第19話 いつか空いた穴
部屋に戻る前にあちこちを探検していると、バンッという大きな音とともに怒鳴り声が耳に響いた。
「お前のせいでこんなんなっちまった。覚悟はできてんだろうな?」
物陰に隠れて様子を伺うと、体格の良い女囚人3人が誰かを壁に追い詰めていた。
3人とも見た目が派手でガラが悪い。
ここからじゃ、良く見えない。
「ごめんなさい。私はそんなつもりなくて、でもルールだから……」
ここからじゃ姿が見えないが消え入りそうな声の正体は間違いなくエルのものだった。
相手は女とはいえ俺と同じくらい体格をしている。それに3人組だ。
俺が割って入ったところで勝ち目はないかもしれない。
それにできれば無用なトラブルは避けたい。
どうする? このまま見過ごすか?
もう一度エルと関わりを持つと今度こそ本当に拷問され殺されてしまうかもしれない。
助けることでエルが俺により好意を抱いてしまったら今度こそどうなるかわからない。
逆にこのまま見過ごせば、俺は何のトラブルに巻き込まれることない。
それにエルにまた襲われるリスクも軽減されるはずだ。
助けるなんて普通に考えてデメリットしか――
「痛い痛い、やめてお願い髪を引っ張らないで。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんんさい、殴らないでお願い」
エルの悲痛な叫びが聞こえた。
「やめろ! 何やってんだお前ら! エルから離れろ!」
気づけば体が勝手に動いていた。
答えは決まってる。
エルを放っておけるわけがない。
いくら俺にひどい事をしたとはいえエルに悪意はない。
それに初めて会った時、エルがくれた優しさは紛れもなく本物だ!
ここに来たばかりでくじけそうな俺にエルは勇気と希望を与えてくれた。
そんな心優しいエルを見捨てることなんてできない。
「はぁ? お前誰だよ」
エルの髪を引っ張ていた女がこっちに振り向いた。左目には眼帯をしている。
「エルから離れろ! じゃなきゃ……」
言いかけた直後こめかみを思いっきりぶん殴られた。
こいつなんて力してるんだ。本当に女かよ!?
バランスを崩して倒れた俺に3人はさらに追い打ちをかけてくる。
蹲った姿勢の俺の横っ腹に容赦なく蹴りの嵐が襲い掛かる。
「やめて! 灰斗くんをいじめないで! お願いやるなら私にして!」
「馬鹿な言うな……、エルお前は早く逃げろ」
身を守るのに精いっぱいな俺は力を振り絞って叫んだ。
「でも……」
エルの不安と怯えが入り混じったような声が聞こえた。
「安心しろ、こいつを再起不能にした後、お前もたっぷり可愛がってやる!」
何てざまだ。
かっこ悪すぎるぜ俺。
だが、俺にだって意地はある。何が何でもエルだけは……
エルだけは助けなきゃ……
すると、突然風を切るような音が聞こえた。
風を切るような音の後に何か大きなものが壁に激しく叩きつけられるような音が聞こえた。
同時に俺を容赦なく襲っていた蹴りの嵐が止まった。
不思議に思い視線を上げると目の前にはジャックの後ろ姿があった。
大きな音が聞こえた方向に視線を移すと俺を攻撃していた眼帯の女が壁の近くで横たわっていた。気を失っているのかピクリとも動かない。
ジャックが助けてくれたのか?
「お前ら何してやがる」
ジャックは低くドスの効いた声で言った。
寒いわけでもないのに、周りの空気が急激に冷えたような気がした。
なんだこれ、体中がぞくぞくして震えが止まらない。
もしかして殺気ってやつなのか?
俺に敵意が向けられているわけでもないのに何故か恐怖を感じられずにはいられなかった。
「オレの兄弟に手出したんだ、お前ら無事ですむと思うなよ」
ジャックがそう言った瞬間、囚人二人が突然倒れた。
泡を吹いて気絶している。
マジかよ……、触れずに二人も倒したってのか!?
「ったく、腰抜けどもが!」
ジャックが倒れている囚人二人を見て吐き捨てるように言った。
「大丈夫か、ブラザー?」
ジャックが俺に左手を差し出した。
俺は差し出された左手をつかみ立ち上がった。
「うん、ありがとうジャック。助かったよ」
お礼を言うと、ジャックは俺の背中をバンッと叩き、
「何みずくせーこと言ってんだ。オレとお前の仲だろう。それに困ったら助けるって約束しただろ! ブラザーの傷はオレの傷だ!」
と親指を立て笑顔で言った。
背中が少し痛い、でもすごく温かかった。
なんてかっこいい人なんだろう。
「じゃあな、ブラザーまた会おう」
そう言ってジャックは立ち去った。
「灰斗くん大丈夫!?」
エルが俺の方に駆け寄ってきた。
「俺は大丈夫だ。エルの方こそ大丈夫か?」
「私は大丈夫……」
エルは俺から視線をそらし俯いている。
「それは良かった」
「灰斗くん、何で私を助けたの?」
エルが顔を上げた。
今にでも泣き出しそうな悲しげな表情をしている。
「エルはいつも俺を助けてくれただろ。そのお返しをしたまでだよ。って言っても俺ただ一方的にボコられてただけだけど……、本当かっこ悪いとこみせちゃったな」
「ううん、そんなことない。灰斗くんすごくかっこよかったよ」
「そうか?」
「灰斗くん」
「何だ?」
「灰斗くんはエルのこと……」
「エルのこと?」
「すごくひどい子だと思ってる?」
エルが不安に押しつぶされそうな表情で俺を見上げてくる。
「そんなことない。エルは良い奴だ」
「でも私、灰斗くんが傷つくことしちゃった。頭の中ではわかってたんだけど、体がね言うことを効かなかったの」
エルの瞳には今にも零れ落ちそうな大粒の涙がたまっている。
「さすがにあの時は俺もびっくりしたよ。でもエルを嫌いになること何てできない。エルは俺にとって大切な友達だから」
「灰斗くんはエルのことを友達だと思ってくれるの?」
「当たり前だ。でも今度はああいうのなしだからな。エル知ってるか?」
「えっ?」
「本当の愛っていうのはいつまでたっても消えないんだ。だから好きな人をああやって傷つけたりする必要はない。そうすればいつまでも一緒にいられるだろ」
「うっ……ぇ……うぇ……」
エルの両目からボロボロと涙が零れ落ちた。
エルはあふれる涙を両手でぬぐうが涙は止まらずさらにあふれてくる。
エルは俺に抱きつき幼い子供のようにいつまでも泣き続けた。
「じゃあ、エル気をつけろよ。今度は変な人に絡まれないよう注意しろよ」
「うん」
エルは何故かずっと胸のあたりに手を当てていた。
頬は緩みどこか優しげな表情をしていた。
俺は気になりつい聞いてみた。
「どうしたエル?」
「穴がちゃんとふさがったみたい」
エルがうれしそうに言った。
「何それ? 何かの病気じゃないよね?」
「ううん、何でもない。ねぇ灰斗くん」
「どうしたエル?」
「私やっぱり灰斗くんのこと大好き」
エルと別れの挨拶をすました後、俺は部屋に戻ることにした。