第9話:門番トロールと、絶対強制請求書
国境を越えると、空気が一変した。 空は常に鉛色の雲に覆われ、地面は痩せた赤土が続いている。 ここが、魔王の支配領域だ。
「……暗いなぁ。街灯くらいつけたらええのに」
ヨシコはスマホのライトで足元を照らしながら、ボヤいた。 数時間ほど歩くと、街道を塞ぐように巨大な影が現れた。 魔王領の第一関門を守る、巨漢の魔物――トロールだ。身長は3メートルを超え、手には丸太のような棍棒を持っている。
「グルル……人間か……」
トロールが低い唸り声を上げ、ドスンと前に立ちはだかった。 普通の人間なら腰を抜かす場面だ。 だが、ヨシコはスマホのライトを彼の顔に向け、まじまじと観察した。
「……自分、顔色悪いで?」
「あ?」
「目の下のクマ、すごいやん。それに肌もガサガサや。ちゃんと寝てんの?」
トロールが虚を突かれたように固まる。 ヨシコの目は節穴ではない。 トロールの装備している革鎧はボロボロで、継ぎはぎだらけ。手にした棍棒も、使い込まれてひび割れている。そして何より、その瞳には「殺意」ではなく「疲労」が滲んでいた。
「う、うるさい! 金だ! 金を置いていけ! さもなくば……ゴホッ、ゴホッ!」
脅し文句の途中で、トロールが激しく咳き込んだ。 その拍子に、彼の腰蓑から何かがパラパラと落ちた。 ヨシコが拾い上げると、それはクシャクシャになった羊皮紙だった。
「なんやこれ。『督促状』……? 『借用書』……?」
ヨシコが読み上げると、トロールが慌てて奪い返そうとする。
「よ、よこせ! それは俺の……!」
「『今月末までに金貨5枚を返済せよ。さもなくば棍棒を差し押さえる』……?」
ヨシコは眉をひそめた。 魔物の門番が、借金?
「……これ、どういうことや。あんた、魔王軍の正規兵やろ? 給料もっとるんちゃうんか」
「……足りないんだ」
トロールが、その場にドスンと座り込んだ。地面が揺れる。 彼は大きな手で顔を覆い、情けない声で語り始めた。
「給料は出る……だが、装備は『自腹』なんだ」
「はあ!? 自腹!?」
「鎧も、武器も、関所の修繕費も、全部『個人事業主扱い』だから自分で払えって……。でも、ここを通る人間なんて滅多にいないから、通行料も入らなくて……」
「それで、借金して武器買うてんのか?」
「武器がないと、クビになるから……」
トロールの肩が震えている。 ヨシコの脳裏に、怒りの炎が燃え上がった。 業務に必要な道具を従業員に買わせる。典型的なブラック企業の「やりがい搾取」と「経費の押し付け」だ。
「……アホくさ。そんなん、会社が払うのが当たり前や!」
ヨシコはスマホを取り出し、家族グループに通話をかけた。
「イチロウ! シロウ! 今ちょっとええか!」
『――ああ、姉さん。どうしたんだ』 『――なんや姉ちゃん、今いいとこやったのに!』
長男のイチロウ(弁護士)と、四男のシロウ(工学博士)だ。
「ここにおる門番のトロールな、業務に必要な備品の自腹購入させられとるんや。借金までしてな。……これ、どうにかならんか?」
『……酷いね。魔界の法律は知らないけど、一般論で言えば「労働基準法違反」だ。業務遂行に必須なものは、使用者が負担すべきだ』
イチロウが淡々と法的見解を述べる。
「せやろ! でもな、この子、気が弱くて上司に言えそうにないんや。……ガツンと言える『武器』が欲しい」
『武器、ねぇ……』
イチロウが考え込み、そして不敵に笑う気配がした。
『シロウ。例の「術式解析」、終わってるか?』
『おぅ兄貴、完璧やで! この世界の「契約魔法」のコードは解析済みや。……姉ちゃん、スマホの画面にPDF送るから、それを紙に書き写してくれへんか?』
「書き写す? ただの書類か?」
『ただの書類やないで』
シロウの声が弾む。
『地球の「法的文書フォーマット」に、この世界の「強制執行術式」のパターンを組み込んだハイブリッド書類や! イチロウ兄貴が文章を作って、僕が術式を埋め込んだ。……名付けて『絶対強制請求書』や!』
「……なんか凄そうやな」
ヨシコはニヤリと笑うと、カバンからノートを取り出し、画面に表示された複雑な紋章と条文を、ペンで正確になぞった。 そして、ゴズ(トロール)が出してきた大量の領収書を集計し、請求金額を書き込む。
書き上げた瞬間。 ブォン……ッ! ただのノートの切れ端が、ドス黒く、しかし神々しい紫色の光を放ち始めた。
「ひぃっ!? な、なんだその禍々しい紙は……!?」
ゴズが恐怖で後ずさる。 紙からは、上位の悪魔すら震え上がらせるような「絶対的な圧」が漂っている。
「ゴズ。これを持って上司の机に叩きつけろ」
「そ、そんなこと言ったら殺される……!」
「殺されへん! むしろ、この紙を見せたら上司は腰を抜かすわ!」
ヨシコは光り輝く請求書を、ゴズの手に強引に握らせた。
「ええか。あんた一人で戦わせたりはせん。この紙にはな、ウチの最強の弟たちの『念(知識と技術)』が込もってるんや。……上司が文句言うてきたら、勝手にこの紙が黙らせよる!」
ゴズはおそるおそる手の中の紙を見た。 紙の表面には『経費精算書(兼・未払い賃金請求書)』の文字が、まるで燃える刻印のように浮かび上がっている。 不思議と、持っているだけで力が湧いてくる。背中を押してくれるような、巨大な手の平を感じる。
「……これなら、いける気がする」
「いける! 強気でいけ! 組織ってのはな、現場が止まるのを一番恐れるんや!」
ヨシコはゴズの背中を、バシッ! と叩いた。
「借金取りが来たら、私の名前出し。……『このバックには、魔王より恐ろしい一家がついてる』ってな」
ゴズは涙目でヨシコを見下ろした。 恐ろしい形相のトロールが、今は頼もしい戦士の顔をしている。
「……ありがとう。人間のおばちゃん……」
ゴズは涙を拭うと、腰のポーチから何かを取り出し、ヨシコに差し出した。 無骨な手のひらに乗っていたのは、小さな赤い木の実だった。
「これ……通行料もいらないし、お礼だ。森で拾った木の実だけど、甘いんだ」
「……おう、もらうわ。ありがとな」
ヨシコが受け取ると、ゴズは何度も頷き、光る請求書を盾のように掲げて関所の奥へと戻っていった。 その足取りは、地面を揺らすほど力強かった。
その後ろ姿を見送りながら、ヨシコは小さく息を吐いた。 大きな背中が、もう丸まってはいない。
「……カケルも、あんなふうに戦える『武器』を持ってたら、逃げんで済んだんかなぁ」
ヨシコはスマホの画面を撫でた。 ここにはいない息子。もし彼が生きていて、どこかで理不尽と戦っているなら、このスマホのように誰かが力を貸してくれていればいい。 そう願わずにはいられなかった。
「よし! 次行くで!」
ヨシコはゴズがお礼にくれた木の実をかじり(意外と甘かった)、再び歩き出した。 魔王軍ホワイト化計画。 ヨシコの手には「最強の武器(スマホと弟たち)」がある。どんなブラック上司も、もう敵ではない。
(続く)
「自腹で装備を買う」……身につまされる話です。
門番ゴズ君、これからは胸を張って働いてほしいですね。
次回、ついに魔王城へ到着!
そこで待っていたのは、ブラック企業の社長……もとい、魔王様でした。




