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主よみもとに♪  作者: 里井雪


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4/5

フランダースの犬

 あれから三年の歳月が流れた。真理子と私の生活はごくごく順調に過ぎていく。オーケストラの公演はもちろん、弦楽四重奏も常設のグループとなり、定期公演や演劇の伴奏をこなす。年に数日程度しか休みのない忙しい二人。


 そんな中、父に肝臓がんが見つかった。医師は自信満々に手術を勧める。


「大丈夫です。お父さん、まだまだ体力がありますから、必ずや助けておみせしましょう」


 だが、手術をして体力低下していることが原因だったのだろうか? 世界を飛び回っていた父、どこかの国で感染したのかもしれない。無症状のまま保菌していた結核が再発した。


 未だ結核は法定伝染病だ。もはや、嚥下もできぬ父、無理にでも薬を投与しなければならない。特殊マスクを付けて、わずかの時間だけの面会、溢れ出そうな涙を私は堪える。だが、数週後、彼は天に召された。


 そして、今度は真理子。忙しい毎日で健康診断を怠っていたからだろう。体調不良を訴えた彼女は、公演先で倒れた。子宮癌がリンパに転移、医者は深刻な表情で「ステージ4」と告げた。


 なんてこと! なんなの? 私、うさぎのしっぽ、じゃなかったの? これじゃあまるで、近しく、優しい人に死をばら撒く疫病神みたい。


 ダメだダメだ、弱気になっちゃダメ、父は真理子は、私が絶望して自死することを望んでいるか? 違う、断じて違う。どんなに悲しくとも辛くとも、前を向く、それが私の唯一の取り柄。


 だからこそ、父は私を愛してくれた。死の淵にあっても気丈に振る舞う真理子の想いに応えなければ。くじけるな、前を向け! 椿。


 あっ! そうだ、そうだった。「きらきら」を考えないと!


 ホスピスの帰り道、横須賀線に乗った私。本当は泊まり込みで看病したいのだが、そうも行かない。真理子は私がなんやかかと理由を付けて、練習をサボるのを嫌がる。


 格差婚をした私、せめて家事くらいと思って料理を作っていたら、激怒された。


「何やってるの、晩御飯なんてコンビニ弁当で十分! いい、若いあなたには練習が必要なの。サボってないで弾きなさい、弾いて弾いて弾きまくる、それ以外に上達の道なんてないのだから」


 若いといえば、そうかもしれない私だが、自身の限界は承知している。私は決して一流のヴァイオリニストにはなれない。今のセカンドヴァイオリントップでも、自身のK点超えをしている気分だ。なのに、彼女は、彼女だけは、私の可能性を信じているように思う。ありがたいこと、と言えばそうかもしれないが……。


 家に帰り、入念に手洗いをしてから、アマティを手に取る。もちろん、ニコロ・アマティなどという数億円もする代物ではない。弟子が作ったものらしいが、それでも中古マンションが一軒買えるくらいの値段がする。私などには過ぎたる楽器は、父がオーケストラ入団祝いにプレゼントしてくれたものだ。


「こんな高価なもの申し訳ないわ」

「まーー、いいじゃないか」

「だけど……」

「あのなー、俺、会社で何て言われてるか知ってるか? 姓が山田だからという理由だろうが、浅右衛門、首切り浅右衛門らしい」

「なんてひどいあだ名」

「まーー、そう言われても仕方がないような悪どいビジネスをやってきた。だから、という訳でもないが、愛情などという気持ちは理解できん」

「娘に対しても?」

「ああ、そんな気がする。俺は元来、冷酷な人間だ。だが、そもそも愛とか恋とか、そんなものが現実世界に存在するのか?」

「定義による、とは言えるわね」

「そう、そう、あれはな、小説家や詩人が金儲けのために作った幻影だと思うぞ」

「元も子もないことを言う」

「でもな、椿は頑張ってる。本気で人生を前向きに歩んでいる。俺はな、そんな娘を応援したい、ただそれだけだ」

「お父さんの推し活ってこと?」

「今風に言えばそういうことになるな」

「でも、どんなに推してもらっても、私、返すものなんてないわ」

「あのなー、推してもらった地下アイドルがファンに配当金配るか?」

「分かった、ならば、私は武道館ライブを目指す」

「おおーー、その意気やよし、だが、無理だけはするなよ」

「うん、ありがとう大好きよ。私はお父さんのこと愛してるけどね」


 またしても父の思い出が頭をよぎる。酸素マスクを付けベッドに横たわる父のやつれた頬、すでにまともな食事もとれない真理子の姿が被る。ダメだと知りつつ自らに呪いの言葉を吐いてしまう。


「そうよ、私は黒き翼の天使、愛する人に死を告げる者。あは、あはあははは」


 涙が溢れ出す。ダメだヴァイオリンが濡れちゃう。何か、何か弾かなきゃ。

 私はマンションの一室に質られたアビテックス(防音室)に入りドアを閉めた。

 そうね、今の気持ちは、お葬式。


♪〜主よ みもとに 近づかん 登る道は 十字架に ありともなど 悲しむべき


 あれ? この曲、真理子が大好きだった往年の名作『フランダースの犬』で使われていた?


 ああ!! あのラストシーン。天から光の柱が降りてくる、そう、きらきら輝くの光の中、天使に導かれ、ネロとパトラッシュは天に召される。


 そうか! あの輝き、きらきらが見たいと彼女は言ったに違いない!!


 バカ、バカ、なんてヤツなの! 私に、この私に、生前葬をやれってこと? でも、それこそが真理子、私の愛するお姉様、らしいのかもしれない。

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