Word.3 神トナル日 〈2〉
休み時間。学校・屋上。
「どういうことだよっ!?」
屋上から、空まで突き上げる程、大きなアヒルの声が、響き渡った。
「何がだ?」
「何がだじゃねぇ!」
あっさりと聞き返す篭也に、アヒルが強く怒鳴りあげる。
「さっきのだよ!なぁ~にが“収穫間近のチェリーガールさんたち”だ!薄ら寒みぃーこと、言いやがって!」
「学校生活を円滑に進めていくためには、ああいったキャラがいいと、囁に言われた」
「囁にっ?」
篭也の答えに、眉をひそめるアヒル。
「フフフっ…これで女生徒は利用し放題ね…フフフっ…」
「何する気だ!?てめぇーはっ!」
怪しげに微笑む囁を、アヒルが焦ったような表情を見せながら、強く指差す。
「だいたい、何でお前らがウチの学校にいんだよ!?しかも二人して同じクラスとか、有り得ねぇだろっ!」
「誰も言玉を使って、“策略しろ”だなんて言ってないわよ…フフフっ…」
「言ったな…確実に言ったな…」
白々しく答える囁に、呆れた表情を見せるアヒル。
「昨日の今日なんだぞ!?紺平がお前ら見て、忌のこと思い出したりしたら、どうすんだよっ!?」
「大丈夫よ…鮮明に思い出せば思い出すほど、夢にしか思えないから…フフフっ…」
「鮮明にって、お前なぁ…」
紺平が昨夜のことを思い出さないようにするために、アヒルが朝からどれほどに気を遣ってきたか。だというのに、思い出してもいいといった口振りをする囁に、アヒルが思わず顔をしかめる。
「仕方ないでしょう…?使命を全うするためだもの…」
「使命だぁ?」
「昨日、説明しただろう?」
アヒルが大きく顔をしかめていると、そこへ篭也が口を挟んだ。
「僕たち、加守と左守は、安の神の世話役・“安附”。常に神の傍に仕え、その身を守り、また、団の先頭に立てるよう、神の力を育てなければならない、と」
「聞いたっけかなぁ…」
もう一度、説明をする篭也に、アヒルがあまり興味なさそうに、首を捻る。
「けどさぁ、俺だってもう言玉使えんだから、別にお前らが傍にいなくたってっ…」
「言玉を使える?“当たれ”と“赤くなれ”と“青くなれ”しか言えないあなたが?」
「うっ…」
篭也の鋭い指摘に、思わず顔を引きつるアヒル。
「あなたはまだ、力の百分の一、いや千分の一も使えていない。今後も忌と戦っていくためには、もっと力を使いこなす必要がある」
「使いこなすって、具体的には何をするんだよ?」
「そうねぇ…まずは言葉の種類を増やすことかしら…フフフっ…」
「増やす?」
代わりに答えた囁へと、アヒルが視線を移す。
「篭也がさっき言った三つの言葉以外に、戦いで使えそうな“あ”から始まる言葉を探すのよ…」
「探すって、どうやって?」
「さぁ…?辞書でも引けばいいんじゃない…?フフフっ…」
「辞書ぉぉっ!?」
囁から出たその単語に、あからさまに顔をしかめるアヒル。
「冗っ談じゃねぇよ!国語の授業に出るのも苦痛なのに、家でまで国語の勉強しろってのかぁっ?」
「仕方ないでしょう…?私達は言葉使いだもの…」
「絶対、無理!辞書とかマジ、開いただけで頭痛するしっ!」
「はぁ…」
胸の前で両手を交差し、大きくバツ印を作って、断固拒否するアヒルに、篭也が深々と溜息を吐く。
「あのなぁ、あなたには、僕たち安団を率いてもらうという役割がっ…」
「それが気に食わねぇっつってんだよ!」
「……っ」
今まで以上に強く怒鳴りあげるアヒルに、篭也が思わず言葉を止めた。
「何々だよ!?いきなり忌だの神だの言いやがって!俺は好きで安の神なんかになったわけじゃねぇーしっ、安団とかを率いる気もねぇーよっ!」
「アヒるんっ…」
必死に叫ぶアヒルを見て、囁がそっと目を細める。今までの軽い調子の断り方とは違い、今のアヒルは本気で嫌がっているような、そんな様子に見えた。
「…………」
そんなアヒルを、篭也はしばらくの間、まっすぐに見つめる。
「言葉の力というものは…様々な形で受け継がれていく…」
「あっ…?」
急に違う話を始める篭也に、眉をひそめるアヒル。
「血で受け継がれる文字もあれば、先代が選んだ者に、故意に受け継がれる文字もある…」
「何の話っ…」
「だが、“あ”の文字は違う」
「……っ」
問いかけようとしたアヒルの声を遮り、篭也が強く言葉を続ける。
「“あ”の文字の力は、先代が死ぬか、その力を失った後、次の神へと自動的に受け継がれる…」
「自動的に…?」
「ああ…そこに外からの選抜は、一切入らない。力が勝手に、次の神を選ぶんだ」
少し首を傾げたアヒルに、言葉を続けながら、篭也がゆっくりと顔を上げ、突き刺すような瞳を、アヒルへと向けた。
「わかるか?」
「えっ…?」
そっと問いかける篭也に、眉をひそめるアヒル。
「僕たちだって、好きであなたを選んだわけじゃない」
「……っ!」
篭也が冷たく言い放つと、アヒルが大きく目を見開いた。
「ああっ…そうかよっ…」
少し足を後退させながら、アヒルが低い声を漏らす。
「じゃあもうっ…お前らだけで勝手にやってりゃいいだろっ!」
強く怒鳴りあげると、アヒルは二人に背を向け、大きく足音を立てながら、屋上を出て行った。
「あぁ~あ…怒らせちゃった…」
「…………」
悪戯っぽく微笑む囁に対し、篭也は厳しい表情を見せたまま、閉まった屋上の扉を見つめる。
「神への暴言は、五十音士の規律違反じゃなかったかしら…?」
「あれは神じゃない。ただのバカだ」
「フフフっ…」
乱雑に言い放つ篭也に、そっと微笑む囁。
「だからって、あんなこと言ったって…彼が私たちの神でなくなるわけでもないでしょう…?」
「……っ」
囁の言葉に、篭也が少し顔をしかめる。
「“もう決して逃れることなど出来ない”…そう言ったのは、あなた自身よ…?篭也…」
どこか試すような笑みを、囁が篭也へと向ける。
「彼が神という存在から逃れられないように…私たちも逃れることなど出来はしない…」
囁がその笑みを浮かべたまま、屋上から、下に広がる町並みを見下ろす。
「五十音士の…この宿命からはっ…」
「…………」
風に響く囁の声を聞きながら、篭也は神妙な表情で、そっと俯いた。
「だぁ~っ!もう!ムカつくなぁ!何々だぁ!?あの野郎はっ!」
屋上から教室のある階へと降りて来たアヒルは、頭を力強く掻き毟りながら、篭也への怒りを口にすることで発散していた。
―――僕たちだって、好きであなたを選んだわけじゃない―――
「ああ!そうかよっ!こっちも神なんて願い下げだってのっ!」
廊下に立つ生徒たちからの視線を集める中、アヒルはそれにも気付かない程に怒りを煮え切らせているようで、次々と言葉を放ちながら、自分の教室の方へと歩を進めた。
「だいったい忌なんて化け物と戦うとか、冗談じゃねぇってっ…!んんっ?」
教室の前まで戻って来たアヒルが、不意に怒鳴り声と足を止め、教室の後ろ扉を見る。後ろ扉には、教室から顔を出した紺平の姿が見え、その対面には、数人の男子生徒が並んでいた。
「あいつらはっ…」
―――ひえええぇぇっ!―――
その生徒は、昨夜、忌に取り憑かれた紺平に襲われていた、あの青年たちであった。紺平に“死ね”などと書いた手紙を渡し、忌の標的にされたのである。
「なんであいつらがっ…」
アヒルが眉をひそめる中、少し困った顔を見せた紺平に、青年たちが何度も紺平に頭を下げると、逃げるようにして紺平の前から去っていく。青年たちが去ったところで、アヒルは慌てて、紺平へと駆け寄った。
「紺平っ…!」
「んっ?あ、ガァっ」
呼ばれる名に振り向いた紺平が、アヒルの姿を見つける。
「どこ行ってたの?急に転校生引っ張って出て行くから、ビックリしっ…」
「さっきの奴らっ…!何しに来てたんだっ!?」
「えっ?」
問いかける紺平の声を掻き消し、アヒルが険しい表情を紺平へと向ける。
「あ、ああぁ~…昨日の手紙あるでしょ?あれ入れたの、あの人たちだったみたいでさ」
「また何か言われたのかっ!?」
「ううんっ」
「へっ?」
あっさりと首を横に振る紺平に、肩透かしを食らったように、目を丸くするアヒル。
「何かよくわかんないんだけどぉ、“もう二度とあんなことしないから、二度と夢には出て来ないでくれ”って謝られちゃった」
「夢っ?」
紺平の言葉を聞き、アヒルが考えるように首を捻る。恐らくは、昨夜の出来事を、紺平と同じように夢だと思い込んでいるのだろう。だが夢であっても見たくない程に、怖い思いをしたようである。
「ハハハっ…」
忌により殺されかけたとはいえ、反省したのであれば、それはそれでいい傾向なのかも知れないと、アヒルが乾いた笑みを浮かべる。
「ありがとう、ガァ」
「へっ?」
聞こえてくる言葉に、アヒルが首を傾げる。
「なんで俺に礼言うんだよ?」
「えっ?」
問いかけるアヒルに、目を丸くする紺平。
「そうだよねぇ…何でだろっ…」
紺平が、自分でも戸惑うように、首を捻る。少しの間、首を捻った後、紺平が顔を上げ、笑みを浮かべた表情を、アヒルへと向けた。
「でも何か、ガァにお礼言わなきゃいけないことが、あった気がしてさっ!」
「……っ」
笑顔で答える紺平に、アヒルがそっと表情を曇らせる。
―――ありがとう…ガァ…―――
昨夜も同じように、アヒルへと礼の言葉を呟いた紺平。夢として認識されているとはいえ、アヒルに助けられたという感覚が、紺平のどこかに残っているのかも知れない。
―――あなたは…“安の神”…―――
「……っ」
思い出される篭也の言葉に、アヒルが厳しい表情を見せる。
「別にっ…」
紺平の横を通り抜け、教室へと入っていくアヒル。
「俺は…何にもしてねぇーよっ…」
「ガァっ…?」
素っ気なく言い放ち、教室の中へと進んでいくアヒルに、紺平はそっと首を傾げた。




