19:寝坊助な太陽(1)
耳を裂く咆哮が、天を震わせた。
次の瞬間、空が引き裂かれ、巨大な黒影が音速で落ちてくる。
「――クワセロォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!」
上空で戦っていたはずのニーズヘッグだ。
その身は、すでにズタボロだった。
その身体は無惨に傷つき、鱗は剥がれ、片翼は焼け焦げ、形を失っている。
口元からは黒い泡が垂れ、理性の光は完全に消え失せていた。
それでも、ニーズヘッグは一直線にこちらへ突進してくる。
樹液を滴らせ、黄金の輝きを放つ俺を喰らわんと。
だが。
頭上に顕現したバハムートが、光の尾を一閃、横薙ぎに振るう。
その一撃だけで、ニーズヘッグは紙のように吹き飛ばされ、大地に叩きつけられる。
「ガ、ァァ、グ……!!」
衝撃は凄まじく、叩きつけられた瞬間でも勢いは止まらず、そのまま跳ね飛ばされていく。
遅れて地鳴りが追いかけ、山々が連なる地平線までニーズヘッグを運ぶ。
間を空けて、砕けた地平から、黒煙のような影がゆっくりと立ち上がる。
「……はっ。お似合いの姿だなぁ、おい」
四肢を引きずりながら、再びこちらへ向かおうとするニーズヘッグ。
肉体は原形を失い、翼は消え、片目は潰れ、裂けた口元から骨が覗いている。
それでも、奴は進む。
飢えを抱えた亡者のように。
何も見えず、何も考えず、ただ喰らうという欲だけで前進してくる。
――ルル……。
俺とニーズヘッグの間に、リルの背中が滑り込む。
いつの間にか、仲間三人もそこに乗り込んでいた。
「トネリコ。あいつは……僕達に、任せてもらうよ」
シグは涙を拭い、笑顔でこちらを見つめる。
「貴方は、ニルだけを見てなさい。もう、無茶な真似はしないでね」
「私が惚れた男は、本当、とんでもない奴だなぁ……」
ルーンとヒルデも、苦笑を浮かべてこちらに視線を送っていた。
気づけば耳鳴りは消え、下を見れば傷口は既に塞がりかけていた。
魔力による再生力の賜物かと思ったが、それにしても、ここまで早く治るものか。
そう思って、ふと気づく。
「お前か、バハムート」
頭上の精霊王の顔は見えない。
けれど、そういう事なんだろう。
「ありがとうな」
小さく呟き、仲間たちに目を向ける。
「どうだ。勝つって言っただろ?……信じてくれて、サンキューな」
「もう二度とやらせないでね……。まさか、グラムで仲間を切る日が来るなんて思いもしなかったよ……」
シグの言葉に思わず苦笑する。
「悪い悪い、世界樹に傷つけられる武器なんて、聖剣ぐらいしか思いつかなくてな」
「……思いついても、普通は実行しないと思うよ」
「本当、トネらしいわよね」
「だろ?……ってか、ルーンの言った通りだったな」
「あら?私、何か言った事あったかしら?」
「精霊王。召喚してやったぜ」
Vサインを掲げると、ルーンが微笑んだ。
「ふふっ。そう言えば、そうだったわね」
「助かったよ。ルーンの言葉がなきゃ、精霊王を召喚しようなんて思わなかったしな」
「どういたしまして。お礼は、ニルを連れ戻すことでよろしくね」
「おう。任せとけ」
今度は、ガッツポーズを掲げて見せる。
シグが肩をすくめ、ルーンがクスクスと笑う。
「トネリコ様ぁー」
すると、ヒルデが声をかけてきた。
「どうした?」
「この戦いが終わったら、私と結婚してくんね?」
「……あー。正直、ヒルデみたいな美人にそう言われるのは嬉しいんだが……」
「やっぱダメか?断るなら、ハッキリと断ってくれて良いぞ」
「いや、そういう訳じゃないんだがな」
「トネはダメよ」
ルーンが会話に割り込んでくる。
「何でだよ?」
「トネにはニルがいるもの」
「ん?っても、ニルファって確か未成年だろ?……まさか、そういう趣味か?」
「違ぇわ!ルーンも、適当な事言ってんじゃねーよ……」
「適当じゃないもの」
「……俺の事、世界で一番好きだって言った癖に」
「――ばっ!?貴方、バカなの!?」
激しく動揺するルーンの姿が珍しく、笑ってしまう。
見ると、シグとヒルデも笑っていた。
「僕も大概かもしれないけど、ルーンもわかりやすいよね」
「なんだ、惚れた男を盗られたくないだけじゃねーか。なら、問題ねぇな」
「そうじゃなくて……っ!……もういいわ。この戦いが終わったら、二人とも覚悟しておく事ね」
ルーンが顔を真っ赤にして、俺とシグを睨みつけてくる。
苦笑して、ヒルデを見る。
「まぁ、そういう事だ」
「オッケー。問題なしって事がよくわかったぜ。絶対振り向かせてやっから、覚悟しろよなー」
「おう、楽しみにしてる」
そう言ってニカっと笑うヒルデに、思わず笑い返してしまう。
「トネリコ」
「どうした?」
「僕的には、ニルファちゃんよりも、ヒルデよりも、ルーンを幸せにして欲しいかな」
「善処する。けど、いいのかよ?お前、ルーンの事が好きなんだろ?」
「愛した人には幸せになって欲しいものさ。それに――トネリコだから、良いんだよ」
「……そうかい。ありがとな」
遠くある地響きが、徐々に近づいてくる。
仲間達の顔が、穏やかだったそれから、戦う者の顔つきに変わる。
「じゃあ、行くよ」
「ニルをよろしく」
「トネリコ様。ご武運を」
三人それぞれに、手を振って返す。
「おう。頼んだ」
リルが、ニーズヘッグに向けて駆け去っていく。
激突。
衝撃が、風に乗って、こちらにまで届いてくる。
「……死ぬなよ」
呟いて、激闘を繰り広げ始めた仲間達から、そっと視線を外す。
次いで、空を見た。
「――待たせたな」
空を見上げると、ニルファが静かに佇んでいた。
その身は、見るも無残な傷で覆われていた。
鱗は剥がれ、左の翼は裂け、口元からは血の泡と黒煙が漏れている。
それでもなお、邪龍の一角として、確かな力を感じさせながら、空の覇者として君臨している。
ニルファは何も言わない。
ただ、無音の風の中に降り立ち、深紅の瞳だけが、こちらを見据えている。
ここから先の何一つに、確証なんてものは存在しない。
けれど、俺は全てをやり遂げなくてはいけない。
ニーズヘッグと死闘を繰り広げる仲間達の分まで、俺が、ニルファを世界に取り戻す。
それが、俺に出来る全ての事だから。
「バハムート」
頭上の精霊王に声をかける。
風が凪ぐ。
ニルファの重たい四肢が、僅かに空中で姿勢を変えた。
ニルファは、咆哮すらせず、ただ静かに牙を剥き、戦いの構えを取る。
対して、バハムートは悠然と、超越者たる格をもってニルファと相対していた。
「――頼む。寝坊助な俺の太陽を、叩き起こしてやってくれ」
その言葉を最後に、風が凪ぐ。空が静まる。
時間さえ、息を潜める。
バハムートとニルファが、同時に、天に向かって咆哮を上げた。
次の瞬間。
世界が、震えた。
バハムートが黄金の軌跡と共に翔ぶ。
ニルファが、紅蓮の劫火の共に降り落ちる。
黄金と紅。
創造と破壊。
理と混沌。
それぞれが、何の躊躇もなく、ただ一直線に。
光の精霊王と、紅黒の巨躯が、空の只中で激突した。
一瞬のせめぎ合いの後、紅を黄金が塗りつぶしていく。
光が世界に満ち、空は静まり、暗雲が消えゆく。
静かに、しかし確かに。
世界は、全てが終わったことを告げていた――。
後3話で一旦完結します!
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