第3話:現実の予感
「ログアウト、できないね…」
5分程待っても何も起きず、2人は1階に戻っていた。
先程と同じ場所に座った夏葉は、メニュー表示を出そうとしているのだろう。何度も左手を降っている。
一方、清雅はカウンターの中でごそごそと何かをいじっていた。時折チャプチャプと水音のようなものも聞こえてくる。
「どうしたらいいの………ねぇ、清雅は何か…って、聞いてる?」
夏葉の声に清雅がようやく振り向いた。
「夏葉、ログアウトは当分できなそうだ。」
清雅の言葉に夏葉は困惑している。
「どういうこと?」
疑問符を浮かべる夏葉の元へ、清雅は小さなタライを持ってきた。普段、清雅が店でお茶を淹れる為の水を溜めているものだ。中にはレモンティーを入れた後の、余りの水がまだいくらか残っている。
清雅はそのタライをテーブルの上に置いた。
「なに………?」
「さわってみて」
清雅に言われるがまま、夏葉はそっとタライの水に指先を入れる。
「なにも起きないよ…?」
水に触れれば何かが起きるのか、と夏葉は思っていたのだろう。清雅は首を振る。
「夏葉、今さわってるのはなに?」
「えっ?ただの…水…だよね…?」
「ただの水は間違ってないけどさ、トラ&アドの水ってそんなだった?」
「えっ…!」
その言葉に、夏葉はあらためて水に触れる。今度は手ですくってみた。
指の隙間から水がサラサラとこぼれ落ち、タライの中で小さく飛沫をあげる。
「なにこれ…いつもの粘っこさがない…まるで本物みたい…」
「みたい、というか本物だろうな、これは。」
清雅の言葉の意味が、夏葉にはわからなかった。
「どういうこと?だってここはゲームの中で…」
「そうだと思うか?」
「清雅は違うと思ってるの…?」
「うん…」
「そんなこと起こるはずがないじゃん…」
「でも、現にこの水は本物だろ?今の技術力じゃトラ&アドどころか、俺らが使ってる家庭用VRマシンが処理できるレベルじゃない。」
「じゃあ、清雅はここが現実だと思うの…?」
「そう、だろうな…」
あまりに非現実的な清雅の言葉と、それを証明するかのように現実的な空間に囲まれ、夏葉は何も言えなかった。
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ…
不意に、聞き慣れた呼び出し音が鳴り響く。
「あっ!しずくからだ!」
夏葉が急いで端末を操作し画面を出す。そこに映し出されたしずくは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
『どうなってるの!?夏葉!なんで?なんでログアウトできないの…?』
「し、しずく!とりあえず落ち着いて!」
今にも画面から飛び出そうと言わんばかりに、身を乗り出しているしずくをなだめるのに、夏葉はそれから10分ばかりの時間を要した。
「しずくさん落ち着いた?」
夏葉がしずくを落ち着かせようとしていた間、タライを片付けに行っていた清雅が戻ってきて声をかける。
『あ、はい…』
画面の向こうのしずくは、元気はないが一応落ち着いてはいるようだ。
「とりあえずしずくさん、今どこにいるん?」
『えと、あ、王都ウェーゲラントの南通り沿いにある宿屋、名前はえっと…馬車乗りの休み処、だったかな…?』
「城壁内か…わかった。明日の朝、開門したら俺と夏葉で迎えに行くよ。」
『ほんと?ありがとう…』
「大丈夫大丈夫。俺も王都行きたかったし。」
「清雅、王都になんか用事でもあるの?」
「まぁ、資金調達と情報収集ってとこかな?あ、そうだ。しずくさん、今泊まってる宿屋って広めの駐車場ある?」
『あっ、うん。車置き場はけっこう広いよ。今は荷馬車が2台と、トラックみたいなのが1台停めてあったかな?』
「よかった~、トラックで行けそうだ。」
『え?清雅君っていつものバイクじゃないの?』
「しずく~、清雅はね、バイクだけじゃなくてトラックと車も持ってるんだよ?まぁ、どっちもヘンテコでオンボロだけどね~」
「仕方ないだろ。プレイヤーメイド車両はまだ1940年代レベルなんだから。」
『プレイヤーメイドってすっごい値段しない…?』
「まぁ、この世界の平均レベルに比べたらそれなりに。でもその分性能はプレイヤーメイドの方が20年くらい進んでるからね。それに、プレイヤーメイドっていっても日本サーバーのやつだし。北米や欧州サーバーから輸入とかに比べたら全然安いよ。」
『あれって安いに入るんだ…』
スクーターを40台は軽く買えそうな金額を、安いと言いきる清雅に、しずくは少し困惑した表情を浮かべた。
トラベル&アドベンチャーには転移魔法がほとんど存在しない。そのため移動には時間がかかる。ゲーム開始時は徒歩か大街道の乗り合い馬車しかなく、隣村に行くだけで5日、なんてことは普通だった。おかげで、クエストを期限内にこなすも、移動で間に合わなくなるという事故も多く、特に1ヶ月以上かけた採集クエの、最終段階で悪天候に遭遇し、採集したものが期限切れで腐ったという事件は、初期の悲劇の一つとして今も語り継がれている。
このような状況だった為、当時、現実世界で在宅ワークが普及し始めていたとはいえ、トラ&アドはその時間配分から『究極の移動ゲー』と呼ばれ、ハードルの高さに、プレイヤー数は伸び悩んでいた。
運営もさすがにまずいと感じていたのだろうが、世界中のプレイヤーからの陳情もあり、ゲーム開始1年後にとうとう新しい移動手段として、魔動エンジン搭載のスクーター、なるものが実装された。
この魔動エンジンとは、魔力結晶と魔聖水が反応してできる液体を、油代わりにして動くものだ。燃料タンクの中に魔力結晶を沈めておけば、勝手に燃料は精製される。結晶と聖水はどちらも消耗品だが、結晶は毎日乗って約1年もち、聖水は中堅レベルのプレイヤーになれば、そのへんの飲料水から自作可能と、財布に優しい。街道の乗り合い馬車はともかく、商用馬車をチャーターしての移動と比べたら、費用が半額以下にまで抑えられる。
こうして移動手段の幅が増え、プレイヤー数も徐々に増加し、2周年では、ついに2輪・4輪車のプレイヤー開発システムが解禁された。それからは、各国の熱狂的な職人プレイヤーによる開発競争が日夜行われ、ゲーム開始6年目となる現在は、4輪車が遂に第二次大戦期レベルまで到達している。このプレイヤーメイドの車は、運営販売のスクーターに比べたらとてつもない値段がするが、2年前の大陸マップ実装で、広大な大陸を移動するのに、スクーターだと積載量などの不便が多いこともあり、その需要はうなぎ登りだそうだ。おかげで職人プレイヤー界は、自動車バブルに湧いているとか。
この他に大陸では新しい移動手段として、魔力転移装置も設置された。しかし、国内の大都市間での移動しかできない、利用料が高い、荷重制限がきつくスクーター1台運ぼうとすると他の荷物すら持てない、といった数々のデメリットの為、使う機会は多くない。精々都市間での貴重品輸送クエに使うくらいだ。おかげで清雅のように大陸にホームを置くプレイヤーは、田舎のように、1人1台は車を持っている。
『えっと、それじゃあ、朝になったら宿で待ってればいいのかな?』
「うん。清雅、それでいいよね?」
「あぁ、王都内の地図なら持ってるからな。外がどうなってるかわからないし、1人で出ないほうがいいよ。」
『わかった…絶対来てよね…?』
「うん。必ず行くから安心して、しずく。」
『うん。待ってる。それじゃあ夏葉、清雅君、今度こそおやすみなさい。』
「あぁ、おやすみ。」
「しずく、また明日。」
ホロ画面が消え、夏葉と清雅はお互いの顔を見た。
「そういえば清雅、他の二人から連絡は?」
「あっ、やっべ、忘れてた。」
夏葉に指摘され、清雅は急いで自分の端末を探す。
「あっ、寝るときに部屋に置いたままだ。ちょっと取ってくるわ。」
急いで自室に行き、サイドテーブルの上に、置きっぱなしになっていた端末を取って戻る。
夏葉は暖炉前のソファーに移動していたので、清雅もその隣に座った。
「うわっ、着信履歴やっばい…」
「あたしの方にもカズ君から何回か来てたみたい。ずっとしずくと通話してたから気づかなかったけど。」
そんなことを言っていると、清雅の端末が鳴り始めた。
「ルーム呼び出し?カズとリングさんか。」
今度は清雅がホロ画面を出す。2分割された画面には、清雅より幼く見えるがそこそこイケメンの少年と、20代半ばくらいの少し強面な男性がそれぞれ映し出されている。
『やっと繋がりましたね、石ノ輪騎士。』
『よかったよ、清ちゃんに何かあったんかと思ったぜ。』
「すみません…気づかなくて…」
『こんな事態なのに師匠余裕ですね…
ところで夏葉先輩ってそちらにいます?何回かけても話し中で。』
「あっ!カズ君久しぶり~」
『夏葉先輩!いたんですね。無事で良かったです。』
『おうおう、彼女が噂の清ちゃんの彼女かい?』
「かっ、彼女って、リングさん何言ってんすか!?」
『ははは、冗談だよ。冗談。そんな照れんなって』
「照れてないです!」
真っ赤になって反論する清雅を、リングさんと呼ばれた男性がおもしろそうに眺めていた。
『夏葉先輩、なにフリーズしてるんですか…』
カズと呼ばれる少年杉森 和久の声で、男性の言葉に真っ赤になって固まっていた夏葉が我にかえる。
「ふぇっ!?だ、大丈夫だよ?全然大丈夫!」
『まったく大丈夫そうに見えないですよ…』
『おうおう、夏葉ちゃん、だっけ?清ちゃんの元上司になるんかな?石ノ輪 剛士です。まぁ気軽にリングって呼んで下さい。』
「はいっ!?あっ、えっと、こちらこそ清雅がいつもお世話になってます。桜木夏葉です。」
『ははははは、こりゃ彼女じゃなくて清ちゃんの嫁さんだったか?』
「だから違いますって!夏葉も変な言い方すんなよ!?」
「ふぇ?あたし何か変なこと言った!?」
『夏葉先輩って師匠のことが絡むと途端にポンコツになりますよね…』
和久がため息をつく一方で、ひとしきり笑った剛士が真面目な顔になる。
『そんなことよりだ。清ちゃん、この状況をどう思う?』
「そんなことって…
まぁログアウト出来ない、ってことはシステムトラブルなんじゃないかと普通は思いますが、でもそれにしてはおかしいですよね?」
『やっぱり清ちゃんも気づいてたか。俺は今ローザニウスの迷宮区にいるんだが、岩の質感が起きる前と後では明らかに違っててな。なんせ掘れるんだぜ、リアルに。』
『僕も同感です。今はローザラントの宿にいるんですけど、師匠、今までゲーム内でトイレに行きたくなったこと、ってありますか?』
「そんなの一度もないな…それで行ったのか…?」
『はい。詳しくは言いませんけど、現実となにも変わらなかった。とだけは言えます。たぶん師匠もすぐにわかりますよ。』
『とまぁ、お二人さんが何かしてる間に、こっちではこんなことがあったわけでな。』
「別に変なことはしてませんけどね?
やっぱりゲームの中ではないみたいですね…」
『あぁ、トイレシステムなんて試験実装の噂すら聞いたことないし、第一、俺のマシンじゃこのレベルのグラフィック処理なんか不可能だ。ってか一般向けでこのレベルに対応出来るヤツはまだ売ってねぇ。』
「一般向け以外だと可能性ってあるんですか?」
『医療用の大型マシンか、国の研究用のなら多少は可能性があるがな。だがその可能性も低いとは思うぞ。まぁ詳しいことは直接会って話そうや。』
「そうですね。とりあえず合流したほうが良さそうです。」
『僕達もそう考えてたところですよ。師匠、今いるのってウェーゲラントのホームですか?』
「そうだよ。まぁ明日は朝イチで城壁内に行かなきゃいけないんだけどな。」
『わかりました。石ノ輪騎士と合流次第向かいますね。ローザラントは転移装置ないですし、あと4日か5日はかかると思います。石ノ輪騎士もそれでよろしいですか?』
『いいけどさぁ~カズっち、石ノ輪騎士って呼ぶのはやめてよ~
清ちゃんみたいに リングさん でいいよぉ~』
『そんな、第一騎士団の方をそう呼ぶのは…』
『気にしないから~ 任務でもないし~』
『えっと、じゃあ石ノ輪さんで…』
『んー仕方ない。今はそれでいいか…
じゃあ清ちゃん、朝までに迷宮区出て、カズっち拾ってそっち行くわ。』
「あっ、はい。ってかリングさん寝なくて大丈夫なんですか?」
『カズっちと合流したら運転任せるから、大丈夫大丈夫。』
『石ノ輪さんが、ジープと牽引荷台持って来てるそうなので、交代交代で運転して向かいますよ。』
「そっか。了解、気をつけてな。」
『はい。夏葉先輩も、何が起きるかわからないので、常に師匠から離れないようにしてください。』
「えっ、あ、うん。わかったよカズ君。」
『清ちゃんも嫁さんから目ぇ離すなよ?』
「だから違いますって!」
再び真っ赤になる清雅を笑っていた剛士と和久が、すぐに真面目な顔になる。
『なぁ清ちゃん、冗談抜きで気をつけてな?』
「えっ?なんですか?急に。」
『師匠、考えてみてください。もしここがゲーム内でなかった場合を。』
「ここが現実でなかった場合…?そうか!ゲーム内での出来事が全て現実になる…」
『あぁ。さすがに、王都の近くでアクティブモンスターなんかは出てこないだろうけど、問題はNPC、というか人間の方、だな。』
「賊とかひったくりの類いってことですね?」
『それだけじゃない。王国の人間にも気をつけたほうがいいぞ。最近キナ臭くなってたからな。先週、ついに騎士団の連中が衛兵に捕まりかけたらしい。』
「何が起きてるんですか…?」
『俺も断片的な情報しかなくてな。カズっちのほうが詳しいかもしれんから合流してから伝える。とりあえず清ちゃんも夏葉ちゃんも早く寝たほうがいい。寝不足で索敵落ちた、とかこんな状況じゃ笑えないからな。』
「了解しました。リングさん、カズをよろしくお願いしますね。」
『おうよ。それじゃあだいたい4日後に。』
『師匠、くれぐれも、王都で夏葉先輩置いてきぼりにしたりしないでくださいね?珍しい物があっても、です。』
「う"…わかってるよ…」
『夏葉先輩も師匠から目、離さないでくださいね。では失礼します。おやすみなさい。』
「オッケー。それじゃあカズ君も気をつけてね?おやすみ。」
画面消え、室内に静寂が戻る。
「さ、夏葉、俺達も早く寝よう。」
「うん…あ、あのさ…おっ、御手洗いってどこ…?」
普段使わないトイレは、清雅も場所を覚えていなくて探すのに手間どった。次第に夏葉が、鬼気迫る顔で手当たり次第に探し始めたのはここだけの話。
なんとか書けた…
ようやく3話目。
文章書くって難しい…
次は5月4日に投稿の予定です。