9:共に踏み出す(2)
「……やっぱ、すげぇやつだな」
ニルファは大人しく、マリアの隣に寄り添っていた。
改めて、ルーンという人間の底を見せられた気がした。
「本当にね」
シグが静かに頷く。
「僕も、いい加減前に踏み出さないといけないみたいだ」
「……」
「聞いてくれるかい、トネリコ。愚かな僕の話をさ」
「むしろ頼みたいくらいだぜ。……聞かせてくれよ、シグ」
シグは真っ直ぐに、俺を見据えた。
「僕は昨日、君が攫われるのを最初から知っていた。
君が一人でいることを、彼らに伝えたのは……僕だ」
ズシン、と地面が鳴った。
ニルファの足元が爆ぜ、砂と粉塵が頬を打つ。
ニルファの瞳が深紅に光り、唇が震える。
声を出すのを、必死に堪えている。
ルーンが傍で肩を支えていた。
胸の奥で、冷たいものが静かに広がる。
だが、ニルファの激情が――むしろ、俺を落ち着かせてくれた。
「……冗談じゃ、ないんだな」
「うん」
「そうか」
天を仰ぐ。
いつもなら見える星空は、黒い雲に塗りつぶされていた。
「怒らないのかい?」
「怒ってるさ」
「……君には、僕を裁く権利がある。
望むなら、この戦場を生き抜いた先で――首を撥ねてもらっても構わない」
俺は、シグの瞳を見据えた。
「なんで、あんなことしたんだ?」
「すべてを話せば長くなる。それこそ、あの軍勢がこの街に着くほどにね」
「そりゃ……困っちまうな」
乾いた笑いが、息と一緒に漏れる。
だが、シグは微動だにせず、ただ真剣な眼差しを返してきた。
頭を掻いて、深い吐息をつく。
「お前さ。俺のこと、どう思ってる?」
「仲間だと思ってる。本心だよ」
「ルーンのことは?」
シグが、わずかに視線を逸らす。
「それは、今は関係ないじゃないか」
「答えろよ」
「……尊敬する仲間だよ」
「それだけか?」
「……」
間が空く。
「愛する人だ」
短い沈黙の後、シグは呟くように答えた。
「この世で一番、誰よりも愛している」
「俺が、ルーンを殺せって言ったら、殺せるか?」
「できる訳がないだろうっ!」
「お前、俺が望んだら首を撥ねてもいいって言ったじゃねぇか」
「それは……僕の首の話に、決まってる!」
「お前が死んだら、俺はルーンを殺すぞ」
シグが顔を歪める。
狼狽と恐怖とが入り混じった表情だった。
「なぜ……どうして、そんなことを言うんだ、トネリコ……」
「……」
「全部、僕が悪いんだ。
愚かな僕が、彼らを信じて加担したのが発端なんだ。
力を隠したのも、名を伏せたのも、全部、僕が……!」
呼吸が荒い。
その肩が、かすかに震えていた。
「……ルーンは、関係ないじゃないか……っ」
「俺を殺すか、ルーンを守るか。……選べ」
「……」
「選ばなきゃ、俺がルーンを殺す」
沈黙。
遠くで、霧の軍勢がゆっくりと進軍してくる。
空気が震え、戦の匂いが鼻に刺さった。
「……す」
「ん?」
俯いていたシグが顔をあげる。
悲哀に満ちた瞳。
涙を流しながら、言葉を紡ぐ。
「殺すよ。僕は、君を殺す。……それから、自分の首を撥ねて死ぬ」
「――五十点だ、バカが」
「……え?」
「お前も死んでどうすんだよ」
ゆっくりと歩み寄り、拳でシグの胸を小突く。
「お前が死んだら、誰があいつらを守るんだよ」
「……あ、え……」
「俺が死んだら、あいつらを任せられるのは、お前しかいねぇんだ。頼むぜ」
「……トネ、リコ」
「俺を殺すかどうかなんて、そんなくだんねーことでグダグダ悩んでんじゃねぇよ」
ルーンを見る。
彼女は静かに、俺たちを見守っていた。
「ルーンを守れ。世界で一番愛してんだろ?」
ニルファを見る。
ルーンの袖をぎゅっと握りしめて、黙って話を聞いてくれている。
「ニルファを守れ。例え、あいつがお前を殺そうとしてもな」
そして、もう一度シグを見る。
口をぽっかりと空けて、間抜け面でこちらを見返していた。
「生きて、二人を守り続けろ。
簡単に死んで楽になろうとすんじゃねぇ。
俺たちは仲間だ。
でも、優先順位ってもんがある。
できりゃ、ニルファを優先してもらいたいもんだが……
それに関しては、俺が口出しすることじゃねぇしな。
ルーンを守れ。ニルファを守れ。……俺を、守れ」
間近に歩み寄り、鼻先が触れ合うほどの距離で視線を交わす。
「血反吐を吐いてでも生きろ。
後悔してる暇があったら、さっさと取り返せ。
――踏み出すって、決めたんだろ?」
シグの瞳に、決意の炎が宿る。
「トネリコ」
「おう」
「今まで、本当にごめん。
僕は……君の仲間として恥ずかしくないように、これから頑張るよ。
頑張って……生きる」
シグはゆっくりと眼帯に手をかけ、一気に引き剥がした。
「……ははっ」
思わず笑ってしまう。
「おいおい。なんだよ、そりゃ。お前……御大層なもん、隠してくれてたんだなぁ」
シグの隠された右目には、瞳に覆い被さるように黄金の紋章が浮かび上がっていた。
「僕の名は、シグンド。勇者シグンドだ。僕を、君たちの仲間に入れてほしい」
「……ん。まぁ、なんだ。よろしく頼む」
俺が照れ隠しに顔をそむけると、ルーンとニルファが歩み寄ってきた。
「随分、好き勝手言ってくれたわね」
ルーンがにやりと笑う。
反論の余地などない。
「……すまん」
「冗談よ。でも……しばらくは、貴方に殺されないよう注意しなきゃね」
「殺さねぇよ……。てか、お前の方が強いだろ」
クスクスと笑うルーンの隣で、ニルファが一歩進み出る。
シグに歩み寄ると、なんの前触れもなく拳を突き出した。
「――がはっ!?」
鈍い音。
シグが膝から崩れ落ち、胃液を吐く。
「シグ、さいってー。……でも、トネとルーンに免じて許してあげる」
「……あ、ありが……ごほっ……」
言葉を発せず蹲るシグに、少し同情してしまう。
脳裏に、魔喰熊の腹部を吹き飛ばしたニルファの拳がよぎる。
「お前、えげつねぇな……」
「ちゃんと手加減したもん。……ちょっと、力みすぎたけど」
「むしろ、もう少し強くてもよかったくらいだわ」
「……お、おう。そうか」
怖すぎるだろ。
俺なら即死してたぞ。
シグが、ようやく立ち上がる。
「いいんだ。僕がやったことは、殺されたって仕方ないことなんだから」
「それはそうだな」
「うん。死んじゃってもしょうがないと思う」
「その通りね」
「……うん。皆の言う通り。
言う通りなんだけど……いや、なんでもない。本当にごめんよ」
そう言って、シグは苦笑した。
頭を掻く。
決意は定まった。
「ほら、早く行こうぜ」
前線を見る。
霧の軍勢は、すぐそこだ。
「トネ、本当に一緒に行くの?」
ニルファの声が、少し震えている。
けれど、さっきのように感情に呑まれてはいなかった。
ルーンが、傍で静かに見守ってくれている。
「おう」
「怖くないの?」
「怖くないね」
「……死んじゃうかもしれないんだよ?
あたし、トネがもし……もし、死んじゃったら――」
「――守ってくれるんだろ?」
「……っ!」
ニルファの瞳が、大きく見開かれる。
「昨日言ったばかりだろ。俺を守るって。あれ、嘘だったのか?」
「嘘な訳ないじゃんっ!……でも」
ニルファの言葉を、手で制す。
「なぁ、ニルファ」
「……なに?」
「世界で一番安心できる場所って、どこだと思う?」
「……ベッドの中、とか?」
その答えに、思わず吹き出してしまう。
「なんで笑うのさ!考えたってわかんなかったんだから、しょうがないじゃん」
不貞腐れるニルファの頭に、手を置く。
「悪い悪い。……ベッドの中か。まあ、それも悪くねぇけどな」
撫でながら、ゆっくり言葉を紡ぐ。
「俺は、お前の隣なんだ。もっと言えば、お前らの隣かな」
「……トネ」
「俺は弱いけど、お前らは違うだろ?
なんせ、龍に変身できる女の子に、精霊を呼ぶシスター。
あげくの果てには、勇者までいる」
手を離し、ニルファに微笑む。
「そんな奴らの隣って、世界で一番安心できると思わねぇか?」
「……思う、かも」
「だろ?」
ルーンとシグに目を向ける。
ルーンは穏やかに笑い、シグは真剣な目で俺を見ていた。
「行こうぜ、太陽。
俺は、お前についていくって決めたんだ。
今更手を離そうとしたって、そう簡単にはいかねぇぞ?」
「……離さないもん」
ニルファが、ぎゅっと手を握る。
「絶対に、離さないもん。トネは、あたしと――ずっと一緒にいるんだからっ!」
ずっと一緒か。
ああ、懐かしいな。
昔も、似たような約束をした。
「気が変わらない内は、な」
昔と同じ言葉。
けれど、今は少しだけ、重みが違う。
ニルファが顔を上げる。
そして、思い出したように笑って――
「――だーめっ!あたし、もう決めちゃったもんねー!」
懐かしい言葉に、笑みがこぼれた。
笑いながら、手を繋いで歩き出す。
四人で外へ。
向かうは――最前線。
霧の軍勢が待ち受ける戦場へ。
それでも、俺たちはくだらない世間話をしながら。
共に踏み出していく。
次回、本気のニルファとシグの戦闘シーンです!
ちなみに、ルーンの残り魔力は5割ぐらい。




