第四話 魔術概論
神像の襲撃から数時間後。
あれからそこら中の残骸を調べて回った三人だったが、探索の結果は思わしいものではなかった。その後は生き残っている防衛装置もなければ、何らかの罠などが見つかる事も無かった。
「駄目だな、金になりそうなものは多少あったが、素性はまったく分からんな」
三人が見つけたのはわずかばかりの貴金属と宝石だけで、魔法具や城の由来を示す情報などは皆無だった。
「そろそろ日が暮れるな。一旦戻ろう」
ザックの提案に城の残骸を後にした三人はとりあえず貴金属を換金し、宿に戻って来た。
宿はかなりの人で溢れていた。おそらく城の噂を聞いた近隣の人間が集まっているのだろう。そこかしこで情報交換をしている男達が酒を酌み交わしていた。
しばらく待ってからカウンター近くの丸テーブルを確保した三人は、夕食を食べながら今日の事を話し合うことにした。
「とりあえずザック、分かったことを教えてよ」
「ああ。といっても大した情報は無いな。おそらくあの城は千年程前に築かれたってくらいだな。塔の基部に当時の築城時に使われた魔術様式が残っていた」
疲れて伸びをしながらそう答えると、ザックはワインを注文した。カウンター内では店主が肯いている。おそらく熊の獣人かそのハーフだろう、非常に恰幅が良い巨体が、器用に小さなグラスを取り出しているのが見てとれる。
「マキナは何かわかった?」
『ザック様とほぼ同じです。城から見つかった調度品の残骸には、五〜六世紀の英国様式が見て取れました』
二人にも見えるよう腕輪からテーブルに照射されたのは、城で見かけた調度品とデータベース内の写真との比較画像だった。
他にマキナのデータでは千年前にああいった城を築く事は不可能というデータもあったのだが、それは魔術でクリアしている事が、先程のザックの発言から理解できた。
「結局手がかりは見つけられなかったな。どうやら未来から来たのは、嬢ちゃん一人だけって事か」
ザックの言葉に湖音はビクッと肩を震わせた。
「……え、うん、そうですね。一人、なんですよね……未来でも、ぐすっ、一人になっちゃったし」
みるみるうちに湖音の目に涙が溜まっていった。とんでもない事態の連続に流されてそれどころでは無かったものの、流石に父の死の悲しみがすぐに癒える訳もない。
湖音はザックの言葉から、家族だけでなく友人も仕事も、それこそ生活の基盤全てを失ってしまった事を実感し始めていた。
「この無神経。言葉を考えろ」
「あああ悪い、そういう意味じゃない、俺が悪かった。落ち着け、な? 大丈夫だから、俺たちがいるじゃないか」
何かをこらえる様に俯きながら、ポロポロと涙をこぼす湖音に慌てるザック。
「ほら、まあ飲め。泣いてると元気出ないぞ、な?」
ちょうど酒を持ってきた店主からひったくる様に酒とグラスを奪うと、慌てて瓶からワインを注ぎだした。
「まあザックが悪いね。反省しろよ」
慌てるザックを見ながら冷たく言い放つユスティーシュ。
「くっそ、俺が悪いのか? えーと、すまんっ」
「……いえ、ぞんなごどないです。すいません、ちょっと父の事とか思い出しちゃって」
鼻をすすり、泣きながら湖音は二人に謝った。
「まあ、辛い事があったんだし仕方ないね。無理しないでいいよ、僕らがついてるからね」
そう言うとユスティーシュは店主の親父にいくつか注文をした。店主は黙って肯くと、巨体に似合わない速度で準備をし始めた。
「あ、あー、じゃあ俺は周りの奴らにちょっと何か情報が無いか聞いてくる。お前は嬢ちゃんを頼む。な?」
ここぞとばかりにそう言うと、そそくさとザックは他のテーブルに向かって行った。
「……逃げたな。ほんと使えない奴。まあココアでも飲んで。落ち着くよ」
ちょうど通りかかった給仕の女性から、受け取ったココアを湖音の前に置いた。
「……すいません、動揺しちゃって」
しばらくしてようやく落ち着いた湖音はユスティーシュに深々と頭を下げた。
「気にしないでいいよ。こんなとんでもない状況だからね。取り乱さ無いほうが凄いよ」
「……ん、ありがとうございます」
そうしてユスティーシュに見守られているうちに、ようやく湖音は落ち着いてきた。未だ仮面を被り素顔も分からない魔術師だが、その全身から漂う優しい雰囲気は湖音の気持ちを解していった。
「うん、もう大丈夫です。心配かけちゃってごめんなさい」
湖音の言葉にユスティーシュは肯いた。
「どうする? まだ早いけどもう休めば? 無理は駄目だよ」
「ううん、大丈夫です。……そうだ、せっかくだから魔術を教えてもらってもいいですか?」
「む。理論ならザックの方が詳しいんだけどね。あいつ、ああ見えても大学では天才なんて言われてるから」
「え、ユスティーシュさんより頭いいんですか?」
湖音の反応にユスティーシュがクスクス笑い出した。
「確かにそうは見えないね。でもこれが本当なのさ。あとこれから一緒に行動するんだよ。さん付けはしなくていいからね」
「あ、うん、そうでした」
「まだ固いね。ま、ゆっくりいこうか。信じられないかもしれないけど、ザックの頭の良さは本物だよ、本人には言わないけどね。あいつの使っている魔術は特殊だから参考にならないけど、理論だけなら分かりやすいと思うよ……って、しばらく戻ってきそうも無いね。少しだけ話そうか」
「はいっ、ありがとうございます!」
そうやって話す二人の先のテーブルでは、ザックが早くも幾人かの獣人やドワーフの男たちと酒盛りを始めていた。
「よし、とりあえずあいつが戻ってくるまでに概要を教えてあげるよ」
この時代、一般的に語られる理論によると、この世界の本質は相にある、らしい。
気体に表される混沌の相と固体に表される秩序の相。
そして両者の入り交じった液体状態の境界の相。
この混沌と秩序、そしてその境界により世界は構成されている。
魔術において地・水・火・風が四大元素と称されるのも、この境界の相をそれぞれが秘めているためである。
大地は固体でありながら流動する。
水はそのものであり、火と風も流動していく。
この流れが全ての基本となる。
その流れを魔力によりコントロールするのが魔術というもの、なんだという。
(……マキナ、わかった?)
声に出さず、NDIに記録していた内容を見ながらマキナに話しかける湖音。
(大意は分かりました。解釈はともかく魔術とは分子レベルの動きを制御しているようですね)
話はどんどん続き、ついにはテーブルの上でこっそりと目立たない明かりの魔法などの実演が始まっていた。揺らめくランプの炎の中では、それは驚くほど目立たなかった。最もみな昨日の異変について盛り上がっており、こちらに注意を払う者などいなかったのだが。
「……その身体が帯びている地水火風の四大属性が均衡していると、相の動きが固定され魔術は使えないのさ。できてせいぜい、表面上の揺らぎを利用する低位の魔術と言った所かな。だから他の種族と違い、その身体が四大属性を均等に帯びている人間に魔術師は少ないと言われている訳。こんな風に魔術が使えるということは、多少なりともそのバランスが崩れているか、他種族の血が混じっていると考えるといいよ。さらに……」
湖音には半分も理解できなかったが、マキナに解釈を任せ、推論を進めてもらう。
「というのが、魔術の大まかな概要。わかった?」
(波動関数の収束のコントロール。それこそが魔術と呼ばれたものの正体だと推測されます)
「あー、うん。なんとか、わかった、ような?」
頭の上に疑問符を浮かべたような表情をしている湖音を見て、ユスティーシュは軽く笑った。
「まあ明日にでも、実践してみようよ。その方が話が早いしね」
「はいっ、先生よろしくお願いしますっ」
深々と頭を下げる湖音を見つめるユスティーシュの目は優しさに溢れていた。
「まあそろそろいい時間だし、ザックもあんなだから今日はお開きだね」
そう言ったユスティーシュが指差した先では、ザックが見知らぬ男達と盛り上がり、大いに酔っぱらっているのが見てとれた。確かに今晩ザックと話を続けるのは無理だろう。
二人の会話は「ザックのことは放っておき、それぞれ部屋に戻って寝る」という結論に落ち着いたのだった。
翌朝。一階の酒場に三人は集まっていた。一人だけ二日酔いだったのは言うまでもない。
「で、何かわかったの?」
「頭痛ぇ……。あそこからは現状、大したもんは見つかって無いみたいだな。とりあえず新しい情報は二つ。一つは城一帯の封鎖が決定した。俺たちが帰ってすぐの事らしい。銃士連中が囲んでて、もう近づくことすらできないそうだ」
二日酔いなのか、頭痛を堪えた顔をしながらも仕入れた情報を話すザック。どうやら逃げはしたものの、やる事はちゃんとやっていたらしい。湖音と目線を合わせようとしない辺り、まだ昨日の失敗を気にしてはいるようだが。
「ほんと、ギリギリだったんですね」
「ああ。あの時帰らないで良かったな。もう一つは同じような事件が先日、英国でも有ったらしい」
「へえ、何処で?」
「コーンウォール。行ってみる価値はありそうだな」
「くに、ってことは二人は出身英国なんですね?」
「食いつくとこ、そこなのかよ!?」
思わず湖音にツッコんでしまって目が合い、気まずそうな顔をするザック。
一瞬赤くなって口ごもってしまう。
「ちなみに僕はこの国の出身だよ」
「お前も話を広げんな!」
ユスティーシュの言葉に思わず突っ込んでしまうと、湖音の口から笑い声が漏れる。
それを聞いたザックの顔にも、ようやく笑顔が戻ってきた。
二日目にして、ようやく心を通わせることが出来た三人だった。
ザックの話によると、コーンウォールで起きた事件は「王城落下事件」と呼ばれ、英国での魔術師を取り仕切る王立協会の管理の元に情報封鎖が行われたらしい。
もっともザックの耳に届いている事からも分かる通り、情報の封鎖は上手く行っているとは言い難い。事件の規模と特異さを考えれば仕方ないとも言えるのだが。
色々と話し合った結果、三人はコーンウォールに向かう事にした。
宿を出て辻馬車に乗り、まずはパリを目指す事にする。
「そういえば、この指輪って何だったんですか?」
辻馬車で移動する道すがら、湖音は指輪を取り出して二人に尋ねた。
「おお、ちょうどこっちも話そうと思ってたんだ。どれ、見せてみろ」
指輪を受け取ったザックは目を剥いた。
元のくすんだ灰色の石はとうとうダイヤモンドのような澄んだ色に変わり、なおかつ光まで放ち始めていた。
「なんだこりゃ……。こんなの見たことねえぞ」
「彼女の才能恐るべしという所だね……」
「だ、大丈夫、なんですか?」
二人の様子に、さすがにただならぬ気配を感じる湖音。
「まあ、問題は無い。無いんだが。この指輪に嵌っている石は魔力の触媒でな。自身の体内にある魔力と大気中に満ちた魔力をつないでくれる役目を持っているんだ」
ザックの話によると、人が体内に持っている魔力は本当に僅からしい。それは魔術を行使するためには全く足りないため、本来人という種に魔術を使う事はできなかったという。
現在都市部で一般的に使われている生活魔法と呼ばれている初歩の魔術も、使える人間が限られているために獣人種や妖精種、ドワーフなどに頼むのが一般的なのだそうだ。
この魔力不足という問題を解決するために生まれたのが、触媒と呪文を介することで大気中の魔力を利用して魔術を行使するという今の形、らしい。
「例えばこれが俺の触媒だ」
そう言ってザックが取り出したのは一本のペンだった。X印の紋章が刻まれ、グリップは指輪と同じ石でできているようだ。石はわずかに透き通った緑色になっていた。
「まあ俺のも少々特殊なんだが、このグリップの部分が触媒だ。この石の色が俺が使える召喚魔法の属性色だな。それに対して大気中の魔力は無色の何物でもない純粋な力だ。嬢ちゃんの石も色が無いって事は大気中の魔力同様、属性も無いって事、なのかもしれん。
無色の石自体は存在するが、こっちは正直よくわからん。石が染まらないなんて聞いたことないからな。まあいい、続けるぞ。これが魔術を使うとこうなる」
そう言ってザックが呪文を唱え始めると、握ったペンの周囲がグリーンに輝き始めた。
「わかるか? 大気の色が変わっただろう? 呪文を唱えることで、大気中の魔力に俺の魔力が干渉して、こんな風に属性色が色が着くんだ」
なるほど、昨日ユスティーシュが飛ばしていた光は、彼が行使した魔力の形だったという事か。確か水色っぽかった気がすると湖音は思い返していた。
「料理に例えるとわかりやすいかもしれんな。食材に含まれている水分を体内の魔力だと想定してみろ。水分が豊富に含まれている食材なら、それだけでスープを作ることもできるだろうが普通は水がいるな。当然どこかから水を持って来る必要がある」
ザックはペンで空中に簡単な料理の絵を描き始めた。これも魔術なのだろうか。
「……ん、不思議か? これは触媒を大気中の魔力に反応させているんだ。魔法陣を描く時に使う技術だな」
湖音の不思議そうな顔に気がつき、ザックが解説してくれた。
「話を戻すぞ。水を持って来るには入れ物がいるな。これが触媒だ。この触媒というコップで魔力という水をどんどん鍋に足してやることで魔術という料理が完成するわけだ。わかったか?」
確かに昨日のユスティーシュの話よりも数段わかりやすかった。彼はザックを天才と呼んでいたが、教えるのも巧いということだろう。
「ちなみに、触媒には精霊石が用いられる。これは持ち主の魔力に反応して自身の性質を変える特性がある。魔術を使うには、この精霊石に自分の魔力パターンを染み込ませて馴染ませる必要があるんだ」
「つまりこの指輪が触媒で、それに私の魔力が一気に馴染んだのがビックリだった、ってことですか?」
「ま、そういうことだ。ちなみに触媒には自分の属性色が段々染み付いていく。これは簡単にいうとコップが持ちやすくなり、サイズもでかくなっているんだと思ってくれ」
「あれ、じゃあ私はいきなり大きなコップを持っているみたいなもんなんですね?」
「コップというか、池……いや、海だな。こんな透き通ったのはドラゴンの角や上級の魔石くらいだぞ、はっきりいって反則みたいなもんだ。それだけ魔力の保有量が多いなら、触媒が無くても無意識に魔術が発動してもおかしくない。今まで周りで不思議なこと起こらなかったか?」
若干呆れ気味にザックが肩をすくめた。
「そんなことないです! むしろ魔法が使えたらって何回思ったかわからないし!」
「なんだろうな。未来では魔術は使えないのか、それとも嬢ちゃんがこの時代に来る時に何かあったと言う事か。話を聞いていると後者の可能性が高そうだな」
ザックだけでなくユスティーシュも不思議そうに首を捻っている。それほど不思議な事態という事なのだろう。
「うーん、とりあえず凄いってことはわかった、気がします」
この時ザックにはいくつか仮説はあったのだが、まだ黙っていることにした。伝えるにはもう少し情報を集めて確実なものにする必要がある。
ザックから指輪を返してもらった湖音は、大切そうにそれを抱えこんだ。
「とにかく、これは私が魔法を覚えられる証なんですね。……嬉しい」
「まあ、おいおい教えてやるよ。まあそんな簡単なもんじゃないとは思っとけよ」
そう言うザックの頬には、わずかに赤みが差していた。
「ザック、顔が赤いよ。まだ酔ってるの?」
「うるせえよ!」