友人の終わり
真理子は本オーケストラでは初、女性でコンサートマスターになった人物、大変な有名人だ。各所から出演依頼があり、独自の活動もしている。
「ねぇ、今度、弦楽四重奏で演劇のバックをやるって話あるんだけど、どう? 一緒に」
「え! 私、なんて、務まるかしら?」
「まったく。自己評価低いわね。大丈夫よ椿なら。えーーっと、じゃぁー 稽古日は、こことここ、空いてる? 譜面、今日中にダウンロードして届けるから」
人の話を聞いているんだか、なんだか、彼女はいつも一方的に物語を進めてしまう。でも、なんだろう、そういう強引さも悪くない、と私は思う。そうなのだ、その外見とは裏腹に彼女はとても「男前」な女だと思う。だから、私は……。あーー、意識すればするほど演じてしまう、自身の媚態が恥ずかしい。
演劇の当日、朝から始まったゲネプロを終え、いよいよ昼の部マチネ本番。慣れない舞台設備に私は戸惑っていた。演奏者にも演奏が聞こえるよう、舞台に置いたスピーカー、いわゆる転がしからの音がどこか遠く感じる。よく聞こえない。これでは、演奏を合わせられない。
私は隣にいる真理子に、心持ち寄り添うようにして、その生音に耳を傾けた。
あーー、聞こえてくる、日本でも屈指のヴァイオリニストの音色、すごい、改めて思う彼女の凄み。演奏会は、コンサートホールが醸し出す響き、反響や残響も含めた総合的な音を聴くもの。
だから、エアーを通しただけの生音は決してよい音とは言えない。だけど……。直接であるが故、聞こえてくる何かがある。ああ、なんてこと、彼女と私の間に横たわる深いクレパス、圧倒的な才能の差を私は否応なしに気付かされた。
彼女の音色は眩い光を放っているのだ。こうやって、近くで耳を澄まさないと聞こえないそのニュアンス。きっと、AKGやノイマンの高級マイクすら拾うを能わぬ、魂の響。
嫉妬など微塵もない。憧れ、彼女への狂おしい憧れだけが、私の胸を締め付ける。
彼女自身なのか、彼女が奏でる旋律なのか、未だもってそれは定かではない、だけど、この時、私は彼女を好きになった、愛してしまった。この人から離れたくない、一緒にいたいと思った。
夜の部ソワレが終わり、帰途につく二人。終電近くになり人混みもまばらになってきた東池袋の駅前、芸術館沿いの歩道で私は彼女の袖を摘んだ。
「どうしたの?」
「お姉様、私と結婚してください」
「え? 今、なんて言った?」
「だから、私と……」
「ひとまず、その『お姉様』呼びはやめてくれるかしら、椿」
「え、ええ。真理子は私のことを、妹、いいえ、ペットの小動物みたいに思っているかもしれないけれど、私は本気です。愛しています」
「そんなこと、随分前から分かっていたわ。変な媚を売る椿、それは貴女の本意じゃないって知っていた。そういうものよね? 私も女だから重々承知している」
「私、女の子同士って、どうするのか? とか、全然、分からない。だけど、真理子と一緒にいたいって思う。その気持ちに嘘偽りはありません」
「知らないのは、私もご同様かな? でも、いいわ、一緒に暮らしましょう。それから先は『Tomorrow is another day.』でいいかしら?」
「はい! お姉様」
「またーー」
「あーー、あははは」
私は昔から「女の子がいい」などと思ったことはない。あえて言うなら、男性、特に筋肉質の人は、ちょっと怖い、ただそれだけ。彼女はどうだろう? 付き合いだして、もう二年にもなるが、友人以上のお付き合いを望んでいとも思えない。
雰囲気に流され、勢い余って求婚などという大胆な行為に出てしまい、しかもあっさり承諾されてしまった。いいのか? 私。もう後には引けないと知りつつも、この時、私は言いしれぬ怯えを感じた。
だが、そこは父譲りということなのかもしれない、走り出したら止まることを知らない私、翌日の夕食後、家族に全てを伝えた。
昨今、世の目も随分と変わってきてはいるけれど、やはり同性婚にはいろいろな障壁がある。まず、母も姉も兄も大反対した。兄は「どうしてもと言うなら、勘当せよ」などと言い出す始末。だが、この時、父だけは全く冷静だった。
「いいじゃないか、結婚なんてものはだなー 好きな者同士が一緒に住む、以上、それだけだ。男女だろうと女同士だろうと、好きな気持ちに偽りがないのなら、なんの問題もない」
ああーー、なんてこと!!! 父の言は、まさに正鵠を射た。家族会議で私の味方となったばかりでなく、私の躊躇い、怯えすら一刀両断してみせた。
そうだ! 無闇に不必要に性別を意識する必要なんてない! 婚姻とは一緒にいたいと願う二人が生活を共にする、ただそれだけ。シンプル・イズ・ベスト。
にっこり笑っいる姿はただのオッサンにしか見えない父、だが彼は大企業の社長、只者ではないことを今更ながら思い知らされた。
「そうだなー 結婚式はどこがいい? 二人ともウエディングドレスってことなのかい?」
そして、私の味方はいつも強引。父は湘南海岸にある海の見える結婚式場を予約してきてしまった。普通なら一年待ちのところを、会社のコネを使ったのだろう、無理やり捩じ込んできたらしい。
結局、我が親族は父のみ。真理子の方もお母さんだけ、あとは楽団員を中心とした、ごくごく内輪だけの結婚式となった。
ダブルウエディング、真理子はオーソドックスな肩出しビスチェタイプの王道プリンセスライン、私も肩出しだが、釣り合いを考え豪華にフリルが広がるチュチュ、膝上ミニ丈のドレスにした。ガーターベルトで白のストッキングを吊って、踝をベルトで止めるエナメルパンプスを履く。
お化粧は、いつもとそうは変わらない。「アンドロイド」のあだ名はヴァイオリンのことだけではない、どこか人間味がない私の容姿、血色が良く見えるようベースメークは濃いめの色を入れた。
チークはピンク系、シャドーも同系でまとめた。マスカラ、アイラインはいつも通り。ドレスに負けないよう、リップはいつもはあまり使わないレッド系で少しだけ派手に。
介添はなく、二人、祭壇に向かった。
「高垣真理子、山田椿、汝らは、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しきときも、互いを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「いいえ」
ちょ!! 真理子何を言うの! そ、そんなの打ち合わせにない! 牧師さんは、不審な顔をして私たちを見ている。
「牧師様、クリスチャンから見れば、不遜に当たる言動であることは承知しております。ですが、私、この命尽きようとも、三日後に再び生を得て、椿と結ばれることを欲します」
なるほど! にっこり微笑んだ牧師。
「椿さんも同じ気持ちですか?」
「はい、もちろんです」
「今、ここにいる二人は、永遠の愛を神の前で誓いました。どうか、祝福を」
十人ほどの参列者から拍手が起こる。アレ? お父さん、泣いてる?
「椿、貴女、私が同情や付き合いで、結婚を承諾したなんて思ってるんじゃなくって?」
「……」
「だからこそ、神に誓ったの、死すらも二人を分つことはできないと。未来永劫、あなたを離しはしないわ」
「ありがとう、大好きよ」
二人は初めての口付けを交わした。




