第3話:スラムの悪ガキと、職業訓練
「お兄ちゃん、これまけて! 傷んでるやんか!」
「へいへい、わかったよ! 銅貨2枚でいいからもっていきな!」
ナケナシ王国の市場は、活気に満ちていた。
騎士団の業務改善を軌道に乗せたヨシコは、王様から「特別手当」をもぎ取り、今日は市場の視察(という名の買い出し)に来ていた。
「よしよし、ええ買い物ができたわ」
ヨシコは戦利品の野菜が入ったカゴを抱え直し、ホクホク顔で通りを歩く。
異世界の野菜は形こそ不揃いだが、味は濃くて美味い。
今夜は煮物にしようか、それとも天ぷらか。
そんなことを考えていた、その時だった。
ドンッ!
すれ違いざま、小柄な影がヨシコにぶつかった。
「あっ、ごめんなさい!」
「おっと、危ないで。気ぃつけや」
ボロボロの服を着た泥だらけの少年が、ぺこりと頭を下げて路地裏へ駆け去っていく。
ヨシコは微笑ましく見送ろうとして――ふと、自分の腰元に違和感を覚えた。
エプロンのポケットに入れていたはずの財布(ガマ口)がない。
「……ほう」
ヨシコの目が、スッと細められた。
ぶつかった衝撃で気を逸らし、その一瞬で抜き取る。
プロの手口だ。
しかし、相手が悪かった。
ヨシコは40年間、経理として「1円のズレ」も見逃さず、総務として「備品の紛失」を許さなかった女だ。
「……やりよったな」
ヨシコはカゴを近くの屋台に預けると、走り出した。
だが、少年の背中をただ追いかけたりはしない。
足の速さでは勝てないからだ。
ヨシコは迷わず、少年が逃げ込んだ路地とは別の路地へ飛び込んだ。
(逃げる時のあの背中、昔のジロウ(次男)とそっくりや!)
かつて、悪さをした弟たちを追いかけ回した日々が脳裏をよぎる。
勉強をサボって逃げるイチロウ。
つまみ食いをして逃げるジロウ。
彼らはいつも、「大人が入ってこれない狭い道」や「死角になる角」を選んで逃げた。
賢い子供ほど、合理的な逃走ルートを選ぶ。
(あの子は右利き。焦ったら必ず利き手側の角を曲がる……ここや!)
ヨシコは路地裏の地図など見ていない。
ただ、「自分が悪ガキならどう逃げるか」という経験則だけで、ゴミ捨て場の角を曲がり――そこで足を止めて仁王立ちした。
「へへっ、チョロいぜ……うわっ!?」
ドンピシャのタイミングで飛び出してきた少年が、ヨシコの割烹着に激突し、尻餅をついた。
少年は信じられないものを見る目でヨシコを見上げる。
「な、なんで先回りして……!?」
「悪ガキの行動パターンなんざ、万国共通や! ウチからは逃げられへんで!」
「くそっ、離せよババア!」
少年が懐からナイフのようなものを抜き、デタラメに振り回そうとした。
だが、ヨシコは眉一つ動かさない。
ナイフを持つ少年の手首を、スッと自然な動作で掴むと、クルリとひねり上げた。
「痛っ!?」
「刃物はあかん。危ないやろ」
流れるような手捌きだった。
護身術など習っていない。
ただ、毎日のように取っ組み合いの喧嘩をしていた男兄弟を、怪我させないように、かつ力づくで引き剥がして仲裁していた「お姉ちゃんの実力」だ。
ヨシコは少年の手から奪い返したガマ口財布を開いた。
中身は無事だ。
だが、ヨシコが注目したのはそこではなかった。
「あんた……えらい器用な指しとるな」
少年の手は垢まみれだったが、その指は長く、節くれ立っていた。
さっきのスリの技術。
ぶつかった衝撃すら感じさせない、繊細で素早い指先の動き。
「……腹、減ってるんか?」
「は?」
いきなりの問いかけに、少年が目を白黒させる。
ヨシコはため息をつくと、市場で買ったばかりの串焼き(謎の鳥?肉)を一本取り出し、少年の口に突っ込んだ。
「食え。話はそれからや」
路地裏の古びた木箱に座らせ、串焼きを食べさせている間に、ヨシコはスマホを取り出した。
『家族グループチャット』から呼び出すのは、三男のサブロウだ。
『――もしもし、姉さん? どないしましたん?』
「サブロウか。今な、スリの子供捕まえたんよ」
ヨシコはスマホのカメラで、ムシャムシャと串焼きを食べる少年(と、遠巻きに見ている仲間の子供たち)を映した。
『なるほど……。スラムの貧困問題ですな』
スピーカーから、冷徹だが理知的な男の声が響く。
三男・サブロウ(45歳)。
経営コンサルタントとして数々の企業を再生させてきた、「組織の設計者」だ。
「警察に突き出してもええけど、どうせまた戻ってくるだけやろ。根本的にどうにかできへんかと思ってな」
『さすが姉さん、目の付け所が鋭いですわ。その通りです』
サブロウの声は、どこか楽しげだ。
難題ほど燃えるタイプらしい。
『犯罪を減らすのに一番効く特効薬は、罰則強化やのうて「雇用」ですわ。彼らが悪さするのは、それ以外に「稼ぐ手段」を知らんからです』
「手段、なぁ」
『姉さん、その子の手を見てみなはれ。……スリができるっちゅうことは、並外れた「ファインモータースキル(微細運動能力)」があるっちゅうことですわ。それを活かせる産業を作ったらええんとちゃいます?』
ヨシコはハッとして、少年の手を見た。
汚れているが、可能性に満ちた手。
『この前、シロウ(四男)が言うてましたわ。「異世界の魔道具なんて、どうせ中の回路は雑な作りですぐ壊れるんちゃうか?」って。……もし、彼らがその器用な指先で、精密な組み立てができたら、どないです?』
「……なるほどな。あんた、ええこと言うわ」
ヨシコの顔に、商売人の笑みが浮かんだ。
通話を切ると、ヨシコは少年の前にしゃがみ込んだ。
「自分、名前は?」
「……レオ」
「ええか、レオ。その指な、人のもん盗むためにあるんちゃうで」
ヨシコはカバンから、壊れて捨ててあった「魔導ランプ」の残骸を取り出した。市場のゴミ捨て場で拾ったものだ。
「これ、分解してみ」
「はあ? なんだよ急に」
「ええから。あんたのその指なら、できるはずや」
レオは不審がりながらも、ランプを受け取った。
そして、小さな留め具や複雑な配線を、驚くべき手際で外していく。
工具もなしに、爪と指先だけで。
あっという間に、ランプは綺麗な部品の山になった。
「す、すごい……」
見ていた仲間の子供たちが歓声を上げる。
レオ自身も、驚いたように自分の手を見つめていた。
「合格や」
ヨシコはニカっと笑い、レオの頭をガシガシと撫でた。
「あんたら、今日から私の部下や。
ここで『モノづくり』を教えたる」
一週間後。
スラム街の一角にあった廃倉庫は、見違えるような活気に包まれていた。
看板には下手くそな字で『ヨシコ職業訓練校(兼・魔道具修理工房)』と書かれている。
「こらっ! そこ、ハンダ付けが甘いで! もっと丁寧に!」
「うっせーなババア! わかってるよ!」
作業台に向かうレオたちの目は真剣そのものだ。
彼らが修理した魔道具は「新品より長持ちする」と評判になり、市場の商人たちがこぞって修理依頼を持ち込むようになっていた。
修理代として得た金は、彼らの給料となり、そして明日の材料費となる。
『姉さん、すごいですわ。これ、完全に「精密機器メーカー」の生産ラインですやん』
視察に来たサブロウ(スマホ越し)が感嘆の声を上げる。 ヨシコは満足げに、子供たちが働く姿を眺めた。
盗んだ金を数える時の暗い目ではない。
自分の技術で稼いだ金を握りしめ、「今日は腹いっぱい食える!」と笑い合う、子供らしい誇りに満ちた目。
「ババア! ……いや、校長! これ直ったぞ!」
レオが修理したての時計を持って駆け寄ってくる。
その顔は煤だらけだが、太陽のように輝いていた。
――だが、レオは一瞬だけ、倉庫の外の路地を振り返った。
あそこに戻ったら、もう二度と、ここには戻れない気がした。
「おう、ようやった! ええ腕してるやないか」
ヨシコはポケットからアメちゃんを取り出し、レオの手のひらに乗せた。
「これはボーナスや。……大事な手ぇや、もう汚いことに使うなよ」
「……おう!」
レオは照れくさそうに鼻をこすり、作業場へ戻っていった。
ヨシコはスマホの画面に向かって、小さく呟いた。
「サブロウ。教育っちゅうのは、飯の食い方を教えてやることなんやな」
『せやね。姉さんが作ったのは、ただの修理屋とちゃいます。彼らの「未来」ですわ』
工房には、金属を叩く音と、子供たちの笑い声が響いている。
それは、王都のどんな音楽よりも、ヨシコにとっては心地よい響きだった。
「さて、次はどこの帳簿を見に行こかな」
最強の総務おばちゃんの下で、スラムの悪ガキたちは、世界一の技術者集団へと生まれ変わりつつあった。
(続く)
スリの少年たちが、まさかの技術者集団へ。
子供の手って、悪いことするためじゃなくて、未来を作るためにあるんですよね。
さて次回は、ついに「冒険者ギルド」へ殴り込み(?)です。
長男イチロウ(弁護士)がアップを始めました。




