Word.28 スレ違ウ言葉 〈1〉
和音から韻の命を受けた、“安の神”朝比奈アヒルと安団の面々は、弔率いる“七声”を討伐し、彼らが檻也から奪った夢言石を取り返すため、彼らの潜伏場所へと向かっていた。
「あの城だな…」
山奥にポツリと佇む、古びた蔦だらけの城を眺め、篭也がそっと眉をひそめる。
「いかにも、悪党組織の滞在場所といった感じか」
「そうだなぁ」
遠くに見える城の頭部分を見つめ、言い放つ篭也の横から、アヒルも同意するように頷く。
「こういう雰囲気、何か灰示と戦った時のこと思い出すっつーかっ…」
「ハイジ?」
「へっ!?あ、い、いや!廃寺で肝試しした時のこと、思い出すっつーかさぁ!ハハハっ…!」
保に不意に聞き返され、慌てて誤魔化し笑いを浮かべるアヒル。灰示の存在を知らない保の前で、灰示の名を出してしまったのは失敗であった。
「ああ、肝試しのことですかぁ。わかりますよぉ、俺、お化けにビックリしすぎて一回、心肺停止しましたもぉ~んっ」
「俺はそのことにビックリだけどな…」
明るく話す保に、アヒルが少し顔を引きつる。
「結局、ここに来るまで、丸一日かかっちゃいましたね」
「戦いを前に、言葉の力を消費するのは上手くない。仕方ないだろう」
歩き疲れた足を軽くほぐしながら、話題を変えて呟く保に、冷静に言い放つ篭也。そう、アヒルたちが於崎の屋敷を出てから、すでに丸一日が過ぎ、空には再び明るい太陽が昇っていた。
「けど、不思議だよね。七声の人たち、一昨日の夜に屋敷を出たはずなのに、居場所がわかってたってことは、昨日の朝にはもうここに居たってことでしょ?」
「そういや、そうだな。俺たちは丸一日かかったのに、あいつ等は半日もかかんなかったってことか?」
七架の言葉に、アヒルが戸惑うように首を傾げる。
「そりゃあアレですよ!あの人たちは何てったって地底人だから、穴を掘って、こうボォーンとっ…!」
「囁の言葉だ」
「へっ?」
熱弁しようとした保を、篭也が勢いよく遮る。
「囁があなたへ放った、“さようなら”のあの言葉」
「……っ」
篭也により繰り返されるその言葉に、アヒルが思わず表情をしかめる。
「あの言葉は、向けた相手の視界から消えることが出来る上に、自分が思い描いた場所まで行ける、一種の瞬間移動の言葉だそうだ」
「瞬間移動?」
「それは凄いですねぇ!」
「ああ」
驚きの表情を見せる保と七架に、頷きながらも、篭也が少し眉をひそめる。
「まぁ、僕にそう話した囁の言葉が真実であれば、の話だがな…」
『……っ』
付け加えられる篭也の言葉に、二人は表情を曇らせた後、何も言わぬまま俯いた。
「居場所を発見したまではいいが、ここからはどうする?神」
「ん?」
篭也に問われ、アヒルが目を丸くする。
「突入して、突っ込んでって、ぶっ倒す?」
「…………」
シンプルで簡潔なアヒルの言葉に、思わず固まる篭也。
「いいか?韻からの命は七声の討伐だが、僕たちのやるべきことは、彼らを倒すことではない」
「あ、無視したっ」
アヒルの言葉を完全に無視して、保と七架へ向けて、話を始める篭也に、アヒルが軽くショックを受ける。
「僕たちの目的は、あくまで夢言石の奪還だ。深追いをして、自分の言葉を奪われることだけは避けろ」
「わ、わかりました!」
篭也の説明に、気合いの入った返事を返す保。
「要は、いかにモグラのヒゲヒーゲアタックを返すかが鍵、ということですね!?」
「というわけだ。無茶はするなよ、奈々瀬」
「うん、わかった」
「はぁ!完全に無視!」
保の言葉など、まるでなかったかのように、スムーズに会話を進める篭也と七架に、保が思わず頭を抱え込む。
「皆さんの耳を傾ける価値もないような発言しか出来ない、こんな俺ですいませぇ~ん!」
「うるさい。折角、無視してたんだから、静かにしろ」
謝り散らす保に、篭也がさらに冷たい言葉を投げかける。
「それと、神」
「んだよ?どうせ俺の言葉も無視すっ…」
「一つだけ、確認しておきたいことがある」
「……?」
真剣な表情を作り、改まった様子で言う篭也に、アヒルが少し不思議そうな顔を見せる。
「何だ?」
「戦いの場で囁と出会った時の対応についてだ」
『……っ』
篭也の言葉に、皆の表情が一気に険しくなる。
「この先、十分に有り得る場面だろう。その時、戦うか、戦わないか…僕たちは、どうすればいい?それだけは、あなたに確認しておきたい」
「…………」
篭也にまっすぐな瞳で問いかけられたアヒルが、少し俯き、考え込むような様子を見せる。
「お前たち、それぞれの判断に任せるよ」
顔を上げたアヒルが、そっと笑みを浮かべる。
「お前たちが、それが一番いいって決めたことなら、きっと俺も納得すると思うから」
「……わかった」
少し間を置いた後、篭也がしっかりと頷く。
「ちなみに、ね…」
「ん?」
小さく声を漏らす七架に、アヒルが振り向く。
「ちなみに朝比奈くんは…どうするつもりなの?戦いの場で、その…真田さんと会った時…」
七架が少し遠慮がちに、アヒルへと問いかける。
「戦うの…?戦わない、の…?」
「……っ」
差し出される二択に、そっと目を細めるアヒル。
「まだわかんねぇかな。そん時になってみねぇと」
そう呟いたアヒルが、少し困ったような、薄い笑みを浮かべる。
「ごめんな?何かあやふやなことしか言えなくって」
「う、ううん!ぜ、全然!わ、私の方こそ、変なこと聞いちゃって、ごめんね!」
謝罪するアヒルに、七架が慌てた様子で謝り返す。
「そ、そうだよねっ…そんなこと、今、この場でなんて、決められないよねっ…」
「けど…」
「えっ…?」
続くアヒルの言葉に、俯いていた七架がゆっくりと顔をあげる。
「怒鳴っちまうかも、叫んじまうかも知れねぇーけどっ…」
少し口元を緩めたアヒルが、そのまっすぐな瞳を、山の奥に佇む城の方へと向ける。
「話してみようとは、思うよっ」
『……っ』
アヒルのその言葉に、七架や皆が、ハッとしたような表情を見せた。
「うんっ…そうだね…」
大きく頷いた七架の顔から、自然と笑みが零れ落ちる。
「では、神」
「ああ、行こう!」
振り向いた篭也に頷いたアヒルが、強く声をあげた。
―――嘘…嘘…あの言葉も、その言葉も…全部、嘘…―――
―――この世界に存在する、すべての言葉に…意味なんてない…―――
―――なら、創ろう…?僕らが支配する、僕らだけの言葉を…―――
「ん…」
深い眠りから目を覚まし、囁がその瞳を開く。開かれた瞳のその先には、薄黒く汚れた、厚い石の天井が広がっていた。
「そう…」
天井を見つめながら、囁が小さく声を落とす。
「またここに…戻って来てしまったのね…」
「まるで、戻って来たくなかったような、そんな言い回しだね」
「……っ」
すぐ傍から聞こえてくる声に、天井を見ていた囁が、横になったまま首だけを動かし、振り向く。
「弔…」
「よく眠っていたようだね、囁」
囁が眠っていた寝台のすぐ横に腰掛け、寝台の上の囁を、薄く浮かべた笑みで見つめているのは、弔であった。弔の姿に気付き、囁が寝台の上で、ゆっくりと体を起こす。
「十分に休めたかな?」
「ええ…」
問いかける弔に、短く頷く囁。
「深く眠っていたようだけど、何か夢でも見ていたのか?」
「…………」
どこかわざとらしく聞く弔に、囁が少し眉をひそめる。
「ええ…あなたと出会った頃の夢を…」
「そうか」
囁の答えに、弔が少し口元を緩める。
「それは結構な悪夢だね」
「……っ」
楽しげな笑みを浮かべ、明るく言い放つ弔に、囁は何も答えることなく、そっとその場で俯いた。
「あなたは?眠らなくていいの…?」
「俺はいいんだ」
問いかけた囁に、弔が微笑みかける。
「眠るのは、あまり得意ではないから」
「そうだったわね…」
弔の言葉に答えながら、囁が掛けていた布団を横へと置き、寝台から足を下ろして、立ち上がろうとする。
「どこへ?」
「彼らが来たんでしょう…?」
問いかけた弔に、囁は問いかけで返した。
「迎え討つのが…あなたの作戦じゃなかったかしら…?」
「それはそうだけどね」
寝台の上に座ったままの囁のもとへ、すぐ横の椅子に腰掛けていた弔が立ち上がり、そっと歩み寄っていく。
「なるべくなら、君を戦いの場に向かわせたくはないんだ」
囁の前に立ち、優しい微笑みを浮かべる弔。表情は柔らかいが、その瞳だけがとても冷たく、まったく笑っていないように見えた。
「振りとはいえ、君だって、仲間として日々を過ごしてきた彼ら、安団と戦うのは気が引けるだろう?」
優しい口調で、まるで諭すように、弔は言う。
「君は、安の神を、随分と気に入っていたようだし…」
「……っ」
言葉を付け加え、どこか含んだような笑みを向ける弔に、囁がかすかに眉をひそめる。
「可笑しなことを言うのね…」
「ん?」
批判するような言葉を呟き、囁が寝台から立ち上がる。
「私が、今の言葉の神なんて、気に入るはずがないでしょう…?」
「…………」
強気に言い放つ囁に、弔が口元を緩めたまま、瞳だけを細めた。
「そうか」
「そうよ…他のメンバーを起こして、臨戦態勢を取るわ…いいわね…?」
「ああ、頼むよ」
部屋の扉へと向かいながら、弔の方を見ることなく、冷静な言葉を口にする囁に、弔はその背中を見つめたまま、異論なく頷く。
「囁」
囁が扉を開けたところで、弔が囁を呼び止めた。
「何…?」
足を止め、振り返ることはせずに聞き返す囁。
「俺がやろうとしていることは、正しいかな…?」
「……っ」
弔の問いかけが放たれた後も、振り返ることはなかったが、囁がかすかに表情を動かしたことは、感じ取れた。
「ええ…正しいわ。あなたは決して、間違っていない…」
「そうか…」
返って来る言葉に、弔がさらに大きく笑みを浮かべる。
「ありがとう、囁。君がそう言ってくれると、それだけで安心するよ」
「じゃあ…私、行くから…」
「ああ、気を付けて行っておいで」
弔に見送られ、囁が部屋を出て、ゆっくりと扉を閉める。古びた石造りの扉は、重々しい音を廊下に響き渡らせて、強く閉まった。静かな廊下に、囁が立ち尽くす。
「……嘘つき…」
囁の小さな声が、そっと零れ落ちた。




