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第一話 偶然の邂逅

 世の中には偶然が溢れている。


 今、目の前で起こっている事態も、きっと偶然に違いない。例えそれ(・・)が「常識」と呼ばれるものから、どれほどかけ離れていたとしても。

 それにしたって、いったい誰が想像できるというのだろう。

 呆然とするザックの目の前で、今まさに分厚い雲を引き裂きながら、巨大な城が落ちてきていた。


「…………城、だぁ?」


 フードが風に飛ばされ豪雨が直接顔に吹き付けるが、それどころでは無かった。あまりの出来事に、ただ茫然とする以外に何が出来ると言うのだろうか。


 雷鳴轟く中、次々と雲間から姿を表すのは、逆さに延びた無数の尖塔。その様は怨霊の群れを引き裂く巨人達の槍衾のようだった。さながら雷鳴は怨霊の叫びであり、豪雨はその涙のようにも見えた。


「……はっ、冗談だろ。いってぇ何だって言うんだ!!」


 彼がこの道を選んだのは偶々(たまたま)だった。近隣の遺跡の調査を依頼され、仲間と共に探索完了したのが数時間前。この依頼だって偶然目に付いたもので、特に理由があって受けた訳じゃない。強いて言うなら懐が寂しくなってきたからというだけだ。日が暮れる前に戻りたかったので最短コースを選択しただけであり、そこに深い理由なんて無い。


 法に触れるような事はほともんどしていないし、遺跡で祟られそうな事だってしていない。礼拝だって小まめに行っている。そりゃ決して信心深いとは言えないが罰が当たるような事でもないだろう。


 それがまさか、こんな事態に遭遇しようとは。

 森の動物達が大挙して逃げてきているのを見かけた時点で、何かおかしい事には気がついていた。

 様子を探るために斥候を買って出たが、現状は想定の遥か上を行く事態と言えた。というか上すぎる。たっぷりと時間が経過した後、我に返ったザックは慌てて手綱を取り、来た道を引き返す事にした。振り返った後方の雲間にも、城は姿を現し始めていた。


 その巨大な城は、万人を納得させることができるであろう優美さと壮麗さを兼ね備えていた。それはこの激しい豪雨の中でも些かも損なわれる事はなく、まるで神の居城が地上に降臨しようとしているかの様にも感じられた。

 半透明の水晶と大理石を組み合わせた優雅なアーチを、まるで蜘蛛の巣さながらの複雑さで織り重ねてできた尖塔の数々。塔と塔の交差する部分には無数の繊細な彫刻が施されている。まるで呼吸をしているかのような天使や悪魔、精霊といった異形の存在達の姿がそこにはあった。城壁も一面、優雅な曲線と植物を模したかのような装飾に覆われている。

 幻想の結晶とも言えるその姿には、見た者全てに、これまでに目にしたどんな城よりも美しいと思わせるであろう、圧倒的なまでの「美」が漲っていた。

 その美の結晶が、今まさに崩壊しつつあるのである。


「……こりゃ、洒落にならんだろ!」


 とりあえず城が落ちてくるであろう箇所から逃げなければ、間違いなく命は無い。少なくとも現状、ザックのほぼ直上を中心として尖塔が見え隠れしている。最低でも半リーグ(約二キロ)は走らないと危ないだろう。


 時折、稲妻が城の尖塔に直撃してその一部が崩落し、地上にガラガラと落ちてきている。本体の焦らすような降下速度とは違い、それは本来あるべきスピードで落下し、森に直撃して被害を与えている。そしてそれは、徐々に激しさを増しているようだった。

 また非常に遅いとはいえ、雲間に見え隠れする城自体も明らかに雲間から見える割合が増えている。まるで地上に墜ちる運命を拒むかのように、周りの大気そのものを歪ませながら、ゆっくり、ゆっくりと地面に近づいていた。


「緊急事態だ、そっちからも見えるだろ? プランB、街道沿い筒型に全力で頼む!」


(了解。また何かやらかしたの? 今度こそ捕まるよ)


 ザックの叫びに反応し、頭の中に声が聞こえてくる。魔術を利用した念話である。


「またって何だ、俺じゃねーよ! 今全力で……」


 その時、崩落してくる瓦礫に注意するため空を見上げながら走っていたザックは、振り返った空の一点でとんでもないものを見つけてしまった。


「…………女、か?」


 それは宙空に浮かぶ一人の少女らしき姿だった。手綱を引き、あわてて馬を止めて目を凝らす。やはり見間違いではない。

 一番巨大な尖塔のはるか先、まるで彼女が城を引き寄せているかのように一人の少女が落ちてきていた。

 落下のスピードは城よりわずかに早い程度だろうか。非常にゆっくりとしている。このスピードを保つなら怪我することなく地上に降りられるだろう。ザックが何かをする必要は無い。


 ただし、上から城が激突しないという前提なら。


「……ああああああああああっもう! 見るんじゃなかった! 本当に見るんじゃなかった!」


(何かあった? 急がないと、十分程度しか持たないよ)


 わずかの葛藤の後、クシャクシャとくすんだ自分の金髪を掻きむしると、脳内に響く念話を無視して少女へ向けて踵を返した。左右の森に時折落ちて来る瓦礫の地響きに怯え、暴れようとする馬を必死に抑えながら、少女へと向かう。

 もちろんザックだって自分の命は惜しい。駆けつけたのは上空からのプレッシャーに負けなければ十分助けられるだろうという目算あってのことだ。


 目に流れ込むのが汗なのか雨なのかわからなくなりながらも、全力で馬を走らせる。

 ようやく辿り着いたザックの目の前で、少女は今まさに大地に降り立たんとする所だった。意識は無いのか、目を閉じて動く気配も無い。かすかに上下する胸から、生きている事は間違いない。


 それは黒ずくめの少女だった。

 それは何時かの時、何処かの場所では泉湖音と呼ばれていた女性だった。

 艶やかな黒髪に季節外れの黒いコート姿。美しい手にも荒れた部分は無く、爪には装飾を付けており、かなり高貴な身分であろうことが伺えた。その顔は思わず見惚れてしまうほど整っており、気を失っている様はまるで神が造りあげた人形のようだった。


 とりあえずここでゆっくりしている訳にはいかない。ザックは降りて来る彼女を馬上で抱きとめた。


 高鳴る胸の鼓動に気づかない振りをしながら、少しでも雨風を防ぐために自らのマントで少女を包むと、一目散に走り出した。


 疾走する遥か先、雲の色がかすかに変わっている。恐らくそこが城の端なのだろう。あそこまで駆ければなんとかなる。


 そう思った次の瞬間、空から割れんばかりの轟音が響き渡った。


 とっさに振り返る先で、それまでゆっくりとしていた下降が一転して、豪雨のような落下となっていた。音は崩壊していく城自身が放っていたのだ。


「死ぬ、無理だ! 急に早くなってんじゃねーよ!」


 瓦礫をかわしながらそれまで以上のスピードで走るザック。とても人を抱えて瓦礫を避けながら出せる速度では無い。人馬一体となった火事場の馬鹿力とでも言うべき神速で、街道を駆け抜けて行く。遥か後方では一際高かった尖塔部分が大地に激突し、凄まじい音を立てて崩壊を始めており、二人がいる場所を飲み込むのも時間の問題であった。

 しかし境界ははるか先であり、城の崩落から免れるにはどう考えても時間が足りない。二人の命は今まさに終わるかに思われた、その瞬間。


「よし、なんとか間に合ったか(・・・・・・・・・・)


 二人の頭上に落ちて来た瓦礫が何かにぶつかったかのように弾かれる。それは魔力で編まれた筒型の障壁だった。瓦礫をものともしない頑丈な不可視の障壁が、たった今二人を包み込んでいた。

 そう、ザックが狙っていたのは瓦礫からの単独離脱ではなく、仲間による魔術援護の射程内への移動だった。

 斥候を行うにあたって、遠距離攻撃支援、撤収用援護魔術など、いくつかのプランを仲間の魔術師と決めていたのであった。


「サンキュー、間に合った。あと数分もせずにそちらに着く……って、ああ!?」


 一息いれる間もなく、周囲の魔力障壁が嫌な音をたて始めた。瓦礫こそ問題なく防いでいるのだが、なぜか全体にノイズが走り、時々ぶれ始めている。障壁がこんな状態になるのを、ザックは見たことがなかった。


 彼が知る限りこの魔術の耐久性はこんなものではない。伝説では赤竜の一撃にすら耐え切ったと謳われる高位の術式である。徐々に酷くなるノイズに、さすがに嫌な予感が頭をよぎる。既に障壁の外側の大部分は瓦礫に埋もれ、土煙でもはや見通す事すらできなくなっている。

 もし今ここで障壁が失われれば、その瞬間大量の瓦礫に飲まれるのは間違いない。ザックは一旦は緩みかけた心を再度引き締め、さらに速度を上げるべく馬に鞭を入れた。


「ユスティーシュ! このヘボ魔術師め! どうなってる!!」


(なんだこれ? 術が、維持できない? 急いで、消えるよ!)


 悲鳴をあげながら走るザックの上で、ノイズはさらに激しさを増していた。まだまだ瓦礫は豪雨の様に降っており、止む気配も無い。だが境界はまだ遠く、どう見ても障壁は保ちそうに無い。

 それだけではなかった。突如、愛馬のスピードがガクンと落ちたのだ。

 原因は手綱から伝わる感触ですぐに判明した。馬に掛かっていた強化魔術が解除されたのだ。

 掛けられていたのは風属性強化魔術。敏捷性を高める術式が解けたのだから、速度低下は当たり前の事と言える。現状速度の低下は障壁の状態と共に重大な問題ではあったが、それ以上に致命的(クリティカル)な問題は、これが何故起きたのか(・・・・・・・)分からない点だった。

 術式解除の原因がわからなければ、魔術を安定して使用する事など出来ない。しかし解呪や相殺などの他の術式が使用された気配は一切感じられなかった。


「……う」


 悪い時には悪い事が重なるのだろうか。

 その時、タイミング悪く腕の中の湖音が微かに目を開けた。意識を取り戻したのだ。


「色々聞きたい事もあるだろうが、もう少しジッとしててくれ! お互いまだ死ぬには早すぎるだろ」


 ザックは状況の分析を中断し一瞬だけ彼女に目を落とすと、大声で叫んだ。それが果たして良かったのか悪かったのか。

 一瞬怪訝な顔をした湖音は自分が男の腕の中に抱かれていることに気がつくと、咄嗟にそこから逃れようとした。


「待て! 周り、周り見ろ!」

 バランスを崩しかけ、抑える腕に力を入れながらも、慌てて叫ぶザック。


 その声にようやく周りの様子に気がついた湖音は、慌ててザックにしがみついた。


「よーし、もうちょいだけジッとしててくれよ」


 青ざめながらも、コクコクと肯く湖音。

 小さく息を吐くと、ザックは再び手綱を操る事に集中する。瓦礫の雨はなお二人の行く手を阻み、かろうじて彼等の命を繋いでいる障壁は今まさに消えようとしている。

 今走り続けていられるのは、果たして僥倖以外の何物でもないのだ。


 だがそんな奇跡にも終わりの時が訪れた。それまで二人を守ってきた透明の障壁が、ついにガラスの割れるような音と共に消え去ったのだ。


「しゃあねえ大聖、頼む!」


 ザックがそう叫んだのは今まさに障壁が消えようとする直前だった。彼の首元に見える首飾りに付けられた宝玉の一つが、声に反応したのか緑青の輝きを放ちながら砕けちる。


 その瞬間に起きた事は、周りの異常事態に匹敵する変事だった。

 彼らの上空に突如生じた緑青の光。それは次の瞬間には黄金の輝きへと変わり、巨大な人型を生じさせた。

 いや、果たしてそれを人型と呼んで良いのだろうか。そこにいたのは一匹の巨大な猿だった。

 もちろんただの猿ではない。ザックのゆうに倍はありそうな身体は黄金の体毛に覆われ、その目は燃えるように赤い。鋭い牙と爪を持つその姿はむしろ魔猿と呼ぶべきだろう。

 いや、その全身に漂う雰囲気と鎧に身を固めた姿からは神猿と呼ぶ方が相応しいのかもしれない。

 その神猿は現れるや否や頭上で棍を旋回させ、瓦礫を一気に弾き飛ばした。

 まさかザックの呼びかけに応じて出現したと言うのか、それは棍を旋回させたまま彼に向かって話しかけてきた。


「二日ぶりじゃないか主よ。また面白そうな状況に巻き込まれているようだな」


「悪い大聖、助けてくれ! 魔力(かり)は今度まとめて返すから!」


「ふん。金も魔力も、借りてまで使うものでは無いぞ。まあ面白いものを見せてくれたしな。もう一度だけ……」


 そう言う神猿の目は湖音に向けられていた。

 あまりの出来事に呆然としていた湖音だったが、必然神猿と目が合ってしまう。目の前で神猿の牙の並んだ口が歪むが、それが笑顔だと気づけたのかどうか。あまりの衝撃に再び気を失ってしまった。


「……いや、いい。ザックよ、今回の貸しはチャラにしてやろう。代わりにその娘、絶対に手放すでないぞ。そら、走るがいい!」


 次の瞬間、大聖と呼ばれた神猿はその腕に力を込めると、二人の進路に向けて棍を振り上げた。

 その凄まじい勢いは天に向けて膨大な力を放出させ、落ちてきている瓦礫を吹き飛ばしただけでなく、ぶ厚い雲までを二つに割った。束の間前方には一筋に光が指し、二人を祝福するかのように照らしだした。


「すまねえ、恩にきる!」


 タイミングを逃さず走り出すザックらを神猿は見届けると、その姿は徐々に消えていった。あたかもその存在は夢であったかのように。ただ天から指す光だけが、彼の者が紛れもなく存在した事を表していた。


「……ふん、儂が奴と契約をしたのはこの為か。ようやく合点がいったわ。この先が楽しみだな」

 最後に神猿が消える間際に呟いた言葉は、誰の耳にも聞こえる事は無かった。


 そうしてさらに四半リーグほど馬を駆け、ようやく一息つくことができたザックの前には、ユスティーシュと呼ばれた一人の男が立っていた。


「このヘボ魔術師。俺を殺す気か。一歩間違ってたら死んでたぞ」


「まさか僕の障壁が消されるとはね。一体何があった?」


 肩をすくめ、ザックの毒舌を聞き流して答えたのは、馬に跨がった茶色いローブ姿の魔術師だった。

 水色の宝石が付いた杖を持ち、奇妙な事に銀の仮面を被っている。まるでヴェネチアの仮装で使われるような形をしており、笑顔のような三日月形に開かれた口元からはわずかに素顔が覗いている。全体には複雑な模様が彫り込まれ、見る人が見ればそれも一種の魔法陣であり、一級の魔法具であると見抜くだろう。


「知らん。偶々(たまたま)……じゃねえよなあ。空から城が落ちてきたと思ったら、女も落ちてきた。とりあえず拾ってきたが何がなんだかさっぱりだ。死ぬかと思ったが大聖のおかげで命拾いしたよ。」


 無精髭を撫でながら眉を潜めるが、城が落ちてきた原因も、障壁が消えた原因も全く思い浮かばなかった。

 改めて腕の中の少女に目を落とす。

 顔立ちから判断するにアジアの女性だろうか。贔屓目なしに美しいと言われるであろう整った顔立ちは、どこかの姫君だと言われても納得しただろう。髪は絹のような艶のある漆黒。長さは腰まで届くくらいある。ここからも普通の身分の女性ではないことが伺える。

 短い毛足の上質な黒いコートもこれまでに見たことの無い形をしているが、高級なものであることは間違いない。

 特に怪我をした様子もないので、休ませれば目を覚ますだろう。


「……とりあえずここにいても仕方ねえな。村まで戻ろう」


「その女性は連れていくの? ザックにしては珍しいね」


「しゃーねーだろ。大聖に頼まれちまった。お前のヘボ魔術のせいで貴重な召喚使っちまったんだぞ、一杯おごれよ」


 疲れた声で答え、ザックは村まで戻ることを提案した。この道が使えない以上、多少遠回りになるが迂回路を通って村まで戻るのが最善に思われた。

 後方ではまだ轟音が轟いている。色々と確認すべきことはあるが、全ては明日になってからだろう。



 ******



 世の中には偶然が溢れている。

 しかしこの偶然の出会いが、全ての必然の始まりだった。

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