後日談 第1話:有給休暇と、次元の座標
魔王城の朝は、今日も平和なラジオ体操から始まった。 「いっち、に、さん、し!」
中庭に響く掛け声。数千の魔物たちが健康的に体を動かす中、テラスでコーヒーを飲んでいるヨシコ(58歳)は、眼下の光景に目を細めた。
(……ええ眺めや)
総務とは、単なる「何でも屋」ではない。
会社や組織という巨大な機械が、キシみ音を上げずに滑らかに回るよう、油を差し、ネジを締め、土台を支える「バックオフィス」の要だ。
他部署が拾いきれない業務を拾い、問題が起きる前に「仕組み」で解決する。
だからこそ、トラブルが起きず、自分の出る幕がないこの状況こそが――総務としての「完全勝利」の形なのだ。
(魔王軍も、ようなったなぁ。みんな優秀やし、私が口出さんでも仕事が回っとる)
ヨシコの支援により、魔王軍には有能な人材が育ち、組織の歯車はガッチリと噛み合っている。
コーヒーの香りを楽しみながら、ヨシコはその成果をゆっくりと噛みしめていた。
「……で、ヨシコよ。なぜ貴様は、その『勝利の余韻』に浸りながら、手元で書類の決裁をしておるのだ?」
背後から呆れたような声がした。
魔王ゼノンだ。
健康的な顔色の彼は、ヨシコの手元――無意識にペンを走らせている備品発注書――を指差した。
「ああ、これか? いやな、平和な時こそ備蓄の点検時期やし、今のうちに年末調整の準備もしといた方が……」
「それが『働きすぎ』だと言っておるのだ!」
魔王はため息をつき、一枚の羊皮紙を突き出した。
『特別功労休暇発令通知(無期限)』
「……休暇? 私にか?」
「うむ。組織はもう盤石だ。貴様が築いたシステムのおかげでな。……だが、貴様自身が休むシステムが抜け落ちておる」
魔王は少し照れくさそうに視線を逸らした。
「四天王からの総意だ。『ヨシコ殿が休まないと、我々も休みづらい』とな。……頼むから、少しは羽根を伸ばしてこい」
ヨシコは羊皮紙を見つめ、苦笑した。
私が休むことが、最後のリスク管理っちゅうわけか。
「……わかったわ。ほな、お言葉に甘えさせてもらうわ」
ヨシコがペンを置いた、その時だった。
割烹着のポケットに入っていたスマホが、けたたましく着信音を鳴らした。
画面には『シロウ(四男)』の文字。
「もしもし、シロウか? 今な、魔王から有給もろうて……」
『姉ちゃん! それどころちゃうで!』
スピーカーから、興奮したシロウの早口な関西弁が飛び出してきた。
『見つけたで! カケルや!』
ヨシコの手から、羊皮紙がひらりと落ちた。
時が止まる。
「……カケル……? 見つかったんか!? 生きてるんか!?」
『生きてる! 昨日な、次元を二つほど跨いだ世界で、恒星並みのデタラメなエネルギー爆発が観測されたんや』
シロウがキーボードを叩く音が、背景から響いてくる。
『そのエネルギーの波形の中に、微弱やけど「音声データ」が混じってたんや。ノイズ除去して再生するで、よう聞きや!』
ザザッ……というノイズの向こうから、複数の声が響いてきた。
『『『『『カケル——ッ!!』』』』』
『行けーーーッ!! カケル——ッ!!!』
『あなたの“感情”を信じて!!』
『勝てる!!!』
『ぬるい!!!』
『ピュイイ!!』
男の声、女の声、そして何やら動物のような鳴き声。 必死で、けれど信頼に満ちた声で、息子の名前を叫んでいる。
「……あ……」
ヨシコの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
間違いなく、カケルの名前だ。
そして何より――。
「……あの子、一人やなかったんやな……」
会社で孤立し、心をすり減らしていた息子。
けれど、この声の数々はどうだ。
こんなにも熱く、カケルを呼んでくれている。
あの子は向こうの世界で、ちゃんと「仲間」を作れていたのだ。
『この声援の中心におるエネルギー反応、これがカケル本人や! 今はもう神界から地上に戻って、とある街に定着してるみたいや。「リベリス」って街やで!』
リベリス。
聞いたこともない街の名前だが、ヨシコにとっては「希望」そのものの響きだった。
「……行けるんか?」
『行ける! アコギ王国の転移魔法陣を改造して、ゲートを固定した。……いつでも飛べるで!』
ヨシコは震える手でスマホを握りしめた。
ずっと探していた、最重要案件。
息子が大暴れしてくれたおかげで、そして何より、仲間たちが呼んでくれたおかげで、ようやく尻尾を掴めたのだ。
「……魔王」
ヨシコは振り返った。
魔王ゼノンは、全てを察したように深く頷き、ニヤリと笑った。
「行け、ヨシコ。……これは業務命令ではない。友としての願いだ」
「みんな!! お土産持ってきたぞー!!」
魔王が指を鳴らすまでもなく、廊下の奥から四天王たちがドタドタと駆け寄ってきた。全員、満面の笑みで荷物を抱えている。
「ヨシコ殿! 息子さんに会うなら手ぶらはいけません!」
(炎の将軍ボルグ)
「魔界特産『最高級熟成肉』です! 成長期(?)には肉でしょう!」
「こっちは『不老長寿の秘薬(栄養ドリンク)』です!」
(氷の参謀ラピス)
「おにぎりの具にいいと思って……『魔海産・激辛明太子』も……」
(闇の暗殺者シェイド)
あっという間に、ヨシコの周りは「お土産」の山になった。
リッチ料理長まで飛んできて、湯気の立つ包みを差し出した。
「ヨシコ殿! 今朝、城のみんなのために炊いた『銀シャリ』の余りです! 貴殿のマジックバッグに入れておけば、向こうでも温かいまま食べられますぞ!」
「……みんな……」
ヨシコは溢れそうになる涙をこらえ、ニカっと笑った。
「おおきにな! 遠慮なく貰っていくわ! ……うちの息子にも、あんたら自慢の味、食わせたげたいからな!」
ヨシコはマジックバッグに炊きたてのご飯やお土産を詰め込み、割烹着の紐をキュッと締め直した。
もう、迷いはない。
「シロウ! ゲート開け! 座標はリベリスや!」
『了解や! 行ってらっしゃい、姉ちゃん!』
魔王城の中庭に、光の渦が現れる。
ヨシコは魔王と四天王たちに大きく手を振り、光の中へと飛び込んだ。
「待ってなさい、カケル! ……お母さんが、今行くで!」
最強の総務おばちゃん、次元を超えて息子に会いに行く。
その手には、温かいご飯と、溢れんばかりの母の愛を携えて。
(続く)




