Word.26 冒涜 〈1〉
於崎家入口棟付近。
「先程からの衝撃音は何だ!?檻也様は!?」
「本邸との連絡が途絶えております!詳細は不明です!」
入口棟の屋敷から外へと出た於崎の使用人たちは、あらゆるところで大きな声を発しており、そこはまさにてんやわんやの状態であった。
「韻に連絡をしろ!」
『えっ?』
大混乱のその場によく響き渡るその声に、使用人たちが一斉に振り向く。
「於崎の人間と、和音の安全を確保するんだ!急げ!」
「か、篭也様っ?」
その的確な声を響かせているのは、皆のいる離れを飛び出していった篭也であった。衝撃音の影響で門を見張る者がいなかったのか、いつの間にか屋敷内へと入って来たようである。
「な、何をなさっているのです!?あなたは、この屋敷へは立ち入り禁止のはずでっ…!」
「我が神が、この屋敷内にいる!無事を確認すれば、すぐに出る!」
「で、ですがっ…!」
「今は、そんなことに、こだわっている場合ではないでしょう?」
『……っ』
使用人たちが先を急ぐ篭也を止めようとしたその時、凛とした声が、割って入って来た。
「わ、和音様っ…!」
「緊急事態なのです。篭也を止めるよりも、まず先に、状況の把握を急いで下さい」
屋敷の縁側から、庭へと降り立ったのは、和音であった。振り向いた使用人たちに、和音は厳しい言葉を投げかける。
「韻への連絡はすでに、わたくしが行いました。皆様は於崎の方々の保護を」
『は…はっ!』
圧のある和音の言葉に頷くと、庭であれこれと騒いでいた大勢の使用人たちが、散り散りに去っていき、あっという間にその場に、篭也と和音だけが取り残される。
「済まない」
「わたくしはわたくしの思うままに、言葉を発しただけですわ」
そっと礼を呟く篭也に、和音は素っ気なく微笑む。
「あなたも、屋敷の外へ避難をっ…」
「いいえ、避難などいたしません」
「えっ…?」
すぐさま否定する和音に、篭也が眉をひそめる。
「わたくしはこの事態に対応するため、韻からの命を受け、この於崎家に待機していたのですから」
「韻からの、命で…?」
和音の言葉に、表情を曇らせる篭也。
「どういうことだ?今、この屋敷で何が起こっている?」
「わたくしたち韻は、少し前から、とある組織を追っておりました」
「組織?」
「ええ。組織の名は“七声”。主導者は弔という名の男です」
「七声…?」
その名に、篭也が眉をひそめる。
「どこかで聞いたことのある名だな…」
「あなたがすでに遭遇した、“止守”の棘一、“乃守”の海苔次は、共に七声の幹部です」
「なっ…!」
間を置くことなく、衝撃的な事実を放つ和音に、大きく目を見開き、驚きの表情を見せる篭也。
「幹部だと?於附となって、潜り込んでいたというのか?」
「ええ。そして主導者の弔は、檻也の世話役、時定として、数年も前から、この屋敷に潜り込んでいました」
「檻也の、世話役っ…?」
篭也が益々、表情を曇らせていく。
「奴らは一体、何が目的でっ…」
「彼らの目的は、檻也の持つ“夢言石”」
「夢言石?」
聞き慣れていない様子で、篭也が大きく首を傾げる。
「代々、於の神が受け継ぐ、すべての言葉を司る石、五十音の核とも言える石です」
「そんな石がっ…」
少し考え込むように、俯く篭也。於崎家の人間とはいえ、於の神ではなかったためか、そのような石の存在は、まったく知らされていなかった。
「だが、そこまでわかっていたのなら、その石を韻で管理すれば、こんな事態にはっ…」
「それでは、七声を捕えられませんでしょう?」
「……っ!」
平静に言い放つ和音に、篭也が大きく目を見開く。
「まさかっ…檻也を囮に使ったのか!?韻は!」
強い剣幕で、篭也が和音へと問いかける。
「そういうことに…なるかも知れませんわね」
「何故、そんなことをっ…!」
「これは…」
「……っ」
口を挟む和音に、篭也が言葉を止める。
「これは、檻也の両親、つまりはあなたの両親からの許可もあっての司令です」
「……っ!」
厳しい表情で言い放つ和音に、思わず言葉を失う篭也。
「おわかりになるでしょう?わたくしやあなたの意見、ましてや檻也の気持ちなど、まったく配慮されるはずのない問題であることが」
「クっ…」
和音の言葉に、篭也は俯き、唇を噛み締める。
「すでに弔たち七声は、檻也と接触していると考えることが妥当でしょう」
「あっ…」
俯き、どこか悔しげな表情を見せていた篭也が、和音の言葉に現在の状況を思い出し、ハッとした様子で顔を上げる。
「そうだな。とにかく、急いで檻也のところへっ…」
「韻からの情報によれば、今回の件で潜伏している七声の幹部は、全部で四人だそうです」
「四人っ…?」
篭也の表情が、再び曇る。
「一人足りなくないか?」
「ええ。時定、棘一、海苔次の他に、もう一人、潜伏者がこの屋敷内にいるはずなのです」
「韻でも、正体はわかっていないのか?」
「わかっていません」
問いかける篭也に、和音がはっきりと答える。
「主導者である弔以上に警戒し、その正体を隠したというのは恐らく、その最後の一人が、今回の彼らの作戦において、最も重要な役目を持っているから…」
「逃走経路の、確保っ…」
「ええ。わたくしも同意見です」
眉をひそめ、言い放つ篭也に、大きく頷きかける和音。
「わたくしが韻から受けた命は、その最後の一人を確保し、彼らの逃走を防ぐことです」
「わかった。一人では危険だ。僕も行こう」
強く頷き、和音のもとへと歩み寄る篭也。
「検討はついているのか?」
「いえ。ですが、恐らくは檻也の近くにっ…あっ」
「……?」
思い当ったような声を発する和音に、篭也が首を傾げる。
「何だ?」
「いえ、まさかとは思うのですが…」
「この緊急事態にまさかも何もないだろう。誰だ?」
「……っ」
和音が少し考え込むように、視線を落とす。
「空音…檻也のもう一人の於附、“曾守”を務めている者です」
「曾守か…止守たちが幹部であったのだから、十分に可能性はあるな」
篭也が、納得するように頷く。
「よし、その曾守のところへ急ごう」
「はい…」
篭也の言葉に、和音はどこか浮かぬ表情で頷いた。
於崎家本邸。
「五十音、第十の音…“こ”、解放っ…」
夢言石を奪われ、自らの“お”の言葉さえも奪われて、檻也が絶対絶命の危機に陥ったその時、言葉の力に目醒めたのは紺平であった。生じたばかりの白い言玉を手にし、紺平が鋭い表情を弔へと向ける。
「のの、のっ…」
「いやはや、まさか、こんな時に五十音士として目醒めるとはっ」
驚いた様子を見せる罵と、不敵に微笑む轟。
「紺、平っ…」
「……っ」
茫然と紺平の名を呼ぶ檻也の横で、弔がそっと瞳を細める。
「どういうつもりかな?小泉紺平君」
再び表情に笑みを戻した弔が、体の向きを変え、言玉を手にした紺平の方を見る。
「今更、言葉の力を手にして、君は一体、何をしようと言うんだ?」
「そんなの、決まってる」
問いかける弔に、間を置くことなく、言葉を発する紺平。
「俺は己守だ。だからっ…」
紺平がさらに、目つきを鋭くする。
「於附として、我が神を守るっ…!」
言玉を握る手に力を込め、紺平が堂々と言い放った。
「紺平…」
そんな紺平を、ただひたすらに見つめる檻也。
「その“まっすぐ”さ…嫌いかな」
少し俯いた弔が、近くにしゃがみ込んでいる檻也にも聞こえぬほどの、小さな声を落とす。
「いいだろう。轟、罵」
「んん~っ?」
「のっ…」
呼びかける弔に、轟と罵が振り向く。
「この生まれたばかりの己守君と、少し遊んであげるといい」
「宜しいのでぇ?」
「ああ。まだ迎えも来ないようだからね」
「迎、え…?」
弔のその言葉を聞き、しゃがみ込んだままの檻也が少し眉をひそめる。
「ではぁっ、お言葉に甘えてぇ」
「……っ」
「あっ…!」
楽しげな笑みを浮かべて振り返る轟に、険しい表情で身構える紺平。その様子を見て、檻也が大きく目を見開く。
「だ、ダメだ…!逃げろ!紺平っ…!」
「“溶けろ”っ」
檻也の言葉を届かせる時間も与えず、轟が素早く言玉を持った右手を掲げ、自らの言葉を放つ。
「えっ…?」
轟の言玉から放たれた光が、辺りの地面いっぱいへ広がっていく。すると光に包まれた草原は、やがて赤々と泡立つ、熱い液体へと姿を変えた。
「こ、これはっ…!マグマっ…!?」
焦ったように声をあげる紺平の元へ、広がるマグマが徐々に迫って来る。
「うっ…!こっ…」
険しく顔を歪めながら、必死に口を開く紺平。
「“凍れ”!」
紺平の放った言葉に反応し、言玉が白く輝くと、言玉から白い光の塊が、迫り来るマグマへと飛び出し、マグマの先頭を一瞬にして凍りつかせ、その場で動きを止めた。
「いぃ~い言葉です」
見事に攻撃を防いだ紺平に、感心するように言い放つ轟。
「ですがぁ、次はどうですかねぇ?」
「えっ…?」
「のの…“伸び、ろ”…」
「あっ…!」
罵の言葉に反応し、罵の近くの木々から数本の枝が、紺平のもとへと伸びてくる。
「こ…!うぅっ…!」
何も言葉が浮かばず、紺平が思わず苦い表情を見せる。その次の瞬間、紺平の手足に伸びて来た枝が巻きつき、紺平の動きを封じた。
「クっ…!」
「のの…“昇、れ”…」
「えっ…?うわああああっ!」
紺平の手足を捕えた枝が大きく曲がり、紺平の体を、空へと高々と持ち上げる。
「トド、ロキ…」
「ええぇっ」
低い声で名を呼ぶ罵に、轟が笑顔で大きく頷き、右手を掲げる。
「“圧しつけろ”っ」
「……っ!」
轟が言葉を放ったと同時に、強い圧力を上から掛けられたように、勢いよく落下していく紺平。
「うあっ…!」
胸から地面へと叩きつけられ、紺平が声にならない声を漏らす。
「あ…ぅぁっ…」
「紺平っ…!」
巻きついた枝が離れると、紺平は叩きつけられたその格好のまま、力なく地面に倒れ込んだ。そんな紺平の様子に、思わず大きく目を見開く檻也。
「イイ線いってますよぉ?言葉の選び方も良かったですしぃ、ワタクシのマグマも防いでましたしぃ」
倒れ込んだ紺平へと、轟が誉めるように言葉を投げかける。
「ですがぁ、ワタクシたちが相手では赤子のようなものっ。残念でしたねぇ、小泉サンっ」
「うっ…」
かすかに顔を上げた紺平が、冷たく微笑む轟を見つめ、そっと目を細める。
「ク…うぅっ…!」
「んん~っ?」
地についた両手に力を入れ、その場で必死に立ち上がろうとする紺平の姿に、轟が不思議そうに首を傾げる。
「何の真似ですぅ~?」
立ち上がろうとする紺平へ、軽い口調で問いかける轟。
「まだワタクシたちと戦おうとでもぉ~?」
「あ、たり前でしょっ…」
「ほぉ、当たり前ぇ」
紺平が少し途切れた言葉で答えると、轟は感心するようにその言葉を繰り返した。
「わかりませんねぇ~大人しくただの人間のままでいればぁ、こんな痛い目にも遭わずに済んだのにぃ」
首を傾げた轟が、立ち上がろうとしている紺平の顔を覗き込む。
「あの、誰からも必要とされていない神様にぃ、そこまでして守る価値がぁ?」
「…………」
片膝をつき、胴体を起こした紺平が、轟の問いかけに真剣な表情を作る。
「俺が…」
「……?」
「俺が、誰からも必要とされてない時っ…」
―――“死ね”…“消えろ”…―――
かつて紺平に向けられた、冷たい言葉。
「誰が俺の敵になろうと、俺の味方になってくれるって…そんな言葉をくれた人がいたんだ…」
その言葉を思い返し、紺平がそっと口元を緩める。
「その時、俺は…すごく嬉しかった…だからっ…」
目つきを鋭くし、勢いよく顔を上げる紺平。
「俺もこの言葉をっ、俺の神のために使うっ…!」
強く言い放った紺平が、言玉を持った右手を、思い切り振り下ろす。
「“壊せ”っ…!!」
光り輝く言玉が、紺平の手とともに地面に打ちつけられると、言玉の光が地面へと一気に広がり、まるで地震でも起こったかのように、地面が勢いよく砕かれていく。
「…………」
砕けていく地面の先に、立ち尽くす轟。
「実にくだらない言葉ですっ」
冷たく呟き、轟は軽く右手を上げた。
「“遠のけ”っ」
「なっ…!」
轟が言葉を発した途端、轟の姿がその場から残像となって消えていく。先程まで轟の立っていた付近を砕き、地面の割れは収まった。
「ど、どこにっ…」
「ここですぅ」
「……っ!」
戸惑うように周囲を見回していた紺平が、すぐ後ろから聞こえてくる声に、大きく目を見開く。
「残念でしたねぇっ」
いつの間にか、紺平のすぐ後方に移動していた轟が、紺平の背中へと、言玉を持った右手を向ける。
「紺平っ…!」
傷だらけの体で、必死に身を乗り出す檻也。
「これで、お別れです」
「うっ…!」
輝き始める言玉に、紺平の表情が歪む。




