第17話 エルの愛
ホールに向かうとそれなりの人だかりだったが、ダンジョンの日に比べると少ない気がした。
やっぱり、俺みたいにダンジョンだけで必死に生きようとしている人もいるのかな?
周囲を軽く見渡すと、遠く離れた位置に立っていたエルと目があった。
エルは俺と目が合うと、一瞬「あっ」というような顔した後、悲しげな表情で俯きどこかに行ってしまった。
エル……
昨日の出来事は現実だったのだろうか?
未だに信じることが出来ない。
あんなに優しかったエルが何で俺を傷つけるような真似を?
俺のこと好きとか言っていたが、行動はまるで逆だった。
「はあー」
「景気の悪そうな顔をしているじゃないか。不知火灰斗」
突然無機質な声で話しかけられた。
顔をあげると、黒い傘に黒のレインコートを着た白髪の少女レインメーカーがいた。
片手にはバータイプの栄養機能食品がにぎられている。
こいつこればっかだな。ちゃんと飯食ってんのか?
「レインメーカーか。俺になんか用か?」
「用はない」
即答だな。
「そうか。お前はここで何してんの?」
「今ちょうどゲームが終わったところだよ」
「ああ、何かお前ボードが強いんだってな」
「間違いない」
「偉い自信だな」
「私がここにいる連中に負ける要素など一つもないのだよ」
ここまで自信たっぷり言われると何か清々しい。
「なぁレインメーカーお前エルとは友達なんだろう?」
エルはレインメーカーに対してしたげな感じだった。
レインメーカーならもしかしてエルの凶行にについて何か知ってるんじゃないかと思った。
「友達ではない実験体だ」
「エルのことでちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
「不知火灰斗が拷問されそうになったことについてかね?」
「そうそのことについてなんだけど……、おい待て、なぜそのことを知っている?」
「私の部屋は白咲エルの隣だ。不知火灰斗の悲鳴と白咲エルの性癖を考えればおおよその検討はつく」
なるほど。
「レインメーカーは俺の悲鳴を聞いてどう思った?」
「その時、私は新しい薬剤の研究をしていたんだが、不知火灰斗の声が耳障りで集中力を著しく害された。不愉快極まりないと感じたよ」
「あのさ、俺を助けようとか思わなかったわけ?」
「不知火灰斗を助けたところで私に何の利益があるというのだ?」
「助けたお礼に俺がレインメーカーの毒友になるかもよ?」
レインメーカーは一瞬何かを考えたのか少し黙った。
表情が全く動かないので、こいつだけは本当に何を考えているのか分からない。
いつかくすぐって笑わせてみたい。
「面白い提案だが労力に見合わない報酬だ。それに、そんなことしなくても実験体にはなってもらう」
「ならねぇよ! 何言ってんだお前!」
「白咲エルが不知火灰斗に対して何故あんな凶行に至ったか知りたいのだろう? 私なら不知火灰斗が納得のいく理由を説明することができる」
「教えてくれ、頼む」
すると、レインメーカーはポケットから何かを取り出し俺の目の前に差し出した。
ピンク色のビー玉サイズのアメだった。
「これを食べろってのか?」
「心配する必要はない。イチゴ味だ」
「味の心配してるわけじゃねぇよ! お前これ絶対毒入ってんだろ!」
「薬物が体に及ぼす影響を不知火灰斗がどう捉えるかによる」
「これ食べたらどうなる?」
「新しく開発したばかりなので詳しい効能は分からない。だか生命活動が停止するほど強力なものではないのは確かだ」
「そんなこと言われても、はいそうですかっていくかよ」
「この薬剤は系統からして半減期が極端に短く血中に入りしだいすぐに代謝され排出される。効果が発現して20分もすればおそらく症状は収まるだろう。それに、必ずしも苦痛症状が出現するとは限らない。もしかしたら、大した症状もなく終わるかもしれない。仮に症状が出てしまったとしてもたったの20分だ。たった20分という短い時間を我慢するだけで不知火灰斗にとって有益な情報を得られるのだ。考える余地はないのではないか?」
あれ? 何か言われてみればそんな気がしてきたぞ。
まず、命の安全は約束されている。
それに運がよければ何もないかもしれない。
運悪く症状が出たとしてもほんの短い間だけだ。
うん、よし食べよう!
「しかたない。それなら……」
俺はレインメーカーから受け取ったアメを口の中に放り込んだ。
口の中にほのかな甘みと、酸味が広がる。
それなりにおいしいのがちょっと腹ただしい。
「それじゃあ、話してもらうぞ」
レインメーカーは淡々と語りだした。
「白咲エルは幼少のころ両親から虐待を受けていた。両親のことを愛している白咲エルはどんなに辛い仕打ちを受けても両親を嫌うことなく、自分にかまってくれるよう努力した。しかし両親は白咲エルに全く振り向くことはなかった」
知らなかった。エルにそんな辛い過去があったなんて。
「ある日、白咲エルの両親は事故でなくなり、白咲エルは親戚の家に引き取られた。話しを聞く限り、この時、両親を亡くした白咲エルの精神状態は非常に不安定だったと考えられる。それから、しばらくして親しい友人が出来た。しかし、白咲エルはその友人を拷問した挙句、殺害してしまった。それを白咲エルは愛情だと言った。不知火灰斗お前はこの白咲エルの言っていた愛情の意味について知りたいのだろう?」
「ああ」
「白咲エルの言ってる愛の正体は親から愛されたかったという唯一つの願望なのだよ」
「どういう意味だ?」
「白咲エルは両親に愛されたいという強い欲求を持っていたが、両親は決して白咲エルに愛情を注ぐことはなかった。現実を受け入れることが出来なかった白咲エルはそれでもいつか愛してくれると信じたが、結局両親は最後まで白咲エルを愛することなくいなくなってしまった。それが白咲エルの性格を大きく歪める原因となったのだよ。白咲エルは叶うことのできなかった欲求を満たすために、まず両親の真似事をしたのだよ。両親が何故、どんな気持ちで自分にこんなことをしたのかを知るために。白咲エルの無意識の中に存在する心を守る防御機制が働いたのだ。両親の真似事こそが白咲エルのストレスを和らげる唯一の方法なのだよ」
「あの拷問がストレス解消だってのか?」
「そのとおりだ。白咲エルはやっぱり両親は私を愛してくれていたと言っていたが、あれは白咲エルが生み出した幻にすぎない。両親の虐待を受け入れたくない白咲エルがこれ以上自分を傷つくのを防ぐために虐待を愛情だと思い込もうとしたのだよ。白咲エルにとっての愛は両親から受けた虐待なのだよ。だから白咲エルは好意を抱いた対象に攻撃的な行動をとるのだよ。本人は善意のつもりのようだがね」
何となくレインメーカーの言ってることがわかった気がした
。
「悪気はなかったんだな。ただ本当に俺のことをよく思ってくれたただけなのか……」
少し安心した気がする。
それは、心のどこかでもしかしたら本当のエルは狂気じみた性格をしているんじゃないかという認識があったからなのかもしれない。
必死に頑張っても叶わなかった願いがエルをここまで歪めてしまったのか。
そう思うと胸が張り裂けそうになる。
「すごいなレインメーカーは、俺なんかよりよっぽどエルの気持ちを理解してるじゃないか。共感性がないとか言ってたけど、そんなこと全然ないじゃないか」
「不知火灰斗は何もわかっていない。共感性がないからこそ全てがわかるのだよ」
「何だそれ? 言ってる意味が全然わかんないぞ」
「共感性などという無駄なものがなければ感情に支配されることはない。感情などという不完全で曖昧なものは正確な思考、分析をする上で何よりの妨げになる。感情という名の曇りがないからこそ、個人の内側に潜んだかカラクリが手に取るようににわかってしまうのだよ。私は人の気持ちがわかるのではない。特定の反応に対する行動パターンを熟知しているだけだ」
「なるほど、お前がすごいやつだってことだけわかったよ」
生きている世界が違いすぎる。
「すごいのは不知火灰斗だ。これだけ要点をまとめて簡潔に話したのにも関わらず、理解することができないとは。頭のつくりに根本的な欠陥があるのかもしれない」
「あのさ俺ただでさえ毒盛られてるんだから、これ以上毒を吐かないでくれる? お前と一緒にいると身がもたないよ」
「そうか? 私は全然平気だが」
「そうですか。後ついでにちょっと聞きたいんだけど、鮫の刺青している奴って知ってるか?」
「私は基本的に人には興味ないのだよ」
「そうか」
レインメーカーなら何か知ってるんじゃないかと思ったが、人に興味がないと来たか。盲点だった。
ふと時計を見ると12時を過ぎていた。
思ったり話し込んでしまった。
「それじゃあ、いろいろとありがとうな」
「待て、不知火灰斗」
「何だ?」
「今度あった時、不知火灰斗の身に起きた薬物の影響を詳細に教えてくれ。そして可能であれば記録にまとめてくれ」
「……考えとく」
前者はともかく後者はお断りだ。
自分の身にふりかかった苦痛を詳細に記録にまとめるとか、はたから見ればとっても変態だ。
レインメーカーに別れの挨拶をすませた後、俺は食堂に向かった。