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旅する龍と世界の終わり  作者: LFG!


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20/30

14:宿縁(1)




 リルの背で荒野を越える間、俺たちはほとんど言葉を交わさなかった。

 夜は焚き火も起こさず、風の音とルーンの穏やかな寝息だけが耳に残る。


 戦場の記憶はまだ胸にこびりついていて、目を閉じれば、焼け焦げた空と血の匂いが蘇る。

 それでも進むしかなかった。

 ニルファを取り戻す――その目的だけが、俺たちを繋ぎ止めていたからだ。

 

 翌朝、リルの背に揺られるルーンは、完全に目を覚ましていた。

 目覚めた直後は状況の変化に戸惑い、ニルファの不在に気付くと、普段の穏やかさからは想像もできないほど取り乱した。


 俺もシグも、一発ずつ殴られた。

 ルーンは枯れることのない涙を流しながら、それでも立ち止まらなかった。

 道中、俺とシグが交互に声をかけ続けるうちに、少しずつ表情が戻っていった。


 俺とシグの決断は、肯定されることも否定されることもなかった。


 だが、ニーズヘッグとニルファの戦いを見ていなくても、シグが太刀打ちできなかったという事実、そしてフヴェルミルが跡形もなく消滅したという現実が、その決断の重みを裏付けていた。


 ルーンは時間をかけて現実を受け入れた。

 今では普段通りの穏やかさを取り戻しつつあるが、その瞳の奥には確かな覚悟が宿っていた。


 そして今、ニルファを取り戻すという願いは、俺たち三人に共通する目標となっている。


 二日後、シグの言葉どおり、俺たちは教会都市フランクに辿り着いた。


 リルの背に乗ったまま荒野を駆け、城壁の門へ一直線に向かう。

 灰色の街並みが視界に迫り、空気の匂いが一変する。


 こんな巨大な狼が街中を走っていいのかと一瞬不安になったが、ルーンたちによればフランクにはリル専用の通路があるらしい。

 何故そんなことを知っているのかと問えば、二人はこの街の出身だと告げた。


 さらに、彼らが旅をしていた理由も明かされる。

 それは聖女の宣託によるもので――ただし、ルーンはシグと別々の宣託を受けていたことを、この時初めて知ったらしい。


 シグは勇者シグンドとして核の調査を命じられ、

 一方ルーンは()殿()()()()()を伴い、俺たちと共に各地の布教を任されていた。


 その話でひと悶着はあったが、結局のところ俺たちの出会いは必然だったのだ。


 これから会うという聖女とやらは、特別な力を持つ高貴な存在らしい。

 ルーンとシグは、失礼のないよう何度も念を押してきた。


 門をくぐると、二人の言葉どおり、真っすぐに延びる白い参道が目に飛び込む。

 大教会へと続く静かな道。両脇に人影はほとんどない。


 まるで神に仕える獣のために造られた道のようだった。


 実際、その通りなのだろう。

 この都市において、聖女の影響力は絶大だ。


 リルは爪音ひとつ立てずに駆け抜け、大教会の前で静かに足を止めた。


 城門を思わせる巨大な扉をくぐると、空気が一変する。

 香の匂い、冷たく澄んだ空気。

 静寂の中に、祈りの気配が濃く漂っていた。


 廊下は思った以上に広く、天井も高い。

 リルが通ることを前提に造られた構造で、その不必要なまでの高さが建物全体に異様な威厳を与えていた。


 修道服の人々がちらりとこちらを見たが、すぐに祈りへ戻る。

 壁際の燭台が淡い光を放ち、ステンドグラスの七色の影が床を揺らす。

 華美ではないが、質素の奥に祈りの重みと格式が宿っていた。


 やがて、リルの歩みが止まる。


 目の前には、圧倒的な存在感を放つ両開きの扉。

 木目の上には緻密な金細工が施され、中央に世界樹の紋章が輝いている。

 リルが頭を下げずとも通れるほどの大きさで、人間のためではなく、明らかにリルのために設計されたものだった。


 扉の両脇には白銀の甲冑をまとった騎士が二人、無言で立っていた。

 リルが近づくと、騎士たちは静かに扉から離れ、道を譲る。


 リルの巨体が生む風で燭台の炎が揺れる。

 鼻先が扉に触れた瞬間、鈍い音が響いた。


 ――ギィィ……。


 厚い木扉がゆっくりと開き、その軋みが聖堂の空気を震わせ、石壁を伝って反響する。

 外の光が差し込み、ステンドグラスの影が押し流されていく。


 開かれた隙間の向こうには、白く霞んだ光が満ちていた。

 リルは迷うことなくその中へ踏み出す。


 白く光る大理石の床、天井から降り注ぐ柔らかな光。

 まるで世界の境界を越えたような感覚だった。


 静寂の中、リルはゆっくりと聖堂の奥へと進み、やがて伏せて俺たちに降りるよう促す。


「トネリコ、ルーン。掴まって」


「おう」


「ええ」


 シグに続いて背から飛び降りる。

 二日間で、もう乗り降りにも慣れた。


 背後で扉が重く閉まる音が響く。


 リルは俺たちが降りたのを確認すると、祈る女性――聖女の背後へと進み、静かに伏した。


 二人が聖女の前に膝をつき、頭を垂れる。

 俺も倣おうとしたが、なぜか体が止まった。


 聖女を見た瞬間、胸の奥に奇妙な既視感が走ったのだ。

 それが、自然と膝をつくのを躊躇わせた。


「勇者シグンド、ただいま帰還いたしました」


「シスタールーン。ただいま帰還いたしました」


 聖女は穏やかに微笑む。


「お帰りなさい、二人とも。長い旅、ご苦労様でした」


 視線が俺に向けられる。

 至近で見る聖女は、人の域を超えたように整った顔立ちをしていて――既視感は強まる一方だった。


「お久しぶりですね、トネリコ様」


 ルーンとシグがわずかに肩を震わせた。

 それでも二人は静かに頭を垂れたままだ。


 既視感が確信に変わる。


「……やっぱ、会った事あんだな」


「はい。やはり、覚えておられませんね。無理もありません」


 聖女はくすくすと笑みをこぼす。


「改めまして、私の名はノルン。今代の聖女を務めております」


 ノルン――その名にも、記憶はない。


「……トネリコだ。ノルンは、俺を知ってるんだな?」


「はい、存じております」


「悪いが、記憶にねぇんだ。いつ会ったか、教えてくれねぇか?」


「それを話すのは構いませんが……ふふっ。貴方の生真面目さは、時を経ても変わりませんね」


「……」


「ふふ。でも、それは後にしましょう。もうすぐ、お客様がいらっしゃいます」


「客……?」


「ええ。それまでに、必要なお話を済ませましょう」


 ノルンは小さく柏手を打ち、微笑を崩さず告げた。


「結論から言います。ニルファさん――邪龍ファフニールは、ヘイズにいます」


 ノルンの声音がわずかに低くなる。

 聖女の微笑はそのままなのに、聖堂の空気が静かに張り詰めた。


 聖女の末梢(ノルン)は語る。






 ――遥か昔。


 世界には、三匹の邪龍と、それに立ち向かう勇者と聖女が存在した。


 邪龍ファフニール

 邪龍ニーズヘッグ

 邪龍ヨルムンガンド


 それぞれが異なる思惑を抱き、圧倒的な力で世界を蹂躙した。

 焼ける空、沈む大地、崩れ落ちる海――人の文明は一度、完全に滅びかけたという。

 そのとき、世界樹ユグドラシルが天より声を放った。


『人の子らよ。勇者よ、剣を執れ。聖女よ、世界を護れ』


 勇者はユグドラシルより授かった聖剣を手に、次々と邪龍を討ち滅ぼしていった。

 聖女は戦いの余波から人々を守り、世界を結界で覆い続けた。


 そして長い戦いの果てに――邪龍たちは屠られ、世界に一時の平和が訪れた。


 だが、それは終わりではなかった。


 邪龍の“力”と“思念”は、死してなお世界に残り、あまりにも異質で、あまりにも濃かった。

 死骸から漏れ出す瘴気は、大地を腐らせ、命を狂わせた。


 勇者と聖女は決断した。


 邪龍の亡骸を地下深くに封じ、その上に街を築くこと。

 聖女が各地の教会を結界の要として配置し、永き時をかけて世界を護り続けること。


 勇者はその後も、飛散した邪龍の力の欠片を追って世界を巡った。

 すべてを消しきることは叶わなかったが、世界には確かな平穏が戻った。


 そしてユグドラシルはふたたび告げた。


『勇者よ、力を蓄えなさい。再び訪れる災厄に備えて』

『聖女よ、時間を稼ぎなさい。結界を維持し、世界を守りなさい』


 こうして、邪龍の脅威は歴史の彼方へと封じられた――はずだった。


 だが、時は流れた。


 勇者の力は三つの聖遺物へと分かれ、やがて人々の手を離れた。


 聖剣グラム

 聖盾スヴェル

 聖鎧ドラウプニル


 それらは今も各地に散らばり、一人の手に集うことはなくなった。


 一方、聖女の力は分散こそしなかったが、代を重ねるごとに“衰え”が進んでいった。

 結界を維持し続ける負荷は大きく、聖女の血脈は代を追うごとに短命となり、その継承も不安定になっていった。


 そして――。


 今より二日前。

 結界は、遂に崩壊した。


 長き眠りの底から、邪龍が目覚めたのだ。


 その日を、教会は『龍の夜』と呼称した。


 邪龍ニーズヘッグと、邪龍ファフニール。

 二柱の災厄が、再びこの世に姿を現した夜のことだ。






 ノルンが語り終えた後。

 聖堂の空気は冷えきり、誰も息を呑む音すら立てなかった。


「――以上が、邪龍と世界樹ユグドラシルにまつわる歴史です」


 静かな声が再び響く。


 ルーンもシグも黙って頷いていた。

 嘘ではない。彼らの表情がそれを物語っている。

 だが、俺にとって重要なのは過去じゃない。


「聞いて良いか、ノルン」


「なんなりと」


「……どうすれば、ニルファを元に戻せると思う?」


 ノルンは穏やかに微笑んだまま、しかしその瞳は冷たく静かだった。


「不可能です」


 即答。

 胸の奥が鈍く鳴る。


「……なんで、そう断言できる?」


「ニルファさんという力の断片は、ニーズヘッグとの戦闘で敗北し、ヘイズに眠る本体――ファフニールへと統合されました。つまり、人格はほぼ完全に消滅している可能性が高いのです」


「……ゼロじゃないんだろ?」


「そうですね。ですが、もし本当にニルファさんとしての人格残っているのなら――ファフニールは復活しなかったのでは?」


「……」


 天井を仰ぐ。

 聖堂の光がまぶしく滲み、胸の奥が焼けるように熱い。

 認めるには、早すぎる。


 沈黙を破るように、ノルンが言葉を継いだ。


「――とはいえ、希望がまったくないわけではありません」


 その声音に、ルーンが顔を上げた。


「邪龍の断片には核が存在します。勇者シグンドとニルファさんがフヴェルミルで打ち破ったものこそ、ニーズヘッグの核でした。

 核を砕かれた今、かの龍は力の大半を一時的に喪失しています」


「一時的に……?」


「はい。時間が経てば再び回復するでしょう。だからこそ――今が唯一の好機なのです」


 ノルンは静かに両手を合わせ、柏手を打った。


 ――パチン。


 乾いた音が、静寂の聖堂に鋭く響いた。


「もう、いらしたようですね」


「……誰か来たのか?」


 ノルンが微笑を保ったまま、扉の方へ目を向ける。


「お客様ですよ。とはいえ――悪客(あっかく)ですが」


 その瞬間、リルが低く唸った。


 ――グルルルル……!


 それまでの静けさが、一瞬で張り詰める。

 聖堂の空気が震え、燭台の炎がわずかに揺れた。


「――フギン、ムニン。私たちを守って!」


「――グラムっ!」


 ルーンとシグが同時に立ち上がり、即座に戦闘態勢を取る。

 その動きに迷いはなかった。


 思考が追いつくより早く――『それ』は、もうそこにいた。




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