第5話:教会の聖典と、誤訳の訂正
冒険者ギルドを後にしたヨシコは、旅の準備のために市場を歩いていた。
路銀はたっぷりとある。
ドズーから巻き上げた(正当な報酬としての)金貨が、懐でチャリンと鳴るたびに心が弾む。
「おや、あそこのパン屋、ええ匂いさせとるな」
焼きたての香りに誘われて店に近づこうとした時だった。
「シッ! あっち行け! 穢らわしい亜人が!」 「教会様の教えを知らんのか! 『獣は災いをもたらす』んだよ!」
パン屋の店先で、罵声が飛んでいた。
見れば、犬の耳と尻尾を持つ少年が、店主に水をかけられ、追い払われているところだった。
少年は何も言わず、ただ悲しそうに濡れた頭を振って歩き去ろうとしている。
「……なんや、あれ」
ヨシコの足が止まった。
その光景に、胸の奥がチクリと痛む。
理由もなく疎まれ、排除される。
それは、ブラック企業で「使えない」と烙印を押され、居場所を失っていった若者たちの姿と重なるからだ。
ヨシコはスタスタと少年に近づくと、ハンカチを取り出して濡れた頭を拭いてやった。
「大丈夫か? 風邪ひくで」
「あ、ありがとう……でも、おばちゃんも離れた方がいいよ。僕と一緒にいると、白い目で見られるから」
「何言うてんの。犬の耳が生えてるくらいで、何が悪いんや。可愛いもんやないか」
ヨシコが少年の頭を撫でていると、先ほどのパン屋の店主と、通りがかった神父らしき男が血相を変えて飛んできた。
「おい貴様! 何をしている! その者は『穢れ』だぞ!」 「神聖なる教会の教えに背くつもりか!」
神父が大袈裟な身振りで叫ぶと、周囲の野次馬たちも「そうだそうだ」と同調する。
ヨシコは手を止め、ゆっくりと神父を睨み上げた。
「教え、ねぇ。……神様がほんまにそんなこと言うてんの?」
「当然だ! 我が教会の聖典『光の書』第3章に記されている! 『異なる姿の者を遠ざけよ。彼らは災いの種なり』とな!」
神父は勝ち誇ったように、懐から分厚く古びた書物を取り出し、高々と掲げた。
革表紙には金箔が押され、いかにもありがたそうな雰囲気を醸し出している。
「ほう、それが証拠か。……ちょっと見せてみ」
「なっ、下賤な者が触れるでない!」
「見るだけや!」
ヨシコは強引に聖典を覗き込むと、スマホを取り出してカメラを向けた。
「な、何をする気だ? 魂を抜くつもりか!」
「ただの調べもんや。……ええと、第3章やったな」
スマホの画面越しに、聖典のページを見る。
そこには、ミミズがのたうち回ったような難解な古代文字がびっしりと並んでいる。
神父ですら、暗記した文言を唱えているだけで、正確には読めていないような代物だ。
だが、ヨシコのスマホには『真実』が映し出されていた。
召喚された時と同じだ。
古代文字がぐにゃりと歪み、整然とした日本語の文章へと変換されていく。
『第3章:汝、異なる姿の者を遠ざけることなかれ。彼らは――』
「……おや?」
ヨシコは眉をひそめた。
神父の言っていることと、翻訳された文章が、まるで違う。
念のため、ヨシコは『家族グループチャット』の通話ボタンを押した。
『――もしもし、姉ちゃん?』
呼び出したのは、四男のシロウだ。
「シロウか。今、聖典の画像をアップしたわ。これ、翻訳間違ってへんか?」
『ああ、見てるで。……間違ってるどころの話ちゃうわ』
スマホから、シロウの早口で熱っぽい関西弁がまくし立てられる。
『文法構造から解析したけど、これ完全に「意図的な改竄」やで! 原文の「Not(否定)」にあたる助詞が、後からインクで塗りつぶされとる!』
「ほう?」
『原文の正しい意味はこうや。『汝、異なる姿の者を遠ざけることなかれ。彼らは災いではなく、繁栄の種なり。異なる知恵と力を合わせる時、光はより強く輝かん』……つまりな、「ダイバーシティ(多様性)こそが成長の鍵や」って言うとるんや! それを自分らに都合ええように書き換えとるだけやで!』
「やっぱりな」
ヨシコは鼻で笑うと、通話をスピーカーにして神父に向けた。
「聞いたか? 神父さん」
「な、何をわけのわからんことを……」
「あんたが言うてることと、この本に書いてあること、真逆や言うてんの!」
ヨシコはスマホの画面(翻訳されたテキスト)を神父の目の前に突きつけた。
「神様はな、『違う姿のもんと仲良くせぇ。それが繁栄の種や』言うてはるんや。それをあんたら、勝手に『災いの種』に書き換えて広めたんか?」
「ば、馬鹿な! 歴代の神父様がそう仰ってきたのだ! 伝統だぞ!」
「伝統が間違っとったら世話ないわ! ……これ、文書偽造やで? 神様への『契約違反』やないか!」
ヨシコの剣幕に、周囲の野次馬たちがざわつき始める。
「本当なのか?」
「神父様が嘘を?」
「でも、あのおばちゃんの道具、文字が光ってるぞ……」
「い、いや、解釈の違いだ! 古代語は複雑で……」
「言い訳はええ!」
ヨシコはビシッと神父を指差した。
「神様が一番嫌いなんはな、自分の言葉を都合よう曲げられることや! 嘘ついて他人をいじめて、それで天国行けると思てんのか!」
「う、うぐぐ……」
「それによう考ええや。この子の耳、よう聞こえるんやで? 鼻も利くんやで? パン屋の旦那、この子雇って『焼き上がり』をいち早く知らせてもらえば、商売繁盛やないか。それこそ『繁栄の種』やろ!」
ヨシコの言葉に、パン屋の店主がハッとする。
犬耳の少年を見る目が、軽蔑から「なるほど」という興味に変わっていく。
「……そ、そういえば、鼻の利くやつは良いパン職人になるって聞いたことが……」
「せやろ! 排除するんやなくて、どう活かすかを考えるんが、大人の仕事や!」
神父は顔を真っ青にして後ずさった。
その目は、ヨシコへの怒りよりも、もっと根本的な恐怖――自分の足場が崩れ去る恐怖に揺れていた。
「だ、だが……この教えが間違いならば……私は今まで、何を信じて……」
神父はうわ言のように呟くと、自分の聖典を抱きしめ、逃げるように群衆をかき分けて去っていった。
思考停止にしがみついてきた男の、哀れな末路だった。
(……あの人、これからどうやって生きるんやろな)
ヨシコは心の中で思わずにはいられなかった。
残されたのは、きょとんとする犬耳の少年と、ばつが悪そうに頭をかくパン屋の店主。
そして、腕組みをして頷くヨシコだけだ。
「……おばちゃん、ありがとう」
少年が涙目でヨシコの割烹着を掴む。
ヨシコはしゃがみ込み、少年の頭を優しく撫でた。
「礼はいらん。……その代わり、卑屈になったらあかんで。あんたには、あんたにしかできんことがあるんやから」
「うん!」
その後、パン屋の店主が「詫びだ」と言って、少年に焼きたてのパンを渡しているのを見届けてから、ヨシコはその場を離れた。
スマホの画面には、まだシロウとの通話が繋がっていた。
『……姉ちゃん、また一つ世界を変えてもうたな』
「大層なことやないわ。ただの『誤植の訂正』や」
ヨシコはニカっと笑うと、パン屋で買ったあんパンを頬張った。
甘いあんこの味が、少しだけ疲れを癒してくれる。
「さて、腹も膨れたし。……次はいよいよ、街の外やな!」
王都にはびこる「ブラックな常識」を次々とひっくり返したヨシコ。
最強の総務おばちゃんの旅は、ここから本格的に始まる。
(続く)
都合のいい解釈で差別をする……現代にも通じる話かもしれません。
ヨシコさんのスマホ翻訳機能、便利すぎますね(笑)
次回は第一章のクライマックス直前、防衛戦です!
第6話:防衛戦のシステムエラーと、おばちゃんのミス




