第30話 賭け
「どこに行くんだ芽衣? こんな時間に」
さっきまで寝息をたて寝ていた芽衣は突然ベッドから起き上がった。
時間は夜中の3時を過ぎていた。
「誰だお前は?」
芽衣が俺を睨みつけて言った。
いつもの芽衣と顔つきが微妙に違う。間違いないこいつがもう一つの人格だ。
やっぱり、予想通り夜中に人格が交代していたか。
DVDの映像で芽衣の父親が夜中に抜け出したって話を聞いた時から少し気になっていた。
それに、エルが言ってた。「芽衣がここに入ってきてから夜中の殺人事件が多発している。それも芽衣との因縁がある人ばかりだと」
それだけじゃない。芽衣の睡眠の質が悪いとはいえ、いくらなんでも寝すぎだと思った。
夜中に無意識のうちに別の人格が目覚め行動しているため十分な睡眠時間を得ることができなかった。だから、あんなに長時間寝ていた。
そう考えると何もかも辻妻があう。
やっぱり俺の推測は間違ってなかった。
でも、本番はここからだ。
「芽衣の友達だよ」
「友達? たしかに排除対象ではないな」
物騒な言葉に一瞬ヒヤリとしたが、俺に敵意はないことを聞き少し安心した。
しかし、油断はできない。
「いつもこうやって、夜中に起きて何をしている?」
「俺はただ勝手に呼び出されるだけだ。そして排除対象がいれば消すまでだ。そこのお前ヴァーケンの奴がどこにいるか知ってるか?」
やっぱりこいつは夜中に人を殺していたんだ。
「ヴァーケン? 誰だ?」
「金髪の殺し屋のことだ」
ジャックのことか?
もし生きているのを知られたら、こいつは間違いなくジャックを殺すはずだ。
「ジャックならさっきの試合で死んだよ」
とりあえず、俺は嘘をついてみた。
芽衣は一瞬思案するような顔をした後、俺をじっと見た。
もし嘘がばれたら、俺もどうなるかわからない。
緊張で振るえそうになった手を必死に止めようと意識しないようにした。
「……そうか。もしかしたら生きてるかもしれないと思ったが」
「お前は夜中に人を殺しているのか?」
「対象となるものがいればそうする」
「芽衣の家族を殺したのはお前か?」
「そうだ」
「何故、殺した? 芽衣はそんなこと望んでなかったはずだ!」
この時、一瞬だけもう一人の芽衣の表情に迷いのようなものが見えた気がした。
「……排除しろという命令はなかったが、俺の命を脅かすことに変わりはない」
芽衣の父親はたしかに芽衣を殺し屋に始末してもらうと言っていた。
でもだからと言って家族を全員殺す必要はないはずだ。
自分に襲い掛かってきた殺し屋だけなんとかすればいい。
それに話し合えば何か別の方法はあったかもしれない。
「勝手な事するなよ! お前のおかげでどれだけ芽衣が苦しんでると思ってんだ!」
一瞬、もう一人の芽衣の目つきが鋭くなった。
殺されるかもしれない本気でそう思った。
「お前には関係のない話だ」
「関係なくない。なぁ頼むからこれ以上人を殺すのをやめてくれ」
「それは無理な話だ。俺に与えられた唯一の役割だ」
「何でだよ!? 芽衣はそんなこと望んでない!」
「そんなことはない。俺の頭の中に排除対象の写真が送られ殺せと命令が来る。全部もう一人の俺が望んだことだ」
レインメーカーの言ってたとおりかもしれない。やっぱりこいつは……
「違う、それはお前の思い違いだ!」
「お前に俺の何がわかる? お前は俺に海の底に沈み続けろというのか?」
今度は明確な敵意を感じた。
やばい、本当に殺される。
でも、ここで引き下がったらだめだ。
もう一人の芽衣が言った「海の底」というセリフを聞いてレインメーカーが別れ際に言っていた言葉を思い出した。
「メッキーの意志とは無関係に人を殺していると言ったが、それは表面上の話にすぎない」
「何が言いたいんだよ?」
「人間の心とは不知火灰斗が考える以上に複雑なものだ。私達が思い悩み、考えて行動していることがすべてではない。あんなもの心の一部にすぎない。本当の自分とは無意識という名の広大な海の底に存在している。気づいていないだけで無意識下では莫大な感情の波が押し寄せている。表に出るのはほんの一部だけだ。それが意識だ」
「良くわからないんだけど……、お前の言ってることはいちいちわかりにくいんだよ」
「メッキー本人が人を殺したくないと考えていても、無意識下では特定の個人に対し殺すまでにいかないにしても敵意を持っているということだ。表面上は穏やかに接しているが腹の底では別のこと考えている。誰でもありうることだ。しかしメッキーの場合は違うかもしれない。もうひとつの人格が無意識の中に存在する敵意を拾い上げて外敵とみなし本人の意志とは無関係な行動をとっている可能性が高い」
「それが、無意識下での殺人の理由か?」
「おそらくな」
「俺はどうすればあいつを説得できるんだ」
「私は不知火灰斗が説得するうえで必要な武器を与えるだけだ。海の底に沈んだ落し物を拾う方法は不知火灰斗自身で考えるんだ」
もう一人の芽衣が抱えていること……
それを和らげ一つの人格に戻すためには……
「違う。俺はお前を救いにきただけだ」
「何を言ってるお前は? 俺を救いにきただと、そんなもの頼んだ覚えはない」
芽衣が立ち上がり俺に近づいてきた。
「お前だって辛いだろ! いつまで海の底に――――」
腹部が熱くなる。
直後に例えようもない激痛が襲ってきた。
痛みの根源を辿ると黒く光るナイフが腹に突き立てられていた。
「……黙れ」
レインメーカーの言うとおりだ。
今度こそ本当に死んだかもしれない。
くそ、賭けに負けちゃったか……
でも、まだ呼吸は続いている。
なら、最後のその時が来るまであがいてやる。
俺は芽衣を強く抱きしめた。
芽衣の身体が一瞬だけビクッと揺れた。
「つらかったよな。嫌なこと全部一方的に押しつけられたんだろ? 俺だったらとてもじゃないが耐えられない」
芽衣は一言もしゃべらない。
「やり方は最低だけど、お前は良く頑張ったよ。全部芽衣のため何だろ?」
芽衣の表情は全く見えない。今どんな顔をしているんだろう?
「でも、あんまり頑張ってばっかだとお前ももたないぞ」
ああ、全身が寒くなってきた。震えが止まらない。
「疲れただろ、もうゆっくり休んでいい」
視界がくらくらしてきた。
「もしつらいことがあったら俺に言ってくれ。いつでも相談にのるか……ら……さ」
俺の身体は突然突き飛ばされそのまま抵抗することなく床に倒れた。
「お前……、なん何だよ、……お前は何で」
震える芽衣の声が聞こえた。
ぼやけた視界に芽衣の顔がうっすらと浮かぶ。
何だお前そんな顔もできるのか……
だめだ……
もう意識が……
ごめんな、芽衣なんとかならなかった……
薄れゆく意識の中で誰かに呼ばれた気がした。