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旅する龍と世界の終わり  作者: LFG!


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16:紅に醒める




 懐かしい街道を抜け、街の中心へと歩みを進めた。

 ……誰もいない。

 当然だった。


 邪龍ファフニールの復活と同時に、ヘイズは完全に沈黙していた。

 乾いた風が瓦礫の隙間を抜け、遠くで崩れかけた屋根が音を立てる。


 その先。崩れた塔の上空――そこに、漆黒の龍が静かに浮かんでいた。


 邪龍ファフニール――ニルファ。


 その姿は思ったよりも小さかった。だが、纏う力は桁外れだった。

 フヴェルミルで見た核ほどの大きさの身体に、世界を揺るがす力が凝縮されている。


 背には鋼のような紅黒の翼。

 鱗は黒曜石のように光を反射し、瞳には紅蓮の炎が宿っていた。


 ニーズヘッグと並ぶ格。上も下もなく、ただ同列に立つ存在。

 龍の夜で見た時よりも、さらに禍々しく――そして、痛いほどに美しかった。


「……ニル」


 ルーンが息を呑む。


「……化け物じゃねぇか」


「ヒルデ。空気に慣れるまで、下がっておいた方が良い」


「冗談。余裕ってのは嘘だけど……泣き虫シグンドに守られるほど、アタシは弱くない」


 ヒルデは笑い、同時に光を放って聖盾スヴェルを顕現させた。

 シグも聖剣グラムを抜き放つ。


「――フギン、ムニン。迷惑ばかりかけるけど……お願いね」


 ルーンの声に応えるように、二つの精霊が淡い光を纏って浮かび上がる。

 あれから、化けガラスの姿をとることはもうなかった。ただ静かに、主の傍らを守るのみ。


 ――グルル……。


 リルが低く唸る。


「皆……ちょっと、そのまま待っててくれ」


「世界樹様っ!?アンタ、あの姿を見てまだ……っ!」


 ヒルデの叫びに、俺は振り返って笑った。


「ニルファじゃないってか?」


「……そうです。あれは、間違いなく邪龍ファフニール。疑う余地はありません」


「俺もそう思うよ」


「でしたらっ!アタシらに任せて、貴方様はリルに乗ってお下がりください!」


 ヒルデの心配を見て、つい笑ってしまう。

 俺も、ずいぶんな身分になったもんだ。


 ヒルデが怪訝な顔をする。


「世界樹様……?」


「悪い悪い。まさしく、その通りだなって思ってさ」


「……」


「ヒルデ。あれは確かにファフニールだ」


 短く息を吸い、前を見据える。


「だからこそ――起こしてやらなくちゃな。多少乱暴になっちまうが……寝坊助な奴が悪いさ」


 瓦礫の上を踏みしめ、一歩、また一歩と前へ。


 ファフニールは眠るように空に浮かんでいた。

 翼を閉じ、目を細め――それでも、紅蓮の虹彩がかすかに明滅している。


 眠っていながら、こちらを見ていた。


 その光が、どこか懐かしかった。


『ベッドから出なくて良いから、目だけひらいとけ』

『……んー』


 あの穏やかな日常が、たったひと月でどれほど遠くなっただろう。


 打算はない。

 確証もない。

 正気の沙汰ではない。


 ――それでも、確かに『いる』。


 ファフニールの中に、ニルファは眠っている。

 不思議と、そんな確信があった。


「目、覚まさせてやんなきゃな」


 一歩ずつ、瓦礫の上を進む。


「世界樹様、それ以上は――っ!」


 ヒルデの制止を背に、俺は短く答えた。


「わかってる。いざとなったら頼む。その判断はお前らに任せる」


 ヒルデの息が詰まり、しかしもう何も言わなかった。


 静寂の中で、俺はただ前を見た。

 ファフニールの双眸が、ゆっくりと俺を映す。


 その瞳にあるのは、警告でも威嚇でもない。

 ただ、俺を見ているだけ。


 ――誰?


 心の奥底で、微かな声が響いた。

 それは、紛れもなくニルファの声だった。


 溢れる力の奔流の中、俺は静かに見返す。


「よう、久しぶりだな。迎えに来てやったぜ」


 風が止まり、時間が凍る。

 紅蓮の瞳が、ほんの僅かに細められた。


「お前、泣いてたんだって?勝手に人を殺すなよ。俺たちは、そんなに頼りねぇか?」


 返事はない。

 それでも、俺は笑った。


「守ってくれるって言ってたじゃねぇか。さっさと戻ってこいよ、ニルファ」


 指先で銀の十字架を握る。

 ノルンの結界が薄く光を帯びた。


「今から、お前を叩き起こす。とは言っても、俺たちじゃあ邪龍のお前に勝つのは到底無理だ。起こすどころか、眠らされちまう」


 息を吐き、指に力を込める。

 銀に亀裂が走る。


「だから、助っ人を呼ぶ事にした。とは言っても、この作戦を考えたのはフランクにいる腹黒聖女様なんだけどな?」


 面白いだろ?

 聖女の癖して、とんでもない事を考えつきやがるよな。


 なぁ……ニルファ。 


「遅刻だ、寝坊助。さっさと起きろ」


 ――パキィンッ。


 破断音が世界を裂いた。

 結界が砕け、白銀の破片が粉雪のように舞い散る。


 同時に、俺の存在が世界に曝け出された。


 空気が軋み、音なき悲鳴が鼓膜を突く。


「世界樹様っ! アタシの後ろにっ!」


 ヒルデが前に躍り出る。


「信じるぜ、ヒルデ」


「任せてください。アタシは――勇者ですからっ!」


 ルーンとシグが横に並び、フギンとムニンが旋回する。

 リルが鼻を鳴らし、俺の肩を軽く舐めた。


「お前らも、頼んだぜ」


「ええ。必ず、ニルを取り戻して見せる」


「任せてくれ。今度こそ、僕は君たちを守って見せる」


 ――ルル……。


 リルの横鼻辺りを撫でてやる。

 いつの間にか、よく懐いてくれたもんだ。


 風がうねる。

 砂塵が舞い、銀片が宙に浮かぶ。


「来るぞ」


 世界が、鳴動した。


 ――aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!


 咆哮。

 それは音ではなく、世界そのものの振動だった。


 石畳が震え、街の残骸が砕け散る。

 空が裂け、暗黒と光の狭間から、巨大な顎が覗く。


 幾千の魂を閉じ込めたような瞳。

 山をも超える首が、暗雲を引き連れて這い出した。


 ――邪龍ニーズヘッグ。


 世界に混沌をもたらす、もう一体の邪龍がヘイズの天を引き裂いて現れた。


「くかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかっ!」


 捕食者が笑う。


「忌々しい小娘の元を離れ……我に喰われに来たか、枝葉よ?」


「そんな訳ねぇだろ」


 震える体を押さえ込み、睨み返す。


「久しぶりだな、クソッタレ。来てくれてあんがとよ」


「良い良い。無礼を許すぞ、枝葉。ほれ、我の我慢も限界じゃ。辞世の句でもあれば、聞いてやるが?」


「んじゃ、ひとつだけ」


 三本の指を立てる。


「俺は今、三つ博打を打ってる。ひとつは――ニルファを起こせるどうか。これはまだわからん」


 一本、折る。


「もうひとつは、お前が釣れるかどうか。……案外、単純で助かったよ」


 もう一本、折る。


 ニーズヘッグは笑うばかりで、言葉を返さない。

 俺という餌に夢中になった今、言葉の意味などどうでもいいらしい。


 だから、気づかない。


 ファフニール――ニルファの紅い瞳が、静かにニーズヘッグを見据えていることに。


 最後の一本を折った。


「三つ目。ニルファが、お前にキレてんのかどうか。……どうやら、俺の勝ちみてぇだな?」


「……なんじゃと?」


「下見てみろよ、間抜け。そいつ――怒ると、手がつけられねぇぞ?」


 空気が震える。


 ニルファの胸部――その中心で、紅蓮が渦を巻いていた。

 灼熱の奔流が身中を駆け巡り、口元から目が眩む様な、紅の光が漏れ出す。


「なっ……!?」


 ニーズヘッグが、その鈍重な巨体をゆっくりとよじり始める。

 紫黒の瘴気が散り、天を揺るがすほどの咆哮が漏れた。


「この阿呆が!同胞の区別もつかんのかぁっ!」


 紅蓮の双眸が開かれる。

 怒りと悲しみの光が、世界を照らした。


 そこにあったのは、確かな意思。


 ニルファは、ニーズヘッグを完全に敵と認識していた。


「頼むぜ、ニルファ……!」


 胸が熱くなる。

 あの紅い光は、間違いなく俺の知るニルファの怒りの色だった。


 そして――


 世界が、燃えた。


 ――aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!


 音すら追いつかない速度で、ニルファの口から灼熱が放たれる。

 それは最早火ではなく、一筋の閃光のようだった。


 天を貫く、純白の光柱。


 ニーズヘッグが身を捩り、回避を試みる。

 だが、遅い。


 放たれた光の奔流は、容赦なくその巨体の一角――右肩口から腹部にかけてを貫いた。


 ――ドゴォォォォォォォォンッ!!!


 地が跳ね、空が砕け、空間そのものが震える。

 ニーズヘッグの巨体がよろめき、咄嗟に引きずり出した瘴気の壁ごと粉砕される。


 紅蓮の光は止まらない。

 その怒りが、眠りの果てに積もり続けた想いが、止まることを許さないかのように。


「ぐがあああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 ニーズヘッグの絶叫が空を裂く。

 黒い巨体が山を巻き込み、崩れ落ちた。


 かつて傷一つ負わせることすら不可能だった存在に、確かな傷が刻まれる。

 その事実に、希望の光が灯った。


「……さぁ、始めようぜ」


 低く呟く。

 仲間たちは息を呑み、その光景を見つめていた。


 ゆっくりと、ニーズヘッグが天に浮かび上がる。


「邪龍vs邪龍のチャンピオンマッチだ。お互い、限界まで削りあってくれよな」


 大きく翼を広げたニルファが咆哮する。

 それに呼応するように、ニーズヘッグも喉を鳴らす。


 ――aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!


 ――aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!


 轟音が、世界を揺らした。

 俺たちの戦いの火蓋が、今、切って落とされた。




フギンとムニンは化けガラスではなく、ただの小鳥と水滴に戻っています。

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