪を床からあげ、上空へと跳び上がった灰示を見上げる。

「痛みが欲しいんじゃ、なかったのかよっ…!」

 灰示を追うようにして、天井めがけて、勢いよく飛び上がる導。

「僕は別に痛みが欲しいわけじゃない…」

 飛び上がってくる導へと、灰示が両手で八本の針を構える。

「痛みを知って欲しいだけだよ」

 灰示の両手の針が、一斉に導へと放たれる。

「“ぜろ”」

「……っ」

 向かってくる針に、上空へと上がりながら、導が少し目を細め、爪を振りかぶる。

「“そう”!」

「なっ…」

 導が言葉を吐き、爪を振り切ると、灰示が向けた八本の針がすべて、一斉に氷に包み込まれてその動きを止め、力なく地面へと落ちていった。落ちていく針を見送り、灰示が表情を曇らせる。

「霜…同音なら、どんな形態でも使えるのか…」

「余所見してる場合かぁ!?」

 灰示のすぐ目の前まで飛び上がってくる導に、灰示が落ちていく針から顔を上げ、再び右手で針を構える。

「“爪”!」

「“はじけ”っ」

 導の振り下ろす爪を、言葉を使って針で弾く灰示。

「その程度の言葉では…」

「一つ止めたからって、油断すんなよぉ!?“ぞう”!」

「何っ…!?」

 右手の爪を弾かれた導が、今度は左手から白光の爪を伸ばす。

「濁音もっ…!?」

「そぉ~らっ、くれてやるよぉ!」

 この戦いで初めて、焦りの表情を見せる灰示に対し、導が伸びたばかりの左手の爪を突き出す。

「“痛み”をぉ!」

「ううぅっ…!」

 導の爪が、灰示の右鎖骨のすぐ下付近を、勢いよく貫いた。その与えられる痛みに、灰示が大きく目を見開く。

「うぁっ…」

 導が爪を引き抜くと、血が上空に飛び散り、灰示は態勢を崩して、そのまま力なく地面へと降下していった。倒れ込んだ灰示の近くの床に、真っ赤な血が滲む。

「ハハハハっ…!」

 笑い声をあげながら、導も灰示に続くように、床へと降りてくる。

「さっき、痛みを知って欲しいとかどうとか言ってたよなぁ?」

 床へと足をついた導が、倒れたままの灰示へと話しかける。

「お前のお陰で、十分知れたぜぇ?」

 導が、皮肉った笑みを浮かべる。

「言葉で痛みを与えることの楽しさがなぁ!ハハハハっ!」

「……っ」

 広間に響き渡る導のその大きな声に、倒れたままの灰示が表情を動かし、力なく床につけていた手を握り締めた。

「楽、しい…?」

 灰示が高い天井を見上げたまま、小さく導の言葉を繰り返す。


―――痛いっ…痛い…!痛いよぉっ…!!―――


「あれ、が…?」

 ずっと昔に出会った、激しい痛みの中で、叫び続けていた少年の姿を思い出し、灰示がそっと目を細める。

「あれが…楽しい…?」

 もう一度、言葉を繰り返した灰示の全身から、部屋全体に広がるほどの、巨大な黒い光が放たれた。

「なっ…!?」

 あっという間に部屋中に広がっていく黒光に、笑っていた導が戸惑いの表情を見せる。

「な、何だぁ?これはっ…」

 周囲を見回し、誰へともなく問いかける導。その黒光は、ただの光ではなく、どこか重苦しい空気を纏っていて、包まれるだけで押し潰されてしまいそうな、そんな力を感じた。

「これは一体っ…」

「くだらないね…」

 聞こえてくる声に、辺りを見回していた導が、素早く正面を見る。

「あっ…!」

「実にくだらない…」

 正面を振り向いた導の視界へと入ってきたのは、立ち上がった灰示の姿であった。まだ血も滴り落ちているが、バランスを崩すこともなく、ごく自然に立っている。

「そんなっ…あの傷で…」

「まさに愚の骨頂…愚かな人間の代表のようだね、君は…」

「……っ」

 言葉を続ける灰示を見つめながら、導が少し眉をひそめる。

「体から光が…漏れ出してる…?」

 導の見つめる灰示の全身から、溢れ出るように空中に流れていく黒光。それは部屋に広がっているものよりも色濃く、さらに禍々しい空気を纏っている。部屋中に広がるこの黒光の発生源が、灰示であることは、一目見れば明らかであった。

「忌の姿に戻ろうとしてんのか…?けど、普通の忌じゃ、ここまでの光はっ…」

「君みたいな人間がいるから…世界から“痛み”が消えないんだ…」

 戸惑う導に、灰示が言葉を投げかける。

「でもそれじゃあ、いけない…」

 そっと吊りあがる、灰示の口角。

「この世界から“痛み”を消すのが…彼と僕の交わした契約だからね…」

「契約、だと?」

「だから君に、もう一度、教えよう…」

「えっ…?」

「“”」

「……っ!」

 灰示の右手から突き出してきた黒く細い光線が、空中を駆け、一瞬で導の左腕を貫いた。

「うあああああっ…!」

 光線に貫かれた左腕から、噴き出すように真っ赤な血が飛び散り、導が激しい悲鳴をあげる。

「ううぅっ…うう…」

 右手で必死に左腕を押さえ、その表情を強く歪ませる導。

「今のは、忌の言葉っ…」

「それが“痛み”…」

「クっ…!」

 灰示の声が耳へと入り、導が険しい表情で顔を上げる。

「このっ…!」

「“破”…」

「うっ…!」

 すぐさま攻撃しようと、右手を振り上げ、白光の爪を伸ばした導であったが、灰示の指先から突き出した黒光線により、生まれたばかりの爪は、あっという間に消滅した。

「あっ…」

「“痛み”にあるのは、恐怖と辛苦、そして底知れぬ悲哀…」

 爪の消えた右手を見上げ、茫然としている導に、灰示は冷静に言葉を投げかける。

「“破”」

「なっ…!?」

 語りかける言葉の一部かのように、自然とその言葉を挟んで、導へと再び光線を向ける灰示。茫然としていた導は、それを避けようとする暇すらなかった。

「うあああああっ!」

 今度は右足を貫かれ、導が激しく声をあげる。

「ううぅっ…うう…」

 左足だけで何とか踏ん張り、その場に力なくしゃがみ込む導。貫かれた右足から、床に血が広がった。

「ねぇ…?」

 しゃがみ込んだ導へと、灰示がそっと問いかける。

「そこに“楽しさ”なんて、ないだろう…?」

「クっ…!」

 涼しげな表情で問いかけてくる灰示に、導が不快感を露にし、大きくその表情を歪ませる。

「もういいっ…」

 顔を下ろした導が、少し震えた声を漏らす。

「言葉を奪うために、殺さないように気をつけてたけど…もうブチ切れたっ…!」

 勢いよく顔を上げた導が、顔と同時に爪を消された右手もあげる。

「跡形もなく掻き消してやるよぉ!“そう”!」

 右手を突き上げた導の周囲から、何層にも重なるようにして強い白光が溢れだし、部屋中に広がっていた黒光を押し返すように、徐々にその範囲を大きくしていく。

「…………」

 広がっていく白光を、押さえていく自らの光を、冷静な表情で見つめる灰示。

「てめぇへの葬送曲だ!喰らいなぁ!“そう”!」

 何層にも広がった白光が、凝縮された大きな円状の塊となり、導の右手が振り下ろされたのを合図に、灰示へと飛び出していく。

「“葬”、か…」

 迫り来る巨大な白光の塊を見つめながらも、灰示はその冷静な表情を崩さない。

「ならこちらも、それに相応しい言葉を贈ろう…」

「……っ」

 右手で針を一本構える灰示に、導が眉をひそめる。

「無駄だ!“葬”は俺の最強の言葉!お前がどんな言葉を使ったところで、負かすことなんてっ…!」

「は…」

 自信満々に叫ぶ導の声を遮って、灰示が自らの言葉を落とす。

「“破滅はめつ”」

 告げられた言葉とともに、放たれる針。


―――パァァァン!


「んなっ…!!」

 灰示の放った針が突き刺さったその瞬間、導の白光の塊は、大きな音を立てて、粉々に砕け散った。その衝撃で激しく風が吹き荒れる中、導は目いっぱい、目を見開く。

「そ、そんなっ…俺の、最強の言葉がっ…」

 信じられないといった表情で、導が床に散らばった白光の残骸を見回す。

「さてと…」

「うっ…!」

 再び針を構える灰示に、唖然としていた導が表情を歪ませる。その歪みは今までの怒りによるものではなく、明らかに恐怖の色が見て取れた。

「ま、待てよっ…!」

「んっ…?」

 止めるように、必死に声を出し、手を前へと突き出す導に、灰示が少し眉をひそめる。

「お、お前の目的は、この世界から“痛み”を持つ、言葉を失くすことなんだろっ!?」

 早まった口調で、灰示へと問いかける導。

「お、俺たちの目的は、今の言葉を失くして、新しい言葉を創り出すことなんだ!」

「だから…?」

「へっ?」

 鋭く問いかける灰示に、導が言葉を詰まらせる。

「だ、だからっ、今の言葉を失くしたいってのは、俺たちもお前も共通の目的じゃねぇかっ!」

 導がまるで説得するように、熱く言葉を続ける。

「今の言葉を守ろうとしてる安の神に附くより、俺たちに附いた方がお前だってっ…!」

「傲慢だね…」

 導の言葉を遮って、灰示がはっきりと言い放つ。

「君たちの創る、その新しい言葉とやらに…“痛み”がないとでも…?」

「えっ…?」

 灰示のその問いかけに、導が少し目を丸くする。

「あ、ああっ!当たり前じゃねぇか!俺たちの創る言葉は、完全無欠でっ…!」

「それが傲慢だと言うんだよ」

「……っ」

 強まる灰示の口調に、思わずその先の言葉を呑み込む導。

「どんな言葉を創り出したところで、人が使う限り、その言葉には“痛み”が含まれる」

 どこか遠くを見るような瞳を見せ、灰示が言葉を吐き捨てる。

「人は言葉を持ったその時、傷つき、傷つける道を選んだのさ…」

 薄く、笑みを浮かべる灰示。

「自分たちの創り出す言葉は完全無欠などと、ほざく君たちは傲慢の極み…」

 灰示が冷たく鋭い瞳で、導をまっすぐに見つめる。

「なら、言葉の中に、在りもしない“救い”を求める安の神の方が、幾分かはマシだよ」

「だ、だけどっ…!」

「無駄な会話は、ここまでにしよう…僕の機嫌を損ねるだけだ」

 導の言葉を無理やり終わらせ、灰示が導へと構えていた針を投げ放つ。

「言葉の先にある、虚無を知るといい」

 導へと、まっすぐに向かっていく針。

「“てろ”」

「ううぅっ…!」

 部屋中に広がった黒光を、その小さな先端に纏って、灰示の針が導へと突き進む。足を負傷し、その場から動くことも出来ない導は、恐怖に表情を歪ませた。

「うっ…うわあああああっ!!」

 黒光に包まれた針を正面から直撃し、導が後方へと勢いよく吹き飛ばされていく。

「あっ…!うぁ…うぅ…」

 壁へと激突した導は、そのまま力なく床へと倒れ込んだ。

「言、葉っ…」

 導の懐から、白い言玉のような宝石が零れ落ち、床へと転がると、その宝石は大きくヒビ割れ、真っ二つに分かれて、砕け散った。

「俺の、俺だけの…言葉っ…」

 うわ言のように呟くと、やがて力尽きたのか、導は深くその瞳を閉じる。

「そんなにまで欲するものじゃないよ…言葉なんて」

 針を投げ終わった右手をゆっくりと下ろし、灰示がそっと肩を落とした。



 七声の城、四階。王の間。

「ん?」

 誰もいない広間の玉座に腰を下ろし、右手の中にある夢言石を見つめていた弔が、ふと眉をひそめる。夢言石のその透明な空間の中に、小さく文字が浮かび上がったのだ。

「“そう”、か…」

 弔が、浮かび上がった文字を読み上げる。

「負けたか…導…」

 文字を隠すように夢言石を握り締め、弔はそっと呟いた。


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