聖女のために今日も嘘をつく
嫌なくらい晴れた朝。
花瓶に新しく冷たい水を入れ、綺麗に咲いた黄色い百合を生ける。
「おはよう。リコリス。今日もいい天気よ。」
リコリスは私の可愛い妹。
15歳の時、この国の聖女に選ばれて、はや3年。
聖女の務めも様になってきたが、もともと体の弱いリコリス。
週に一度の儀式以外はゆっくりさせてもらっている。
リコリスに無理をさせないため、お世話係として姉の私も同じ部屋にいさせてもらってる。
「黄色い百合がきれいに咲いたの。庭師の方にいただいたのよ。」
百合の香りが部屋を満たす。
「やっぱり百合はいいにおいね。」
「今日は儀式の日よ。何度やっても緊張しちゃう。」
そういいながらも優しくて穏やかな笑顔を浮かべるリコリス。
こんなにいい子なのに。生贄なんて。
この国の聖女はドラゴンの気配があるとお告げがあると、国の女性から選出され、
この国の宝のように大切にされる。
だけど、役目が終わると、国の外にいるドラゴンに生贄としてささげられる。
もう100年以上ドラゴンが国に姿を現さないのは聖女の生贄があるからだ。とこの国で育つ者には教えられてきた。
聖女はとても誇らしい存在だ。
でも、自分の妹となると…
「じゃあ、いってきます。」
凛と背筋を正し、儀式に向かうリコリスを笑顔で見送る。
リコリスの去ったベッドにくたびれたウサギの人形が枕を使って、布団をかぶり、大切にされてベッドにいる。
そのウサギの人形を眺め、
「頑張ろうね。」
リコリスが頑張る分、私も頑張るから。
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聖女のドレスは少し透けた白で、派手な装飾はない。肩をなでるなめらかな質感は素材の良さを感じる。肌を隠し、裾は引きずるほど長く、顔を隠すベールは私の視界も悪くする。
聖女にふさわしい、儚く、静かなドレス。
「聖女様、行きましょうか。」
侍女に手を引かれ、儀式の会場に向かう。
国民はすでに集まっており、重く静かな空気が漂う。
会場を広く占める水と、隔てるように建てられた薄いカーテン。その向こうに国民の姿が見える。
その中を私は、足の裏に着く程度の水の上をゆっくりと、厳かに歩く。
雨の日のような静けさと、ピンと張りつめた空気を肌で感じる。
なるべく音を立てず、指定された位置まで向かう。
私から国民の顔が見えないほどの距離で、私は立ち止まり、儀式を始める。
ゆっくりと水を手ですくい、
その水が自然に落ちるのを待つ。
その間に聖女讃美歌が聖歌隊によって歌われる。
ただ手のひらを眺め、時間が過ぎるのをただ無心で感じる時間。
曲も終わるころ、手からの水は落ち切り、私はまた静かに会場を後にする。
あぁ、お姉さま。今日も無事にやり遂げました。
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聖女様が儀式を終えるのを会場の外で待っていると、
侍女に連れられて、聖女様がやってきた。
「本日もお疲れ様。」
「フィロ殿下。ありがとうございます。」
もうここにきて、3年少しは仲良くなれたような気がする。
最初は落ち込んでばかりで、顔を見ることも少なかったが、今ではずいぶん明るくなった。
「君は、」
「殿下、私はリコリスです。」
「…そうだね、リコリス。今日は君の好きなお菓子を持ってきたよ。リリーの分もあるからね。」
「まぁ、ありがとうございます。姉も喜びます。」
お菓子を渡す際に触れた手は、冷たく、氷の様だった。
「体が冷えてしまうね。早く着替えておいで。今日は君にお菓子を渡したかっただけだから」
「では、お言葉に甘えて、失礼します。」
丁寧で静かなその姿は聖女様にぴったりの人物像だ。
去っていくリコリスの背中を見つめながら、さっき触れた手を見つめる。
私の手は暖かいと思ってくれただろうか。
一度手をぐっと握りしめ、反対側に歩きだす。
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今日は儀式の日だから、帰ってくるのは、妹のリコリスか。
テラスの縁に座り、部屋の主を待つ。
俺は、彼女を守る影。
聖女である彼女を危険から守るために王族に雇われている。
彼女の姿はいつも守れる範囲で見ているが、最近は彼女が休む前の同じ時間に世間話をするのが毎日の日課になっている。
今日も彼女がテラスの扉を開けるのを静かに待つ。
「こんばんは、ドラセナさん。」
静かに扉が開き、風の音に消されそうな優しい声が聞こえる。
「こんばんは。」
「今日は、殿下にお菓子をいただいたのです。ご一緒にいかがですか?」
高級な箱に丁寧に詰められたお菓子をこちらに進めてくる。
「いや、いらない。」
「少し減ったくらいじゃ、お姉さまも怒りません。それにお姉さまの分は別でいたただいております。」
「ふーん。じゃあ、一つだけもらおうかな。」
もらった瞬間に一口かじり、
俺の姿を見て少し笑ったリコリスもまた一口お菓子をかじる。
二人で夜風に当たりながら、穏やかで、ゆっくりとした時間を過ごす。
「じゃあ、今日はもう帰るよ。おやすみ。」
「今日もありがとうございました。また明日。」
たった数分の時間だが、俺にとって楽しい時間だ。
テラスから少し離れて、部屋が目につく木の上の、俺と同じ顔をした兄の隣に座る。
「たとえもらったとしても、任務中にお菓子を食うな。毒でも入ってたらどうすんだよ」
「毒でもいいよ。だから先に食べたんだろ。」
「はぁ、今度もらう機会があったら俺も食べないといけないじゃん。」
「その時もまた俺だったらいいけどな。」
ふんと鼻を鳴らして、腕を組む。
俺と兄は双子で、二人で一人を演じている。
影という仕事柄、一人だと思わせた方がいろいろ都合がいい。
部屋にふと目をやると、カーテンを閉めるガラス越しのリコリスからは笑顔がスッと消えた。
見えてないと思ったんだろうな。
彼女が聖女でなくなり、少女に戻る時間。
この時間だけは誰にも邪魔をさせないようにしっかりと見張らないと。
彼女のために。
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「アイビーさん、おはようございます!」
元気いっぱいの声が聞こえ、振り向く。
「リリーさん、おはようございます。」
彼女はいつもご機嫌に大きく動く。
「今は黄色い百合が咲いていてとても綺麗ね。」
「そうですね。ついこの間一斉に開花しましたからね。リリーさんはやはり、百合がお好きなんですか?」
リリーさんは僕の目を見て、ニコッと元気に笑う。
「そうね、特に黄色が好き。この国では白が多いけど。」
「そうですね、白いユリは国花ですからね。特にここ王宮ではたくさん植えられていますからね。」
百合は庭一角を埋め尽くす程植えられており、咲き誇るころにはガーデンパーティーが開かれる程見ごたえがある。
それに比べ、黄色い百合は花壇の一角にだけ、植えられている。
それも聖女様が好きだからと植えられたらしい。
「聖女様も黄色い百合が好きだそうですね。」
「そうみたいね。聖女様にも黄色い百合の魅力がわかるのね。」
聖女様の正体は女性だということ以外、何も教えてもらえない。
その姿を知るのは、王族を含むごく一部。
「不思議ですよね。同じ敷地にいるのですから。」
「そうね、偶然会っていても分からないでしょうね。」
「そうなんですかね?風格というか、オーラというか感じそうですけど。」
「そういうものかなー」
じーっと黄色い百合の花壇を目の前で見つめていたリリーさんは急にかがんだ。
「あ!今、土を触ったところですから汚れますよ!」
「ん?いいのよ。もっと近くで見たいの。」
頬に手を当て、ニコニコと花を見つめるリリーさん。
「リリーさんは聖女っぽくないですね。」
「そうなの?」
「聖女様ってもっとツンとしてておとなしいイメージです。リリーさんとは真逆な感じ。」
そういうとリリーさんは満面の笑みで
「本当?」
と喜んでいた。
その反応は僕が思っていたものとは違っていた。
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彼女に出会えるのは、儀式の日だけだ。
そして、
彼女に出会えるのは、儀式の日以外だ。
庭園の東屋で自分で持ってきたであろうティーセットと、お菓子を並べ、ひとりにも関わらず、ニコニコと楽しそうにしている。
「やぁ、君はいつも楽しそうだね。」
私の姿を見るなり、スッと立ち上がって、深くお辞儀する。
「フィロ殿下、おはようございます。フィロ殿下からいただいたお菓子のために準備したんですよ。この時をとても楽しみにしていたのです。」
にこっと笑う彼女はとても明るい笑顔をしている。
「リコリスはあまり表情が豊かではないので、嬉しさが殿下には伝わっていないかもしれませんが、とても喜んでおりましたよ。」
「そうか、ではまた何かお菓子をプレゼントするね。」
「催促ではないのですよ!ただ本当に喜びを伝えただけです!」
はわはわと手を前に出し、慌てた様子を見せる彼女を笑顔で見つめる。
「分かってるよ。そうだ、リリーの淹れたお茶をいただこうかな?」
「まぁ!緊張しますね!でも、私の淹れるお茶は美味しいですよ。」
リコリスの時とは違い、にぎやかで明るい時間。
「そうだ。君のために黄色い百合を植えたのは見たかい?」
その言葉にリリーの手が止まった。
表情が少し曇り、またすぐに笑顔に戻った。
「あら、フィロ殿下は言葉がお上手ですね。私には庭師に聖女のために植えたと聞きましたわ。」
口元に手を当て、ウフフと笑うリリーの目は少し真面目だった。
庭師の奴め、いつの間にリリーと仲良くなっているんだ。
余計なこと言わなくていいのに。
「バレていましたか。」
その言葉にリリーはまた明るい笑顔を見せてくれた。
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珍しく彼女は日が完全に沈み切った庭園にいる。
手元に小さな明かりのキャンドルを持ち、真っ暗な庭園をぼーっと眺めるように
ベンチに座っている。
その表情は暗くて見えないが、ただ静かに見守る。
彼女が今何を考え、どんな表情をしているのか。
ただ、こんな時間にわざわざ庭園に来る理由があるのだろう。
弟のセナはずいぶん彼女に夢中になっている。
夜のテラスでも、僕が行くことを許さず、毎日二人で楽しく会話している姿が見える。
あいつ、仕事なのを分かっているんだろうな?
突然強い風が吹き、彼女が持っていた小さなキャンドルの火は消えてしまった。
バッと立ち上がる姿が見えて、彼女のもとに向かう。
「大丈夫?」
持っていたランタンを渡すと、彼女は優しく笑った。
「ありがとうございます。いつも見てくれているのですね。」
「俺はあなたの影だからね。」
こんな夜に庭を眺めたいなんて、普段の彼女からは想像もできない。
でも、目の前にいる彼女はいつものようにニコニコと笑っている。
悩みなんて、まるで無いように。いつものことのように。
なにか、彼女のためになるなら、
「あのさ、気を張りっぱなしもしんどいからさ、俺にできることがあれば…」
「うふふ」
彼女は笑いだした。
「なんだよ」
「つい昨日もその話をしたばかりじゃないですか。」
まずい。
セナの奴、俺に報告をしなかったな。
こういうことがあるから、何をしたか、何があったかの報告は大切だと言ったのに。
「詰めが甘いですね。」
いたずらに笑う彼女に何も言い返せなかった。
「詰めが甘いよ。ドラ。」
暗闇から現れたセラが俺の肩に手を置く。
「お前が報告しないからだろ!」
その手を強くはたくと、
「俺が報告しないわけないだろ。」
「は?」
「引っかかったんだよ。」
セラが彼女を見つめる。
まさか。
「まぁ!やっぱり双子だったのね!」
手をたたいて喜ぶ彼女に苦笑いを返した。
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彼女が去った後、待ち伏せていたかのようにフィロ殿下が現れた。
「バレてしまったのですか」
影である僕たちが双子であることを王族以外にばらすことは許されていない。
「すいません」
深く頭を下げて、謝る。何たる失態だ。
「彼女は鋭いところがあるからね。いつかそうなると思っていたよ。」
少し嬉しそうに彼女の去った方を眺める殿下。
「でも、彼女の秘密を彼女に暴くことがないようにな。」
「もちろんです。」
それだけを言って、殿下は去っていった。
僕は、部屋に戻った彼女のもとに向かったセナを追いかけ、いつものように木の上で彼女を見る。
「彼女の秘密を彼女に暴くことがないようにだって。」
「彼女の秘密ねぇ」
まだカーテンの開いた部屋で、ベッドに大事に寝かされたくたびれたウサギのぬいぐるみを大事そうに撫でながら、話しかける彼女の様子が見える。
彼女の秘密。
それは、
妹なんていないこと。
全部彼女だ。
聖女の静かでおしとやかなリコリスも
明るくて、妹想いの元気な姉のリリーも
すべて彼女。リリーだ。
リリーは王宮に来た当初は、ひどく怯え、部屋から出ることも無かった。
部屋からは物音一つしなかった。
それがある日、
話し声が聞こえるようになった。
リリーは一人のはずなのに。
リリーはその日から部屋から出てきて、別人かと思うほど明るく、元気な姿を見せた。
「私が妹のために頑張らないと」
「お姉さまのために私が」
リコリスと名乗る時とリリーと名乗る時ができていた。
リリーは現実から自分を守るため、妹を創り出したのだ。
「この嘘で、彼女が幸せなら。」
殿下の言葉に同意し、僕たちも彼女の嘘を彼女にばれないように
ともに嘘をつきつづけている。
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風のある日、庭園にある東屋にリリーさんの姿が見えた。
「こんにちは、リリーさん。」
「あら、こんにちは。」
リリーさんは椅子の背もたれに肘を置き、きれいに並べたティーセットに背を向け、満開の黄色い百合を眺めている。
「本当に百合がお好きなんですね。」
「咲いているうちに楽しんでおかないとね。」
「紅茶、冷めてしまいますよ。」
まだ湯気のある紅茶も風の強い今日はすぐに冷めてしまいそうだ。
「そうね、一緒にどう?」
「え」
急なお誘いに戸惑いながら、どうぞ。と案内された椅子に座る。
「あんまり、作法とか知らないんですけど…」
王宮に勤めてはいるが、園芸一筋の職人気質の我が家は、花の選定の仕方は教えてもらっても、こういうお茶の作法など教えてはもらってはいない。
「うふふ。私がいまさら気にすると思う?」
口元を隠し、優しく笑うリリーさんにそれもそうか。という思いと、それでいいのか?という思いが、複雑に混じり、苦笑いをした。
紅茶を口に運ぶと、紅茶の香りと一緒に、風に運ばれて百合の香りがした。
「確かにこれは外で紅茶を飲むのにいい季節ですね。」
「でしょう?」
誇らしそうな顔をして、リリーさんはまた紅茶を飲み、百合に視線を移す。
「私ってさ。」
視線は百合を見続けている。
「私って誰なの?」
意を決したようにまっすぐに僕の目を見て、質問をされた。
「何を言ってるんですか、リリーさん。あなたの好きな百合と同じ名前のリリーさんでしょ」
もしかしたら、冗談だったかも。
もしかしたら、なぞなぞだったのかも。
だったら面白くない回答だったな?
と少し後悔しながら、リリーさんの顔を見ると、
僕から百合に顔をそらしたが、その顔は含み笑いをしているのが見えた。
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王宮の通路から少し遠くにある東屋で、リリーと庭師が仲良さそうにお茶をしているのが目に入った。
ここからではもちろん会話は聞こえないが、ずいぶんと楽しそうにしている。
私の前では見せない、大きく笑ったり、頬杖をついたり、
そこにいるのは、私の知るリコリスやリリーでも無い。
きっと、その姿こそが彼女なのだろう。
そんな彼女の姿を見れることが、
羨ましい。
とも
妬ましい。
とも思う。
聖女と王子の結婚はこの国ではあたり前に行われてきた。
生贄。
などという嘘で固めた王位継承者の婚約者探し。
生贄をささげるドラゴンなどというものも存在しない。
聖女にしてしまえば、国民からの信頼を得られる。
自らを犠牲にして、国を守る聖女を国民は崇拝する。
信頼を集めて、人に会うことを慣らし、王位継承者に慣らし、
両想いになったところで、婚約を発表する。
もちろん、聖女だったことなど言うわけもなく、
一市民が、王位継承者と結婚するというシンデレラストーリーだけが出来上がる。
ただ、エゴに満ちた、相手探し。
僕がまだ10歳だったころに街に行った時、花屋で白い百合を買うリリーがいた。
彼女は貴族でもない。
一目ぼれだった。
絹のような長い髪。
宝石のような目。
すべてが美しいと思った。
そんな僕の視線を感じてか、当時10歳のリリーは振り向き、優しく笑った。
「君は百合が好きなのかい?」
緊張で声がかすれそうになるのを必死に押さえて、余裕ぶった。
「そうね。大きくて、いいにおいがして、聖女様と同じ純白なの。」
そんな思い出一つで、彼女を聖女にした。
リリーを聖女にすればすべてがうまくいくと思っていた。
しかし、
聖女の荷はリリーには重かった。
「フィロ、お前の聖女だが、どうも狂ってしまったらしいな。」
父上の言葉が重くのしかかる。
「聖女の荷に耐えれない女は妃に向いていない。公爵家に年の近い娘がいただろう?ローズといったか?あれにしろ。」
「ですが、陛下…リリーは賢い女性です。私は…私は彼女と結ばれたい。」
父上の言葉を否定したのは初めてだった。
「そこまで言うなら、お前がどうにかしろ。女ひとり変えれず、国を変えられると思うな。」
どうにか?
どうしたら?
東屋にいるリリーはどう見ても私といるより幸せそうだ。
私に何ができる?
私と庭師の違いはなんだ?
彼女の嘘を知らないことか?
リリーの中で聖女はリコリスだ。
庭師がそのことを知るわけがない。
彼女の嘘を守ることが大事だと思っていたが、
もしかして、
聖女の話をすべてリリーにしたら荷が下りて、彼女の嘘は消滅するのでは?
—--------
「リコリスが教えてくれたのですが…」
今日も日課の夜のテラスで、リリーと何気ない話をする。
リリーがリコリスの話をする。
リコリスがリリーの話をする。
どっちが本当の彼女で、どちらが嘘の彼女なのか。
うふふ。
と笑うリリーは、元気で、明るい。
声もなく優しく笑うリコリスは、静かで、おしとやかで、丁寧だ。
僕たち双子よりも似ていない一人。
どちらが本当なのか?
それとも
どちらの彼女も嘘なのか。
何の悩みも無いように見えるリリーの本当は?
その話を兄のドラにしたとき、
「お前が気にすることじゃない。俺たちがするべきは彼女を守ること。それは内面じゃない。物理的な危険からだ。」
リリーのそばにいるのは単に仕事だから。
そう割り切れ。
ドラにはそう言われた。
でも、もう遅いんだ。
彼女を守る。ではなく、救いたい。
庭師と過ごすリリーの姿が浮かぶ。
元気いっぱいで、楽しそうで、笑顔が自然だった。
彼女が息抜きできる時間があるなら、それでいいじゃないか。
彼女にとって庭師の存在がここにいる時間の中で救いになっているのならそれでいいじゃないか。
それでいい。
って頭ではわかっているのに、
その役目は俺じゃダメか?なんて
馬鹿らしい。
「あら、今日は星が見えないですね。明日は雨かしら?」
「そうだな、じゃあ明日は部屋で過ごすのか?」
「そうですね、明日はゆっくりした一日になりそうです。」
雨の日は彼女は庭園にいかない。
じゃあ、また明日。
いつものように明日の約束をして、テラスを去る。
俺にとって楽しくてドラにも譲りたくないこの時間が
彼女にとってこの時間が楽しいと思ってくれていたら嬉しい。
なんてドラに聞かれたら、呆れられそう。
—------
雨の降る日
彼女を応接室に呼び出した。
「失礼します。」
「急に呼び出して申し訳ない。美味しいお菓子が手に入ったから、一緒にどうかと思ったんだ。」
「光栄ですわ」
丁寧で優しい話し方はリコリスに見えた。
今日の彼女はリコリスか?
それともリリーか?
それは会話から名前を聞くまでわからない。
だから安易に名前を呼べない。
私も公務で時間を作れないことも多い。もちろん、彼女が私を訪ねてくることもない。
儀式の後少し話す程度か、もしくは偶然出会う程度しか会話のタイミングがなかった。
こんなんじゃ、いつまで経っても私を見てもらえない。
今のはやりの名店のお菓子を机いっぱいに並べてみる。
彼女はそれを嬉しそうに眺め、遠慮がちに近くのマカロンを一つとった。
「とっても美味しいです。」
ニコニコと笑う彼女は何の悩みも無いように見える。
「それはよかった。」
「フィロ殿下はお菓子がお好きなんですね。」
「ん?そうだね。」
君へのプレゼントに花と違うものと思ったとき、お菓子しか思いつかなかったんだ。
だから、いつもお菓子を君にプレゼントしている。
私が好きなわけじゃない。
「君もお菓子は好きかい?」
「えぇ、私もリコリスもお菓子は好きですわ。」
そうか、今日の君はリリーか。
「リリーはお菓子では何が好きかな?」
「そうですね、私はマカロンが特別好きです。カラフルでコロンとしていて可愛らしいですから。」
彼女の優しい笑顔で、彼女の心が見えなくなる。
彼女はリリーかリコリスか。
陛下に言われた「狂っている」の言葉が深く突き刺さる。
彼女の嘘が消えたら、すべてがうまくいく。
「実はね、」
その時、大きな雷が鳴り、光と音で、遮られた。
真実を告げるのは今じゃないと、言われたかのように。
「まぁ、雨が強くなってきましたね。」
「そうだね。」
静かに雷の音と、雨の音を聞きながらお茶会は続く。
—----------
中庭の見える通路にたった一人彼女はたたずんでいる。
ただ、静かにまっすぐ庭を眺めている。
雷は落ち着いたが、雨は激しく振り、少し風が吹けば濡れるこの通路も人気がなく、彼女以外にここを通るものはいない。
「雨の音というのは、どれだけ音が大きくても静かに感じますね。」
彼女が話し始めたが、他に誰もいない。
「雨の音以外聞こえないからでしょうか?不思議と雑音だと思わず、心地のいいものです。」
もし、彼女がリコリスとリリーとして話しているのなら、部屋の外で話す姿は初めて見る。
彼女が2人になるときは部屋の中だけだった。
それほど彼女の心は限界に近いのかもしれない。
セナに内面を守る必要はないと言ったばかりなのに。
俺もまた、彼女のことを気にしている。
「ドラセナさんはどう思いますか?」
そうか、俺たちに話しかけていたのか。
「そうですね、そんなこと考えたこともなかったです。」
昼間に彼女の前に姿を現わすこともできず、声だけは彼女に届くように答えた。
「うふふ、やはり近くにいるのですね。」
「えぇ、いつでもいますよ。影ですから。」
そうね。といった彼女は前を向きなおし、優しく笑顔を作った。
—-------
雨の降った次の日。
リリーさんは百合の手入れをする僕のもとにやってきた。
「綺麗に咲いたね」
「えぇ、満開ですよ。近いうちにパーティーが開かれるそうです。」
「そうね。もうそんな季節ね。」
国花である白い百合が満開に咲く頃、この庭園に貴族たちを呼んで、パーティーが開かれる。
それは毎年のことで、僕たち庭師の一大イベントでもある。
「綺麗ね。」
一面に咲く、白い百合を優しい笑顔で見つめるリリーさん。
「そうですね。でもリリーさんは黄色い百合が好きなんですよね。黄色が好きなんですか?」
「いいえ、黄色ではなくて、黄色い百合が好きなの。」
白い百合の花言葉には「純潔」「無垢」「威厳」と聖女にふさわしい言葉が並ぶ。
だから聖女のいるこの国には白い百合が国家に使われている。
でも、黄色い百合は…
リリーさんはそこまで知っているかは分からない。
ただ、黄色い百合の見た目が好きなのかも。
「黄色い百合の花言葉って知ってる?」
「もちろん、知ってますよ。」
「愉快や、陽気という意味があるらしいね。私みたいだから好きなの。」
私の顔を見て、ニコッと笑うリリーさん
あ、確かにそっちの方がよく知られているかも。
「そうですね。明るい花の色や、美しい見た目もそっくりです。」
「あら?口説き文句?」
あ、
と思ったと同時に顔が赤くなる。
どうにか顔の赤さをごまかすために、腕で顔を覆う。
「ち、違いますよ!」
「えー!可愛いところあるじゃない!」
ニコニコと笑顔で、顔を近づけてくるリリーさんに照れてしまう。
「あなたは何も知らないままでいてね。」
さっきまでの明るい声とはまったく違う、真面目で落ち着いた声が耳元で小さく聞こえた。
え、
と小さく声を上げ、リリーさんを見ると、優しい笑顔に何かを隠していた。
「じゃあ、またねー」
また明るい声に戻り、リリーさんは消えていった。
リリーさん。僕はあなたのこと何も知らないけど、
リリーさんがそれでいいというなら僕は何も知ろうとしないよ。
きっと、黄色い百合みたいな人だから。
黄色い百合の花言葉は
偽りと、不安。
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白いユリが満開になった。
もうすぐここでパーティーが始まる。
パーティーが始まる前のまだ静かな庭園で彼女はまた百合を見に来ていた。
今日は庭師は近くにおらず、彼女の一人。
もうすぐ開かれるパーティーで婚約者候補を探すように父上から申し付けられた。
そのことは、もう噂になってもいる。
分かっている。
恋愛だけで、選べるような立場にないことくらい。
でも、
私は彼女がいい。
そのためには彼女の嘘を消さなければならない。
もう、言ってしまおう。
何もかも。
意を決して、彼女のもとへ歩く。
表情はできるだけ普段通りを装い、手はこぶしを強く握りしめる。
どうやら、僕は緊張しているらしい。
「やぁ、」
「あら、フィロ殿下。おはようございます。」
いつも通りの優しい笑顔を浮かべ、彼女は礼儀正しくお辞儀をする。
「百合が満開だね。」
「えぇ、とても綺麗ですね。」
回りくどい話をしても仕方がない。
早く言ってしまおう。
「今日は君にお話があるんだ。」
「なんでしょう?」
なんでも無い普段話を聞くようなリリーをまっすぐに見つめる。
「実はね、」
何か邪魔が入れと心で願いながらも、何の邪魔も入らず、静かに私が話を続けるのを待っている。
「生贄と言うのは全部嘘なんだ。」
彼女に全部話した。
聖女は私の婚約者を選ぶためだったと。
生贄なんかにしないってことも。
だから、リコリスなんて嘘をやめてほしいと。
君はリリーただ一人なんだ。
私は、
「君に、リリーにそばにいてほしい。」
リリーは私が話している間も、静かに、目をまっすぐ見つめ、話を聞いてくれた。
ただ、
その顔に、
笑顔はなかった。
リリーは、言葉もなく、深くお辞儀をして、私のそばから離れていった。
その後ろ姿を追いかけることもできず、ただ、立ちすくんだ。
何も考えられない頭の中で、
あ、百合の香りがする。
とどうでもいいことだけが頭をよぎった。
—---------------
ねぇ、リコリス、どう思う?
私は死ぬことはないんだって。
ねぇ、リコリス、どう思う?
王子が私を気に入ったからここに閉じ込められているんだって。
ねぇ、リコリス、どう思う?
あなたはいないんだって。
そんなこと、
そんなこと、
全部知っていたわよね。
王族や貴族は知らない。
「聖女」の本当の理由を市民が知っていること。
といってもただの噂だった。
「聖女」は王子様の婚約者探しのためらしいよ?生贄とかって言ってるけど、同情という名の信仰を買おうとしてるだけらしいよ?合わなければ村に戻れるんだって。
だから、顔も見せないし、不定期に選ばれるんだって。
私はそれだけを望みに今まで過ごしてきた。
合わなければ、村に戻れる。
王族に冷たくすれば、不敬罪になりかねない。
引きこもれば。と思ったが、影に私の動向を報告されているらしく、うまくいっていないようだった。
だから、
私は、私をもう一人作ることにした。
そうすれば、妃に向いていないと判断してもらえると思ったからだ。
あとは徹底的に演じた。
妹と位置づけたリコリス。
姉と位置づけたリリー。
それぞれの性格を分けて、部屋では二人で話しているように。
互いの性格で、互いの話をしてみたり。
体が弱く、静かで、おしとやかなリコリス。
妹を守る、明るく、陽気なリリー。
それくらいたやすいことよ。
部屋ではくたびれたウサギのぬいぐるみに話しかけてみたり。
そうすれば、いつか、用済みになる。
でも、うまくいかなかった。
殿下からすべてを告げられてしまった。
そばに置きたいって?絶対に嫌よ。
こんな生活、続けたくない。
いや、でも、まだチャンスはある。
まだ続けよう。
私の嘘はそんな簡単なことではやめない。
「ねぇ、リコリス、どう思う?」
いつものように部屋で一人、くたびれたウサギのぬいぐるみに向かって話しかける。
もう少し、もう少し、この嘘を続けよう。
それくらいできるわ。
やるしかないのよ。
やりなさい。リリー。リコリス。
私は聖女(私)のために今日も嘘をつく。




