第19話:不平等条約の罠と、最強弁護士の「赤ペン先生」
魔王城の応接室は、甘い香りに包まれていた。
テーブルの上には、人間界から贈られた高級菓子と、分厚い羊皮紙の束。
「いやぁ、魔王様。賢明なご判断です。この条約さえ結べば、我ら『アコギ王国』は貴軍を国家として承認し、勇者の派遣も停止しましょう」
揉み手をしながら笑うのは、人間界の外交官・サギス。 対する魔王ゼノンは、上機嫌で羽ペンを握っている。
「うむ! 我が軍もホワイト化し、無益な争いは避けたいと思っていたところだ。勇者が来なくなるなら安いものよ」
「ええ、ええ! では、ここにサインを……」
魔王がペン先を紙に落とそうとした、その時。
「ちょっと待ったぁぁぁッ!!」
バン!
ヨシコがドアを蹴破り、スマホを片手に飛び込んできた。
「ヨ、ヨシコよ、何ごとか! 今、平和条約の調印中なのだが……」
「アホか! 判子押す前に中身よう読んだんか!?」
「読んだとも! 『仲良くしよう』と書いてあったぞ?」
「それが罠や言うてんねん!」
外交官サギスの顔が引きつる。
「な、失礼な! 私は平和の使者ですよ!?」
ヨシコは無視して、スマホをテーブルの中央に置いた。
画面には、銀縁メガネをかけた厳格な初老の男性が映っている。
長男・イチロウ(54歳)。
ニューヨークに事務所を構え、国家間の訴訟すら請け負う「法の番人」だ。
『――魔王さん。条約文の第12条4項、読みましたか?』
スピーカーから、氷のように冷徹な声が響く。
「えっ? 第12条……?」
魔王が慌てて羊皮紙をめくる。
そこには、虫眼鏡でも読めないほど小さな文字がびっしりと書かれていた。
『読み上げましょうか。“甲(魔王軍)は乙(王国)に対し、平和維持協力費として、魔界の全鉱山採掘権の80%を永続的に譲渡するものとする”』
「は……?」
魔王の手からペンが落ちた。
『さらに第15条。“乙は甲の領土内において、治外法権を有する。また、甲の国民(魔物)が乙の国民に損害を与えた場合、理由の如何を問わず即時処刑できるものとする”』
「な、なんだそれはぁぁぁッ!?」
魔王が絶叫する。
それは平和条約などではない。完全なる「奴隷契約」だ。
『典型的な「不平等条約」ですね。耳障りのいい言葉で油断させ、細かい条文で搾取する。……悪徳業者の手口そのものだ』
イチロウの目が、画面越しに外交官サギスを射抜く。
『おい、そこの外交官。この条約は「公序良俗」に反する。国際法上も無効だ』
「ひっ……! な、何だ貴様は! たかが箱の中の絵の分際で!」
サギスが開き直って叫んだ。
「うるさい! 魔物風情が法律など分かるものか! サインさえさせればこっちの勝ちだ! 戦争が嫌なら黙ってサインしろ!」
「……言うたな、この古狸」
ヨシコが静かに怒りを燃やす。
だが、イチロウはフッと冷笑した。
『姉さん。……やるか。私の「赤ペン」を見せてやろう』
「おう。徹底的にやったれ!」
ヨシコはスマホを条約文にかざした。
イチロウは画面越しに条文をスキャンし、瞬時に修正案」を作成していく。
『第1条、修正。「一方的な不可侵」を「相互不可侵」に変更。第4条、削除。「賠償金」の根拠が不明確。第12条、破棄。このような資源の搾取は、国家間の「経済的主権の侵害」にあたる』
ものすごい速度で、条約文が「赤字」で埋め尽くされていく。
ヨシコはその修正内容を読み上げ、魔王が新しい羊皮紙に書き写す。
「そ、そして第25条追加! “乙が信義誠実の原則に反した場合、甲は『懲罰的損害賠償』として王国予算の50%を請求できる”……だ!」
ドン!
魔王が書き上げた「修正版・真の平和条約」を外交官の前に突き出した。
「これが我々の提示する『修正案』だ」
「な、な、なにぃぃ……!? 懲罰的賠償だと!? 国家間の条約でそんな無茶な……!」
「おたくが先に『無茶(詐欺)』を仕掛けてきたんやろがい!」
ヨシコがドスを利かせて一喝する。
「内容は全て『対等』かつ『公正』なものにしてある。最後の賠償金だって、おたくが裏切らなきゃ払わんでええんや。……サギス殿。貴殿の国が本当に平和を望んでいるのなら、これにサインできるはずやな?」
サギスが修正版を手に取り、震え上がった。
完璧だ。
法的に一切の隙がなく、かつ魔王軍の権利が鉄壁に守られている。
これでは、当初の目的だった「騙して搾取」など不可能だ。
「ぐ、ぐぬぬ……! こ、こんな……こんな高度なリーガルチェックができるわけがない! 貴様ら、本当に野蛮な魔物なのか!?」
「野蛮やと? 笑わせなや」
ヨシコが鼻で笑った。
「騙して搾取しようとするあんたと、対等に手を組もうとした魔王……どっちが『野蛮』か、自分の胸に聞いてみぃ! うちはな、『コンプライアンス遵守』のホワイト企業や。あんたらよりよっぽど文明的やで!よう覚えとき。法律を悪用して他人を騙そうとする奴はな、いつか必ずその法律に寝首をかかれるんや! 正義面した悪党に、サインさせる紙はないで!」
ぐうの音も出ない正論。
これ以上交渉しても、搾取は不可能だ。
サギスは顔を真っ赤にして立ち上がり、修正案を床に叩きつけた。
「ええい、交渉決裂だ! ……おのれ、生意気な魔物どもめ!」
彼は出口へと走り去りながら、憎々しげに叫んだ。
「覚えていろ! こんな面倒な国、こうなったら力ずくで潰してやる! 勇者パーティを送り込んで、根絶やしにしてくれるわぁぁぁッ!」
捨て台詞を残し、外交官は消え去った。
魔王城に、再び静寂が戻る。
「……ふぅ。危ないところだった」
魔王ゼノンは冷や汗を拭い、スマホに向かって頭を下げた。
「イチロウ殿……感謝する。貴殿がいなければ、私は国を売るところであった」
『礼には及びません。……ただ、魔王さん』
イチロウが眼鏡の位置を直す。
『「契約」とは、お互いの信頼を形にするものです。相手が悪意を持っているなら、戦うしかない。……ですが、貴方がホワイトであり続ける限り、法は貴方を守る盾になります』
「……法が、盾に……」
魔王は深く噛み締めた。
そこへ、ヨシコが歩み寄り、ポンと魔王の肩を叩いた。
「魔王。ええか、無知は罪やない。でもな、『知ろうとしないこと』は罪や。判子押す前に、虫眼鏡で隅々まで読む。それが自分の身を守る一番の武器なんや!」
「……肝に銘じよう。知恵こそが、王の武器なのだな」
魔王は深く頷いた。
これまでは「力こそパワー」だと思っていた。
だが、知性こそが最強の防壁になることを知ったのだ。
その夜。
ヨシコは自室で、イチロウとの通話を続けていた。
『……姉さん。カケルくんのこと、覚えているかい?』
「……ああ」
イチロウの声が少し沈む。
『彼がブラック企業に入社した時、契約書を見せてもらったことがあった。「固定残業代」や「裁量労働制」……法的にはギリギリ合法だが、実質的な奴隷契約だった』
カケルは言ったのだ。
「みんな頑張ってるから」「これが社会のルールだから」と。
そして、サインしてしまった。
『……あの時、私がもっと強く止めていれば。あるいは、労働基準監督署にねじ込んでいれば……』
「イチロウ、あんたのせいちゃうよ」
ヨシコは首を振った。
日本の社会には、「契約書を細かく見るのは失礼だ」という空気がある。
「信頼」という言葉を盾に、リスクを弱者に押し付ける構造。
「……あの時、私らも『まあ大丈夫やろ』って目を逸らしてもうたんや。カケルの優しさに甘えて、周りの大人がちゃんと契約書を見んかった。それが間違いやったんや」
ヨシコはスマホをギュッと握りしめた。
「だから、二度と同じ轍は踏まん。今度こそ、徹底的に確認して、守り抜くんや」
ヨシコは窓の外を見た。
魔王軍は強くなった。
法も知った。
だが、外交官の最後の言葉が耳に残っている。
『勇者パーティを送り込んで、根絶やしにしてくれるわ』
「……来るな。本物の『勇者』が」
ホワイト化した魔王軍。
そこに、「魔王=悪」と信じて疑わない「正義の味方」が現れたらどうなるか。
最大のパラドックスにして、魔王軍編のクライマックスが迫りつつあった。
(続く)
契約書の赤ペン修正、気持ちいいですね!
知恵と法律は、弱者を守る盾になります。
次回、勘違いした「勇者パーティ」が殴り込み!?
ヨシコさん、どう迎撃する!?




