エピローグ:旅する龍と世界の終わり
空が、わずかに白み始めていた。
石畳の路地には、まだ人の気配はない。
露店も閉ざされたまま、子どもの笑い声も聞こえない。
世界が眠る静寂の中で、教会の尖塔だけが夜明けの光を受け、神々しく浮かび上がっていた。
その尖塔を、俺は静かに見上げていた。
傍らには――ニルファ、ルーン、シグ、ヒルデ。四人の仲間がいる。
コツ、コツと石畳を踏む音が響く。
目を向けると、ノルンが立っていた。
「おはようございます、トネリコ様。もう行かれるのですね」
「ああ。世話になったな」
今回は、誰も膝をつかない。
ルーンもシグも、ただ俺の隣に立っていた。
ヒルデもそれに倣い、静かに様子を窺っている。
「もう少し、ゆっくりしていかれたら良いのに……」
「ファフニールとニーズヘッグの復活を、世界に伝えるんだろ?」
「はい。それが務めですので」
「ニルファがファフニールの本体だってことも?」
「務めですので」
頭を掻く。
「……最初から、そうだと思ってたよ」
「というと?」
「お前、ニルファを助ける気、なかったろ?」
「……」
「ニルファとニーズヘッグは互角だった。あのままなら、どっちも死んでた」
「確率が低いことは、事前にお伝えしました」
「俺なら、その確率を引き上げられるってわかってただろ」
「トネリコ様に万が一があれば――世界も共倒れになります」
ノルンの言葉は正しい。
俺が死ねば、世界が滅ぶ。それは理屈として理解している。
だが、それでも“提案しなかった理由”は別にある。
俺には確信があった。
『運命を信じるな』
『運命を受け入れないでっ!』
フギンとムニンが言った“運命”とは――ノルンのことだ。
「ルーンとシグに宣託を授けて、俺たちと合流させたな。ありゃ、なんでだ?」
「……核の復活を、予知したのです」
「なら、最初からニルファを殺すように命じればよかった」
「確信がありませんでしたので」
「嘘つけ」
ノルンの表情は微動だにしない。
いつもの穏やかな笑みを保ったままだ。
「【グネサイド】と【フヴェルミル】の結界――わざと壊したろ?」
「……」
「お前は、核を殺しても意味がないことを知っていた。だから――」
「――トネリコ様」
ノルンが微笑む。
その笑みは、まるで全てを拒絶するかのように冷たく映った。
「もう止めませんか。それ以上は……無益な仮定に過ぎません」
「……まぁ、そうだな」
「ご理解いただけて何よりです」
ノルンに背を向ける。
このまま去ってやっても良かったが、やられっぱなしってのもなんだか癪にさわる。
にやりと笑って、背を向けたまま口を開く。
「最後にひとつだけいいか?」
「……なんでしょう」
首だけで、ノルンの方を降りかって――
「――お前、人間じゃねぇだろ」
「……」
「くはっ。
初めて、お前の本気を見た気がするよ」
ニルファに目を向ける。
「さっさと逃げるぞ」
「まだダメ」
「はぁ?なんでだよ」
俺の問いかけを無視して、ニルファはルーンの元に歩み寄る。そして、そのままルーンの手を取った。
「約束、守って」
「……ニル。私は――」
「ダメ。旅立つ前にやるって決めたのに、今日まで先延ばしにしたのはルーンでしょ」
「……わかったわ」
ルーンがこちらに歩み寄ってくる。
訳も分からずにいると、ルーンが眼前で止まった。
「屈みなさい」
「は?」
「いいから」
「何を――んぐっ!?」
唇が触れ合った。
かと思えば、勢い良く離れていく。
目を白黒させていると、顔を林檎のように真っ赤にさせたルーンが早口で言った。
「ニルに言われたの。我慢するなって。トネも“今”は同じ気持ちだからって」
「ぁ?」
「……言ったでしょう。貴方のことが好きだって。――何回も言わせないで」
「お、おう。……なんかすまんな」
頭を掻く俺を見て、ヒルデがはしゃいだ。
「良いなぁ!トネリコ様っ、私もキスして良いですか?」
「ヒルデはダメ」
「ダメに決まってるでしょう?」
「なんでお前らに言われなきゃなんねぇんだよ……」
「ヒルデはまだ知り合ったばっかりだもん。それに、トネの二番目のキスはあたしがするって決めてるのっ!」
居心地が悪くなり、シグを見る。
「……お前、知ってたのか?」
「ニルファちゃんに言われてね。同じ男としては、モテモテで羨ましい限りだよ」
「お前の方がモテてるだろ」
「親しい人にモテる方が、幸せじゃないかい?」
「……」
シグから目を離し、姦しく話すニルファに声をかける。
「おい、もう気は済んだだろ?」
「あー、うん。済んだけど……やっぱり、あんま良い気分じゃなかったや」
「お前は何を言ってるんだ……」
「絶対にいつか振り向かせてやるんだからね!」
そう言って、ニルファは空を見上げる。
気づけば、夜は明けていた。
夜の帳を裂くように、朝の光が世界を照らし始める。
「――次は、どこに行こうかな」
その瞳に、夜明けの光が映る。
次の瞬間、蒼の光が小さな背から溢れ出した。
肌が光に包まれ、衣が霧のようにほどけていく。
現れたのは、透き通る蒼の鱗と、金糸のたてがみを持つ――神聖なる龍だ。
ファフニールとは対極にある、清浄なる龍の姿。
バハムートの翠と黄金に浄化されたニルファは、力を保ちつつも、その性質を逆転させていた。
「じゃあな、お前ら。また会おうぜ」
「必ず。その時までに、グラムの力を使いこなして――次こそ、君たちを助けると誓うよ」
「おう。信じてるぜ」
「トネリコ様ぁ、この弱虫を鍛え直したら、私も行きますんで!その時は、女として見てくださいねっ!」」
「最初から女として見てるよ。……楽しみにしてる」
最後に、ルーンに目をやる。
「トネ」
「……どうした?」
「ニルに言われたの。一緒に頑張ろうって。遠慮なんかしなくても、あたしは負けないって。……だから、私も欲張ることにしたわ」
「……」
「私は、貴方の事が世界で一番好き。あの時はああ言ったけど――もう、遠慮なんかしないわ」
「そう、か」
その言葉に、曖昧だった心が定まった感覚がした。
ルーンに歩み寄る。
「……トネ?」
驚いた顔をするルーンを無視して、腰を抱く。
そのまま、唇を重ねた。
「――やられっぱなしっては、性に合わねぇからな」
顔を背けるルーンの頭を、優しく撫でる。
「俺も、お前の事が好きだ。……また会おうぜ」
「……早く行きなさい」
「おう」
ルーンから離れ、ニルファの背に乗る。
ニルファの喉の奥で低く、龍の声が震えた。
黄金の双眸が、まっすぐに空を見据える。
――そして、風が爆ぜた。
蒼き龍が地を蹴り、朝焼けの空へと駆け上がる。
風を切り、雲を裂き、【フランク】の街並みが遠ざかっていく。
「二番目のキスはあたしって決めてたのにっ!トネのバカぁ!」
「知らねーよ。……で、次はどこに行く?」
「知らないっ!しばらく話しかけないで!」
「目的地決めねーと困るだろ。拗ねるならその後にしろ」
「……知らないっ!」
返事は、風にさらわれた。
「……ったく」
苦笑しながら、朝の風を吸い込む。
まぁ、けれども。
「お前と一緒なら、どこだっていいか」
俺たちは振り返らず、白い空へと飛び立った。
その頃――教会都市フランクでは。
大聖堂の鐘が鳴り響く。
教皇代理、聖女ノルンが壇上に立ち、世界へ告げる。
「――封じられし邪龍ファフニール、並びにニーズヘッグの完全復活を確認しました」
「両龍の力は弱体化しています。功績を挙げたのは、”勇者シグンド”、”勇者ヒルデ”、”勇者――」
「ファフニールは蒼い鱗に黄金のたてがみを、ニーズヘッグは――」
「発見次第、近くの教会へ連絡を。討伐に成功した者には、莫大な報酬が約束されます」
どよめく群衆。
それを制したのは、ノルンの静かな声だった。
「この世界は、もう“かつての世界”ではありません」
「平穏だった世界は終わり、新たな時代が幕を開けるのです――」
その果てに、希望があると信じて。
――世界の終わりと共に、俺は龍と旅をする。
これで一部完結になります。
続きは一応考えてはいるんですが、今は他の作品を書いている所なので、
その内また書こうかと思っています!
評価や感想等いただけると、嬉しいです。
読んでくださった方、本当にありがとうございました!




