第1章 第10話 そして時は動き始める。
カグラ。
未だ謎多き少女。
金髪ロング、透き通るような白い肌に紅い瞳。
その外見とは裏腹に、彼女は非常に毒舌で、口に出す言葉に外見の華やかさは微塵も感じさせない。
暇さえあれば無限に湧き出るお菓子を頬張り、窓の外をただ眺めている。
あーあと、雷が苦手。
そんな彼女に、新情報だ。
それはいうまでもなく、能力について。
彼女の能力は、空間操作。
一度訪れた場所なら勿論、大まかな位置なら知らない場所へもゲートを作れる。
ただし、今のところは国内のみ。昔試しにみんなで海外へ行ってみようと試みたのだが、辿り着いた先は太平洋のど真ん中。みんなびしょ濡れで帰ってきたらしい。
そんな彼女の能力を、つい数分前まで知ることも許されなかった。
確かにその能力は他のどれより異質ではあるが、別に勿体ぶる必要もないだろうに。
しかもこの情報は、彼女から直接ではなく、ハヅキから知り得たことなのだ。
カグラから信頼を得るにはまだまだ長い道のりになりそうだと嘆息しつつ、部屋へ戻る道すがら。ソラはある一点に視線を移していた。彼女、ユイはあの時限界ギリギリ、否、限界を超えてまで能力を使い、その結果、能力を使用した代償として手が凍結してしまっていた。
現在その手は、腕まで覆える白い手袋によって隠されているため、目撃した当人以外からは悟られることもなくその場をやり過ごしているようだが、あの時目の当たりにした衝撃は、彼の目に強く焼き付いついていた。
「にしてもタケシのやつ、またぶっ飛んだ暴走してたよなー」
「うん。ちょっと死にかけたし、迷惑」
先を歩くソウマとハヅキから、他愛もない会話が聞こえる。タケシというのは、先ほど暴走していたマグマ野郎の名前だろう。
会話をする二人の少し後ろをユイ、そしてソラが歩く。
ソラはその二人に気付かれぬよう、そっとユイの肩を掴んだ。
「どうしたのソラっ……」
振り返り側に言いかけて、その口が動きを止める。ソラは自分の口の前で人差し指を突き立て、静かに、と合図を送っていた。
真剣な眼差しで見つめられ、彼女の頬が少し染まる。彼も彼で、予想外の反応に少し戸惑い、本来口にすべき言葉がすぐに出てこなかった。
「さ、さっきはその、助かった。ありがとう」
「い、いいよお礼なんて」
二人に気付かれぬよう小声で感謝を述べると、照れ笑いをしつつ、彼女も小声で答えた。が、次第にその表情は曇ってゆく。
ソラは彼女の右腕を掴み、そっと持ち上げる。そして、ひとつの問いを口にした。
「それよりこの腕、大丈夫なのか?ちゃんと元通りに治るのか?」
「……」
瞬間、彼女の肩が微かに動いたのが見えた。今の彼女にとって最も触れて欲しくない、踏み入れて欲しくない話題に、触れてしまった。そう感じた。
しかし、それでも尚、彼女はいつもの笑顔を見せ、答える。
「全然大丈夫だよー。もー、ソラっちは心配性だなー!」
「誤魔化すなよ。あの時、お前の凍ってないはずの腕の部分でさえ、掴んだだけで凍傷になったんだぞ」
彼は当時掴んでいた方の手を彼女に見せた。
しかしそれを見た彼女は、意外な反応を示す。
「も、もうソラっち大袈裟すぎだよー」
「おい、待てって……」
掴んでいた右腕を振り払うと、彼女はその場から消えるように去って行く。
大袈裟?そんなはずはない。彼は確かめるようにユイに見せた左手を見る。その手は赤々と腫れ、握り拳を作れない程膨れ上がってーーいなかった。
痛く……ない。おかしい。右手と比べても傷後ひとつ残っていない。さっきまでと何も変わらない普通の手のひら。確かに掴んだ時は尋常じゃない痛みがあった。痛みの度合いで例えるなら、高音に熱した鉄棒を掴み、振り回すほどに。通常、そんなことをしたらただじゃ済まないことは誰だってわかる。
しかしその手は、完全に治癒していた。
「おーいソラー!何突っ立ってんだー?」
独り自分の手を見つめながら立ち尽くすソラに気が付いたのか、遠くからソウマの声が聞こえた。ソラは「あぁ」と曖昧な返事をすると、駆け足で彼らのもとへ急ぐ。
疑問を抱きながらもソラ達は家路、ではなく教室へ辿り着く。当然、入るのは俺が居た部屋。ガラガラと金属音を立てドアを開けると、そこには、またもや異様な光景が広がっていた。
「これ……テレビで観たことあるやつだぞ」
「うん。本日も通常運転だ」
「いつも通りね」
「寧ろいつもより少なめじゃない?」
「この状況が!?」
彼は驚愕の色を隠せず、入口の前で硬直している中を、ソウマ、ハヅキ、ユイの三名はその状況に気に留めることなく部屋の定位置へ向かう。
具体的にこの状況を解説すると、まず窓際の定位置にカグラが一人机に突っ伏して寝ている。机にはピンクの、両端にヒラヒラが付いた可愛らしい枕があり、その枕に抱きつく形で安らかに眠っていた。
散々毒舌を吐き散らす彼女も、黙ってさえいれば麗しい少女なのだ。当然、寝顔だけなら相当可愛い。問題はそこではない。その周辺だ。
おそらく彼女が食べたであろうお菓子の包み紙が彼女の周りを覆っていた。絶妙なバランスで積み重なるそのゴミ達は、彼女の丁度胸の辺りまで積み上がり、身体の七割は埋もれて完全に見えない。正にゴミ屋敷。
ソラが目覚めた時から、常に何かを口にしていたのは印象深かったが、ここまでくると身体の方を心配してしまう。
途中、ふと思い出したかのようにソウマは振り返った。
「あぁ。そういえば、ソラはまだ知らなかったよな。カグラの代償」
依然として硬直中のソラは無言のまま、首を縦に振る。
「カグラの能力、アレはめちゃくちゃエネルギーを消費するんだ。まぁ俺らとは次元が違うからな。だから、常にエネルギー源を貯蓄しておかないとすぐ倒れる。アイツみたいなヤバい能力はまだカグラ以外見たことないけど、凄いからいいってもんじゃないよな」
「それにしたって、この量はさすがに健康に悪いんじゃないか……?」
どこか遠くへ視線を移しながら語るソウマは、ソラの返しに「だがめちゃくちゃ健康らしいぜ!」と笑顔で答える。ソウマが机に腰を下ろし、ソラもとりあえず定位置に座ると、こちらの気配に気が付いたのか、カグラがムクリと顔を上げる。突っ伏して寝ていた所為か、前髪に若干寝癖がついていた。寝起きで目つきが一層悪い顔つきで、ユイの方へ手を伸ばし、招くように指を動かす。
ユイは不思議そうに首を傾げつつ、カグラの元へと向かう。ユイがカグラの所へ辿り着くと、耳元で何かを囁いていた。こちら側からはどんな会話をしているのかは聞こえず、ソラはただユイの後ろ姿を窺う他なかった。
彼女から何かを告げられたユイは「わかった」とだけ答え、カグラのもとを離れて行く。そのまま教室のドアの前まで歩くと、「ちょっと用事頼まれちゃった」と、いつもの笑みを浮かべ、そのまま部屋を後にした。あの時、カグラへ告げたユイの声音は明らかに暗く、重い印象だったが、その真意もまた暗い闇の中だった。
ユイが部屋を出て間もなく、ツカツカと音を立てながら教室へ入ってきたのは花坂だった。
「お。やっと戻ったか。ご苦労ご苦労。なんか派手にやってたみたいだが、結構楽しかったろ?」
「危うく死にかけたわ!!!」
相変わらず気の抜けた花咲に、ソラは呆れつつも声を荒げる。
「まぁとりあえず落ち着け。どうだ、実際に能力の力と触れ合って、何か思い出したりしなかったか?」
「いや……特には」
実際少し期待はしていた。実際に能力を見て、感じることができれば何かを思い出すのではと。能力のことも、以前の記憶のことも。しかし成果は、暗闇の中で神と名乗る者に出会っただけだった。あの少女の正体も、あれが現実か否かさえも今となってはわからない。ただ彼女は、能力は既に使える状態だと、そう口にしていた。肝心の、能力が何かを教えてはくれなかったが。
能力という単語で思い出したのか、ソラはあのマグマ野郎、正確にはタケシという人間について話題を変える。
「そういえば、あのマグマ野郎、めちゃくちゃ迫力あったけど、他にはどんな妖怪に化けるんだ?」
彼の質問に、一同は唖然とする。ソウマは首を傾げ、カグラは呆れて溜息を吐く。そんな中、最初に沈黙を破ったのはハヅキだった。
「ぶっははは!ダメ、涙出てくる!」
「そ、そんなに笑うことないだろ……?」
派手に吹き出すハヅキに困惑するソラ。その姿を見て何かを察したのか、カグラは嘲笑の笑みを浮かべ口を開く。
「あなたまさか、それ本気で言ってたの?」
「え、そうだけど……え?」
「寒い冗談かと思っていたけど、これは傑作ね」
ソラは未だ状況が理解できず、目を泳がせている。カグラは再び寝る体勢に入り、ハヅキは涙を流しながら笑っていた。
「ソラ!タケシは触れたものを何でも溶かす能力だぜ。決してオバケのことではない!たまに自分の意思に反して対象物を溶かしちまうのが不便だけどな。てか、タケシの能力誰から聞いたんだ?」
彼は机に肘をつき、両手で顔を塞ぎながら小さく答える。
「だって……ユイが……ヨウカイだって……」
「え、私のこと呼んだ?」
声の聴こえる方向をゆっくり目で追うと、そこには教室のドアに手をかけるユイの姿があった。部屋に戻ってきた瞬間に自分の名前が聴こえてきたのは勿論のこと、ソラが羞恥に晒されているこの状況についても理解できず、彼女は非常に不思議そうな顔をしている。ユイの右手には、先程までしていた手袋の代わりに包帯がグルグルに巻かれていた。ソラの視線に気付いたのか、彼女は咄嗟に右手を背後に隠す。
「お、ユイ。戻ったか。じゃー適当に席に着け。ホームルームを始める」
「あ、うん」
花坂はユイがハヅキの隣に座るのを見届けると、ゆっくり口を開く。
「さて、早速本題に入るぞ。あまり悠長にもしてられなくてな」
花坂の言動から先程までの適当さが消え、見えない重圧が一瞬にして静寂へと変える。
「ここ数日、そう、ソラ君が現れてからずっと外部との連絡が遮断されている。調査に出ている者もいるが、そいつらとも連絡が取れない。そこで、上からの命令でこれからこの施設の防衛機能を停止させることになった。と言っても、その正体はカグラの能力であるゲートなんだがな」
「待て……ってことは、俺が施設を出ようとしたとき部屋に戻されたのって、カグラ!!!」
漸くこの施設の仕掛けに気付いたソラは、勢いよくカグラの方へ振り向き、声を荒げる。
一方カグラはソラを一瞥すると、ふっと鼻で笑い窓の方に顔を向けた。
「まぁ落ち着け。以前からカグラの能力でこの施設を防衛していたんだが、それでも連絡が遮断されることはなかった。だから仮に能力を解除しても変わらないと思うんだが、命令は命令だ。カグラ、能力の解除をしてくれ」
カグラは無言で頷くと、意識を集中させる。施設を防衛してたってくらいだから、恐らく全方位にゲートを展開させていたのだろう。
--能力を解除。
ソラは独り言のように呟く。その直後、カグラが長い溜息を吐いた。
「解除、完了したわよ。これでこの施設は……!?」
カグラの言葉を遮ったのは、身体を貫くような地鳴りと大きな揺れだった。その揺れは次第に激しさを増し、立っていることさえ困難となった。安全装置が作動したためか、窓の内側から防衛シャッターが降り、警報が鳴り響く。施設全体が混乱の渦に巻き込まれる中、バチン、という音とともに部屋の電気は消え、彼らはひたすらこの揺れに耐えるほかなかった。
地震が完全に収まった頃、非常用電源が作動し、漸く部屋に明るさが戻る。と、異変に気付いた一人の少女が叫ぶ。
「ソラさん!?先生!ソラさんが--」
再びソラが目を覚ましたのは、意識を失ってから数時間後のことだった。二度目となると、白い天井にも驚くことはない。ゆっくり起き上がった瞬間、後頭部に痛みが走った。恐らく倒れた時に強打したのだろう。痛みに顔を歪めつつ周りを見渡し、ここが先程まで居た教室であることを確認する。今回は机の上ではなく、床に寝かせられていたようだ。恐らく、余震の心配もあってだろう。
「あ、ソラさん。気が付いたんですね」
最初に反応したのは、ハヅキだった。しかし、予想以上に反応が薄い。薄いというより、活気のようなものが、言葉から、表情から感じ取れない。周りもソラに気付くものの、反応はどれも同じ。一同の顔を見てわかったが、ハヅキの目の下が微かに腫れていた。報告に行ったのか、花坂の姿はない。
窓の防衛シャッターは既に解除されており、代わりにカーテンが覆われていた。そのせいか、部屋がより明るく感じる。ここまでの情報を整理し、自分が気を失っている間に何が起こったのかを考えてみたが、皆目見当もつかなかった。
「あぁ、すまない。俺、また倒れてたのか……。ってか、なんでカーテンなんかしてるんだ?」
彼は真っ先に気なる問いを口にする。が、その問いに答える者はいない。皆視線を下げ、その場に佇んでいる。
「今は、夜だからよ」
沈黙の後、小さく呟くようにカグラは答えた。彼女もまた、視線を合わせようとはせず遠くを見つめている。
「夜?そんなはずないだろ。だってさっきまであんなに--」
「なら、自分の目で確かめてみたら?」
ソラの言葉を遮るようにカグラは言葉を返した。その言葉には、苛立ちが込められ、これ以上彼女が口を開くことはなかった。
仕方なくソラは立ち上がり、カーテンの側へ向かう。その一歩一歩が何故か重く彼にのしかかる。この空気の違和感に耐え切れず、彼はカーテンの両端を掴み、一気に開いた。
「……っ!?」
一瞬理解が追い付かず、言葉を失っていた。カーテンの先に広がるのは、確かに夜の風景。それだけならまだ言葉を失うことなどなかった。問題はそこではない。それを確かめるため、窓の錠に手を掛ける。この時代、窓を開けたらドッキリでしたなんてこともあるからなどと、淡い期待を持ちながら。意を決して窓を開けると、生温かい風と共に、今まで嗅いだどれとも違う焼ける臭いとその灰が肺の中へ入り込んできた。思わず彼は咳き込む。
視界が暗い所為で正確にはわからないが、先程まで眺めていた街並みと姿形が異なっていることは容易に理解できた。無数に光るのは電気の灯りではなく、火の光だろう。それを証明するかのように、燃え盛る音が微かに聞こえる。
これが夢か幻か、未だに見分けがつかないが、この部屋の空気に漂う違和感の正体が、それを現実だと証明していた。
皆に活力がなかったのは、疲弊ではなくこの現実に絶望していたから。
ハヅキの目が腫れていたのは、絶望に耐えきれず涙したから。
カグラの機嫌が悪いのは、ソラに対してではなく無力な自分に怒りを感じていたから。
結論、日本は壊滅していた。正確には、世界が、地球全土において壊滅状態となっていた。彼らが今見ているのはそのほんの一部でしかない。
行くあても、帰る場所さえも一瞬にして消え去ったこの絶望の中、ただひとり、彼だけは冷静さを保っていた。そう、この現状を、こうなる未来を予想していたが如く。彼はカーテンが揺らめく中、唯々夜空を見上げる。空では月やそれを囲む星々が、事の重大さを何も知らない彼らを嘲笑うかのように、キラキラと光を放っていた。