ホタルブクロは萎れ行く
ホタルブクロは萎れゆく
◇ある視点 1 ◇
妹が死んだ。
満足しているような笑顔をして、楽しそうに死んでいた。
フィクションのように小柄な体系。
フィクションのように高い声。
フィクションのように兄を慕う性格。
そして――ー―フィクションのように残忍な殺人鬼。
妹は僕らの生活を守るためには、どんな人間であっても殺めていった。
体の一部のように、ぼろぼろの幼児用のはさみを聞き手の左手に握り、妖精のような外見で
悪魔のように人を殺めていた。
妹は最低だと思われる人間だったのだろう。しかし、妹はどう考えていたかはわからないが、
僕にとっては何より優先すべき人物であった。
僕が何よりも優先している「正義」とやらも、妹の前ではくだらない妄想の一つでしかなか
った。
妹の行いに正義以上のものを見出したわけではない。そんなものは妹とは全くかけ離れてい
るものだった。
最低の殺人鬼。
人間扱いするのもふさわしくない、そんな彼女を妹を僕が大切にしていた。
借りがあったのだ。
そしてその借りはどんな心情よりも優先されるべきものだった。
今思えば、いや、当時からしてもそんな借りなんて作るべきではなかったのだ。
そうすれば妹は今、死ぬことはなかっただろう。
少なくともこんな結末にはならなかったはずだ。
◇回想◇
ピピピ、ピピピ。
騒がしく音を響かせる目覚まし時計。安眠の中にいた僕にはそれがモスキートーン以上に不
愉快でたまらなく、乱雑に停止ボタンを押し叩く。
音が止まると、歯止めのかかっていた眠気は本領を発揮して僕を再び眠らせようとしてくる。
それに逆らわずに僕は再び眠りへついていこうとする。
起き抜けはだれでも眠いものだと思うが、僕の場合はそれが常に続いている気がする。どれ
だけ寝ていようとも睡魔がバーサーカーのように襲ってくるのだ。
最後に深い眠りについたのはいつだろう? そんな記憶を探る行為も眠気は待ってくれるわ
けではなく、深い海に沈むように意識が遠ざかって行ってしまう。
学校に遅刻するかもしれないこと、これから眠っていいような時間ではないということ。そ
んなすべてを忘れて、人間としての三大欲求の忠実に実行しようとする。
………………。
………………。
「ー―ー―きて」
ん、うん。
何か、聞こえる。よう、な。
「おー―ー―。――――きて!」
この声は。妹のー―、と。そこまで思考が進むと、沈みかけていた意識が急に海面へと浮上
し始めた。
遅刻などどうでもいい。しかし、妹のご命令とあらば、起きないわけにはいかないだろう。
眠気を覚ますために体を起こそうとする。
しかし、イメージ通りに体は動かない。力を入れても腰から下が一切動かないのだった。何
か病気なのかもしれない、と考え体を見渡す。
「お早う! お兄ちゃん!」
フィクションの様な不愉快な声が耳に飛び込んでくる。ちょうど腰の上のあたりからだった。
つまるところ愛すべきわが妹は僕の体にまたがっているのである。
高校一年生としては規格外の体形をしている妹は、またがっていてもその体重をあまり感じ
ることができなかった。だから特段怒るようなことでもない。
何も考えずに、口にするだけだった。
「おはよう」
「うん! よろしい!」
軽快な声に一日の始まりを感じつつも、相変わらず現実味のない妹だ。そう思った。
ハムエッグにトースト。
こんな朝食を、朝早く起きたかわいい我が妹が作っておいてくれて、その上で起こしてくれ
もする。これだけ恵まれた環境で暮らしている高校生は少ないのかもしれない。
そんなことを考えながら朝食を消化していく。
ふと見ていたテレビ番組から目を離して台所のほうに目を向けると、妹が昨日の夕飯を弁当
箱へ収納しているところだった。かわいらしく鼻歌を奏でながら、楽しそうに弁当を作る妹の
姿は一般的に言えば魅力的だっただろう。
「あまり遅くならないうちに、朝飯食べなよ」
兄に学生であるように、妹にも学生としての責務というものがあるのだ。しかし、実際に妹
が学校に通っているかは知らない。
「りょーかい」
高い声、低い身長でそう答える妹。
本当に了解してくれたかはよくわからなかったが妹ならしっかりとこなしてくれるだろう。
とりあえず食事を続けてみる。テレビではさまざまな情報をキャスターが伝えていて、台風
が近づいているだとか、どこかの地域で最高気温を記録したことなどが伝えられていた。
台風、雨か……。
「妹ー」
台所までは音声は聞こえていないだろう。台風のことは伝えてやるべきだ。妹の、僕らの為
にも。
「何かな? お兄ちゃん」
相変わらずの高い声が、作業音を押しのけて聞こえる。
「台風が近づいているらしいよ。だから気を付けたほうがいいと思う」
雨が降るなら辛い部分も出てくるだろう、そう言外に続ける。もちろん僕としては親切心に
よるものだった。
しかし。
言葉の裏の、その意図が伝わってしまったのか。
「えー? あれ?」
作業をやめ、妹の声とテレビの音声のみがリビングと台所に響く。そして、妹がこちらを向
きながら言う。
僕の言葉を深く深く疑っているような声を上げる妹。そして言葉を返す。
「もしかして、さあ」
「うん?」
妹の左手では西部劇のガンマンがピストルを弄ぶ動作を重ねるように、幼児用ハサミを操っ
ていた。持ち手の穴に指を突き入れ、ぐるぐると回す。
そして不意に止まった。
「大丈夫だよ」
落ち着いた口調でそんなことを言いながら、妹は台所を出て僕の座るリビングのテーブルへ
向かってくる。口調からは似つかない憤怒の感情を抱えていて、明らかに言葉を選び間違えて
いたことがわかってしまう。
妹の表情は怪しく歪んでいて、現実のある不安を与える表情だ。あふれる自信と、妹のこの
生活を守りたいという意思が生んでいるものだろう。
妹は歩みを止めず、椅子に座っている僕の真横まで近づき、言葉を紡いだ。何もわからぬ赤
子を諭すように、常識を教えるように。
「ー―ー―お兄ちゃんの為なら誰だって殺せるから」
無邪気なフィクションの笑顔から、血濡れの鋏がのぞいた気がした。大丈夫、殺せるよ、と。
ゾワリ、と。よくわからない感触が体中を這いずり回る。フィクションの皮に隠れた、赤黒
い妹のナニカが僕の胸を貫いてくるようだった。
そして、僕にこう伝えてくる。
ー―ワタシをこんなものにしたのはお前だぞー―
と。
喉元が苦しい、今さっきまで食べていたものもなにもかも吐き出してしまいたい気分だ。め
まいもして只々気持ちが悪い。とにかくここにはいたくないー―ー―。
椅子から立ち上がり、逃げ出そうとする僕の体。
強引に体を動かし、こんな妹から逃げてしまいたいー―。しかし、そんな僕の心を縛る何か
があった。
妹の腕が体を押さえつける。
「どこへ行くのおにいちゃん」
離せー―、そう言おうとした僕の意思は最後まで続かない。
何かが唇を覆った。
目の前には怪しい光を持った妹の顔が。美しい、とは思わない。ただただ僕のことを鎖で縛
りつけるような表情でしかなかった。
―ーずっといっしょだからね―ー
そう言っているのだろう。
わかっている。僕と妹はずっと一緒に生きていくしかないのだ。いびつで醜い鎖でしばりつ
け続けるような行為であっても、それをみじめに続けていくしかないのだ。
こんなことだって、今までも何回だってあった。愛からくるものではないのかもしれない、
傷のなめあいにもならないだろう。
それでも、仕方ないのだ。
妹が両親を殺し、僕たちが生き延びたあの日。すべてが決まってしまっていたのだから。
「――ーーっはぁ」
妹の表情は何となく見れなかった。見てしまえば、この生活を続けることなんてできなくな
ってしまうだろうから。
うつむいている僕に妹は何かを手渡す。
弁当箱。
「そろそろ時間だよ?」
「……うん」
弁当箱を受け取り、速足で玄関へ向かう。
後ろから妙に高い声が聞こえるが耳を傾ける余裕はなかった。
いってきます、そう呟き僕は家を出た。
今は亡き僕の両親の立てたマイホームを出て、学校へ向かうこと数分。
通学路のうちの一つの山場ともいえる、全長数十メートルの橋を渡っていた時のこと。僕は
随分と重そうな紙袋を二つも抱えているおばあさんに出会ったので、運ぶのを手伝っていた。
特に助けを求められていたわけではなく、なんとなく困っていそうだったので、何ともなし
に声をかけてみた次第であった。
この手伝いによって、いつもより足取りの重かった僕はさらに遅刻する恐れが大きくなって
いたが、困っている人を見過ごすよりはいいのではないか、と考えての行動だ。
「すいませんねえ。学生さんでしょう? 忙しいでしょうに」
温厚そうなおばあさんは申し訳なさそうにそんなことを言う。わざわざ助けるなんて言い出
したのは僕のほうなのだから、杞憂だというのに。
「気にしないでください。趣味ですから」
「あら、うふふふふふっ……」
趣味が人助け、というのはなかなか滑稽に映っているのだろう。悪い感情をもってして笑っ
たわけではないのだろうけれど。
しかし、逆の立場なら僕だって笑う。
なぜなら僕の趣味は「人助け」ではないのだから。
遅刻して、そのことについて反省をしていなかった僕に担任の教師(名前は覚えていない)は
随分と怒っていたらしく、学校中の壊れた備品の修理に駆り出されることになってしまった。
本来はその仕事を備品管理委員会に所属している生徒たちが行うらしいが、誰も仕事をして
いないらしく一人での活動である。
それだけならまだしも、直す対象物が使い道のなさそうなものばかりなのが気に入らない。
しかし、罰は罰。
おとなしく従っておこう。それに、誰も直さずに壊れたままでいる備品というのはかわいそ
うなものだと僕は思う。
第一講義室、旧音楽室、自習室。さまざまな場所でくぎを打ち込み続け、木を差し込み続け
る僕。
僕からしてみればいたって真面目な作業ではあるが、周りから見ると見慣れない光景なのだ
ろう。不審そうにクラスメイト(名前は覚えていない)が何をしているのかを聞いてきた。単に
事情を説明するのも面倒なので、ただこう言っておいた。
「趣味の一環かな」
「日曜大工が趣味だとかよ、昭和かよっ」
まあ、そういうことにしておいて欲しい。
問題といえば僕の趣味が日曜大工でないことだろう。
「そんなことがあったんだよ」
「へー」
そんなこと、を終わらせて家に帰ってきた僕を出迎えたのはやはり愛すべき妹であった。相
変わらず高い声で出迎えてくれた。
僕より早く帰ってきているのは僕が高校生だからなのだろう。高校生活というのは案外時間
を浪費するものである。
そしてあっという間に夕食の時間だった。
朝や昼と変わらず、働きもしない僕は妹が一生懸命作った食事を涼しい顔で食べている。そ
んなダメな兄だった。
「今日は手抜きなメニューなんだっ。ごめんね? お兄ちゃん」
妹がそんなことを言いながら、台所から料理の乗っている食器を運んでくる。そんなことを
言いつつも作ることをやめたりはしないし。加えて、食べておいしい位と思える料理なので妹
はすごいと思わされる。
「気にしないでよ。僕にとっては食べられるだけで十分だから」
「でも……」
それでも、妹はなんだか罪悪感にさいなまれているようだった。小柄な肉体は、より小さく
見える。
「いつも僕の為に色々なことをしてくれてるし。これ以上されたら申し訳がつかないよ」
本心から思っているそんなことを言う。実際、僕も妹に生活を頼り切っているのだ。どうし
ようもないほどにまで。
「そ、そうかな? えへ」
あざとく、それこそ現実味のない返答をする妹。
そんな希薄なリアクションすら、妹にとっては精一杯なのだろう。だからこそ、僕はそれを
口に出すことができない。
罪に向き合うことができなかった。
「結局さぁ」
夕食を食べながら妹はそう尋ねる。
「お兄ちゃんの趣味ってなんだったの?」
日曜大工でも、人助けでもないならさぁ、と妹は言う。
「こんな話を振っておいてなんだろうけれど、僕は教えないよ」
「えー」
不満そうな妹の声をしり目に僕は考える。言えるはずがないと思う。いや、言ってしまえば
何かが変わってしまいそうなだけだ。
この思いは心に秘めておこう、ずっと僕はあの時から思っているのだ。
僕の趣味は「正義」だった。
そして、妹にだけはそれを適用することのできない、只々中途半端な正義の味方。それが僕
のことだ。
妹の今の姿を見るとよく思う。
妹が左手に握っている鋏からは深紅の液体が滴っている。乾いているようには見えず、新し
いものであることは明白だ。
それでも妹はフィクションのように笑っていた。心からうれしそうに、笑っている。
不意に、ニュース番組の音声が耳へ飛び込んできた。
『今日、午後五時ごろ。△△市、◇◇で男性の惨殺死体が見つかりました。被害者の身分は私
立探偵のようで、その業務中に何者かに襲われたとみて警察は捜査を続けていますー―』
◇ ある視点 2◇
妹の死骸を前にして僕は思う。
数日前の僕はきっと、あんな歪で幸せな日々を永遠に続けられると思っていたのだろう。
罰というのはやがては追いついてきて、かならず何かしらの形で帳尻をつける、そんなこと
すらあの閃光のような日々では認めることができなかった。
僕らの生活は両親や、本当の正義のために動いた人々の屍の上に成り立っていた。
そんなものは長くは続かないのだ。
わかっていて、わかりたくなかったことだ。
あの日、両親が僕たちを殺そうとした日のこと。
そのことを思い出そうとすれば、今でも首のあたりが妙に苦しくなってしまう。妹もそれは
同じだったのかもしれない。
あの日、僕と妹の二人が死ぬか。両親が死ぬか、その二択を迫られていたのだろう。
両親は自分たちが殺されることなんて思っていなかっただろう。僕だって両親が僕を殺す前
に死ぬとは思わなかった。
妹だけが、両親だけが死ぬ結末を思い描いていた。そして、いつものように左手に握った鋏
で肌を裂き、血を沸かせた。
妹のはさみは両親だけではなく色々なものを傷つけていった。
妹の人間性と、僕の正義を。
そして今も癒えずにいる。
後悔はしてはいけない。
僕はあの時の妹のことを裏切りはしない。それは今だって―――ー屍骸と化した今だって何
ら変わらない。
◇回想◇
「お兄ちゃん。外は台風で大変です」
「うん。そうだね」
「だから買い出しに行きたいと思います。しかし、私の細腕では荷物を持つのは大変です」
「うんうん」
「だから、一緒に行こうね」
「わかった」
これが、体を半分布団に沈めて寝ぼけている兄に対しての妹の言葉。
僕の休日の予定は台風と台風のような妹の発言により崩されてしまったらしかった。しかし、
僕の予定もなかなか無駄なことではあるので有意義な休日を過ごすというのもやぶさかではな
いとも思う。
そんな理由から、いい年して僕たちは兄妹で買い物に出ることになった。たかだか台風、さ
れど台風である。
僕は買い物に行かないし、妹は強風で吹き飛ばされてもおかしくはない。(冗談ではなく、
そんな体型をしている)
両親がいないのだから仕方がない、大黒柱もいないのだ。
朝食をいつも通り食べる。今日は妹も一緒である。リビングのテーブルに腰を下ろしながら、
トーストをかじっては牛乳の濁流で流し込む。
ふと妹のほうを見てみると、当たり前だがトーストを同じように食べていた。淡々とーーも
ちろん、普段から食べているものならば無感情に食べていてもおかしくはない。しかし、妹の
その食事中の表情からは違和感を感じる。
いつも被っているフィクションの仮面が剥がれているような気がして、なんとなく目をそら
してしまった。
そうやって、僕は今日も現実から逃げてゆくつもりだった。
可愛い、という印象には複数の味方によって変化する何かがあると思う。
曰く、キモカワイイ、デブ可愛い、などと多種多様だ。しかし、共通していえることがある
だろう。たとえば、愛らしさなど。
そんな、一部の共通項を除いては概念が独り歩きしている「可愛い」だけれど、僕は自分の
妹を世界中のだれにとっても可愛いといえると、すごく思う。
外見だけ見れば天使ともいえるだろう。贔屓目であるかもしれないけれど、しかしそれでも
やはり客観的に見ても僕の妹は可愛いのだろう。
白いワンピースは小柄な体型なはずの彼女に清純さと幼さを与え、いつも下げていた髪をツ
インテールに結わえているのを見るとさらに幼げが増してくる。
可愛い、幼い。
つまり子供らしい可愛らしさを、年齢不相応に僕の妹は持っていた。
ちなみに僕の服装は某有名な衣服販売店で三分で決めたようなコーディネートである。つま
りはマネキンさんとペアルックである。
「お兄ちゃーーん。はーやーくー」
日陰で涼んでいる僕に我慢できなくなったのか、噴水の付近にいる妹が僕のことを呼んでい
る。
「わかったー」
立ち上がりながら僕はそう言い、陽射しのもとへと歩みを進める。晴れやかな天気ではあっ
たが、視界の端では青黒い雲が怪しい雰囲気を漂わせていた。
僕らは今、大型ショッピングモールにいた。僕らの住んでいる地域では一番規模が大きく、
日曜日には幼稚園児の半数近くがここへ行くことを望むというほど人気の施設である。
日用品からマニアックな品物まで品ぞろえに優れ、屋上にあるメリーゴーランドは有名なデ
ザイナーが制作したらしく対象年齢より数段大きい子供たちにも大人気だった。
「さあ、買うよ! 超買うよ!」
速足で目当ての店へと歩き出す妹。そんな元気な、しかしどこか違和感と不安に満ち溢れて
いる彼女の後姿を追って僕も歩き出していくのであった。
「これも、これも必要!」
「落ち着いて。茹で卵切断機なんて絶対使わないよ」
「き、今日使うもん」
「ついでにこれも安いし……、ね?」
「箱根温泉のもとって前も買ってなかった? そしてまだ余ってなかった?」
「……」
「今度こそぉ!」
「焼いただけで、揚げない唐揚げって美味しいと思う?」
「…………いや」
衝動買いに弱い妹。無駄遣いが嫌いな僕。
パズルのピースがうまく組み合わさっているような気がしてくる性格の不一致である。僕が
妹の買い物に付き合う理由はそんなところにもあった。
フィクションの様な妹のハイテンションは、初夏の嵐となって昼時まで続いた。巻き込まれ
たのは僕と財布。しかし、妹の笑顔がたくさん見ることができたので良しとしよう。仮にそれ
がフィクションの仮面のようなものであれ、だ。
妹タイフーンが止むと、僕らはこの施設の上階にあるファミリーレストランへと訪れていた。
「いやぁ買った買った!」
「そ、う……だね」
行き絶え絶えに両手に持つ荷物袋(エコバックとも言う)を下ろす僕。妹は来た時と同じよう
な姿で向かい合い、席に座る。僕の体力は慣れない運動で削られていたが妹はいつもよりもエ
ネルギッシュな印象を持っていた。
妹に荷物は持たさられないからな、この疲れも勲章のようなものだ。僕は前向きにそう考え
る。
「さて、何を食べる? 妹」
「私は流行に敏感だからね。チーズの入ったハンバーグを食べるよ」
フィクションのような笑顔を張り付けながら妹は言う。きっと、両親の生きていたあの頃と
何ら変わらない笑顔で。妹はあの頃と同じメニューを選んでいた。
僕の両親というのはひどい人間であったと今でも思う。しかし、殺されても構わないかとい
えば僕には断言ができない。所詮僕は一介の高校生であって、加害者でしかないのだから。
それでも、真の悪というものはいないらしい。僕の両親にだってやさしかったころはあった
のだ。
こうして僕たち兄妹をここへ連れてきて、同じ店で食事をしていたころだってあったのだ。
妹は覚えているだろうか。
覚えていたのならば、なぜ青頃と同じメニューを頼んだのであろうか。
そんな思考を積み重ねていると、後ろの席の男が連れの男に対して話しているのが耳に届い
てきた。
「最近、通り魔が人を殺ったって言う事件が多いだろ? どうもこの犯人この辺に住んでるヤ
ツらしいぜ!」
…………へえ。
食事が終わり、一息をついていると対面している妹がある提案をしてきた。
「お兄ちゃん。屋上に行こうよ。んでさ、メリーゴーランド乗ろうよ」
そう言ってきたのだった。
その言葉には嘘偽りがない重さがあって、僕は自然とうなづいてしまう。何かを感じていた
のだろう。逃げ続けていた何かを、僕は。
窓の外を見ると水滴が飛び込んでくる。
雨が降り出していた。
ファミリーレストランを出て、エレベーターへと乗り込む。エレベーターの中にはガラス張
りの壁もあり、台風の影響であろう大粒の雨が降り出していた。妹は、それを気にも留めずに
屋上へ行くためのボタンを押していた。
表情は見れなかった。
◇ ある視点 3 ◇
この時の僕たちは何がしたかったのだろう。
屋上へ向かうことは前に進むことだったのだろうか? もしかして、あのまま家へと帰って
いたらもう少しこの生活を送れて、僕の妹は死ななかったのかもしれない。
それでも後悔はしない。
してしまえば、正義ではないのだ。きっと。
◇回想◇
屋上では雨粒が屋上を強く打ち付けていて、とてもメリーゴーランドをすることができる状
況ではなかった。
しかし、僕にもどうだっていい話だ。台風ごときで僕たちは止まれない。そういうものなの
だ、きっと。
「あの頃と何も変わってない……」
雨に蹂躙された白いワンピースに身を包んだ妹はそう言う。朝と対照的なくらいテンション
――現実味のあるテンション。
妹の言う通りメリーゴーランドには変化を見出すことができない。直線の一つもなく、青空
を投影したような色の曲線のみで構成されたような、しぼんだスフレのようなメリーゴーラン
ドはあのころと変わらずにそこにあった。
メリーゴーランドは今でも稼働しているようで、雨粒の猛攻を受けていても文明的な輝きを
ともし続けている。
「これなら問題なさそうだね……」
「うん。行こう」
僕の手を引く妹。左手にはいつもと変わらずに幼児用のはさみを握り、逆の手は僕の手を握
っている。後ろからついていくと否が応でも見えてしまうその左手を見たくなくて僕は妹の手
を逆に引いていくように走っていく。
スフレの様なメリーゴーランドは僕たちを飴から防ぎ、歓迎しているようでもあった。しか
し、先ほどは距離の問題で見えなかったがそこに職員がいるようにはまるで見えない。
誰もいない屋上に、ずぶ濡れの兄妹だけがいた。
つまりメリーゴーランドは動かない。
「この大雨だもんね……、職員さんも出払っちゃったのかも」
残念そうに笑う妹が僕にはひどく儚く見えていた。そして同時に僕の記憶の一部が覚醒し始
めている。
あの時も、確か。
「あの時のメリーゴーランドも乗れなかったんだよ。こうやって職員さんがいなくて、止まっ
ている木馬に跨るくらいしかできなかった」
僕はその記憶を伝える。
いや、妹はやはり覚えていたのだろう。妹はずっとあの日から動き出していない、まるでこ
の木馬のように。だから昔、ここに来た時の記憶だって忘れてしまうようなものではなかった
はずだ。
それでも妹はここへ来た。
乗りたかったのだろう、メリーゴーランドに。そして、変えたかったのだ。あの日の僕たち
の姿を。
雨が降っている。
ただただ強く、降っている。
「帰ろう」
「うん」
どちらが言い出したのだろう。自然と僕たちはメリーゴーランドのしがらみを振りほどき、
帰ろうとしていた。
何かが終わろうとしていた。僕と妹の手によるものだけではなく、外的要因によって終わり
が告げられそうな気がしていた。
ここが最後の日常。
あとは下るだけだ。
◇ある視点 4◇
妹は死ぬまでに何人の人間を殺してきたのだろう。
この生活を維持するためには本当に多くの人間を殺す必要があったはずだ。どれだけの血を
浴びて、叫びを聞いて生きていただろうか。
僕らの足元にはどれだけの屍が積み重なっていたか、僕は終ぞ最後まで知ることができなか
った。そして、知りたいとも思えない。
それでも、相当な数の殺人を犯してきたのだろう。以下に僕が正義が好きといえどそれは批
判することはできない。主義を曲げようとも、妹は僕のすべてだ。
そんな妹は殺しすぎたのだ。
目立ちすぎて、それでも殺し続けて。いつの間にか周りに道がなくなっていたことに気付け
なかったのだ。
僕が気付くべきだったのか、むしろ気づいていたのかもしれない。そして、言えなかったのだ
ろう。
あの生活は罪の塊であったが、あまりに幸せすぎた。
僕にはとても勿体なくらいだったのだ。
◇回想◇
どこが変わり目だったのだろう。どこでやめればよかったのだろう。そんなことを言いm\わ
けがましく考え続けてしまう。
嫌な予感はしていた。
ここ最近は特に安心することができない程に第六感が僕自身にささやいていたように思える。
それでも思ってしまうことがあったのだ。
何も今日でなくていいじゃないか。明日でよかったじゃないか、と。正義もクソッタレもな
くそう考えてしまうのだった。
「入ってくるな! 入ってきたらこいつを殺す!」
外に聞こえるように鋭い声を放つ。
そう叫んだ妹が僕の首元へいつもの幼児用の鋏をかざして見せて、家への侵入を試みている
であろう警察官達を動けなくさせる。
警官たちには妹が非人道的な好奇心をもって僕を拘束しているように見えるのだろうか。見
えているに違いない。
その考えとは裏腹に、妹のその手元に力強さは一切なく、殺意などみじんもないように僕に
は見えた。そこにはただ一つの感情、絶望しかなかった。
「どうしようどうしようどうしようどうしよう―ー―ー」
顔は絶望に塗られている、先はなく、終わりが目前に迫っていることはその表情から十分に
読み取れる。
予想外ではない。早すぎただけだった。あれだけ殺人を繰り返していればいつかは警官にか
ぎつけられてもおかしくはないのだから。そしてこうなることも十分にあり得ることだった。
それでも十分に酷だと思う。主観的な身勝手な見解だとしても。妹は少なくとも対応できそ
うにない。そしてそれをただ見ていることができる僕ではない。
妹が正気でいられると思えないので、僕が妹の手を引いていかなければならない。
「僕は無力な人質と思われているらしいし、すぐにはきっと突入なんてできやしない。とりあ
えず外から覗けないような場所にいこう」
僕の感情はそこまでの荒ぶりを見せていない。どこか覚悟していたのだろう。こんな日が来
るということを、対して妹は混乱の中にいた。
おそらく妹は永遠を信じていたのだろう。あの生活が終わらないことを心から。
僕の言葉に無言でうなづく妹を引き連れて妹の部屋まで向かう。僕たちの部屋は二階で、そ
う簡単になかの様子をうかがうことはできないだろう。手を引かれる妹はとても軽く感じられ
て、張りぼてのようだった。
置物のような妹をベッドに座らせる。顔色は今まで見たことのないほどに悪く、いつ倒れて
もおかしくはないように見える。
無理もない、僕と違って純粋にこの生活が続くと心から信じていたのだろうから。そう考え
た途端僕の体から力が抜け、妹の部屋のシックな床に倒れこんでしまう。脳が指令を送ってい
るはずなのに体はより底冷えしてゆく。
ここで踏ん張らなければいけないとわかっているのに、体は重い鉛に代わっていく。まるで
自分が体の持ち主ではないような感覚だった。
肺から空気が漏れるように、言葉が自然と漏れる。
「――ーーああ。終わりだね」
ありのままの本心は案外受け入れやすく、それがなんだかとても悲しかった。結局のところ
僕は妹との生活のもろさをしっていたのだろうから。
諦めていたのは僕だった。信じ続けていたのは妹だった。そのどちらでいたほうがよかった
かはわからないけれど。
言い訳めいた言葉は続く。
「上手くいかないものだね。あと一日、あと一日。どう考え続けていれば終わらないものだと
思っていたんだけど、さ」
「落ち着いてるね……。お兄ちゃん」
うつむいて、普段と想像もできないほどに冷たい声で僕にそう問いかける妹の姿は、いつも
と同じような非現実感が一切感じられない。
仮面が剥がれる時が来ていたようだった。
「うん。正直、もう少し驚いたり、悲しむものだと思っていたよ」
「だったら……
「妹。僕たちはいつかは裁かれなくちゃあいけなかったんだよ。人の命を食い物にしてきた報
いを、さ」
人の命は重い。僕たちはそれらを背負いすぎてしまったのだろう。無意識のまま背負ってい
て、最初は生きるためだったものがいつの間にか続けていくためのものになっていた。そんな
ことが許されていいはずない。
こんなことを妹に行ってしまうべきではないのだろうけれども。妹が人を殺し続けていなけ
れば結局僕たちはここにいない。それとも、僕が両親を殺すべきだったのだろうか? それで
は立場が逆転するだけだったと思う。
「そんな……、でも、だったら! 私たちはどうすればよかったのさ!」
妹は叫ぶ。
いつも通りのフィクションに満ち溢れた声ではない。年相応の、感情のこもった弾丸のよう
な叫びだった。
僕はそれに容易く答えることはできない。妹はきっと答えを求めているのだ。そんな、無い
物を偽ることなんてするべきではないと僕は思う。たとえそうすることで妹の心が言えるとし
ても、僕は妹に嘘をつきたくはなかった。
そのもどかしさに苛立って、歯ぎしりをする。
ただ黙り、部屋には沈黙だけが残る。
サイレンが桁ましく家の外から聞こえてくる。低く大きい声が何か意思を伝えようと飛んで
くる。雨はより強くなっている。
音が鳴りやまないように、僕の思考も結論を見出さずに同じところをぐるぐると無駄に繰り
返している。
留まりのつかない思考の奔流に僕が呑まれていると、妹が口を開いた。
「私、捕まりに行くよ」
ふらふらと、不安定な振り子のように体を上げてそんなことを言う。表情からは納得の色は
見えず、暗い色を落としたままだった。
それを言いきることが妹の引き金だったようだ。妹はそれを告げると、倒れこんでいる僕の
ほうへ目もむけずに扉へ向かっていく。いつも通りに鋏を握って、歩いていく。
後ろ姿は今までと違い、小柄には見えなかった。年相応な後ろ姿と、悲痛な覚悟だけが僕に
は唯一見て取れた。
妹ならそういうのだろうと僕は思っていた。
僕がどう思っていようと妹が殺人鬼であることは確かだ。そして人を殺すことにためらいの
ない異常者だということもまたそうのはずだ。
妹が死刑になることはおそらくない。しかし、直感的にわかることがある。それは、どちら
にしろここで行かせてしまったら妹は死のうとするだろうということだ。
ならば、僕に考える必要なんてない。
手を伸ばそう。
「……ちょっと、待った」
立ち上がって妹にめがけて手を伸ばす。
「……っ、お兄ちゃん?」
振り向いた妹の表情には涙が浮かんでいた。何に対してなのだろうか、過去か、現実か。そ
の両方なのか。そんな妹と一瞬だけ目を合わせて僕はあるものを狙う。
きっと僕は笑っていただろう。
これが僕の趣味なのだから。
妹の手から幼児用の鋏を奪い取った。そして。
振り向いた妹の心臓にその鋏を深く突き刺した。
水風船が破裂するかのように、引き抜いた鋏の抉った穴からは鮮血が噴出してくる。
天使のように妹を見せていたワンピースも、今となってはただの惨劇の彩る一ピースでしか
ない。
倒れる妹と、空を舞う紅。
その中で僕は笑っているのだろう。
そして、泣いていた。
赤色の中に、妹よりよほど狂った僕が立っていた。
妹は即死ではなかったらしく、扉に背を、僕のほうに顔を向けて力なく倒れこんでいる。そ
して、最初は驚きの表情を浮かべていたが、やがて僕の表情を見て理解してくれたように見え
た。
理解してくれたのなら僕に迷いはあるはずがなく、だから僕は同じように、逆手で鋏を握っ
て自分の心臓へと突き刺し、引き抜いた。
紅が再び空を舞う。
そして思い出す。この握った鋏というものは昔、両親が存命だった時に僕が妹に与えたもの
だったことを。
妹は人格が変わっても、鋏のことだけは大事に思ってくれていたのだろう。そして今、その
鋏がひび割れて砕けてしまった。
少しだけ、寂しい。
二人分の血で部屋は赤黒く染色されていた。
そんな赤溜りの中を力の入らないガラクタの体を引きずるようにして、妹のほうへと進んで
いく。定期的に喉から血が湧いてきて呼吸を妨げる。
それでも進むことをやめない。
そしてちょうど妹に覆いかぶさるようにして、僕の体はほとんど動かなくなった。
「お、兄ちゃ……ん」
妹の声も心臓の傷の影響か、十分には聞こえない。それでも、あの時、両親が死んで妹が変
わってしまった時から比べれば、その声は妹の本物の声で不思議と耳に入ってきてくれた。
「ご、……めん、ね。痛かった、だ、ろう?」
「お互いに、ね。……ガハッ」
妹の口から血しぶきが噴出してきて僕の顔を赤色で濡らす。不快だと思うべきだろうけれど、
僕はそんな血液を通じて妹を数年ぶりに感じることができた。あんな非現実感にあふれる人形
と触れ合うのではない。本物と。
気づくとだんだんと痛みを感じることができなくなっているようだ。体から何かが抜けて行
っているのを深く感じる。そしてそれは妹も同じだろう。
時間はあまり残されていない。伝えたいことを伝えてしまおう。
許してほしいとも、共感してほしいとも思わないのだけども。
「僕の家、族は。お前だけな……んだ」
「……うん」
両親は家族ではない、そう感じて生きてきた。僕の人生もあの時から大きく変わってしまっ
ていて、妹と一緒にいることだけが生きることだった。
これはきっとひどく傲慢な考えだ。けれど、伝えておかなくてはならないものだと思う。
「お前が、僕、を置いて死のうとす、るのは。嫌だ」
言い切ると同時に深く咳き込む。空気だけではなく多量の血も噴出してしまう。血は命の量
のようで僕が長くは持たないことを示していた。
僕は続ける。
「それ、に。振り回され、てきた人生だ。最後は。僕の手で付けた、かった」
「……うん」
これがきっとぼくにとってのけじめだったのだろう。「正義」というものを妹に見出すこと
はできなかった。そしてそれを捻じ曲げることも、主義を曲げることも結局最後まですること
はできなかったのだ。
だから殺して、自分をも殺したのだろう。
妹が人を殺し続けたように、僕も正義を信望し続けていた。
どうしようもないほどに。
妹の表情は見れなかった。憎まれても当然だろうけれど、それを認めてしまうのは僕には到
底できることではなかったから。
しかし、飛び込んだ言葉は予想に反するものだった。
「……良かった」
妹は素直な笑顔と思しき表情でそう言う。それは記憶にある中で二番目に幸せそうな笑顔だ
った。
「一人で死ぬな、んて。寂しかったから、さ」
「……ああ。そうだ、ね」
僕も笑っているだろう。どんな笑顔かはわからないけれど、先ほどよりは相当にマシな笑顔
であるに違いない。
それを問いだすことはできず、意識がだんだんとおぼろげになってきた。僕の短き一生の記
憶がランダムに、蘇り、閃光のように失せて消えてゆく。
超高速再生で僕の一生を眺めていった。
そして、幼少期の記憶が不意に飛び込んでくる。
場面はあの屋上。相変わらず動こうとしない奇妙なスフレのようなメリーゴーランドを前に、
幼い僕は妹と手をつないでいた。
横を振り向けば、無邪気に笑う妹。壊れる前の妹がいた。
そして何かを言っている。
『私とお兄ちゃんはいつも一緒だからね! 約束だよ!』
一番の幸せそうな笑顔でそれを言う。
妹が何を思ってそれを言ったかはわからない。ただ記憶の中の僕もそれを聞いて、笑いなが
ら答えていた。
『うん。死ぬまで一緒にいようーーー―ホタル』
ああ、そうだった。
妹の名前はホタルというのだった。どんな暗闇も、歩いた先から光で照らしてゆける希望の
様な人間に育つようにと名付けられたその名前。
それだけ思い出せれば十分だ。
赤く染まる景色の中で僕は最後になる言葉を告げる。
「一緒に生きることができて幸せだったよ。ホタル」
それを告げた途端。僕の体の最後のスイッチが切れたように、僕の瞼が不可解に重くなって
いった。
視界が狭まってゆく中、妹が最後、泣きながら屋上と同じように笑顔を浮かべていたのが見
えたような気がした。
「私も幸せだったよ。袋お兄ちゃん」
唇にやわらかい何かを感じる。
そして最期に、そう聞こえた気がした。
「ホタルブクロ」
花言葉 正義




