第12話:地獄の業務棚卸しと、魔王様の「手放す勇気」
業務停止命令から一夜明けた、魔王城。
四天王たちは泥のように眠り続けているが、玉座の間では、一人の男が禁断症状に苦しんでいた。
「……し、仕事を……私に仕事をくれ……」
魔王ゼノンだ。
机の上の書類をヨシコに没収され、手が震えている。
典型的なワーカーホリックの離脱症状である。
「アカン。あんたはまだ安静や」
「だが! 何もしないと不安で押し潰されそうだ! 世界が……魔王軍が崩壊してしまう!」
「崩壊せぇへんわ。現に今、城は静かやろ?」
ヨシコはモップで床を磨きながら言い放った。
確かに、トップが働いていないのに、城は何事もなく(静かすぎるほど)平穏だ。
「ええか魔王。あんたが不安なんは、『自分が何をしてるか』を把握できてへんからや」
ヨシコは懐からスマホを取り出し、三男のサブロウを呼び出した。
「サブロウ。……やるで、『棚卸し』や」
『――了解ですわ、姉さん。魔王の前にあの「魔法の付箋」を出してあげてください』
ヨシコはカバンから、一束の付箋を取り出した。
日本から持参した、ただの強粘着付箋だ。
枚数は100枚ほどあるだろうか。
「魔王。今からあんたが抱えてる仕事を、この紙に全部書き出せ。1枚につき1個や。……全部やで?」
「ぜ、全部だと? ふん、足りるものか! 私の業務は数千、いや数万はあるぞ!」
「ええから書き!」
魔王は「見ていろ!」とばかりに鼻息荒くペンを握り、猛烈な勢いで書き始めた。
『侵略計画の立案』 『四天王への指令』 『予算の承認』……
最初は、紙が破れんばかりの強い筆圧だった。
文字からも「我こそは支配者」という覇気が溢れていた。
しかし、10枚、20枚……と進むにつれ、ペンの速度が落ちていく。
50枚を超えたあたりで、文字の大きさは半分になり、線はヘナヘナと頼りなくなっていった。
「……ぬ、ぬぅ……」
「どないした? 数万あるんちゃうんか?」
「ま、待て……今、思い出している……他に重要な案件が……」
魔王は脂汗を流しながら絞り出す。
筆跡はもはや、ミミズが這ったような震える線になり果てている。
『城内の電球の交換確認』 『兵士食堂の献立チェック』 『自分の登場シーンのBGM選定』……
そして、82枚目を書いたところで、ペンの動きが完全に止まった。
最後の一枚には、解読不能な象形文字のようなヨレヨレの線で、『ろうかのそうじ』と書かれていた。
「……お、終わった……か?」
魔王は呆然と机の上を見た。
そこにあるのは、たった82枚の付箋だけ。
数万あると信じていた「世界の重み」は、可視化してみれば、机の隅に収まる程度の量だったのだ。
「う、嘘だ……もっとあるはずだ……! 私が24時間寝ていないのは、もっと膨大な……何かを……」
「思い出せへん時点で、そんな仕事はしてないやろ!」
ヨシコが一喝した。
「人間、見えへん敵が一番怖いのと一緒や。『仕事がいっぱいある』いう恐怖心だけで、あんたは勝手にパニックになってたんや」
「だ、だが……たった82個とは……魔王として情けない……」
ショックを受ける魔王に、ヨシコは優しく語りかけた。
「何言うてんの。あの鉄鋼王・カーネギーもな、悩みすぎて自殺まで考えた時に、悩みを全部書き出してみたんやて」
「て、鉄鋼王……? 人間の王か?」
「せや。鉄の城を築き上げた大富豪や。その天才ですら、死ぬほど悩んで書き出してみたらたった70個しかなかったそうや。……あんたの82個は、それより多い。十分すごいやんか」
魔王の顔に、パァァ……と光が差した。
「そ、そうか……私は、その人間の王よりも重荷を背負っていたのか……!」
「せやせや。自信持ち。……で、カーネギーはその70個を『自分でできること』と『できないこと』とかに仕分けて解決したんや。あんたもやるで」
ヨシコは残った付箋の束をポケットにしまうと、スマホをスピーカーにした。
『――よし、現状把握は完了ですな。姉さん、「ECRSの原則」で仕分けましょか』
ヨシコが4つの箱を並べた。
それぞれにマジックで大きく文字が書かれている。
①【排除(Eliminate):捨てる】
②【結合(Combine):まとめる】
③【交換(Rearrange):任せる】
④【簡素化(Simplify):楽にする】
「まずこれ。『登場シーンのBGM選定』。これ要るか?」
「なっ! 重要だぞ! 魔王の威厳は演出が9割……」
「アホか! 誰も見てへんわ! ①【捨てる】箱行きや!」
ヨシコは付箋をビリッと剥がし、ゴミ箱(①)へダンクシュートした。
「あああ! 私のこだわりの演出がぁ!」
「次! 『兵士食堂の献立チェック』。あんた料理できんのか?」
「できぬ! だが、兵士には健康でいてほしいので……」
「なら料理長に任せぇ! 素人が口出すな! ③【任せる】箱行きや!」
ペタッ。容赦なく③の箱へ。
「次! 『四天王の日報チェック』。……これ、まとめて月1回でええやろ。②【まとめる】箱行き!」
「次! 『決裁書類へのサイン』。ハンコ作ってポンと押せ! ④【楽にする】箱行き!」
ヨシコの千手観音のような手さばきで、机の上の82枚が次々と剥がされ、箱へ吸い込まれていく。
魔王は悲鳴を上げながら、それを阻止しようとする。
「や、やめろ! それは私がやらねば! 私が確認しないと気が済まないのだ!」
「それが『我執』や言うてんねん!」
ヨシコの手が止まった。
息を切らして付箋を守ろうとする魔王の目を、真っ直ぐに見据える。
「魔王。あんたは優しい。責任感が強い。……でもな、それは部下への『信用』がないのと同じや」
「……信用……?」
「あんたが全部チェックしたら、部下は『どうせ魔王様が直してくれる』と思って育たへん。 ……失敗させぇ。 任せて失敗させて、最後に尻拭くのがトップの仕事や」
魔王の手から力が抜けた。
机に残った付箋は、わずか数枚。
『魔王軍の最終目標決定』『部下の生活を守る』『緊急時の最終決断』。
本当に彼がやらなければならない仕事は、それだけだった。
「……私は……怖かったのかもしれん」
魔王はガックリと膝をついた。
「仕事を抱えていないと、自分が『魔王』でいられなくなる気がして……。暇になるのが、怖かったのだ」
ワーカーホリックの正体。
それは、自己存在証明への不安だ。
魔王の視線が、山積みになった③【任せる】箱に向いた。
一番上には『兵士食堂の献立チェック』の付箋が見えている。
「……そういえば」
魔王がポツリと呟いた。
「……ラピスは料理が趣味だと言っていたな。彼女なら、私などが考えるより遥かに栄養バランスの良い献立を組むだろう。……ボルグは兵士たちと毎日酒を飲んでいる。現場が何を食いたいか、一番知っているのは彼だ」
魔王の脳裏に、部下たちの顔が浮かんだ。
疲れ切っていたが、それぞれが得意分野を持った優秀な部下たちの顔が。
「……そうか。私は、彼らの才能を使うことすらサボっていたのだな」
ヨシコは優しく微笑むと、空っぽになった執務机の上を台拭きで拭いた。
「ええんやで。暇な王様こそ、平和な証拠や」
「……そうだな」
魔王は、初めて見る「自分の机の木目」を撫でた。
窓の外を見ると、夕日が沈もうとしていた。
いつもなら、これから深夜までの残業が始まる時間だ。
「……ヨシコよ。私は今夜、何をすればいい?」
「帰って風呂入って寝ろ。……あ、その前に」
ヨシコは③【任せる】箱を指差した。
「明日、四天王が起きたらこれを渡すんや。『いつもありがとう。これからは君たちを信じて任せる』って一言添えてな」
「……言えるかな。威厳が……」
「言えるわ! それが一番カッコええ魔王や!」
魔王は照れくさそうに、しかし小さく頷いた。
その顔からは、あのどす黒いクマと、憑き物が落ちていた。
ふと、奥の廊下(医務室の方角)から、微かな声が聞こえた。
誰かの笑い声だ。
それも、一つではない。
泥のように眠る彼らが、夢の中で重圧から解放され、久しぶりに笑い合っているのかもしれない。
城を包んでいた重苦しい空気が、少しずつ、だが確実に変わり始めていた。
その夜。
ヨシコは一人、片付いた玉座の間でスマホの画面を見ていた。
「……カケルも、捨てられへんかったんかなぁ」
真面目すぎるがゆえに、抱え込み、潰れてしまったかもしれない息子。
もっと早く、「逃げてもええ」「捨ててもええ」と教えてやれていれば。
「……ま、今からでも遅くないか」
ヨシコは、誰もいない玉座(社長の椅子)をポンポンと叩いた。
ここをホワイト企業にしたら、次は世界中のブラック企業を回ってやる。
お母さんの「業務改善」は、まだ始まったばかりだ。
(続く)
「任せる勇気」。
上司にとって一番大事なスキルかもしれません。
魔王様、憑き物が落ちてよかったです。
次回、休むことを忘れた四天王たちに、ヨシコさんが「遊び」を教えます!




