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旅する龍と世界の終わり  作者: LFG!


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19/30

13:龍の夜(2)




「――うおおおおおおおおっ!?」


 ぽい、と宙へ放り上げられる。


 わずか数秒の浮遊。

 胸の中のルーンを離すまいと、必死に抱き締めた。


 次の瞬間、強い腕が俺たちを受け止める。

 シグの顔がすぐ目の前にあった。


「大丈夫かいっ!?」


「大丈夫なわけあるかっ!」


 死ぬかと思ったわ!


 けれど、その恐怖とは裏腹に、胸の奥に小さな火が灯る。

 安堵と希望の、確かな光。


 俺は思わずにやりと笑った。


「生きてるって、信じてたぜ!」


 その言葉に、シグが目を丸くする。

 そして、ふっと優しく笑った。


「もちろん。血反吐を吐いてでも生きろって――そう言われたからね」


 大狼の背に下ろされ、ようやく足が地を踏む。

 腕の中のルーンをそっと寝かせた。

 左手に握っていた黄金の輝きは、いつの間にか消えていた。


 ルーンの顔色は戻りつつあり、呼吸も穏やかだ。

 まるで深い眠りについているだけのように見える。


「随分と口が軽くなったじゃねぇか」


「おかげ様でね。それより……」


 シグがルーンに視線を落とす。

 静かな寝息を確かめると、どこか安堵したように微笑んだ。


「今はもう、大丈夫だ。ちゃんと生きてるよ」


「そうか。……良かった。けど、どうやってあの雷を生き延びたんだ?」


「色々あってな」


 短く答える。

 この場で話すには、あまりにも多くの事がありすぎた。


 遠くの空では、いまだ二体の龍がぶつかり合っている。

 けれど、形勢は明らかに黒き龍――ニーズヘッグの優勢だった。


 圧倒的な力の差。天地が逆転しても届かないほどの隔たり。

 それこそ、戦えているのが不思議なほどに。


「……なぁシグ。あの龍、ニルファだろ?」


 シグが驚いたように目を見開く。


「わかるのかい?」


「なんとなくな。……で、どう助ける?」


 そう問うと、シグの表情が一変した。

 沈痛で厳しいその顔つきに、嫌な予感が走る。


「トネリコ」


 名を呼ばれた瞬間、次の言葉の意味を悟った。


「……やっぱ、お前でも無理か?」


「ごめん。僕では、ニーズヘッグはおろか……ニルファちゃんですら止めることは不可能だ」


 シグが深く頭を下げた。

 拳を握りしめる俺の耳に、風が刺さる。


「すべては、僕の力不足だ。考えが甘かった。……ニーズヘッグの復活を許してしまった」


「……」


 頭を掻く。

 大きく息を吐いて、肩の力を抜いた。


「顔、上げろよ」


「トネリコ……」


「俺だって、ついさっき失敗したばっかりなんだ。お互い、さっさと取り返そうぜ」


「……そうだね」


 シグが顔を上げる。

 その瞳に、かすかな決意が戻っていた。


「ニルファの奴、どうしてああなったんだ?」


「雷だよ。……二人が死んだと思ったのさ。僕を含めてね。それで――」


 シグが空を見上げる。

 黒雲を裂く狂気の閃光。

 二体の龍がぶつかるたび、世界が壊れていくようだった。


「理性を失った。悲しみと……憎しみのあまりね」


 シグの声は静かだったが、その奥に痛みが滲んでいた。


「ニーズヘッグには、勝てない。ニルファちゃんでもね。彼女は、とても力の強い核ではあるけど……それでも、所詮は核でしかない」


「核って、なんだよ?」


「断片のようなものさ。三体の邪龍が封印される前、力を世界中に分散させた。その中でも特に強力な力を宿すもの――それを、僕たちは核と呼んでいる」


 三体の邪龍。


 内二体は検討がつく。

 ニーズヘッグと、フギンとムニンが呼んだファフニール――ニルファのことだろう。


 残る一体が誰なのか気になったが、今はそれどころではなかった。


「結構戦えてるように見えるけどな」


「遊ばれてるだけだよ。ニーズヘッグは……あの邪龍は、とことん性格が悪くてね」


 シグの声に、憎しみが滲んだ。


「なんでそんなことわかる?」


「少し話した。ニルファちゃんが泣き叫んでいるのを見て、嗤っていたよ」


「……あいつ、喋れんのか」


「ニルファちゃんだって話せるだろう?」


「……まぁ、そうだな」


 頭の奥に、ニルファの咆哮が響く。

 やっぱり、泣いていたのか。

 守るって、決めたのにな。


 ――グルルルル……。


 振り向くと、大狼がこちらを見た。


「……時間、ということかい?」


 シグが呟く。

 大狼は頷き、次の瞬間――走り出した。


「うおっ!?」


 突風と衝撃に耐えきれず、しゃがみ込む。

 背中の毛を掴み、体勢を保つ。


 焦ってルーンに目を向けるが、眠ったまま、穏やかな顔で背に収まっていた。

 寝転がった方が抵抗が少ないのだろう。俺よりよほど安定していた。


 シグも低く身を伏せながら、前を見据えている。

 その横顔は、もう覚悟を決めた者のものだった。


 リルは荒野を信じられない速度で駆け抜ける。

 ニルファたち――戦場から遠ざかっていく。


「おい、逆だ!遠ざかってどうすんだよ!?」


 叫んでも、大狼は止まらない。


「シグ!こいつ止めろって!」


「彼はリル。教会都市フランクにいる聖女様に仕える神獣だよ」


「そんな事聞いてねぇわ!説明はいいから止めろっての!」


「――トネリコ」


 シグの声が低く響く。

 その表情には、悲しみと決意が入り混じっていた。


「さっきも言っただろう?無理なんだ。僕たちでは、ニーズヘッグはおろか――ニルファちゃんを止めることすら、できない」


「だから見捨てるってのか!?あいつは、俺たちのために怒ってんだぞ!」


「……わかっているよ。僕が、一番近くで見ていたんだからね」


「なら――」


「トネリコ、聞いてくれ」


 シグの声が真っ直ぐに響く。


「これから僕たちは、教会都市フランクへ向かう。そこで、聖女様と会うんだ」


「そんな悠長なことしてたら、ニルファが死んじまうだろうが!」


「ニルファちゃんは死なないよ」


「はぁ!?何を根拠に――」


「――ニルファちゃんは核だ。破壊されても滅びはしない。本体の元へ還る性質がある」


 シグは聖剣グラムを呼び出し、その刃を見つめた。


「核を滅ぼせるのは、”世界樹ユグドラシル”に由来する武具だけ。だから、ニーズヘッグにはニルファちゃんを殺せない」


「破壊されたら同じ事だろうがっ!」


「違う。ニルファちゃんはファフニールに統合されるだろう。けれど、その人格は失われない……はずだ」


「確信がある訳じゃねぇのかよ……!」


 怒りで胸が焼ける。

 拳を握る手が震えた。


 シグに掴みかかりたいが、今は立ち上がることすらできない。

 下手に立ち上がって大狼――リルの背から落ちれば即死だ。


 握った拳に、爪が食い込む。


「全ては、聖女様の導きだ。可能性はゼロじゃない」


「……て、めぇ……っ!」


「君もわかってるだろ。今の僕たちじゃ、全滅するだけだ。ニーズヘッグにとっても、ニルファちゃんにとっても……僕たちは路傍の石。戦いの余波で塵になる程度の存在さ」


「だから、納得しろってか!?」


 シグの言葉は正論。

 理性は理解しても、心は拒絶する。


 理性が「無理だ」と叫び、感情が「守れ」と叫ぶ。

 その狭間で、心が軋む。


 シグは俯き、静かに言った。


「納得は、しなくていい」


「……いいのかよ」


「僕だって、納得してるわけじゃない」


 息を呑む。

 顔を上げたシグの瞳に、涙が光っていた。


「ごめんよ、トネリコ。僕は勇者なのに、誰一人守れなかった。トネリコとルーンが死んだと嗤うニーズヘッグに、一撃すら入れられなかった。自分の無力が憎い。後悔ばかりだ。ずっと目を逸らしてきた。そのツケが今なんだ」


「……お前」


「それでも生きる。君に言われたからだ。血反吐を吐いてでも生きて、失くしたものを取り戻す。ルーンを、ニルファちゃんを、君を――守る。その日のために、今は退くんだ」


 シグが遠くの空を見上げる。

 ニルファの姿は小さくなりつつも、まだ見える。


 紫電が夜空を裂き、やがて光が弾けた。

 その影が地へと落ちていく。


「詭弁だってわかってる。でも、それでも希望を信じて行動するんだ。希望を失ったら、僕たちは前に踏み出せなくなる。いつか必ず――ニルファちゃんを救い出すためにも」


 ルーンを見下ろすシグの目に、優しさと痛みが混じる。


「ルーンが眠っていて、本当に良かった。もし起きていたら……迷わず飛び降りていただろうね。勝算もなく、ただ守りたい一心で」


「……そうだな」


 遠く、ニルファが崩れるように大地へ沈んでいく。

 気づけば、涙が頬を伝っていた。

 シグの言葉を、受け入れるしかなかった。


「なぁ、シグ」


「なんだい?」


「ニルファの奴……本当に生きてんのかな」


 太陽がなければ、人は凍えて死ぬ。

 俺も同じだ。

 ニルファがいなければ、生きる理由を失う。


「可能性はゼロじゃない」


「……そうか。なら、信じなきゃな」


 目を閉じ、深呼吸。

 そして、強く目を開く。


 涙はまだ止まらない。

 けれど、ニルファと過ごした五年の歳月が、俺にまだ熱を残してくれていた。


「決めたぜ、シグ。俺は……俺は――」


 胸に手を当て、言葉を刻む。


「――ニルファを取り戻す。必ずだ。どんな手を使っても、どんな代償を払っても、絶対に」


「……その時は、僕もお供するよ」


「頼むわ。お前がいりゃ、百人力だからな」


 決意は固まった。

 やるべきことは単純だ。

 聖女に会い、ニルファを取り戻す方法と、ニーズヘッグの糞野郎を倒す手段を手に入れる。


 リルの背が静かに揺れる。

 冬の風が荒野を渡り、頬を刺した。


「フランクまで、どのくらいだ?」


「リルの速さなら、二日もあれば着くはずだよ」


「そうか」


 リルの背に身を預け、空を見上げる。


 リルの背に身を預け、空を見上げた。

 暗雲が夜空を覆い、星は一つもない。

 時折走る紫電が、一夜にして世界が変わったことを暗示しているようだった。


「なら、少し寝る。明日に備えねぇとな」


「そうだね。ルーンのことは僕が見ておく。安心して眠ってくれ」


「ん……頼むわ」


 目を閉じる。

 眠気がすぐにやってきた。

 抗わず、そのまま身を委ねる。


 ――ニルファがいない夜は、酷く冷たかった。




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