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第二話 奇術師と魔術師

 彼女が目を覚まして最初に目に入ってきたのは、煤で薄汚れた木製の天井だった。

 夢を見ながら泣いていたのかもしれない。枕が涙で濡れていた。

 熱があるのか、少し頭がぼうっとしていた。かすかな息苦しさを感じたが、体調を崩したのだろうか。

 一瞬どこにいるのか理解できず辺りを見回すが、見知った物は何一つなかった。見紛うことなき知らない部屋である。服も着たままであり、身につけている物もそのままのようだった。唯一コートだけは壁に掛けられていたが。

 深酒をした訳でもないのに、何故自分の部屋以外で目を覚ましたのかが彼女には理解できなかった。


「……えーっと、どうしたんだっけ」


 とりあえず記憶を辿り、ステージ上での異変を思い出した。その後に瓦礫の雨が降る中、男に抱かれていたような記憶があるが、さすがに夢だろう。最後には大猿まで出て来ていたし。

 原因はステージ上の異変だろうか。詳細はわからないが、他に心当たりは無い。色々と気になる事はあるが、それよりも今の自分の状態を把握するのが先決だった。


起動(ブート)


 血液中のNDIナノデバイスインターフェースを起動する。視界に重なる形でインターフェースが表示される。二十一世紀ではコンピュータはナノサイズになっており、血流中に流す形で所持するのが一般的になっている。メンテナンスの必要もなく、データ容量も自己増殖によりほぼ無制限、バージョンアップも容易なため、このタイプのコンピュータの世界シェアは八割を超えていた。


『おはようございます、湖音様(マスター)


 湖音がマキナと名付けたNDIの擬似人格が起動し、湖音の脳内に優しげな女性の声で話しかけてくると同時に右腕のスピーカーから声が聞こえてきた。


「おはよ、マキナ。ねえ、今は何時で、ここはどこなの?」


『はい、現在の時刻は午前八時。場所は……最後にいたのがヴェルサイユという事しか確認できません』


「んー。どういうこと? 場所がわからないの?」


『現在衛星とのリンクが切れているようで詳細な現在地が取得できません。地磁気や太陽高度、星の位置を測定しましたが、該当する地域は発見できませんでした。しかし現時点で最大の問題は、ネットワークから完全に切り離されていることです。原因は不明です』


 通常ではまったく考えられない事態が起きているようだった。


「ええっ、困るー! 調査(チェック)してっ」


 形のいい眉を顰め湖音は自己診断プログラムを起動させるが、やはり故障では無いらしい。仮にこの空間に妨害電波が流されていたとしても、ここまで完全にネットワークから遮断されるというのは考えにくかった。少なくとも緊急回線を遮断するのはそんな容易な事ではない。視界内にはNDIが自身の状況をチェックした項目が列挙されている。ネットワークに接続できないため、かなりの機能が制限されているようだ。およそ六割の機能が使用できなくなっている。ついでに記録(ログ)も確認したが、舞台上にいたのを最後に途切れていた。

 こんなことは湖音がNDIを使い始めてから初の事態だった。


 とりあえずネットワークへの接続を諦め、周囲のローカル情報をチェックするが、それでも目立った情報を入手する事はできなかった。通常であれば身の回りの商品に溢れんばかりに付いているはずのARデータタグですら一つとして表示されない。試しに目の前の水差しにタグを付けてみると正常に表示された。やはり故障というわけではないらしい。


「……どういうこと?」


『いくつか推測できます。まず……』


 呆然とする湖音の耳に階段を登る軋み音が聞こえてきた。暫くしてノックの音と共に扉が開く。入ってきたのはザックだった。


「あ、夢に出て来た!」


「お、やっと起きたか。身体は大丈夫か?」


 急に夢が現実化したかのような事態に驚いたが、ザックのぶっきらぼうながらも気遣いの感じられる口調に、湖音は少しホッとした。


「……はい、大丈夫です。えーと、貴方はどちら様ですか? というかここ、何処なんでしょう?」


「あー、俺はザック。……大学で研究をしている。ここはヴェルサイユ近くの村の宿。あんたがでっかい城と一緒に空から降ってきてペチャンコになりそうな所を、白馬に跨った王子宜しく、助けたって訳だ」


 照れているのか、顔を赤くしながらも若干戯けて喋るその姿に、湖音は悪い人では無いと判断した。


「夢、じゃなかったってこと? ……えーと、よくわからないけど助けてくれたんですね。ザックさん、ありがとうございます。私は泉湖音。正直、何が起きたかよく分からないんです。さっきまでスタジアムにいたのは覚えているんですけれど、突然変な声が聞こえてきたと思ったら周りがグルグル光りだして……。後はよく覚えてないんです」


 おっとりと喋りだす湖音の言葉からザックは彼女を素性を汲み取ろうとするが、いきなり壁にぶつかったらしい。


「スタジアム? この辺にそんなもんは無かったはずだが。……なんか悪い魔術(マジック)にでもかけられたか?」


 なんらかの精神操作系の魔術の影響を疑うザックに、湖音は言葉を続けた。


「ほんとそんな感じですね……。スタジアム御存知無いですか? ほら、この間中止になっちゃいましたけど奇術(マジック)のショーをやる予定だった……あ、実は私も奇術師(マジシャン)としてそこに出る筈だったんですよ」


 ザックの言う魔術(マジック)の意味を誤解したまま、言葉を続ける湖音。


魔術師(マジシャン)って……悪い冗談はやめてくれや。魔女狩りに遭っても知らんぞ」


 ザックの返答にキョトンとする湖音。


「何ですか、魔女狩りって。奇術師(マジシャン)なのは本当ですよ。ほら」


 湖音がザックに近寄り、何も無い掌を見せた後に指を鳴らすと、そこには小さな花が忽然と現れていた。

 湖音に近寄られた瞬間再び真っ赤になったザックだったが、花を見た瞬間、ザックの視線は鋭さを増していた。


「……それはどういうイカサマだ? 空間操作なんて伝説級の代物を、無詠唱な上に触媒も無しに形にできる訳が無いだろうが」


 確かにこの規模の魔術であれば魔力の干渉光などは見えない可能性はある。しかしこの難易度の魔術を詠唱だけでなく鍵言(キーコード)すら無しで発動するというのは、ザックの常識からすればあり得ないものだった。


「お気に召さなかったですか? 私、『不思議』の扱いなら、ちょっと自信あるんです。ほら、今度はあなたの方に移っちゃいました」


 湖音が軽く手を握りこむと花は忽然と姿を消し、彼女が指を指した先、ザックの胸元にプリントされた写真となって出現していた。

 湖音と同時代の者であれば、それが簡単なトリックである事に気付いたかもしれない。

 最初にパームと呼ばれる技術で隠していた花を出した時、既に反対側の手に握りこまれていた転写シートにプリントされていた花を彼の胸元に写しておいたのだった。


「……なんだこれは。俺の知らない魔術、なのか。信じられん」


「ふふ。私の『不思議』、いかがですか?」

 愕然とするザックを他所に、湖音はステージで見せるような微笑みを浮かべた。


「参った。まったくわからん。確かに魔術、だな、こりゃ。……白状するが俺も魔術師なんだ。大学で召喚術を研究している。こんなご時世なんで魔術師を名乗るのは危ないからな、身分を伏せさせてもらった。すまんな」


「あ、ご同業だったんですね。私はステージマジックが最近多いですが、クロースアップも得意ですよ。召喚術っていうのは鳩とか猛獣出したりするやつの事ですか?」


「そういうものを召喚する者もいるかもな。お前も今見せてくれたのは似たようなもんだろ? 比較的近い属性(ジャンル)みたいだし、よかったら後で情報交換させてくれ」


「ええもちろん構いませんよ、出来る範囲になっちゃいますけど」


 友人達から、のんびりしておりガードが緩いと言われてきた湖音であったが、さすがに奇術の種まではそうそう簡単にばらすことはできなかった。そこだけは気を引き締めなければと考えていた湖音は、他に突っ込むべきザックの発言のことごとくをスルーしていた。

 このように二人の誤解は一向に縮まることは無かったのである。


「あ、そうだ。ところでネットワークに繋がらないのはどうしてですか? ログを見ても記録が途切れていて分からなくて」


「ネットワーク、ログ? すまん、それが何の事だか全然わからん。お前の魔術(マジック)に関連したものなのか? もう少し詳しく説明してくれ」


 意味不明の単語を並べられて面食らったザックは、降参と言わんばかりに両手を挙げた。


「うーん。ネットワークってなんて説明すればいいんでしょうか?」


 怪訝そうな顔をするザックに、同じく疑問に思いながらも自分が理解している範囲でNDIの話をする湖音。しばらく話した結果、二人の常識はまったく噛み合っていない事だけはお互い理解することができたのだった。


「……するってーと、お前さんは体内にそのマキナって生き物を飼ってるってことか。にわかには信じがたいが一部の魔術師は使い魔を体内で飼うって話は聞いたことがあるな」


「もう、そんな訳ないじゃないですか。 えーと、なんて言えばいいでしょうか。というかNDIご存知無い方もいらっしゃるんですね、このご時世に珍しい……って、そういえば今日って何日なんでしょうか? 明らかに今、冬じゃないですよね……まさか何ヶ月とか何年も眠ってたなんて事、ないですよね?」


「ああ、お前を助けたのは昨日だから、そんな事ないぞ。今は一六六六年の七月二十二日で間違いない」


「ああ、なら良かっ……って一六六六年? それって西暦? 冗談ですよね?」


 ザックの返事にポカンとする湖音だったが、確かにそれであればNDIを知らないのも当然だろうと納得……できるわけもなく、ザックの発言に混乱し始めた。


「えーと、私タイムスリップでもしたんでしょうか? あ、だから魔女狩りなんですね。って映画の撮影とかじゃないですよね? 私、もしかしてまた騙されてるんでしょうか」


 脳内で思考の堂々巡りに陥った湖音の頭から煙が出そうになっている様子に、慌ててザックが声をかけた。


「えーと、なんか誤解があるみたいだが、俺はお前とは初対面だし、騙すも何も危ないとこを助けただけだぞ。そもそもお前の中では、今はいつということになってるんだ?」


 しかしその質問には答えず、ちょっとまって欲しいとザックを制した湖音はマキナに質問した。


「マキナ、現状はどうなってるの?」


『不確定要素が多すぎて何とも言えませんが、ここが()ではない、いつか(・・・)であるというのは間違いなさそうです。少なくとも現代のヴェルサイユ近郊にこういった場所は存在せず、地磁気や星の位置も異なっています』


 しばらく考えた湖音はため息を一つつくと、真剣な顔をしてザックに向き直った。


「ごめんなさい、私の中では今は二◯四五年のはずだったんです。未だに何がなんだかよくわからないんで、もう少し色々と教えてもらってもいいですか?」


 息を飲みながらも頷くザック。

 二人が様々な疑問をぶつけあって、ようやくお互いが納得できたのはそれから二時間後のことだった。


「……つまり、本当に今は一六六六年、なんですね」


 会話のログから重要なポイントを視界に表示して確認しながら、湖音は結論づけた。


「ああ。お前さんが今でない、はるか先の時代から来たってのは納得できた。そのマキナとか言うおっかねー精霊みたいなもんが当たり前の世界ってのは、いまいち想像できないがな」


 少し青ざめながら答えるザック。

 先程の話の中で、マキナの存在を疑うザックに対してマキナがとった行動は、マキナの機能の一端を見せることだった。具体的には右腕の端末に内臓された機能の一つ、スタンガンを多少しびれる程度の出力に抑えて食らわせたのである。

 喋りかけるマキナに対して軽く挑発したザックも、まさか全く魔力の発動を伴わない電撃に撃たれるとは思わず、その衝撃は大きかった。これには流石にザックも信じざるを得なかった。


『信じていただけて幸いです』


 右腕の腕輪についたスピーカーを通して答えるマキナの口調はどこか楽しげだった。


「まあ、とにかく、なんだ。俺らで力になれることがあったら言ってくれ。大聖にも頼まれたんでな。あ、大聖ってのは俺の召喚した大猿なんだが覚えてるか?」


 そう言われて湖音の脳裏に牙を剥いた巨大な猿の姿が思い浮かんだ。


「……あれも、やっぱり夢じゃなかったんですか。どんな仕掛けなんでしょう……あ、いえ。なんでそんな事頼んでくれたんでしょうか」


 巨大な神猿の姿を思い浮かべながらも、何らかの仕掛け(トリック)が有る事は疑っていない湖音だった。


「さあなあ。あれでも神の一柱だからな。考えていることはわからんよ」


「神様? 確かに立派でしたねえ。また見せていただいてもよろしいですか?」


「まあ毎回呼び出せる訳じゃないんで期待しないでくれ。むしろ制約が多すぎて不便なことの方が多いんだ」


 仕掛けを考えているせいで、明らかに上の空で聞いている湖音に対して、ザックの反応は苦笑混じりのものだった。


「ふうん、そういうものなんですね。でも助けてくれるのは嬉しいんですけど、ザックさんのご都合は大丈夫ですか? それだけの力があるなら、何かとお忙しいんじゃないんですか?」」


「いや。ちょうど今大学も休校でな、暇だからユスティーシュ……あ、俺の相棒の名前だ。今薬を貰いに行ってくれてる。あいつと旅をしていたとこなんだ。だから俺ら二人はあんたの都合に合わせられると思う」


湖音の不安げな表情に気がついたのであろうザックの言葉は、湖音を少し安心させた。

 ちょうどその時、再び階段を昇る足音が聞こえ、扉が開いた。中に入って来たのは仮面の男、ユスティーシュだった。


「無事だったみたいですね、お嬢さん(マドモアゼル)。もし調子が悪いなら薬を飲んでおくといいでしょう。薬師に作ってもらったばかりなので効果は強いと思いますよ。よかったらウーブリもどうぞ。この店のは甘くて美味しいと評判ですから。ああザック、お前の分はもちろん無いぞ。手出すなよ」


「いらねえよっ、つーか、お前も相変わらずだな!」


 マキナが視界に表示してくれた情報によるとウーブリというのはこの時代の菓子らしい。卵入りの小麦生地の焼き菓子なのだそうだ。ユスティーシュの仮面に覆われたその表情は窺い知ることはできないが、雰囲気や気遣いから彼女の事を心配していたという事は察することができた。


「ありがとう、本当に助かりました。色々助けてもらえたら嬉しいです」


 湖音は改めて二人に向き直ると、そう言って深々と頭を下げた。


その様子に再び顔を赤くしながらも、真面目な表情になってザックは言葉を続けた。


「よし、じゃあ湖音。一つ聞きたいことがある。君はこれからどうしたい?」


「……え、これからって?」


 正直、ようやく現状を把握した所で、これからどうするかなどというのは、まったく思考の外であった。

 しかし考えてみれば二人が協力してくれるとはいえ、そのための方針を考えなければいけないのも事実である。


「まず最初に言っておくが、元の時代に戻るっていうのは、相当難しいと思う。少なくともそんな技術は俺の知る限り存在しないし、聞いたこともない」


 ザックの言葉に真っ先に考えた希望を打ち砕かれて、湖音は言葉を失ってしまった。

 確かにはるか未来の時代ですら時を超える事などできなかったのだ。そんな事が簡単にできるはずがない。湖音は絶句しながらも、改めてこれからのことを考えた。

 元いた時代の事。父の事。様々な事が湖音の頭の中を駆け巡っていた。そうしてたっぷりと時間をかけると、湖音はようやく言葉を紡ぎだした。


「……うーん、まだよくわからないのですが、まずは色々知るところから始めないといけないですよね。私に何が起きたのか調べたいので、手伝ってもらってもいいですか?」


 二人にそう提案した湖音の目は、まだ迷いと不安に溢れていた。正直、泣き出して踞ってしまっても仕方ないのだ。だが彼女が、現状を打破するための第一歩を踏み出そうとしているのが二人には見てとれた。


「……わかった。なら、まずは落ちてきた城を調べに行くか」


 ザックがそう提案すると湖音は一も二もなく首肯いた。


「へえ、女性恐怖症のお前が女性を助けるとはな。どういう風の吹き回しだ?」


 すかさずユスティーシュがからかうと、ザックは微かに顔を赤くしながら言い返した。


「うるせえ。大聖に頼まれてるんだ。そういうお前こそ、いつもの皮肉が足りねえんじゃないのか」


「何言ってるんの。僕がこんな美しい女性にそんな事、言うはずが無いだろう」


「……なっ、て、てめえっ」


 そんな二人の言い合いが面白かったのか、湖音がクスリと笑った。それは彼女がこの時代に来て初めて見せる、心からの笑顔だった。

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