第一話
「意気地なし!」
そう言って罵ってやったけど、アイツはにっこり笑って背を向けた。
そして、そのまま雑踏に紛れて消えて行った。……アタシの前から。
すんごく悔しかった。
今までで一番、悔しい。
小さい時から、アタシは他人のモノを取るのが好きだったけど、それが失敗した試しなんか無かったのに。絶対、大丈夫、そう思った男しか奪らない。
あの男だって、絶対奪れる、そう思ってたのに……。
「バッカじゃない。帰ったって、もう手遅れなのにさっ、」
悔し紛れに放った台詞は、途惑いながら路地の隅へ消えてった。
カレが半同棲してるっていうコイビトは、アタシが作り上げた既製事実を前に完全にキレてしまったから、今更、彼氏を許すワケなんてない。アイツが、そういう面倒臭い言い訳とかをしない事も計算ずくで推し進めた、完全無欠な計画だったんだから。
酔い潰れて一晩泊まったアタシの部屋でその後にコイビトを呼んでやったのよ。アタシとコイビトが修羅場ってたのも知らずに、ぐーすかイビキを掻いて寝こけてたくせに。今さら帰ってどうするって言うのよ。
用意周到に、半年も待って、根回しから丁寧に時間を掛けて……ちょっと気の知れた友人、ってトコにまで持っていって……。相談にかこつけて、強いお酒に味の素で、パーフェクトだったのよ?
アタシと同衾してるトコへ、コイビトと鉢合わせ。
コイビト……アタシが働いてる店に、時々バイトに来る高校生。お水のバイトなんて、普通の高校生が出来るわけないでしょ、つまり、その子は札付きのワルって事よ。
ワルい事で有名な、某商業高校の二年生。お店のママがとんでもない世話好きでさ、去年だかに知り合って以降、なにかと面倒見てるらしいのよね。ほんっと、お人好しなんだから。
そう、アタシは後輩のオトコを横取りしようとしてたってワケ。見事にフラれちゃったけど。
今までの苦労が、全部、パー。
明日の晩には、優越感に浸った笑顔で後輩のあのコを出迎えてやるつもりだったのに。
……負け犬になったのは、アタシ。
「あーあ、……お店、変えよっかなー、」
困っちゃった。
お店辞めちゃうのは簡単よ? けどさ、そしたらアタシの知らない間に後の事が進んでいっちゃうじゃないの。もし、あの二人がヨリを戻してたら、アタシの立場はどーなんのよ。
それを確かめない限りは、お店を辞める事も出来やしない。
憂鬱だわ。
翌日の夕刻、午後6:00。出勤の時間。
ダイジョーブ、あんなけやったんだもん、絶対、ヨリを戻すなんて無理。
この半年、なにかと理由をつけてデートは繰り返したわ。向こうはそう思ってないかも知れないけど。
いくらあのコが馬鹿っぽくても、少しくらいは疑ってたハズ。
そう思いながら、いつも通りにお店に出掛けた。
「あらぁ、ユカリちゃん。今日は早いのねぇ?」
ジャガイモみたいなママが声を掛けてくれる。
いつもとおんなじ。にしては、ちょっと御機嫌ナナメって感じね。
ピシっと着付けた鮫紋の小袖が似合ってんだか、似合ってないんだか。どっかの板さんみたいにも見えちゃって、体格の良いママにはちょっとどうかと思うのよ。
「ママっ、明菜は?」
「えーと、明菜ちゃんは今日、お休みよぉ? なんか、彼氏と旅行するからって。まったく近頃の若いコは他人の迷惑考えないんだから。」
ママの機嫌が悪いのはそのせいだったワケね。
眉間に皺を寄せて、巌のような顔がますますゴツくなってるわ。
……に、しても!
なんですってぇ!!
仲直り旅行!?
キーッ、ムカつく!
表面上は何もないカオして、さっさと控室へ向かうのよ。やだ、足元がふらついちゃう。
何がナンでも奪ってやりたい……悪い癖がメラメラと再燃してきそうよ……。
アイツのコイビト、そして、アタシの後輩の名は、明菜。
アタシ……現在20歳(自称)、松島菜々子似の、清楚派で売ってるユカリ。
学歴は、高校中退、両親は田舎で農業をやってて……未だにアタシが真面目にお勉強してると思ってるハズ。高校辞めた後、速攻でシリコンを入れて、お金が貯まったら、次は性転換する予定。
美人でグラマーな、大人のオ・ン・ナ。(戸籍は男だけど)
趣味は、良い男ゲット。
そのための手段は問わない主義。
「あらぁ、センセ、どうなさったの? 営業時間はまだなんですけど、」
ママのひっくり返った裏声で、アタシもそっちを見る。
ずいぶん、気の早いお客ねぇ。
まだ灯りも少なくて薄暗い店のフロアに、背の高いスーツ姿のお客が一人、佇んでいたわ。やだ、ホール係のバイト君が入れちゃったのかしら。
「いや、今日は客としてじゃなく、顧問として来ました。なかなか掴まらなくて……。きちんと話せる場を持ちたいのに。」
ママとは懇意のお客様みたいね。30代かしら、なかなか渋みがかったイイ男。
そういえば以前にも何度か店に来た事のある顔で、明菜の学校の先生とかって話を思い出したわ。
一度だけコナを掛けてみたけど、何だか危険信号ビンビン感じちゃって、さっさと退いちゃった曰く付きのセンセよ、そう。銀縁メガネの奥がなんか地獄の深淵だったわ。
たぶんサドなのよ、アタシ、そういうの、すっごく解かるのよ。
ママは平然とこのセンセとお話ししちゃってるわ。
なんせ札付きの不良高校ですもん、生徒のこういうバイト先なんて珍しくもないらしいのよね。信じられないけど。センセも、いかがわしい店よりまだマシだからって大目に見てるらしいし、なんだかママはあのコの監察官みたいな立場らしいの。いったい何を仕出かしたんだか、だわ。
「センセも大変ねぇ……、進路指導でしょ? そー言えば、本人もまたダブるかも知れないとかって、気にしてたわぁ。」
「そうですか。解かってるならいいんですが、実際、危ないんでね。ママの方からもそれとなく忠告しておいて頂けますか?」
「はいはい、確かに伝えますね。……まったく、あのコってば迷惑撒き散らして生きてるんだからっ、」
コロコロ笑いながら、ママってば全然迷惑そうじゃないのよ。
あのコってそうなの。迷惑掛けられた側が、まるで迷惑に感じないっていうお得な性質をしてるのよ。
ほんと、羨ましい性格よね、明菜ってば。
ママとの会話が途切れた頃合を見て、アタシも声を掛けておくわ。なんにせよ、印象付けは大切なのよ。客商売ではね。次の指名に繋げる努力は惜しまずにいかなくちゃ。笑顔なんてタダだもの。
「あらぁ、センセ、ヤボ用だけでお帰りなのぉ? あと10分ほどでお店開けるから、待ってて下さらない? きちんと御もてなししたいわ。」
するするっと傍に寄って、そっと腕を取るの。さりげなく、不自然にならないようにね。
品を作って、ちょっと下からセンセを見上げるようにおねだりするのよ。
それがカワイイ演出のコツなの。
「アタシ、ゆっくりお話伺いたいわぁ。」
でも、すぐに身体を離すコトも大切。
キャバクラのオンナみたいに色気を武器にするなんて、下品ですもの。
「……さすがにNo.1だな。ぐらっと来るよ。」
センセは苦笑しながら、アタシの腕をそっと外したわ。失礼にならないさりげなさで。
「少しばかり残念だけど今日はお暇するよ、ウチは問題児だらけでね。まだ3軒、家庭訪問が残ってるんだ。悪いね。」
そう言って、さっさと渋めのセンセは引き返して行ったわ。
なによ、仕事の方が大事ってワケでしょ、ふんだ。
こっちだって、単なる挨拶代わりよ、……ふんだ。
「ほらほら、ユカリちゃん、泣きそーな顔しないの!」
パンパンって、拍手を打って、ママが忠告してくれる。
やだ、アタシ、そんなみっともない顔してた!?
「ごめーん、ママ。……ちょっとダークなんだ、今日。ピンチ入ったら、助けてね。」
嫌だ、アタシ。
けっこう堪えてるぅ。
「なぁに? またオトコにフラれたんでしょ? 懲りないコねぇ、アンタも。」
お皿を片付けながら、ママからもキツイ一言を浴びせられた。
あ、もお、やだ。
だからお店変えたくなっちゃうんじゃないのー。
「いつも言ってるでしょ? 奪ったオトコは、また別の誰かに奪われるだけよ、って。」
「今日のはそんなんじゃないもん。」
ますますダークになるよーなコト、言わないでよ……。
「違わないわよ。」
否定するアタシを見て、ママは断言してみせたわ。
そーよね、そうとしか見えないわ。
アタシ、今、ボロボロなんだもん。




