Word.26 冒涜 〈2〉
「“と…」
「“当たれ”!」
「何っ…?」
横から入って来る声に、今まさに紺平へと言葉を向けようとしていた轟が眉をひそめる。
「なっ…!」
轟が声の聞こえて来た方を振り向くと、真っ赤な光の塊が、轟へ向け、まっすぐに向かって来ていた。目に飛び込んでくるその光に、轟が珍しく焦りの表情を見せる。
「クっ…!と、“逃”!」
焦りながらも轟が言葉を発すると、白い光で包み込まれた轟の体が途端に空中へと浮上し、向かって来た真っ赤な光から、何とか逃れた。
「ハァっ…ハァっ…」
少し息を乱しながら、再び地面へと降り立つ轟。
「何だぁ?今の言葉っ」
「……っ」
真っ赤な光の飛んで来た方から近付いてくるその声に、轟が顔を上げる。
「熟語?あっ、名詞ってやつかぁ?」
「安の、神っ…」
問いかけるようにそう言いながら、本邸の入口の方からその場へと現れたアヒルに、轟が表情を曇らせる。
「ガァっ…!」
「よっ、紺平」
嬉しそうな笑顔を見せる紺平に、アヒルも笑みを浮かべ、真っ赤な銃を持った右手を、軽く振り上げた。
「悪りぃなぁ。話も終わったから、大人しく帰ろうと思ってたんだけどよぉ…」
アヒルが言葉を続けながら、徐々に視線を動かしていく。
「大人しく帰るわけにも、いかねぇー事態っぽいからよぉっ」
「……っ」
向けられるアヒルの鋭い視線に、傍観していた弔が、どこか楽しげに微笑む。
「やぁ、こんばんは。安の神」
「世話役っ…やっぱてめぇだったか」
「やっぱ…?」
険しい表情を見せながら言い放つアヒルの言葉に、弔が少し目を丸くする。
「まるで、俺が潜伏者だと、気付いていたような発言だな」
「ああ、引っ掛かってたからな」
弔に、アヒルが大きく頷きかける。
「てめぇは、初対面の俺を“朝比奈”って呼んだ。言姫さんは俺を、“安の神”としか言ってなかったのに」
「成程っ…」
弔が納得するように頷く。
「噂程、無能でもないらしい…」
「どんな噂聞いてやがんだよ、ったく」
感心するように言い放つ弔に、アヒルが少し顔をしかめる。
「とにかく!てめぇら全員、言姫さんとこに突き出させてもらうぜ!」
堂々と言い放ち、右手の銃を構えるアヒル。
「轟、罵」
「はいぃっ」
「ののっ…」
「……っ」
弔の指示を受け、アヒルの前後にそれぞれ立ち塞がる轟と罵。二人の姿を交互に見比べながら、アヒルが鋭い表情を見せる。
「のっ…“伸び、ろ”…」
罵が言葉を放つと、先程の紺平に対してと同じように、周囲の木々の枝が伸び、一斉にアヒルへと飛び出していく。
「……っ」
素早く銃口を、自らのコメカミへと向けるアヒル。
「“上がれ”…!」
アヒルが自分へと弾丸を放ち、遥か上空へと飛び上がって、向かって来ていた枝を避ける。
「の、“昇、れ”…!」
「おっ?」
避けた枝たちが、その向かう先を上方へと変え、再びアヒルへと向かって来る。
「避けても意味ねぇか。ならっ…」
アヒルが銃口を、昇って来る枝たちへと向ける。
「“荒れろ”…」
言葉とともに、引き金を引くアヒル。
「“嵐”…!!」
「のっ…!?」
アヒルが引き金を引くと、銃口から激しく逆巻く風の塊が吹き出し、向かって来ていた枝を、その風の中に巻き込むようにして叩き落とし、地面に立つ罵へと降下していった。
「のおおぉぉぉっ…!」
勢いよく降下した嵐を、避ける間もなく直撃した罵の重く低い声が、辺りへと響き渡る。
「チっ…」
アヒルの攻撃に倒れ込む罵の姿に、轟がかすかに舌を鳴らす。
「“飛べ”っ」
「……っ!」
轟が言葉を使って飛び上がり、上空に浮かぶアヒルよりもさらに上へと行って、その右手を下にいるアヒルへと向ける。
「“圧しつけろ”っ」
「クっ…!」
放たれる言葉に、歪むアヒルの表情。
「ガァ…!」
下方から見守る紺平も声をあげた、その時であった。
―――パァァァン!
「何っ…!?」
上からの圧力に押されたアヒルの体が、煙のような淡い光となって、掻き消えていく。
「これはっ…!」
「“欺け”…」
「……っ!」
下を見ていた轟が、さらに上方から聞こえてくる声に大きく目を見開き、勢いよく顔を上げた。
「うっ…!」
轟が見上げた先には、銃を構えたアヒル。
「“当たれ”っ…!」
「グっ…!」
放たれる弾丸に、轟が険しい表情を見せる。
「と、“登”!」
「……っ」
轟が放つ言葉に、眉をひそめるアヒル。その言葉が放たれた途端、轟へと下降していたアヒルの弾丸は、まるで逆の軌道となって、遥か上空へと舞い上がっていった。
「す、凄い…」
一連の戦いの様子に、見つめていた紺平が、思わず感嘆の声を漏らす。
「あれが…ガァの、神の戦いっ…」
銃を身構えたアヒルを、紺平がまっすぐに見上げる。
「ハァ…!ハァ…!」
攻撃を防いだものの、追い込まれているような様子で、大きく息を乱している轟。
「また、“トウ”…?」
そんな轟を見下ろし、アヒルが少し眉をひそめる。
「でも、さっきの言葉とは違う…何だ…?」
轟が使う未知の言葉に、考え込むように呟くアヒル。
「あれが…安の神…」
同じように戦いを見つめる檻也も、どこか驚いた様子で、上空のアヒルを見上げていた。
「篭也の、神…」
その言葉を発し、檻也が表情を曇らせる。
「…………」
「あっ…!」
表情を曇らせていた檻也の視界に、夢言石を握り返し、上空のアヒルへと向けようとしている弔の姿が入る。
「よ、避けろ…!安の神っ…!」
「へっ?」
檻也の声に、振り向くアヒル。
「うおっ!」
弔が掲げた夢言石から一直線に飛んで来た青白い光を、アヒルが空中を移動し、ぎりぎりのところで何とかかわす。
「ひぃ~、あっぶねっ」
空の向こうへと飛んでいった光を見送り、アヒルがホッとしたように声を出しながら、上空から再び地面へと降り立つ。
「ああ、残念」
光を避けられ、夢言石を下ろした弔が、少し肩を落とす。
「せっかく、神の言葉がもう一つ、手に入るところだったのに…とんだ邪魔が入ったな」
「……っ」
そっと流れてくる弔の刺すような視線に、見つめられた檻也が顔をしかめた。
「んだよ?次はてめぇが相手かっ?」
「いいやっ」
「……?」
すぐさま首を横に振る弔に、アヒルが戸惑うように、眉をひそめる。
「やっと、迎えが来たようだからね」
「迎え…?」
「やぁ、遅かったね」
アヒルがやって来た方とは逆の庭先を振り向き、誰へともなく話しかける弔に、アヒルや檻也、紺平が戸惑った顔を見せる。
「君の言葉で、この本邸を遮ってくれたはずなのに、何故か、安の神だけが入って来たよ」
皆の戸惑いも気にすることなく、そのまま言葉を続ける弔。
「これは、どういうわけかな?」
「そのくらいは、見逃して欲しいわね…」
「えっ…?」
弔が振り向いた方から聞こえてくる声に、アヒルがその戸惑いを深くする。
「きちんと…挨拶くらいしたいじゃない…?」
近付いてくる、どこか不気味な色の強い、その響く声とともに、姿を現すその人物。
「それが…今から冒涜する、私の神様への…せめてもの報いかと思って…」
「さ…」
その人物を見て、アヒルが大きく目を見開く。
「囁っ…?」
いつものように不気味な笑みを浮かべながら、その場へと現れたのは、囁であった。
その頃、於崎家第五邸。於附待機棟。
「ここか!」
「はっ?」
勢いよく開く扉に、部屋の大きなソファーの上に横たわり、テレビを見ながらグダグダとしていた空音が、少ししかめた表情で体を起こした。
「何?ってか、誰?」
「あなたが曾守だな」
開いた扉の向こうから、遠慮もなく部屋へとどんどんと入って来るのは、険しい表情を見せた篭也であった。
「はぁ?だから、あんた一体、誰っ…」
「空音」
「……っ」
篭也とは別の声が聞こえてくると、空音がその表情を変える。
「あんたは…」
「空音、話があります」
篭也に少し遅れるようにして、空音のいる部屋の中へと入って来たのは和音であった。和音の姿を見つめ、空音が少し目を細める。どうやら、互いに知った仲のようである。
「用なんて珍しいわね。で?こいつは誰?」
「彼の名は神月篭也。安団の加守で、檻也のお兄様です」
「えっ?あんたが、神のっ…?」
和音が篭也のことを説明すると、空音は驚きの表情を見せた。だが、檻也と似ているその容姿からか、空音は驚くことはあっても、疑おうとはしなかった。
「屋敷追い出された、神のお兄さんが一体、私に何の用なわけ?」
「あなたが七声の、もう一人の幹部か?」
「はぁ?」
率直に問いかける篭也に、空音が大きく顔をしかめる。
「何言ってんの?それ、日本語?」
「誤魔化しても無駄だ。すでにあなたに逃げ場はない」
「はぁっ?」
篭也が強く言い放つと、空音は益々、首を傾げた。
「一体、何なわけ?さっきから、全然意味わかんないんだけどっ」
「あなたが七声の幹部で、僕たち安団がやって来た、この時に乗じて、檻也を襲うことを目論んだのかと聞いている」
「神をっ…?」
問い詰めるように厳しく言い放つ篭也のその言葉に、しかめっ面を見せていた空音が、不意に眉をひそめる。
「何っ?神に何かあったわけ?」
「……?」
どこか不安げに問いかける空音に、篭也が戸惑った顔となる。
「和音、この曾守…」
「ねぇ!神に何かあったのっ?お姉ちゃんっ!」
「はっ…?」
空音が放った思いがけない言葉に、和音へと話しかけようとしていた篭也が、思わず間の抜けた声を漏らす。
「お、お姉、ちゃん…?」
「はぁっ?何よ?姉妹だったら、何か文句あるわけっ?」
引きつった表情で聞き返す篭也に、空音が不満げに答える。
「和音…」
「やはり、空音は七声の幹部ではないようですわね」
少し頭を抱え気味に振り向く篭也に、和音は何食わぬ表情で、冷静に答える。
「やはりって…あなたの妹なのだから、当たり前だろう…」
「妹だからといって、疑わぬわけにはいきませんわ」
「まっ、こういう姉よ。昔っから」
シレっと答える和音に、諦めるように肩を落とす空音。
「だが、ならば一体、誰が最後の一人で…」
「っつーか、“この時に乗じて”って、於団の私が、安団のあんたたちがいつ来るかなんて、知るわけないじゃないっ」
『……っ!』
「へっ?」
篭也が再び考え込もうとしたその時、空音が素っ気なく放ったその言葉に、篭也と和音が、同時に大きく目を見開いた。突然変わった二人の様子に、空音が少し戸惑うように首を傾げる。
「な、何っ…」
「そう言われてみると、そうですわね…」
空音が問いかけるその前に、和音が納得した様子で頷く。
「安の神に親しい者を新しい己守に選抜し、この屋敷へ招くことで、安の神と安団を呼び寄せ、檻也と屋敷の者たちの気を逸らし、作戦を実行に移す…」
「だ、だがそれはっ…!」
「それには、檻也を誘導する於団の者と…」
必死に言いかけた篭也の言葉を強く遮り、和音がさらに言葉を続ける。
「安の神の日常に詳しく、安の神とともにこの屋敷へと来るだろう、安団の者が仲間である必要があります」
「……っ!」
篭也をまっすぐに見つめ、はっきりと言い放つ和音に、篭也は大きく目を見開いた。
「そうでは、ありませんか?篭也」
「そ、それはっ…」
『神月くん!』
『……っ』
問いかける和音に篭也が答えようとしたその時、合わさった二つの篭也を呼ぶ声が聞こえてきて、篭也と和音は同時に部屋の入口を振り返った。
「あ!いたいた!」
「神月くん!探しましたよぉ~!」
「高市、奈々瀬」
部屋へと入って来たのは、保と七架の二人であった。走って来たのか、軽く息を乱している。
「何故、あなたたちまでここに…」
「神月くんが、急に屋敷の方へ走っていったからですよぉ~」
「屋敷の方から衝撃音もしたし、何かあったのかと思って」
戸惑いの表情を見せる篭也に、二人が口々に答える。
「真田さんも、いつの間にかいなくなっちゃうし」
「……っ!」
困ったように肩を落とした七架のその言葉に、篭也が再び、大きく目を見開く。
「あれ?そういえば神月くん、真田さんと一緒じゃなかったんですねぇ~」
「…………」
周囲を見回しながら、言い放つ保の前方で、深く俯いたまま、黙り込んでしまう篭也。
「神月くんっ?」
そんな篭也を、保と七架が戸惑うように見つめる。
「篭也」
「……っ」
和音に名を呼ばれ、篭也が、俯けた顔をかすかに上げる。
「七声の幹部は、互いを暗号名で呼び合います」
真剣な表情を見せた和音が、強い眼差しで篭也を見つめる。
「その暗号名はすべて、漢字一字で表すことのできる、仮名四文字の名…」
「漢字一に、仮名四?」
「お、俺じゃないですよ!」
「高市くんは、仮名三文字でしょう…?」
続く和音の話に、その意図がわからず、大きく首を傾げていた七架が、焦ったように主張する保に、少し困った顔を見せる。
「彼女の名は、確かこうでしたわね」
和音が大きく口を開き、さらにはっきりとした口調で言い放つ。
「“囁”」
「……っ」
出されるその名に、篭也がより一層、険しい表情を見せる。
「本邸へ…本邸へ行くっ!」
「えっ!?神月くん!?」
「ちょ、ちょっと待って下さいよぉ~!」
その場から勢いよく駆け出していく篭也を、保と七架が慌てて追っていく。
「な、何なのよ!?ちゃんと説明してから、行きなさいよ!」
文句を言いながらも、空音も部屋を飛び出し、篭也たちの後へと続いていく。
「…………」
その場に一人残った和音は、険しい表情で、月明かりの照らす空を見上げた。




