第2話 唐突に崩れた平穏
学校帰りにいつもの道を通ると突然女の人の悲鳴が聞こえた。
悲鳴が聞こえたのは地元の人でも、ほとんど立ち寄らないような人気のない廃墟からだった。
何か事件か?
少し恐れつつも俺は廃墟に足を運んだ。すると、そこには血だらけの人が何人か倒れていた。
ぱっと見ただけでも7~8人は倒れている。
全員ピクリとも動かない。
「嘘だろ、何だよこれ……」
救急車を呼ぼうと思いポケットから携帯を取り出そうとした時、手前に倒れていた女の人が、
「すけて……」
と消え入りそうな声で喋った。
俺はあわてて倒れてる女の人のそばに駆け寄った。
優しそうな顔立ちをしている。ただ優しい顔立ちを台無しにするくらい気味の悪い右目の下の蜘蛛の刺青が少し気になった。
「大丈夫ですか! しっかりしてください。今すぐ救急車呼びます」
「お願い……」
女の人は俺の方を見ながら、さらに消え入りそうな声を絞り出す。
「これを抜いて、すごく痛くて苦しいの……」
女の人の右腹部にはナイフが突き刺さっていた。
「えっ? でも……」
こういう場合は下手に引き抜くとより出血して命の危険が大きいんじゃないのか?
「早く、お願いだからこれを抜いて、もう痛みでどうにかなりそうなの」
「……わかりました。じっとしててください。今抜きます」
苦痛の表情を浮かべる姿を見ていられず、思わずゆっくりと腹部に刺さっていたナイフを外してしまった。
ナイフを外したとたん、女の人はさっきまでの弱っていた様子とは思えない動作ですっと立ち上がった。
さっきまで死にかけていたはずの女の人がにやりと笑い、
「ありがとう。やさしいお兄さん」
と言ったと同時に廃墟の奥から車の走る音が聞こえてきた。
「えっ? それってってどういう……」
廃墟の隅に隠れていた車が飛び出し、女の人の前に止まった。
女の人は車に乗り込むと、
「じゃあね、やさしいお兄さん」
と言い残し車ごと去って行った。
「何がどうなってんだよ……、さっきの人は一体……」
あまりの出来事に茫然としている俺の目を覚ますように突然サイレンの音が鳴り響いた。
驚き音の発信源を辿ると目の前にパトカーが次々と姿を現した。
パトカーのドアが開き警察官がぞろぞろと出てくる。
警察官は銃を構えながら俺の方に近づいてきた。
「刃物を捨てろ! そこから一歩も動くな!」
鬼の形相をした警察官が俺に近づいてくる。
俺は慌てて刃物を手から放した。
「待ってくれ! 違う俺じゃない! 突然女の人の悲鳴が聞こえて、そしたら人が倒れてて、でも女の人が……」
理解不能の状況に混乱してしまいうまく言葉が出てこない。
「とりあえず、署まで来てもらおうか」
「そんな……、なんで本当に俺じゃないんだって……」
警察官に無理やり手を引っ張られていく。
ショックな出来事で頭が真っ白になり手足にうまく力が入らない。俺は促されるままパトカーに乗りかけたその時、
「ちょっと待て」
とドスの利いた低い声が聞こえた。
そこには、がっしりした体格のいかつい警察官がいた。身なりは警察の格好だがどう見てもヤクザにしか見えない。
「どうかしましたか? 東城警部」
俺の手を引っ張っていた若い警察官が足を止め東条と呼ばれる男に振り返った。
「その男こっちで預かろうか」
「えっ? あっはい、わかりました」
若い警察官は一瞬顔をしかめ何かを考えた様子だったが、東条の気迫に気おされたのかすぐに返事をした。
「と言うわけだ。坊主こっちに来い」
東城はパトカーに乗り込み俺に向かって手招きした。
俺はパトカーの後ろの座席に乗り込んだ。
乗り込むとすぐ車が動き出した。車の中は俺と東条の二人だけだった。
東城はさっきから一言もしゃべらず、車を走らせている。
俺は勇気を出して、
「俺本当に何もやってないんです」
と運転席に話しかけた。
すると、
「そうか」
と短い返事だけが返ってきた。
「俺このままどうなっちゃうんですか?」
「安心しろ警察署に向かうつもりはねぇよ」
「えっ!」
「もっと楽しいところに連れてってやるよ」
「どういう意味ですか?」
東城の言ってる意味が分からず聞き返してみた。
「見えてきたぜ」
質問の答えは帰ってこなかった。
1時間ほど車を走らせた後、車はある建物の前で止まった。
「降りろ坊主」
パトカーから降り目の前の建物を見上げると「社会福祉事業施設ハッピー&スマイル」と書かれている。
「来い」
俺は東城についていった。
「何なんですかここは?」
「見ての通りだ」
東城は正面の扉から入った後、まっすぐ進み「従業員専用」と書かれたエレベーターに入った。東城に続いて俺もエレベーターに乗り込む。
エレベーターは1階から6階まで表示されていた。
東城は乗り込むとエレベーターのボタンをまるでパスワードでも打ち込むかのように1~6までの数字を無作為に何度も押した。
すると、エレベーターが上ではなく下に動き出した。
地下?
そんなの入り口近くにあった案内板にはなかったはずだ。
何だろう。すごく嫌な予感がする。さっきから冷や汗が止まらない。
2分ほどエレベーターの中で待機した後、扉が開いた。
さらにまっすぐな廊下を進んだ後、東条がある部屋の前で立ち止まった。
東城は軽く2回ノックした後、扉を開けた。
部屋には黒い軍服に身を包んだ20代くらいの女性が気だるげにイスに腰かけていた。
「8人殺したばかりのフレッシュな殺人鬼だ。可愛がってやってくれ」
そう言って東城は俺の背中を押し軍服の女の前に立たせた。
「はっ? え、ちょっと!」
「いつも悪いな。口座はいつものところでいいか?」
軍服の女が東城を見てにやりと笑った。
二人とも手慣れたやりとりをしているように見える。
「ああ頼む」
そう言って、東条は部屋を出て行ってしまう。
「待ってくれ! 何が何だか――」
俺の問いかけ空しく東城は去ってしまった。
「おい、ガキこの囚人服に着替えろ」
軍服の女が上下ともに真っ白な服を渡してきた。
「ちょっと待ってくれ! ここはどこなんだ! それに囚人服って――」
言いかけた直後ズガンッと大きな音が鳴り響いた。
軍服の女の手には拳銃が握られていた。
すぐ後ろの壁に小さな穴があることから弾丸は俺のすぐ横を抜けていったらしい。
「こいつは玩具じゃない。1分やる。それまでに着替えなければ貴様は蜂の巣だ」
俺は慌てて囚人服に着替えた。
着替えが終わると、
「52秒だ。危なかったな、後8秒遅れたらお前はこの世にいなかったよ」
軍服の女が口元をにやりと歪めながら言った。
軍服の女は俺に近づき正面に立つと、
「右手を出せ」
と言った。
逆らえば何をされるかわからない……
俺は言われるがままに右手を差し出した。
軍服の女は俺の右手首にU時の形をした二つの白い器械を上下から挟み込むように腕に取り付けた。
器械はカチッという音を立て俺の腕に密着するように縮み腕輪みたいになった。
腕輪の小さい画面には700とだけ数字が表示されている。
「何なんだこれ?」
「貴様は今日からエンターテイナーだ」
軍服の女は不気味な笑みを浮かべた後、乱暴に俺の腕を引っ張り部屋を出た。