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旅する龍と世界の終わり  作者: LFG!


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14/30

10:紅、黄金、蒼




 霧の夜が濃く、戦場を闇が覆う。


 その中で、二つの光が火花のように瞬いた。


「――本気、出しちゃうからっ!」


 ニルファの(くれない)の瞳が鋭く光る。

 一歩踏み出すたび、足元の土と砂が微かに震えた。


 拳を振るう――打撃の衝撃が霧を切り裂き、敵を叩き潰す。

 一撃ごとに魔物は泥となり、無慈悲に地面へ吸い込まれていく。


 次々と迫る異形の敵も、拳に触れれば水風船のように弾け、形を保っていても

遥か彼方へ吹き飛ぶ。

 他の魔物を巻き込む砲弾となり、戦場は紅の嵐に染まった。


 冒険者たちは咄嗟に身を低くし、互いに声を掛け合いながら衝撃を避ける。

 衛兵は盾を掲げ、踏ん張りつつ魔物の侵攻を押し戻した。


 ニルファは彼らの隙間を潜り抜け、容赦なく敵を打ち倒す。

 喝采が戦場に鳴り響く。


「あはっ!あたし、めっちゃ褒められてるっ!?」


 腕を回転させて飛び蹴り。

 数体の魔物が弾かれ、空中で崩れ落ち、大地に溶ける泥となる。

 その動きは獣的で、本能的で、無駄が一切ない。

 跳ね回る軌跡は破壊の連鎖を撒き散らし、戦場全体を支配していた。


「全部、あたしがぶっ倒すっ!」


 裂帛(れっぱく)の気合いと共に、紅の嵐が戦場を塗りつぶす。


 その紅を超えるのが、シグの黄金の剣光だった。


「――グラムッ!」


 シグが虚空から『聖剣グラム』を抜き放つと、黄金の光が霧の闇を一閃する。

 光は戦場を染め上げ、魔物は存在そのものを光に還された。

 聖剣が交錯するたび、霧が裂け、闇が割れ、敵は抵抗する間もなく消滅していく。


 その光景に、冒険者は息を呑み、盾を握る手に力を込めた。

 衛兵は足を踏みしめ、光の奔流に合わせて陣形を微調整する。


 光波が魔物を覆い隠したかと思えば、次の瞬間には魔物だけが霧散していた。

 残像に包まれた冒険者たちは、一瞬目を眩ませながらも互いに声を掛け合う。


「大丈夫か!?」

「気を抜くな!」


 緊張の糸は張り詰めたまま。

 だが、光に導かれた希望が胸を満たしていた。

 恐怖と歓喜が入り混じった鼓動が、戦場の空気を熱く震わせる。


「せやぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 黄金の紋章を帯びた右目が、シグの動きを加速させた。

 視界は広く、誰かの助けを求める声に反応して、黄金が戦場を駆ける。


 紅の嵐を巻き起こすニルファと、本来の力を取り戻した『聖剣の勇者』シグ。


 二つの光が交錯する瞬間――音が、消えた。

 砕けた魔物の残骸だけが光に照らされ、かすかに揺れている。


 その光景を見て、俺は思わず息を呑んだ。


 戦場の轟音の中、不意に一瞬、耳鳴りのような静けさが差し込む。

 背後で、小さな緑光が揺れた。


 それは、ルーンの声だった。


「――フギン」


 緑光に呼応して、フギンが滑るように空を舞う。

 尾を引く光は戦場に糸を張るように魔物を絡め取り、闇の中で孤立させた。


 その糸は戦場全体を網のように覆い、動きを止められた魔物たちは、吊り上げ

られた操り人形のように空へ跳ね上がる。

 光の刃が影を切り裂くたび、冒険者たちは安全に距離を取れる道を得た。

 魔物が吼え、跳ねるたび、フギンは柔軟に飛び回り、動きを縛る。


 戦況は少しずつ安定し始める。

 ルーンの指示で、不利な局面が改善されていった。


「フギン、次は右側から回って。その先――影が濃い。助けてあげて」


 緑光が舞う。

 影が消える。


 一瞬、戦場が静まり返った。


 だが、次の波はすぐに来る。

 冒険者たちはその隙を突いて前進し――


 ルーンは、震えながら再び両手を組んだ。

 嫌な予感が、胸の奥で鳴った。


「……よかった」


 遠くで勝鬨(かちどき)を上げる彼らに、ルーンの唇がわずかに弧を描く。

 その体は微かに震えていた。

 呼吸は浅く、汗で濡れた髪が額に張り付いている。


 戦場の喧騒に紛れる小さな吐息や手の震えが、彼女の疲労を物語っていた。


 ふらつく体に肩を貸す。


「無理すんな」


「ありがとう。でも……やれることはやっておきたいの」


「気持ちはわかるけどよ」


 病的に青白くなった肌。

 ルーンの体調は、悪化の一途をたどっていた。

 それでも、他者を守るという高潔な精神が、彼女を突き動かしていた。


「休まないとダメだ。魔力、あんまり回復してねぇんだろ?」


 思い返すのは、昨夜の事件だ。

 一度減った魔力は、すぐには戻らない。

 そのことを、これまでの付き合いで理解していた。


「ニルとシグだって頑張ってるんだから、私だけが休む訳にはいかないわ。

 それに……一人でも多く、生きて帰ってきて欲しいのよ」


 ルーンは戦場から目を離さない。


 実際、ニルとシグがいかに頑張っているとはいえ、こちらの被害も大きい。

 数えきれないほどの負傷者が、それでも前線で戦っていた。


「それでも、お前が倒れたら意味ねぇだろうが……」


「心配しなくても、自分の限界くらいはわきまえているわ」


「本当かよ……」


「……フギン。お願いね」


 祈りは途切れない。

 膝を折りそうになりながらも、踏みとどまり、フギンの操作を続けていた。


 荒い呼吸、震える手、消耗の色。

 そのすべてが、彼女の覚悟の証だった。


 限界をわきまえているとは言われたものの――

 それでも、胸の奥に小さな不安が灯る。


 それからしばらく経ち、少しずつ戦況がこちらに傾いてきた頃。


「魔力、後どんくらい残ってんだ」


「……四割くらいかしら?」


「四割?……本当かよ」


「……三割くらい」


「嘘つくなよ」


「はぁ。

 そんなに心配しなくても、自分の魔力の総量ぐらい把握してるから、大丈夫よ」


「大丈夫な奴は、そんな顔しねーんだよ」


 溜息を吐く。

 俺の仲間たちは、どうしてこう極端な奴ばっかりなんだろうか。


「ルーン」


「……なに?」


「本当に……大丈夫なんだろうな?」


「私を気遣う暇があったら、貴方もしっかりと戦況を見なさい」


 こちらを向くこともなく、ルーンは霧に目を向け続けている。

 その顔色は、もう死人のようで――


 頭を振る。


「魔力が、一割ぐらいになったら教えろ」


「……」


 ルーンからの返事はなかった。

 それでも、構わずに言葉を重ねる。


「約束しろ。その時は、必ず休憩するって。

 じゃなきゃ――今すぐにでも、お前を街に連れ帰える」


「……わかったわ」


「約束だからな?」


「はいはい」


 ルーンが、久しぶりにこちらを見る。


「その代わり、困っていそうなところがあったら教えて。

 戦況が優勢な今がチャンスなの。少しずつでも、負傷者を下がらせないと」


「……わかったよ」


「お願いね」


 ルーンの顔を間近で見て、言葉を飲み込むことしかできなかった。

 あまりにも静かで、けれど確かにそこにある違和感。


 ルーンの顔色は、すでに限界の色をしていた。

 それでも彼女は、誰かのために祈り続けている。


 無理やりにでも休憩をとらせたい気持ちはあるが、そのタイミングが掴めない。

 魔力量なんてものは、魔力のない俺にとっては感覚的イメージでしかなかった。

 わからないものを、勝手な尺度で決めてしまっては……ルーンの意思を損なう

ことになる。


 フギンが人命救助に役立っているのは、素人の俺から見ても明白だった。

 救われた命は、優に百を超えるだろう。

 ニルファやシグという超常的な存在に比べれば劣るが、ルーンの精霊術は他と

比較して十分に規格外といえるほどだった。


 俺にできるのは、信じることだけだ。

 ルーンが約束を反故にしないことをただ信じる。

 戦う力をもたない俺にとっては、信じることだけが力だった。


 ルーンに言われた通り、戦場に注視する。

 負傷者を抱えて動きの鈍い部隊があれば、ルーンに伝達する。

 それを繰り返すことで、己の不安を無理やりねじ伏せる時間が続いた。


 ――それから、どれほどの時が経っただろう。


 それでも、ルーンの祈りの声は、絶え間なく霧の中へと溶け続けていた。


 ……だが、ふと。


 フギンの動きが、かすかに乱れた。

 羽ばたきが途切れたように見え、緑光がほんの一瞬、揺らぐ。


 胸の奥がざらつく。


 はっとして戦場から目を離す。

 そして――しばらくぶりに、ルーンの顔をしっかりと見つめた。


 その顔色は、最早死人そのものといった有様で――


「ルーン。休憩だ」


「嫌よ」


「駄目だ! フギンを帰せ、今すぐに!」


「……」


「ルーンっ!」


「……フギン。そのまま進んで――」


 その瞬間。

 緑の糸がふっと千切れ、フギンの輪郭が霞んだ。


 ガクリと、ルーンの膝が折れる。


 ――間一髪で支える。


「――っと!」


 荒い呼吸。

 蒼白な顔。

 小刻みに震える体。


「ルーン!?」


「……へ……平気、よ……」


「――バカがっ!」


 焦点の合わない瞳を見て、事態の緊急性を悟る。


 ぐったりとした体を背中に担ぎ、南門へ向かって走る。


「お前、嘘つきやがったな……!」


 答えはない。

 背中に乗せたルーンは、驚くほど軽かった。


「魔力が一割になったら教えるって、約束しただろうがっ!

 ああ、畜生……ふざけた嘘ついてんじゃねぇぞぉっ!」


 走る。走る。走る。


 門が見える。けれど、遠い。

 体が熱い。足が止まらない。


 どうして気づかなかった。

 ずっと隣にいたのに。

 もう限界だと、わかっていたはずなのに。


 ルーンが約束を守る保証なんて、どこにもなかった。

 自分と他人を天秤にかけて、即座に自分を差し出すような人間だと、わかって

いたのに。


 俺が見るべきは、手の届かない場所じゃなくて――

 隣に立つ仲間のはずだったのに。


『トネリコ。ルーンをよろしく』


 シグの言葉が脳裏をよぎる。

 バカだったのは、俺の方だ。


 ルーンはピクリとも動かない。

 何度声をかけても反応がない。


 走っているうちに気づく。

 異様なほどに冷たい。

 まるで、体温なんかないみたいに。


 魔力はあと、どれくらい残ってる?

 もしかして――もう、残ってないのか?


 ルーンは、フギンに『お願い』を繰り返していた。

 自分の体よりも、顔も知らぬ誰かを優先して。


 その結果、フギンを酷使した。


 フギンが要求した魔力は、消耗を重ねた体に支払える量だったのか?


 そんな状態で精霊術なんか使ったら――

 脳裏に、孤児院で聞いたルーンの言葉がよぎる。


『限界以上に魔力を要求されたら、どうなると思う?』

『魔力の代わりに、生命力を抜かれて――』

『ゆっくりと、死んでいくの』


 ――生命力。


 命。

 ルーンが、死ぬ?


 喉が焼ける。

 息が続かない。


 それでも叫ばずにいられなかった。


「ああああああああああああああああああああああああっ!」


 肺の中から空気が消える。

 視界がチカチカと白く染まる。


「ルーンっ!おい、おい……っ!

 なんか言え……なんか……なんでもいいから……っ!」


 首に回したルーンの両手は、人形のようにぶら下がるだけだった。


「死ぬなっ!死ぬなっ!死ぬなぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 門は見える位置にあるのに、一向に辿り着かない。


「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だっ!」


 魔力枯渇――その果てに待つもの。

 ルーンが死ぬ。


「認められる訳ねーだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 見ず知らずの他人の命なんか救って、自分が死んでどうする。

 そんなの、一文の得にもなんねぇだろうが。


「……うるさい、わね」


 ピクリと、首にかかった両手が動いた。


「ルーン!?」


「……」


「おいっ!……おいっ!?」


「……フギン」


 目の前に、緑光が灯る。

 しかし、一向にフギンは出てこない。

 ぼんやりと、緑が灯るだけだ。


 緑光が、ルーンの頬に近づく。


 意味がわからず呆然としていると、ルーンが掠れた声で、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「ありがとう……待って、くれてるのね。もう少しだけ……良いかしら」


 緑光が薄く明滅する。


「……ふふっ。ねぇ、トネ」


 その声は、夢の中みたいに柔らかくて――現実味がなかった。


「なんだ!? 体、どうなんだっ! 大丈夫なのか!?」


「私の話、聞いてくれる?」


「なんだよ……っ!」


「私ね……トネの事が、好き」


「……は?」


 時間が止まった気がした。


「世界で、一番……貴方の事が、大好きなの」


 意味が追いつかない。


「でもね――世界で、二番目に好きな女の子も、貴方の事が大好きなの」


 思考が止まる。

 気づけば、足も止まっていた。


「あの子を……守ってあげてね……」


 背中越しに感じていた、ルーンの体温が抜け落ちていく。


「……ルーン?」


「皆に、よろしくね」


 それきり、世界の時が止まった。


 手が落ちる。

 音もなく。


 緑光が明滅する。


 世界から、音が消えていた。

 さっきまで聞こえていた剣戟も、叫びも、もうなに一つ届かない。


 ただ、風の名残だけが頬を撫でていった。


 導かれるように、そっとルーンを地面に降ろす。


 もう、返事はなかった。



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― 新着の感想 ―
流石に自分が死ぬまで酷使するとか…死ぬと分かっていながら辞めないってのは自分から死を選んだ感じがしてなんか報われないなぁ、ワンチャン生きてる説を推したい
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