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異世界総務のヨシコさん(58)  ~エリート弟妹たちとスマホで繋がって「魔王軍ホワイト化」始めます。残業代はきっちり請求しまっせ!~  作者: 早野 茂
後日談:ヨシコとカケル

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後日談 第5話:あり得ない「白い塊」と、母の味

 ガシャン!!


 手から滑り落ちたお玉が、床で乾いた音を立てた。

だが、カケルはその音に反応すらしなかった。

彼の視線は、ルシアナが差し出したお盆の上――湯気を立てる「それ」に釘付けになっていた。


「……え?」


 カケルの喉から、掠れた声が漏れる。


「カケル? どうしたの、急に大きな音を立てて……」

「ルシアナ……それ、なんだ?」

「え? だから、さっき手伝ってくれたおば様からの差し入れよ。……珍しいわよね、真っ白で、ツヤツヤしてて」


 ルシアナは不思議そうに小首をかしげる。

無理もない。

このリベリス周辺は小麦文化だ。

主食はパンかパスタであり、「米」という穀物自体が流通していない。

彼女にとって、それは「見たことのない異国の料理」でしかない。


 だが、カケルにとっては違う。


(……米(コメ)だ)


 間違いない。

あの特有の香り。

一粒一粒が立ち上がった、美しい光沢。

日本人が魂に刻み込んでいる、主食の王様。


(なんで……? なんでここにある?)


 カケルは震える手を伸ばした。

幻覚かもしれない。疲労が見せている白昼夢かもしれない。

だって、あり得ない。

異世界召喚されて数年、一度もお目にかかれなかったものが、なぜ今日、突然、俺の厨房にあるんだ?


 指先が、温かい表面に触れる。

温かい。

いや、熱いくらいだ。


(……炊きたて、なのか?)


 カケルは無意識のうちに、その三角形の塊を掴んでいた。

ずっしりとした重量感。

海苔の磯の香りが、鼻腔をくすぐる。


 カケルは大きく口を開け、かぶりついた。


 ――瞬間。


 電撃が走った。


 口いっぱいに広がる、米の甘み。

絶妙な塩加減が、汗をかいて枯渇した体に染み渡る。

噛みしめると、中から現れたのは種を抜いた「梅干し」だ。

その強烈な酸味が、唾液腺を刺激し、疲労で麻痺していた味覚を一気に覚醒させる。


「……っ!!」


 味だけじゃない。

「記憶」が、雪崩のように押し寄せてきた。


――『ほらカケル、夜食やで。勉強頑張りや』

――『あんたまた残業か? 体壊すで。これ食べてゆっくり休み』


 学生時代、試験勉強をしていた夜。

社会人になり、久しぶりに夜遅く実家に帰省した夜。

いつもそこにあった、不格好だけど温かい、母の味。

コンビニのおにぎりとは違う、掌(てのひら)の圧力が生む、独特の食感。


 これは、再現料理じゃない。

この世界で誰かが真似して作ったものじゃない。

この握り加減、この塩梅、この梅干しの味――。


 世界でたった一人、俺の「お母さん(オカン)」しか作れない味だ。


「……オカン……?」


 カケルの口から、自然と方言が漏れた。

店長としての仮面も、勇者としての虚勢も、この味の前では無力だった。

理屈なんてどうでもいい。

次元がどうとか、座標がどうとか、そんなことは後だ。


 今、この店のホールに、母がいる。


「……オカンッ!!」


 カケルは食べかけのおにぎりを握りしめ、弾かれたように走り出した。


「えっ!? カケル!?」


 ルシアナの呼び止めも耳に入らない。

カケルは厨房の扉を蹴破る勢いで飛び出した。


 ドタンッ!!


 ホールの客たちが一斉に振り返る。

その視線の先。

レジカウンターの横で、スタッフたちにお茶を配りながら、「あー、腰にくるわー」と腰を叩いている、割烹着の後ろ姿があった。


 見間違えるはずがない。

少し丸まった背中。

時代錯誤な割烹着。

そして、あの空気感。


「……オカン!!」


 カケルが叫ぶ。

その声に、割烹着の女性がゆっくりと振り返った。


 目が合った。

少し増えた目尻の皺。

けれど、昔と変わらない、力強い瞳。


 ヨシコは、鬼の形相で駆け寄ってくるカケルを見て、驚きに目を見開いた。


「……カケル、か?」


 その声を聞いた瞬間、カケルの膝から力が抜けた。

へたり込みそうになるのを、必死で堪える。

出てくる言葉は、もう標準語ではなかった。


「オカン……なんで……なんでここにおんねん……?」


 言葉にならない。

もう二度と会えないと思っていた。

それが、こんな異世界の、自分の店のホールに立っているなんて。


 感動の再会。

涙の抱擁。

そんな映画のようなシーンになるかと思われた。


 だが――ヨシコはスタスタとカケルに歩み寄ると、その頬を両手でムギュッ!と挟んだ。


「いッ!? お、オカン!?」

「あんた……!!」


 ヨシコの眉がつり上がる。


「なんでこんなに痩せてんねん!! ちゃんと飯食うとるんか!?」

「えっ? いや、そこ!?」

「頬骨出とるやないか! 目の下にクマも作って! ……あんた、またブラックな働き方してたんちゃうやろな!?」


 ヨシコはカケルの体をペタペタと触り、肉付きを確認しながら説教を始めた。

再会の喜びよりも先に、「息子の健康管理」に意識が向く。

それが、ヨシコという母親だった。


「い、いや、店が忙しくて……」

「忙しいからこそ食うんや! ……ったく、昔からあんたは要領が悪いんやから!」


 ヨシコは呆れたように言いながらも、その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

彼女は強く、カケルの肩を抱き寄せた。

割烹着から香る、線香と、出汁と、日向の匂い。


「……よう生きてたな。……ほんまに、よう頑張ったな」


 耳元で囁かれた、震える声。

その温もりに触れて、カケルの中の何かが決壊した。


「……うん……会いたかったわ、オカン……!」


 カケルは母の肩に顔を埋め、子供のように泣いた。

ホールは静まり返っている。


 そんな中、状況を理解したルシアナが、カケルの背後で硬直していた。


「えっ……オカンって……つまり、お母様……?」


 ルシアナの顔が、みるみるうちに完熟トマトのように真っ赤に染まっていく。

彼女は両手で頬を押さえ、瞳を泳がせた。


「て、てことは……目の前の方が……お、お義母(かあ)さま!? ひぃっ!? わ、私、心の準備が! 挨拶もまだちゃんとできてないのに!」


 ルシアナは慌ててエプロンの皺を伸ばし、髪を整えようと一人でパニックに陥っている。

だが、そんな微笑ましい混乱も束の間。

ヨシコはカケルの背中をバン! と叩いて離した。


「よし! 泣くのは終わりや! ……あんた、まだ仕事残ってるんやろ?」

「えっ? あ、ああ……」

「ほな、さっさと片付け! 積もる話はその後や!」


 ヨシコはニカっと笑い、いつもの「最強の総務」の顔に戻った。

そして懐からスマホを取り出すと、高らかに宣言した。


「ほな、他の連中(叔父さんたち)にも報告したろか! ……みんな! カケル確保したでー!!」


 ヨシコのスマホから、聞き覚えのある――しかし、この世界にあるはずのない声たちが一斉に響き渡った。


『おおっ! カケルか! ロクロウだ!』

『サブロウだ、無事だったか!』


「お、叔父さんたちまで……!?」


 カケルが安堵の声を上げようとした瞬間、スピーカーからの声色は一変した。


『カケル! お前、声に覇気がないぞ! 今すぐバイタル送れ! 簡易キットでいいから採血しろ!!(ロクロウ)』


『おいカケル、店の回転率が悪すぎるぞ! さっきから見ていたが機会損失が出まくりだ! とりあえず直近三ヶ月の損益計算書(P/L)と貸借対照表(B/S)を提出しろ!!(サブロウ)』


「ええっ……!?」


 カケルの顔が引きつる。

安否確認などではない。

これは――


(オカンだけちゃう……まさか、親族総出で『業務監査』しに来たんか!?)


 感動の再会は、一瞬にして「最強一族による経営介入」へと変貌しようとしていた。


(続く)

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― 新着の感想 ―
おにぎりを口にして感じる、不格好だけど温かい、母の味。 コンビニのおにぎりとは違う、掌てのひらの圧力が生む、独特の食感。食の記憶って大事だし、凄いよね。 そして、見間違えるはずがない。少し丸まった背中…
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