第三話 探索
三人が城の落ちて来た場所に着いた時には、すでにかなりの人数が集まっていた。
「うわ、すげえなあ。こりゃ森の半分は潰れてるんじゃねえか?」
木々を押し潰す瓦礫の山々に多くの人が群がっている。何か金目の物が無いかと漁っているのだろう。人だけではなく、獣人やドワーフなどの姿もちらほらと見受けられた。
初めて人以外の種族を見た湖音は思わずキョロキョロと辺りを見回してしまうが、構わず森の奥に向かう二人に気がつくと、慌てて後を追っていった。
「ザック、彼女がいたのはどの辺りだった?」
「ああ、こっちだ」
三人は瓦礫をよけ、さらに奥に向かった。街道はすでに塞がれているので、さらに小一時間ほどかけて奥に進んでいった。
「多分、この辺りだと思うんだが」
ザックは人影もまだ無い残骸の前で足を止めた。
「多分、あれが嬢ちゃんの後ろにあった尖塔、だったもん、だと思うんだがなあ」
彼が指差した残骸は尖塔の基部のようだった。ある程度原型を留めており、その根元にあった一際大きな神像も、瓦礫に埋れながらも原形を留めていた。
「君は全然覚えてないんだよね?」
「ええ、残念ながら」
ここに来るまでの道すがら、お互いの事を色々話したことで少しは緊張がほぐれてきたらしい。湖音は二人に対しても自然に会話できるようになっていた。
「まずは調べてみるか。Des.Mas.」
ユスティーシュが杖を構え、起動式を唱えると、途端に全身に漂う雰囲気が一変した。
体内の魔力が励起し、いつでも魔術を発動できる状態に移行したのだ。
魔力というモノが見えなくとも、そこに確かに存在すると確信できるほどのそれは、変化だった。
——澱み無く動く魂の源よ その内に漂う命の輝きを知らしめよ/生命探知——
ユスティーシュが呪文を唱え始めると杖の先端が水色に淡く光り始め、最後の鍵言を口にした瞬間、輝きはまるで水面を走る波紋のように広がっていった。
「……生き物の反応はまあ、この有様じゃ、ある訳ないな。向こうの野次馬くらいか。ん、どうした?」
隣で湖音が目を丸くしていた。
「それ、何ですか? どんな仕掛けなんでしょうか」
「ん? 初歩の水系探知魔術だよ。君も魔術師なら常識でしょ?」
「そんな! それじゃ、まるでほんとに魔法、みたい……? あ、え。本当に魔法なの?」
訝しがるユスティーシュに対して湖音の表情は戸惑いから驚きへと変わっていった。
「……ザック。お前、確認したって言ったよな?」
「ああ、確認したぞ。嬢ちゃんのはオレ達とは大分、系統も考え方も、それこそ常識すら異なるみたいだが、歴とした魔術師だ……と思ったんだが。……違ったか?」
「ふん、どうだか。君、僕らに嘘をついたのかな?」
「いえ、なんて言えばいいんでしょうか。私は奇術師ですけど、魔術師じゃないと言うか……種も仕掛けもある魔術なんです」
一瞬剣呑な気配を漂わせたユスティーシュだったが、湖音の返答を聞いた途端、張り詰めた空気は元に戻った。少し疲れたような、呆れたような顔をしていたのは気のせいだろうか。
「……まあ、魔術に種も仕掛けもあるのは当たり前だけど、君の術はだいぶ僕らの物とは違うみたいだね」
「は、はい。ユスティーシュさんの魔術にも仕掛けあるんですね」
「そりゃそうだよ。魔術だからって空飛んだり死者を生き返らせたりできる訳じゃないからね。知らない者はよく誤解するけどね」
「はあ……なんでも出来る訳では無い、という事ですね」
ようやく湖音の中でも理解が出来た。彼らの魔術は、自身が知る物とは異なった知識体系の元、作り上げられた技術だと言う事なのだろう。
「そうだね。使い方によっては便利なものだけどね、こんな風に」
再び呪文を唱えたユスティーシュが大地に杖を突き立てると、そこから見えない波紋が拡がる気配がした。
「あの辺りに金属や魔力の気配があるね。調べようか」
そう言ってユスティーシュは尖塔の基部へと潜り込んでいった。
「悪かったな。あいつも悪気がある訳じゃないんだが、魔女狩りが横行するそんなご時世だからな。勘弁してくれや」
ザックが取りなすように言葉を続けるが、湖音は特に気にした風も無かった。
「え? 全然大丈夫ですよ。お気遣い無くー」
残念ながらユスティーシュの言葉は何ら彼女には響いてないようだった。そんな二人がユスティーシュに続こうとした、その時だった。
…………ィィィィィィィイイイイイイン!
突然、甲高い音が辺りに響き渡る。まるでジェット機の吸気音のように湖音の耳には聞こえてきた。
「……ザック、気をつけろ! 何かやばい!」
二人の耳に激しい魔力の高まりを感じたユスティーシュの叫びが、何処からか飛び込んできた。
咄嗟に湖音を抱え大地に身を投げ出すザック。先ほどまで二人がいた空間を、人の腕ほどもある太さの光線が薙いでいく。
後ろに生えていた大樹がまるでバターのように切り裂かれ、なぎ倒されていった。
「なんだ、いったい!」
振り返ったザックの目に飛び込んできたのは、瓦礫に埋れていたはずの神像だった。
その慈愛に満ちた表情と全身を覆う甲冑から推測するに、その像は軍神か戦乙女だったのだろう。細工の細かさや曲線の美しさから、さぞ名のある名工の手によって作られたものだろうと想像できた。
先ほど見た時は、頭部の右半分および左半身が失われ、身体の三分の二以上が瓦礫の中に埋もれて傾いでいたのを全員が目にしている。
しかし今その像は上半身を起こし、ザック達の方に向き直っていた。下半身は失われているようだが、這い出した瓦礫の上、腰から上だけで器用にバランスを保っている。
目を凝らし、ユスティーシュの姿を探したザックだったが、彼が入っていった開口部は既に瓦礫で埋まっており、その姿を見つける事は出来なかった。
軋む音を立てながら動き出した神像は、唯一無事だった右腕に握られた槍をこちらに向けている。その先端は仄かに輝いていた。
…………ィィィィィィィイイイイイイン!
再び甲高い音が辺りに響き渡る。それと同時に槍の穂先の光はまばゆく輝きだし、直視することもかなわぬ程になっていった。
「……この城の防衛装置か! 岩陰に飛び込めっ」
ザックが絶叫し、慌てて大きな瓦礫の陰に転がり込む二人に向けて再び光線が放たれた。
さすがに瓦礫を貫くほどの出力はないのだろう、その後幾度か光線が発射されたが、二人に届くことは無かった。
「ここにいれば、とりあえずは安全か」
一息つくザック。湖音はまだ不安そうに瓦礫の陰から神像を見ていた。無駄弾を撃つ気はないのか、今のところ砲撃は止んでいる。
しかしこちらを向いた神像が構える槍の穂先の輝きは未だ消えず、二人が動き出した瞬間に行動を再開するのが見て取れた。
しばしの安全を手に入れた二人は、必死に対応策を考え始めた。
神像の本体には大きくヒビが入り、おそらく耐久性はかなり低いと思われる。衝撃を与えれば倒すのは難しくないだろう。押して瓦礫の下に落とすだけで破壊する事は可能なはずだ。
しかしそもそも側に寄る方法が湖音には思い浮かばなかった。ここから神像までの距離は50メートル程。その間に障害物は無い。光線は連続では撃てないようだが、およそ二秒間のチャージで約一秒間、光線を撃つ事を確認している。どう考えても走り寄るのは不可能だった。
試しに小石を投げてみるザック。飛んで来る石を見た神像は、それが驚異で無いことを理解したのか完全に無視していた。対象を見極める程度の能力はあるのだろう。
「ねえ、魔術でなんとかならないんですか?」
「残念ながらな。俺が使えるのは基本的なもの以外は召喚術のみだ」
肩を竦めながら答えるザック。
「前に見せてくれたお猿さんとか召喚しちゃ駄目なんですか?」
「そうしたいところだが、魔力が足りん。まあここにあと三日もいれば使えないことも無いだろうが、な」
流石にそれは現実的な案とは言い難いだろう。腕を組みながら悩む湖音は、重ねて質問をし始めた。
「んー、じゃあ基本的な術では倒せないの? なんか火の玉や岩の塊を飛ばしたり、風の刃でズバっと切り裂いたりとか」
「火の玉ってなんだよ。何か物を燃やして火の玉を作る事は出来るが、それを飛ばすなら風属性を複合せにゃならん。二属性複合ってのは上級魔術だからな、俺にゃできん。それなら直接燃やした方が早いだろうが、像じゃ無理だしな。瓦礫を飛ばす事は出来るだろうが、初級じゃ手で投げるのと対して変わらんな」
「じゃあ出来る事ってどんな事なんですか?」
度重なる駄目出しに、湖音も少し表情を曇らせていた。
「初級の魔術で可能なのは、各属性の具現化と操作だな。火つけたり、水出したり、その程度だ」
二人の間に重苦しい沈黙が流れ始めた。ユスティーシュの安否がわからない現状、撤収する事もできない。八方塞がりだった。
「……じゃあ、もう駄目なんですか?」
「いや、なんとかなるだろ」
流石に弱気になる湖音に返ってきたのは、ザックの飄々とした返答だった。
「なんとかって、どうする気ですか? 近寄れ無いし、魔術でも駄目なんでしょう!?」
「駄目だとは言ってない。いいか嬢ちゃん、魔術で出来る事なんてたかが知れている。全ては使い方なんだ。まあ見てろ。Col.Fig」
起動式を唱えた瞬間、ザックの魔力が励起する。先ほどのユスティーシュ程では無いが、魔力の高まりが湖音にも感じられた。
「大切なのはよく観察し、考える事だ。いくぞ」
そう言うと、ザックは瓦礫の陰から出て神像に向き直った。途端に神像のチャージ音が聞こえてくる。
——coniciunt——
詠唱をしつつ、一歩脇へ歩を進めるザック。次の瞬間神像から放たれる死の光芒。
どうやっても助かる術の無い不可避の一撃。
思わず顔を手で覆う湖音。
それは確実にザックを貫くはずだった。
しかしその光線が貫いたのは先ほどまでザックがいた場所であった。
「ど、どういうこと?」
指の間から見るザックは、光線が放たれたと同時に駆け出している。
続けざまに光線も放たれているが、その照準は全く定まっておらず、ザックの身体を掠める事すら無かった。
思わず神像に目をやった湖音は、その原因を見つけ出した。
神像に残された右目が燃えていた。
いや、正確には石像なので燃えてはいないのだが、その顔を赤々とした炎が覆い隠していた。
「熱、のせい?」
ようやく湖音にも原因が理解できた。
先ほどからあの像は目で対象を追っていた。それに対して足下から聞こえてきたはずのユスティーシュの声には無反応だった。
つまり敵の補足方法は視界に限定されているという事。
確かに神像自体は石のため、おいそれと燃やす事はできない。しかし顔の前に熱源があれば視界は歪み、狙いをつける事はできなくなる。
光線という点と線の攻撃手段である以上、初撃さえ交わせばあとは腕の振りに気を配れば避けることは難しくないだろう。
そして次の瞬間、ザックの体当たりが決まる。腕一本しか残らない神像はバランスを取ることすらできず、瓦礫の上から大地に転がり落ち、砕け散った。
「ま、こんなもんだ。簡単だろ?」
神像はまだ微かに動いていたが、ザックが内部に嵌っていた輝く石を外すと、ついに神像はその動きを止めた。
「すごい、本当になんとかなるもんですね」
「大事なのはよく見て、よく考える事だ。仮にも魔術師を名乗ってるんだ、難しい話じゃないだろ?」
したり顔で話ながら瓦礫をどかしていくザック。呆然とする湖音をよそに、やがて開口部が露わになり、ユスティーシュが姿を現した。
「やれやれ。助かったよ」
「お前が中から術でもぶちかましゃ良かったじゃねーか。クソ」
「崩れでもしたら、たまったもんじゃないからね。お前なら何とでもなるでしょ?」
ザックは涼しげな顔で埃を払うユスティーシュを忌々しげに睨みつけるも、それ以上言う気は無いようだった。
「どうやらただの城じゃ無いみてえだな。まあ浮かんでた時点でわかっちゃいたが……って、嬢ちゃん、大丈夫か?」
「…………決めた」
「ん、大丈夫か? 頭でも打ったか?」
「お願いします、私にも魔術を教えてくださいっ」
そう言って深々と頭を下げる湖音。突然の申し出に思わず目を見合わせてしまう二人だった。
「…………はあ?」
突然の申し出に驚く二人をよそに、湖音の目は決意に燃えていた。
それは父を失い、夢と未来を失い、さらには己のいた時すらからも切り離されてしまった湖音がようやく見つけた新しい可能性そのものだった。
今彼女の頭の中にあるのは、魔術と奇術を融合すればさらなる奇跡を起こせるのではという期待と興奮、それだけであった。この時代、どんなに技を究めようがそれを公開する場など無いというのに。己の技を磨く事に対しては余念の無い湖音なのだった。
「……えーとね、魔術を学ぶっていうのは大変危険な事なんだよ?」
「そうそう。バレたら間違いなく殺されるんだぞ? 止めときな」
「それでも構わないです。どうしても学びたいんですっ」
止める二人の言葉にも、湖音は決意を変えようとは思わなかった。
「うーむ。まだ危険さが分かってないみたいだね」
「いえ、理解できています。前にザックさんが話していた魔女狩りのせいで、魔術師だって言うのは秘密にしなきゃいけない、という事なんですよね」
湖音も知識としては過去の魔女狩りを理解している。この時代、大変な迫害があったことも。それをわかった上で、なお諦めようとは思わなかった。
「……やはり君はこの愚か者とは違うね」
ユスティーシュは優しく微笑み、後ろで文句を言うザックを無視して湖音に振り向いた。
「魔術というのは、無くてはならない物。だけどその神秘は、隠されなければならない」
そう言ってユスティーシュは魔術について語り始めた。
彼によると、魔術師迫害の原因は教会なのだという。神の奇跡を奉ずる教会にとって、神の『奇跡』と異なる『奇跡』を体現する魔術は認め難い物なのだとか。
かつては魔術師を迫害した事もあったものの、それでも生活魔法と呼ばれる身近な魔術は日々の暮らしに密着しており、今更無くす訳にはいかないと言う事で教会もジレンマを抱えていたのだという。
そのため過去の公会議でも魔術の扱いについては二転三転し、結論がなかなか出なかったらしい。
ただ幸いな事に人間で魔術を扱える者が極少数であったため、現在の教会側の結論は『魔術とは異種族の者が扱う固有技術』という事に落ち着いており、人間社会に浸透しているようだった。
「うーんと、結局認められたんですよね? でしたらそんな神経質にならなくても良いのでは?」
湖音の疑問にユスティーシュは苦々しい笑みを返した。
「異種族の技術、と言う所がポイントなんだよ。人ならざる者が魔術を扱うのは構わない。しかし人の使うそれは悪魔に魂を売った者の技とされたのさ。ま、詭弁もいいとこだけどね」
ユスティーシュから聞いた顛末は、わかりやすい反面、納得はし難い物だった。
「魔術を扱う人間は魔女だ。これは異端であり滅ぼさなければならない。だけど異種族が扱う魔術は『技術』だ。これは害が無い限りその使用を制限付きながら許可をする。それが教会の結論だったのさ。これが魔術が秘匿される最大の理由なんだよね」
最も、そのために異種族への迫害は多かれ少なかれ存在する、らしい。それどころか一部の宗派ではこの結論を良しとせず、魔術師と共に異種族を弾圧している者達も少なからず存在するのだと言う。
また生活に欠かせない魔術ではあるものの、実際に使用されるのは汚物の浄化や建築現場、動物の屠殺場や刑場などが主なものであるため、魔術を使う彼らは差別の対象でもあった。
「でも、バレなければいいんですよね。ちゃんと人前では隠しますから、お願い!」
「んなこと言っても才能無きゃ使いこなせねーんだよ。百人に一人、いるかどうかってとこか」
「でも、試してみなきゃ分からないですよね?」
「そりゃあまあ、やってみなきゃ分からんけどなあ」
「是非、お願いしますっ」
「…………」
気がつくと試さざるを得ない流れになっている事に気がついたザックだったが、今更駄目だとも言い難かった。
「……ああもう、仕方ねえな。ただし覚えられる人間は本当に一握りだ。才能無かったら諦めろよ」
コクコクと肯く湖音にザックは懐から取り出した指輪を渡した。
「持っていろ。お前に才能があれば、少しずつその指輪の石がお前の属性色に染まっていくはずだ。上手くいくようだったら魔法を教えてやる」
そう話している間にも、湖音の手のひらに載せられた指輪の石が、くすんだ灰色から澄んだ乳白色に変わっていった。
その唐突な変化にザックは目を剥いた。
「……馬鹿な! 何だその魔力は!?」
「え、えっと。なんかすごい、んですか?」
思わず叫ぶザックに若干引き気味に答える湖音。覗き込んだユスティーシュも驚いているところを見ると普通の状態では無いのだろう。
「その状態まで指輪に魔力を染み込ますのに、普通10年はかかるかな……」
「……まあ適正はある、みたいだな。……大聖との約束もあるか、仕方ねえ。戻ったら教えてやる」
「ほんと! ありがとうっ!」
納得がいかないような表情を浮かべる二人とは対照的に湖音の表情は喜びに溢れていた。
「帰ってからだからな。とりあえず探索に戻るぞ」
「まあどうせ面倒みるなら一緒か。ザック、魔力はどう? 危ないなら一旦戻る?」
ユスティーシュの問いかけに、ザックはニヤリと笑みを浮かべた。
「冗談。面白くなってきたとこだ。こんだけの守りがある城ってのがどんなもんか調べてみようじゃねえか」
「仕方ないね。まあまだ調べてないお宝の反応が残っているし、さっさと終わらせようか」
やれやれという表情を浮かべるユスティーシュだったが、その目は退く気は無いと物語っていた。
そうしてそれぞれの思惑を胸に笑みを浮かべながらも、一行は再び探索に戻って行くのであった。