Word.28 スレ違ウ言葉 〈4〉
「囁…」
罵により、城の上階へと押し上げられたアヒルが、三階の広間で遭遇したのは、囁であった。思いのほか早い再会に、アヒルが少し戸惑った表情を見せる。
「あ、あぁ~えっと…」
話そうとは思うものの、その言葉に詰まるアヒル。
「よ、よぉ、囁!一昨日振りだなぁ。元気かぁ?」
「…………」
無理やり明るい笑みを作り、軽く左手をあげるアヒルに、囁がそっと目を細める。
「私は元気よ…」
囁が口元を緩め、鋭い笑みを浮かべる。
「安の神…」
「えっ…」
呼ばれる名が、いつもとは違うことに気づき、アヒルがかすかに眉をひそめる。
「やっと、重荷だった仲間ごっこから解放されて…とてもいい気分だわ…」
「……っ」
微笑んで答える囁のその言葉に、アヒルが表情を曇らせる。
「仲間ごっこ、か…」
「ここに来たのは、韻からの命令…?わざわざ言葉を奪われに来るなんて、ご苦労なことね…」
少し俯いたアヒルを気に留めることなく、囁は言葉を続ける。
「そんなの他の神に任せて…とっとと新しい左守でも探しに行けば良かったのに…」
囁の発言に、アヒルが目を細める。
「新しい左守なんて、いらねぇよっ…」
「……?」
俯いたままでそう呟き、ゆっくりとその場から立ち上がるアヒル。そんなアヒルを、囁が眉をひそめながら見つめる。
「それに、韻からの命令受けなくたって、俺たちはここへ来た…」
立ち上がったアヒルが、銃を握る右手に力を込め、勢いよく顔を上げる。
「お前と、話をするためにっ…!」
「私と…話…?」
力強く叫ぶアヒルの言葉を繰り返し、囁がさらに怪訝そうな顔を見せる。
「相変わらず、可笑しなことばかり言うのね…一体、私と、何の話があるっていうの…?」
「それはっ…」
「のの、のっ…!」
「なっ…!」
アヒルが囁の問いかけに口を開こうとしたその時、アヒルを追うようにして一階から登って来た罵がその場に姿を現した。
「のの…“伸び、ろ”…!」
「うっ…!」
罵が言葉を放つと、罵の体から、細い光の紐のようなものが伸びてきて、アヒルを捕えようとする。それを見たアヒルは素早く振り返り、応戦しようと銃を身構えた。
「こっの…!」
「待って、罵」
「のっ…!」
「へっ…?」
囁の声に、アヒルへと向かって来ていた光の紐が、アヒルの目の前でピタリと止まる。
「さ、囁…?」
罵を止めた囁を、アヒルが戸惑うように振り返り見る。
「まだもう少し、安の神に用があるの…あなたはそこで、待機していて…」
「のの、の…」
囁の言葉に素直に従うように声を漏らし、光の紐を掻き消した罵は、囁のすぐ横へと降り立って、大人しくその巨体を丸めた。
「囁、あのっ…」
「さぁ、話というのは何…?」
「へっ?」
再びアヒルを見た囁が、少し急かすように問いかける。
「聞いてあげるから…早く言ってくれる…?」
「……っ」
見るからにさっさと済ませてしまおうとしている、囁のその様子に、アヒルがそっと目を細める。
「別に、話す内容なんか決めてねぇよっ…」
「えっ…?」
アヒルの言葉に、囁が首を傾げる。
「ただ、何でもいいから話したいって思ってただけだ…何でもいいから言葉を交わせば、もっとこうっ…」
顔を上げたアヒルが、まっすぐな視線を囁へと向ける。
「お前のこと、わかれるんじゃないかって…そう思ったから」
「私を…わかる…?」
アヒルの言葉を繰り返し、またもや眉をひそめる囁。
「ああ。言葉を交わせば、もっとお前と歩み寄れるっつーか、今まで見えてなかったお前自身が見えるかもって、そう思ってっ…」
「くだらない…」
勢いよく割って入って来る囁の声に、アヒルは続けようとしていた言葉を止めた。
「くだらないわ…安の神…」
もう一度、その言葉を繰り返した囁が、まるで睨みつけるように、アヒルを見つめる。
「わかり合う…?歩み寄る…?よく、そんな綺麗ごとばかり、並べられるわね…」
囁が煩わしそうに、その顔を歪める。
「だから、言葉なんて嫌いなのよ」
「……っ」
吐き捨てるように言い放つ囁に、アヒルが少し目を見開いた。
「言葉はいつも、嘘ばかりだわ…言葉はいつも、平気で人を裏切る…」
「囁…?」
怒りでか、かすかに震えた声で主張する囁を見つめ、戸惑うように眉をひそめるアヒル。
「今、この世界に存在する言葉のすべてに、意味なんてない」
囁が鋭い瞳を見せ、声を先程よりも強くする。
「意味なんてないのっ…」
続く囁の言葉を、アヒルは囁をまっすぐに見つめながら、静かに聞き続ける。
「だから、私たちがすべての言葉を奪って…新しく、意味のある言葉をっ…」
「意味はある」
「……っ」
遮るアヒルの声に、囁が眉をひそめる。
「意味ならある…」
「はぁ…」
強気に言い放つアヒルに、囁が少し疲れたように肩を落とし、溜息を吐く。
「わからない人ね…その言葉がすでに無意味だわ…」
「無意味な言葉なんて、この世界に、一個もないさっ」
囁に言いながら、アヒルが穏やかな笑みを浮かべる。
「そりゃ人間なんだし、たまには嘘もつくだろうけど、けど、意味のない言葉なんて、きっと一個もない」
アヒルは笑みを浮かべたまま、はっきりとした口調で言い放つ。
「だから、今まで俺がお前に言った言葉にも、お前が俺に言った言葉にも、絶対に意味はあるっ」
「それは、あなたの勝手な言い分でしょう…?」
堂々と胸を張るアヒルに、またしても煩わしそうな顔を見せる囁。
「そんな主張…ただ、あなただけが思ってることでっ…」
「ああ。別に俺のことなんだから、俺が勝手に信じんのは自由だろっ?」
さらに言い放つアヒルに、囁が少し唇を噛む。
「だから、俺は信じる」
アヒルが口元を緩め、大きく笑う。
「“神”だって言ったお前の言葉は、“仲間”だって言ったお前の言葉は、嘘じゃねぇって俺が信じるっ」
「……っ」
アヒルの言葉に、さらに歪む囁の表情。
「これ以上、無意味な言葉を並べても、疲れるだけだわ…罵っ」
「ののっ」
囁が横を振り向いて呼ぶと、罵が背を伸ばし、返事をする。
「もういいわ…私は上へ行くから、後は任せる…」
「のの、の!」
アヒルへ背を向けた囁が指示すると、どこか嬉しそうに、罵は頷いた。立ち上がった罵が、背を向けた囁の前へと出て、アヒルの前に立ちはだかる。
「安の神…」
罵の後方から、囁が振り返り、アヒルへと声を掛ける。
「精々、上に上がって来れるよう…頑張るといいわ…」
髪を翻し、囁はまた、アヒルへ背を向けようとする。
「じゃあ…“さような…」
「囁っ…!」
「……っ」
一昨日の夜と同じように、別れの言葉を告げようとした囁であったが、その言葉は大声で呼ぶアヒルの声に、勢いよく掻き消された。その声に、囁がかすかに振り返る。
「お前が何回、“さようなら”って言葉を言って、俺たちの前から消えようとっ…」
アヒルは背を向けたままの囁へと、必死に身を乗り出す。
「俺はお前に、“会いに行く”…!」
「……っ!」
アヒルから放たれるその言葉に、囁が大きく目を見開く。
「どんなことやってでも、何度だって、お前に“会いに行って”やるからっ…!」
声を張るアヒルの大声が、部屋中に響き渡る。
「この言葉は嘘じゃねぇ!意味がないなんて、絶対に言わせねぇからっ!」
「……っ」
強く唇を噛み締めた囁が、震える拳を握り締める。
「任せたわよ…罵…」
「ののっ」
念を押すように、もう一度罵へと声を掛けると、囁は“さようなら”の言葉は使わずに、自らの足で階段を上っていき、四階の扉の向こうへと姿を消していった。
「…………」
囁の消えていった扉を、アヒルはしばらくの間、じっと見上げていた。
「のの、のぉっ…!」
「……っ」
何やら主張するように、今までよりも大きな声をあげる罵に気づき、扉を見上げていたアヒルが、やっとその視線を下げる。
「やる気満々ってかぁ?」
その巨体を激しく動かし、構えを取る罵を見つめ、アヒルが目つきを鋭くする。
「いいぜぇ。かかって来いっ」
アヒルが銃を握る右手を一度あげ、ゆっくりと振り下ろして、その銃口を罵へと向ける。
「俺の目的は、お前の向こうにあるんだっ…!」
銃を握る手に力を込め、アヒルが力強く叫んだ。
「はぁっ…!はぁっ…!」
階段を上がり、四階へと出た囁は、ひたすら続く長い廊下を、息を切らしながら必死に駆け抜けていた。まるで何かから逃げるように、まるで何かを振り払うように、必死に足を動かし、辿り着いた大きな扉の前で、囁が力なくしゃがみ込む。
「はぁっ…はぁっ…」
乱れた息を整えようと、両手で胸を押さえつける囁。
―――どんなことでもやってでも、何度だって、お前に“会いに行って”やるからっ…!―――
「ううっ…!」
思い出されるアヒルの言葉に、囁が胸を押さえていた手をあげ、強く耳を塞ぐ。
「違うっ…違う…!あんなのっ…あんな言葉…!」
「“嘘”、だよ…」
「……っ!」
すぐ上から落ちてくる声に、囁が大きく目を見開き、勢いよく顔を上げる。
「と、弔…」
囁の目の前の扉を開き、開いた扉の向こうから、廊下にしゃがみ込んだままの囁へと声を落としたのは、薄く笑みを浮かべた弔であった。
「あんな言葉は、“嘘”だよ…?囁…」
「……っ」
告げられる言葉に、囁が再び顔を下ろし、深く俯く。
「君はちゃんと、わかっているだろう?囁」
俯いたままの囁へ、弔が間を置くことなく、言葉を落とす。
「この世界に存在する言葉は、みんな、偽りだって…」
「わかってる…」
言葉を続ける弔に、囁が声と呼べるかもわからないほど、かすかな声を出す。
「みんな、虚像だって…」
「わかってるっ…」
囁の口から零れ落ちるその声が、先程少し大きくなり、震えていることが感じ取れる。
「この世界に存在する言葉に、何一つ、意味なんてっ…」
「わかってるわよ…!そんなことっ…!!」
「……っ」
ずっと続いていた弔の言葉は、囁の、怒鳴りあげるような強い声に、一気に掻き消された。
「囁…」
「あっ…」
顔を上げた囁の視界に入る、少し驚いた様子の弔の表情。その弔の顔を見て、囁はハッと気付いたように、耳を塞いでいた手を口にあてた。
「ごめ…ごめん、なさいっ…」
動揺を見せ、言葉を詰まらせながら謝り、顔を上げぬまま囁が、その場でそっと立ち上がる。
「疲れが取れきってないみたい…部屋でもう少し、休むわっ…」
弔にそう告げると、囁は弔の横を通り過ぎるようにして部屋の中へ入り、その部屋の奥の扉を開けて、そこから繋がっている自室へと、足早に入っていった。
「…………」
囁の消えた部屋の扉を見つめ、弔がそっと目を細める。
「言葉に絶望したあの子が、あれ程の動揺を見せるとは…」
軽く腕を組んだ弔が、意外そうに呟く。
「やはり邪魔な存在だなぁ」
扉に背を預け、高い天井を見上げる弔。
「“安の神”というのは…」
天井を見上げる弔が、どこか冷たい笑みを浮かべた。
―――愛しているわ…囁…―――
―――もちろん、君が一番、大好きだよ…囁…―――
「やめて…やめてっ…」
部屋に入った囁は、その閉めた扉にもたれかかるようにして、その場にすぐさましゃがみ込んだ。思い出される言葉を掻き消そうと、両手で必死に耳を塞ぐ。
―――俺はお前に、“会いに行く”…!―――
「もう、やめてっ…」
力なく願うような声が、静かな部屋に響き渡る。
「もう、これ以上っ…」
耳を塞いだ囁が、そっとその瞳も閉じる。
「言葉に…裏切られたくないっ…」
その瞳から、透明な滴が零れ落ちた。




