2:シスターと神殿騎士
「それで、どうして遅刻したの?」
席につくなり、修道服姿のルーンが静かに問いかけた。
声色は穏やかだが、眉の端がわずかに寄っている。
その表情は、怒りというよりも呆れに近かった。
片目を眼帯で覆った男性――シグは、苦笑しながらこちらの様子を窺っていた。
どこまで庇ってくれるか、もう慣れた表情になっている。
「色々あってな」
「例えば?」
間髪入れずに返ってきた言葉に、思わず呻いた。
食堂に着くや否や、ニルファは料理を見にカウンターへ走っていった。
悩んだ末に、言い訳にもならない言葉を吐き出す。
「お前らの飯も買ってきたりとか」
「頼んでないけど?」
「美味かったぞ、その赤角猪と甘芋の串焼き」
「殴られたいの?」
「ごめんなさい」
剣呑な表情に、本気を悟る。
思わず肩をすくめ、机に突っ伏して両手を挙げた。
降参のポーズだ。
「まぁまぁ、トネリコたちも悪気があったわけじゃ――」
――ゴーン……ゴーン……。
シグの言葉を遮るように、無情にも第三の鐘が鳴る。
空気が一段と重く沈む。
助け船を出しかけたシグが、間の悪さに苦笑いを浮かべて頬を掻いた。
「集合時間は第二の鐘の前。それが、なんで今第三が鳴っているのかしら?」
反論の余地もない正論に、胸が痛む。
ニルファのせいにしたい気持ちもあったが、止めなかったのは俺だ。
八方塞がりな状況に、思わず溜め息が漏れた。
「とりあえず、冷める前に串食ってくれねぇか?お前、甘芋好きだろ?」
顔をあげ、テーブルに置かれた串焼きを指差す。
苦し紛れの一言にしては、妙に胸に刺さった。
ルーンの表情がふっと緩む。
「……そうね」
ルーンは甘芋の串焼きを手に取り、一口かじった。
美味しかったのか、表情が自然にほころぶ。
「許してあげるわ。この甘芋と、ニルのせいにしなかったことに免じてね」
微笑みに、肩の力が抜ける。
「でも、次遅刻したら殴るから」
「肝に銘じとく」
背筋が冷えたが、冗談めかした笑みに救われ、ようやく息が抜けた。
「一件落着だね。はい、明日の依頼書」
シグが一枚の羊皮紙を差し出す。
瘴気熊と書かれた下には、発見場所や時間などの情報が記されていた。
ざっと目を通し、紙をテーブルに置く。
「伝えなきゃいけないことがあるんだけど……二人が揃ってから話すよ」
「了解。にしても、三体か」
胸中に浮かぶ不安を、ぽつりと呟いた。
「収穫祭に影響がなきゃいいけどな」
ルーンが小首を傾げ、シグの肩がぴくりと揺れる。
「最近、魔物の活性化が激しい。瘴気熊も、もっと深い場所にいるはずだろ」
シグが静かに頷いた。
「トネリコの言う通りだね。僕もそれについては、ギルド長と話しているんだ」
ルーンが目を細める。
「なにかの前兆だって言うの?」
「そこまでは言わないけど、警戒は必要かな。スタンピードは避けたいしね」
スタンピードが起こると、普段は群れない魔物であっても、何かに突き動かされるように、一斉に人の住む領域へ雪崩れ込んでくるらしい。
「収穫祭が中止になったら、ニルファのやつ……確実に泣くぞ」
俺たちは、二週間後に開催される秋の収穫祭に参加する予定だ。
中でも、ニルファは生まれて初めてのお祭りに期待を膨らませ、目を輝かせている。
あいつの悲しむ顔は見たくない。
「フヴェルミルの衛兵は、他の街に比べても優秀だ。信頼して良いと思うよ」
「お前が言うなら、そうなんだろうな」
シグの判断は信用している。
依頼の選別も作戦も、いつも任せきりだった。
二人とパーティを組んでからもう一年。
俺は、シグが判断を誤った場面を見たことがなかった。
隻眼の神殿騎士は――ただ一人を除けば、俺の知る限りで一番強い。
幾分か、心が軽くなったのを感じる。
「変なこと言って、悪かったな」
「変じゃないさ。僕も同じ考えだったよ」
「それでもだ。ルーンも悪かったな」
ルーンがにやりと笑う。
「遅刻の謝罪はすぐにしないくせに、こういう時は律儀ね」
「……」
「冗談よ。すぐ拗ねるんだから」
拗ねてねーし。
目をそらすと、窓の外で風が木々をやさしく揺らしていた。
「ニルのことは散々言うくせに、あなたも大概不器用よね」
「へいへい。どうせ不器用だよ、俺は」
「そういうところよ」
「……」
ルーンとの口喧嘩で勝てる気はしない。
早々に話題を切り替えるとしよう。
「俺も食って良いか?」
冷めた串焼きを指さすと、シグが目を丸くした。
「勿論。食べたかったなら我慢しなくて良かったのに」
「一応、お前ら用に買ってきたやつだからな」
「そんなの気にしないよ。自由にどうぞ」
「サンキュー」
手を伸ばして――ふと動きを止める。
聞かなくていいと思いつつ、胸の内がむずむずする。
「……」
「どうしたの、トネリコ?」
申し訳なさげにルーンに目を向ける。
「……食っていいか?」
途端にルーンが口元を押さえて吹き出した。
「あはっ!トネってば、本当に律儀よねぇ」
「もういい。聞いた俺がばかだった」
甘芋の串焼きを掴み取ると、視界の端でシグの肩が震えていた。
「ぷっ……くく……。トネリコ。君のそういうところ、僕は良いと思うよ」
「黙れ」
無言でかぶりつく。
冷えた芋の甘さが、今の気分にちょうどよかった。
「ふふっ。トネ、美味しい?」
「それ以上、なんも言うんじゃねぇ」
「美味しいかどうか聞いただけじゃない」
「顔が笑ってんだよ」
「そう?……ふふっ、冗談よ。ちょっとからかいすぎたわね、ごめんなさい」
素直な謝罪に、毒気が抜けた。
けれど目を合わす気にはなれず、そっぽを向いて串焼きを頬張る。
「別にいいけどよ」
口の中の芋を呑み込んだところで、背後から聞き慣れた声が響いた。
「お待たせ~!ねぇ、見て見て!串焼きも追加で買ってきちゃった!」
両手に大皿、肘には袋をぶら下げ、にこにこ笑顔でテーブルに駆け寄る。
食卓の空気がぱっと華やぐのを感じたが、それを喜ぶ気分にはなれなかった。
「赤角猪、ほんとに美味しくてさー!って、ルーンとシグはなんで笑ってるの?」
「知らね」
「トネ、なんか機嫌悪い?どうかしたの?」
「腹、減ってんだよ」
「そ、そんなに?じゃあ、早く食べよっか!いただきまーすっ!」
ニルファは俺の隣に腰を下ろし、買ってきた料理を食べ始めた。
四人で食卓を囲む。
しばらく食べ進めたところで、シグがぽつりと切り出した。
「討伐依頼のことで、二人に話したいことがあるんだけど、いいかな?」
その言葉に、全員が手を止め、シグに視線を向ける。
「ああ、ごめん。緊急性はないから、食べながら聞いてくれればいいよ」
「そうなの?じゃあ、そうしちゃおっかなー」
ニルファが赤角猪の串焼きを手に取り、ぱくりと噛りつく。
その姿を見て、シグは肯定的に笑った。
「ゆっくり食べていいからね。それで、話したいことなんだけど……」
シグが困り顔で頬を掻く。
「実は、報酬金が相場よりかなり少なくなっちゃったんだ」
言われて依頼書の額面を見る。
「さっきは気づかなかったが……こりゃ、瘴気熊一体分くらいは減ってるか?」
「大正解。最近の魔物の活性化に対して、予算の捻出が限られていてね」
シグが窓越しに街を見る。
「収穫祭が終われば、少しは余裕もできるんだけど……」
「そんなに金がないのか?」
賑わう街並みを思い浮かべる。
資産は潤沢だと思ったが、案外そうでもないのかもしれない。
「例年通りなら、この予算で足りてたはずなんだね」
シグが困り顔で笑う。
今年になって生じた異変となれば、ひとつだけ心当たりがあった。
「魔物の活性化が原因か」
シグが深く頷く。
「瘴気熊が浅いところに出るのは、年に一度あるかないかだ。それが今回は三頭もいる。予算を組んだ人たちも、流石にこの状況は予想できなかったみたいでね」
「そりゃそうだろうな」
「それでも、報酬金を減らす大義名分にはならないんだけどね」
リスクとリターンがつり合わないのは、冒険者にとってタブーだ。
だからこそ、普通は引き受けるべきじゃないが――
「お前らは、それでも受けるんだろ?」
「勿論よ」
「街の人が困っているのに、変わりはないからね」
二人の返答に頷き、ニルファを見る。
「んで、お前はどうする?」
「なにが?」
「依頼だよ。受けるか受けないかって話」
「受けるに決まってるじゃん」
ニルファはきょとんとした顔で首をかしげる。
「困ってる人がいるんでしょ?」
「そうだな」
「じゃあ悩む必要ないじゃん」
あっけらかんと言い放つその姿に、思わず笑う。
ニルファから目を外して、二人を見る。
「という訳で、俺たちも参加するぜ」
二人とも笑顔で頷いた。
「ニルは本当に素敵な子ね」
「えっ、そうかな?ルーン、今なんで褒めてくれたの?」
「ニルがとっても素敵で、とっても可愛いからよ」
「えへ。もっと褒めていいよ」
「可愛いわねぇ」
「えへへ~!」
満面の笑みで喜ぶニルファを横目に、シグがほっとした顔で呟く。
「助かるよ。僕ら二人では、正直荷が重かったからね」
その言葉に偽りを感じ、にやけた顔でシグを見る。
「嘘つけ。二人でも楽勝だから引き受けたんだろ?」
シグの笑顔が少し強張る。
「……そんな事ないさ」
シグは自分を下に見せる癖がある。
というより、本当に下だと思っているのだろう。悪い癖だ。
「一人でも余裕だろうに」
背もたれに背を預けて言うと、シグが頬を掻く。
「参考までに聞くけど、どうしてそう思うんだい?」
「そうでもなきゃ、ルーンの安全が保証できねぇだろ」
今度こそ黙り込んだシグを見て、ルーンが口元に手を当てて笑う。
「隠し事が下手なのは、自覚した方がいいかもしれないわね」
「はは……参ったな」
シグが降参と諸手を挙げて苦笑した。
「助かるのは本当だよ。時間も短く済むしね」
追求せずに目を外すと、ニルファがシグをじっと見つめていた。
「シグって、胡散臭いよね~」
ニルファがさらっと追撃の毒を吐く。
「えっ!?そ、そうかな?」
「うん。隠し事ばっかりだしさー」
「……そんなにかい?」
「そんなにー!」
がくりと落ちた肩に、容赦ねぇな、と笑う。
ルーンもまた、クスクスと笑っている。
「清廉潔白であろうとするからボロが出るのよ」
「それは、確かにそうかもな」
シグは真面目というより、生真面目なタイプだ。
「皆、もっとニルを見習うべきだわ」
それは言いすぎだろうと思ったが、口には出さない。
藪をつつくつもりはなかった。
「ニルファちゃんの自由さが、羨ましく思うよ……」
ようやく顔を上げたシグの言葉に、頬が引きつる。
ルーンもシグも、ニルファに対する評価が高すぎる時がある。
確かに善人に育ったが、まだ子供だし、自由すぎてばかをやることも多い。
「自由過ぎてもどうかと思うが……」
素直に賛同できず、お茶を濁す。
「それも愛嬌さ」
「そうかぁ?確かに、見てくれはいいが」
ルーンとお喋り中のニルファに目をやる。
荒事ばかりしている割には、美人に育ってきたものだ。
「自由を愛する冒険者だからこそ、そう生きる者に憧れ、敬うんだよ」
シグはどこか遠くを見つめるように話す。
「そんなもんかね」
「君は違うのかい?」
少し考えたが、憧れや敬いといった類の気持ちは一向に沸いてこない。
「そんな感じはしねぇな」
「ああ」
隣にいたいとは思ったけどな。
それに――
「ルーン、好きー」
「私も大好きよ」
「えへへへ~!」
だらしなく緩んだ顔を見ると、素直に褒めるのは釈然としない。
打ち合わせも一段落し、四人でギルドを出る。
外に出ると、少し日も落ちかけていた頃だった。
「じゃあ、また明日」
「おう」
「またねー」
「ニル、気をつけて帰るのよ」
「はーいっ」
二人と別れる。
明日は、瘴気熊の討伐だ。
不安はない。
ニルファが笑っていて、ルーンとシグが隣にいる。
それだけで、自然と足取りは軽くなっていた。




