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旅する龍と世界の終わり  作者: LFG!


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7/30

5:沈む光、抗う闇(2)

ニルファ視点です!

 ♦ ♦ ♦




 夕暮れは、いつの間にか夜の帳に変わっていた。

 窓の外は、月明かりさえ雲に隠され、黒く沈んでいる。


「……帰ってこない」


 何度も窓の外を覗いては、同じ言葉を繰り返した。

 待っても、待っても、帰ってこない。

 いつもなら、あの人の隣でとっくに眠っている時間なのに。


 風が冷たい。

 雨上がりの匂いが、部屋の中まで染み込んでくる。

 窓を閉めても閉めても、冷たい空気が肌の奥に突き刺さった。


「どうして……帰ってこないの……?」


 声はかすれて、闇に溶けた。

 答えはどこにもない。

 ただ、時間だけが流れていく。


 ――大丈夫。きっと無事。


 そう言い聞かせても、胸の奥は冷えたままだ。

 信じたいのに、信じきれない。


 焦りと不安が絡み合い、思考がぐちゃぐちゃに崩れていく。

 心臓がひとつ打つたび、痛みが波のように広がった。


「嫌だ……」


 喉が焼ける。

 最悪の想像が頭をよぎり、嗚咽が漏れる。

 ただ耐えるだけの時間が、永遠のように続いた。


 けれど――限界は、もうすぐそこにあった。


 なにかが、壊れる音がした。


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁぁぁぁ……っ!」


 息ができない。

 涙が止まらない。

 一度決壊した感情は、もう止められなかった。


 トネのいない世界が、ぐらぐらと傾き、崩れていく。


「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ!」


 視界が紅に染まり、体が熱を帯びる。

 燃えたぎる紅蓮が血液のように全身を駆け巡る。


 それでも、あたしは息を整えて――

 ぐしゃぐしゃに濡れた頬を袖で拭った。


 自分に言い聞かせる。

 そうしないと、トネに怒られちゃうから。


「迎えに、行かないと……」


 そう呟いた瞬間、身体が勝手に動いた。


 震える手で窓を開ける。

 夜風が吹き込む。

 冷たいのに、熱い。

 焦燥と衝動が入り混じり、理性の残り火がじりじりと焦げていく。


 激情を押し込み、最後の理性を握り締めた。

 まだ間に合う。

 間に合う、間に合う――マニアウ、カラ。


「ルーン……シグ……っ!」


 名を呼びながら、闇へ飛び出す。

 屋根から屋根へ、夜の街を駆け抜けた。

 静寂を裂くのは、瓦を蹴る乾いた音だけ。


 ――パシュッ。


 夜空が、一瞬だけ白く閃く。

 けれど、それを気にする理性はもうなかった。






「扉、閉まってる……」


 宿の前で立ち尽くす。

 冷たい夜気が、肌の奥まで突き刺さる。

 心のどこかが、ぎゅうっと軋んだ。


「こ、の……っ!」


 拳を振り上げそうになる。

 衝動が体を支配する。

 けれど――トネの顔が脳裏に浮かび、思わず手を止めた。


「……開けて」


 最初は小さく、祈るように。

 扉を叩く。

 返事はない。


 闇が喉を締めつけ、胸の奥が痛む。

 叩く音が次第に荒くなっていく。

 それでも、返事はない。


「開けてよ……!」


 声が震え、不安が怒りに変わる。

 怒りは暴走しそうな熱に変わり、視界の端が紅く滲む。

 目の前の扉が、トネを奪った壁に見えた。


 こぶしに力がこもる。

 体の芯が灼けるように熱い。

 理性の声が、かすかに震えながら囁く。


「我慢……しないと……トネ、に怒られちゃう……」


 でも胸の奥で、別の声が囁いた。


 ――もう、帰ってこないかもしれないよ?


「あ……」


 世界が砕けた。

 視界がぐにゃりと歪む。

 鼓動がひとつ遅れて爆ぜる。

 紅が、世界を呑み込んだ。


 熱が駆け上がり、心臓が暴れる。

 呼吸が荒くなり、思考が途切れる。

 すべてがどうでもよくなる。


 ただ、この扉を壊せば――きっと、会える。


「じゃま」


 右手を振り上げ、扉を叩き壊そうとして――


 ぱっと、宿の中に光が灯った。


 痛いほどの白。

 その瞬間、胸の奥で暴れていた熱が、ひゅうっと引いていく。

 力が抜け、理性が戻った。


 ゆっくりと扉が開く。

 そこには、笑顔のシグと、心配そうにこちらを見つめるルーンがいた。


「やぁ、ニルファちゃん。こんな夜更けにどうしたんだい?」


「大丈夫? ニル……話を聞かせてちょうだい?」


 声が届くたび、胸の中の紅が溶けていく。

 震えていた体がふっと力を失い、涙が頬を伝った。


「ルーン……シグぅ……」


 絶望と焦燥の夜が、光に溶けていく。

 冷たい夜風が、やわらかな安堵に変わった。


 ――あたしは、一人じゃない。






 しばらくして、シグが衛兵の宿舎から戻ってきた。


「当直の衛兵たちに話を聞いてきたよ」


 その声は、妙に静かで抑えられていた。


「どうだったの?」


 ルーンが、あたしを抱きしめながら尋ねる。

 その腕の温もりが、少しずつ呼吸を落ち着けてくれた。


「トネリコに似た男が、フードの集団と森へ向かったらしい」


「……っ!」


 胸の奥が跳ね、張りつめていた何かが一気にほどけていく。


「行こう」


 シグは短く、それだけを言った。

 淡々とした声。

 けれど、その抑揚のなさが逆に胸を掴む。

 失われかけていた理性が、ようやく形を取り戻した。


「……トネ、ほんとに……?」


 震える声で問うと、ルーンが優しく頷く。


「ええ、ニル。信じましょう……きっと、生きてるわ」


 その言葉が、静かに心の奥へ沁みていく。

 涙が頬を伝った。


「ありがとう……ルーン、シグも……」


 ルーンは微笑み、あたしの背を撫でる。

 シグは一瞬だけ視線を落とし、かすかに笑った。


 南門を抜ける。

 夜風が、濡れた頬をやさしく撫でていった。


「フギン、ムニン。こんな時間にごめんなさい――力を貸してほしいの」


 ルーンが祈りの言葉を紡ぐ。

 蒼い光が、掌からふわりとこぼれ、夜気の中で花弁のように散った。

 まるで希望そのものが形を持ったみたいに。

 ルーンの両肩に、フギンとムニンが輝きと共に現れる。


「……っ……ぁ……」


 ルーンの体が傾く。


「ルーンっ!」


 すぐにシグが支える。

 ルーンの頬には、じっとりと汗がにじんでいた。


「大丈夫」


 シグの肩に手を置き、ルーンは静かに立ち直る。


「来てくれてありがとう、二人とも。……トネを探してくれる?」


 フギンとムニンが、その場から溶けるように消えた。

 蒼い光が波紋となって森に広がっていく。


 やがて、ぽわりと地面に蒼が灯った。

 照らされたのは、ぬかるんだ泥に残ったひとつの足跡だった。


「……っ!?」


 胸の奥が跳ねる。

 ルーンが穏やかに微笑んだ。


「痕跡はまだ残っている。きっと、探し出せるわ」


「ありがとう、ルーンっ!」


 思わず抱きつく。

 よろけたルーンに、抱きとめられた。


「ルーン、精霊を帰すんだ」


 間を空けて、シグが静かに言う。


「駄目よ。今帰したら……トネを探せなくなるわ」


 ビクリと体が震えた。

 その言葉が、刃みたいに刺さる。

 思わず、シグを見る。


 シグは驚いたようにこちらを見て――目をそらした。


「二人とも、落ち着いて。痕跡は見えた……ここから先は、僕の仕事だ」


 シグはルーンを見やり、淡々と告げる。


「ルーン。魔力、余裕ないんだろう?」


「……そんなことないわ」


「顔色が悪い。

 普段なら、フギンとムニンを同時に使うことは避けていたはずだ。

 時間帯のこともある。さっき、大分もっていかれたんだろう?」


「……」


「……ルーン?」


 押し黙るルーンの裾を掴む。

 その顔を見上げて、ようやく気づいた。


 ――病気の人みたい。


 普段ならすぐに気づけたはずの変化。

 それを見落としていた自分が、痛いほど恥ずかしかった。


 涙が込み上げる。

 トネがいなくなったのに、なにもできない自分が嫌だった。

 そのせいで、ルーンに負担をかけてしまっている。


 俯くと、ルーンが優しく声をかけてくる。


「ニル。心配しないで……私は、大丈夫だから」


「無理、しないで。頼りっぱなしで、ごめん。役立たずで、ごめんね……」


「そんなことないわ!」


 思わぬ大声に、肩がビクッと震える。

 すぐに、ぎゅっと抱きしめられた。


「ごめんなさい、声が大きかったわね。

 ニルは、いつも私のことを助けてくれる。

 だから……たまには、私もニルの役に立ちたいのよ」


「ルーン……」


 見上げると、ルーンは優しく笑っていた。


「確かに、魔力を使いすぎちゃったのは事実よ。

 でも、体は大丈夫。心配してくれてありがとうね」


「うん……」


 ルーンがシグに目を向ける。


「シグ……信じて、良いのね?」


 シグは静かに笑い、頷いた。


「勿論。絶対に大丈夫さ」


「――えっ」


 ルーンが茫然とした顔でシグを見る。


「どうしたんだい?」


「貴方……」


 ルーンがなにか言いかけて、間を置き、頭を振った。


「……なんでもないわ。二人とも、ありがとう」


 ルーンの声に応じるように、地面の灯りが溶けるように消えた。


「信じるわよ、シグ」


「任せてくれ」


 シグが一人離れ、森へと駆け出す。

 それに付いて行こうとした時――


「まさか、ね」


 ルーンが小さく呟いた。

 でも、それを気にする余裕はなかった。


 焦燥に身を焦がし、ルーンと二人、黙ってシグの後を追いかけた。






 それから、長い時間が経った。

 少しずつ明るくなっていく夜闇とは裏腹に、焦燥は強まるばかりだった。


 先を歩くシグの背が、かろうじて理性を繋ぎとめている。

 一歩一歩が、トネに繋がっている。

 そう信じることで、不安を押し殺した。

 そうしなければ、激情のままにシグを追い越してしまいそうだった。


 ランタンの灯りを頼りに、雨に濡れた草を踏みしめ、森の奥へと進む。

 頭上の空さえ、木々に覆われて見えない。


「止まって」


 シグの声。


 その直後、茂みの向こうから――ずしん、と地面を揺らす重低音が響く。

 草木をかき分けて現れたのは、巨大な魔物だった。


 ――オオオオオオオオオオ……ッ!


 黒く濁った瞳。

 背に盛り上がる、禍々しい黒鉄色の瘤。


「――瘴気熊?」


 ルーンが呟いた瞬間、シグが長剣を抜いた。


「違う……!」


 シグが首だけ振り返り、叫ぶ。


「二人とも下がって! こいつは瘴気熊じゃない! こいつは――」


 ごぷり、と音がした。


 瘴気熊と酷似した魔物の穴という穴から、黒い泥のような影が溢れ出す。

 夜闇よりも黒く、どろりと地面を溶かすような影がボタボタと垂れ落ちた。


「――『新種(アンノウン)』!?」


 ルーンが叫ぶ。

 そんなこと、どうでもよかった。


 前に出る。


「ニルっ!?」


 叫ぶ声なんて、もう聞こえない。

 ただ、目の前のものを消し去りたかった。


 一息に、新種の眼前へ飛びかかる。

 今まさに口を開こうとした鼻先に向けて、右手を振りぬいた。


「邪魔」


 破裂音。

 パンッと、水風船がはじけるような音。

 頭部を失った新種が、ぐらりと崩れ落ちた。

 影の獣は泥のように溶け、大地に広がっていく。


 振り返る。

 シグが、あたしを見る。


「……行こうか。トネリコが待ってる」


 その声には、励ましも希望もなかった。

 まるで――結果を知っている者のような、冷ややかな確信があった。


「……シグ……」


 ルーンが小さく呟く。

 その声音には、警戒と戸惑いが混じっていた。


 けれど、シグは何も返さない。

 ただ夜気を裂くように駆け出す。

 その背を追って、あたしも走り出した。


 胸の奥で、どこか小さな違和感が燻っていた。

 それが何なのか、まだ言葉にならないまま――。




 ♦ ♦ ♦

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