12:太陽と勇者(1)
シグ視点です!
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神殿騎士シグではなく、勇者シグンドとして戦場を駆ける。
『聖剣グラム』――世界樹ユグドラシルより授かった、闇祓いの剣を振るう。
右目を解放した今となっては、この魔の奔流さえも対応の範疇だ。
遠くを見れば、紅の嵐が魔物を蹂躙している。
どれほどの時を戦い続けただろう。
戦況は、既にこちらの勝利へと傾いていた。
減り続ける魔物に、冒険者と衛兵たちの歓声が強まる。
その時だった。
闇の海を割って、怪物が姿を現した。
ドロドロとしたどす黒い影をまとったその姿には、見覚えがある。
――核。
伝承に語られる三体の邪龍が、その身を無数に分割して生み出した負の残滓。
邪龍復活のためだけに動く分身たちの中でも、特に強大な存在――それを核と呼ぶ。
その輪郭は絶えず揺らぎ、無数の怨嗟が集い、形を成したかのようだった。
凝縮された闇が形を持つ。蠢く黒煙の奥で、深紅の双眸が光を放つ。
口腔の奥では、獄炎が息づくように燻っていた。
咆哮が空を裂く。
――グォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
耳をつんざく轟音と共に、大地が震える。
全身の穴という穴から黒い泥が溢れ出し、地に走る亀裂へと流れ込む。
泥は魔物を飲み込み、取り込みながら膨張していく。
まるで、魔の軍勢を統べる王のようだった。
「これが、最後の――一仕事かな」
握ったグラムが低く唸りを上げる。
剣を構え、一気に駆けた。
躊躇いはない。
勇者として。
トネリコたちの仲間として――この核を討ち滅ぼす。
それだけだ。
地を抉るように剣先を垂らし、一息に鼻先めがけて振り上げる。
聖剣の黄金が閃き、闇を拒絶する光が弾けた。
視界が一瞬、白く染まる。
驚愕して、後方へ跳躍する。
「厄介な……っ!」
切り飛ばしたはずの鼻先に、泥が渦を巻くように集まり、即座に再生する。
その再生力に舌打ちを漏らした。
長期戦はまずい。
身体の奥底に、疲労がじわりと滲み始めている。
剣を振るたび、腕に伝わる反動が重くなっていくのがわかった。
再生を許せば、いずれ押し切られる。
残された余力のうちに、決着をつけるしかない。
再び構え直し、剣先をおろした――その時。
紅の閃光が、戦場を横切った。
「シグっ!」
紅の残光を引き、ニルファちゃんが軽やかに着地する。
瞳を核と同じ深紅に輝かせながら、にこっと笑った。
「ねぇねぇ、聞いてよ!ここに来るまでにね、すっごく褒められちゃったっ!」
場違いなほど明るい声に、思わず苦笑が漏れる。
「……それは、良かったね」
「うん!本気出しても、誰も怖がらなかったの!みんな、ありがとうって――笑ってくれたんだよっ!」
その言葉に、ふと胸を突かれる。
ルーンとトネリコの言ったことが脳裏をよぎる。
そうだ。ニルファちゃんは、まだ子供なんだ。
例え、邪龍の力を宿す核であっても、彼女は――優しい心を持つ、ひとりの少女だった。
「ニルファちゃんのおかげで、どれだけの人が助かったんだろうね」
「えへへ……そんなに、かなぁ?」
照れたように身をくねらせるニルファちゃんに、心から笑う。
「勿論。助けられた人にとっては、君は英雄のように見えたと思うよ」
「英雄!?……えへ。いや~っ。まぁ、まぁ、それほどでも……あるかもっ!」
「あるさ。君がいたおかげで、僕は戦場の半分を気にしなくて済んだ。――ありがとう」
「まっかせて!あたし――超、強いんだからっ!」
その言葉の終わりと同時に、三つの火玉が飛来する。
ひとつをグラムが切り裂く。
ひとつを紅が穿つ。
残るひとつを光波が消し飛ばした。
「……無粋だなぁ」
手慣れた仕草で剣を払う。
一人じゃない。
その事実が、張り詰めた精神に僅かな笑みを戻してくれる。
「シグ、最低」
「ええっ!?」
ニルファちゃんの機嫌が急降下していた。
「あたしの方が強いもん」
頬を膨らませてそっぽを向く。
幼さが背に滲み出て、胸の奥が疼いた。
「シグ?……どうしたの?」
ニルファちゃんが振り向く。
「僕は……なんて愚かだったんだろうって、改めて思ってさ」
「なんで?」
「皆に、ずっと隠し事をして……。上辺だけで仲間面をしてた。そんな僕が――」
「――違うよ」
「え?」
ニルファちゃんは、ふわりと笑った。
「シグは、ずっと仲間だったよ。あたしたちのこと、いつも考えてくれる……優しい人だもん」
「……」
「お兄ちゃんがいたら、こんな感じだったのかなって思うくらい。多分、トネも同じだと思う」
「トネリコも……?」
「うん。だって、トネっていっつもシグのこと頼りにしてるじゃん。依頼中だって、困ったら真っ先にシグに聞いてたでしょ?」
胸が熱くなる。
「はは……」
乾いた笑いが漏れた。
「じゃあ、失望させちゃったかな?」
冗談めかして笑ってみせたが、自分でもわかっていた。
きっと今、僕は酷い顔をしている。
笑い方を思い出せない。
上手くできない。
拳を握り締める。
血が滲むほどに。
「僕は、そんな君たちを――裏切ったんだ」
言葉にした瞬間、全ての過ちが胸に蘇る。
自然と俯き、ぽたりと涙が地に落ちた。
「シグってさ……」
顔を上げると、ニルファちゃんが困ったように笑っていた。
「面倒くさいよね」
「……え?」
「もう終わった話じゃん。いちいち振り返ってる暇があったら――前向こうよ。あたしたちと一緒に、また冒険しよう!」
差し出された手が、眩しかった。
「明日にはフヴェルミルも出ちゃうかもだしさ。トネとルーンとあたしとシグで――行ったことない場所、行こうよ!きっと、すっごく楽しいからっ!」
笑う姿が、太陽と重なる。
ああ、そうか。
これが、トネリコの言ってた太陽なんだ。
後悔も絶望も、彼女の光があっけなく塗り替えていく。
明日が楽しみだと――生きたいと、心の底から思わされた。
熱が迫る。
視界の端で、再び三つの火玉が膨れ上がった。
構えようとした僕よりも早く、紅が三つの火玉を弾き飛ばした。
ニルファがピースサインを向けて笑う。
「ほら、やっぱりあたしの方が強いじゃん!」
その笑顔に、最愛の人――ルーンの面影が重なる。
もし、最初に出会っていたのが太陽だったら、
僕は、どちらを愛したのだろう。
胸の奥が熱くなる。
だがそれは、悲しみではなかった。
「ニルファちゃん」
「なにー?」
「僕は、誇らしい。君たちと一緒なら、何だってできる――本気で、そう思えるんだ」
「えへっ。そうでしょ?」
「ああ。君たちと冒険できることに、心から感謝してる」
涙はもうない。
あるのは、確固たる決意だけだ。
――グゥゥゥ……ォォォオオオオオオオオオオッ!!
空気がねじれ、霧が悲鳴を上げる。
咆哮が世界の皮膜を裂き、全てを震わせた。
核が、咆哮と共に無数の火玉を放つ。
グラムを構える。
紅が拳を構える。
「やっと『本物』になれたんだ。邪魔するなら、消えてもらうよ」
「トネとルーンが待ってる。最短最速で――終わらせちゃうからっ!」
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