8:収穫祭
トネリコ視点に戻ります!
秋の終わりを告げる収穫祭。
街には色とりどりの提灯が揺れ、香ばしい焼き菓子や焼き肉の匂いが漂う。
笑い声があちこちから聞こえ、屋台の列は人で賑わっていた。
「ほら、見て見て! この飴、ぶどうみたいな形してるの! すっごくない!?」
ニルファに袖を引かれ、俺は屋台を駆け回る。
そう――全員がすっかり忘れていたが、今日は収穫祭当日だった。
昨夜の出来事の衝撃はまだ残っているが、元々この街に来た目的でもあり、
ニルファの熱意に押され、昨日の話はひとまず置いておくことになった。
「ぶどう飴か。昔はよく食べたなぁ」
「これ、食べたことあるの?」
「子供の頃にな。結構美味しいぞ」
「じゃああたしもっ! おじさん、その…ぶどう飴、五つちょうだい!」
受け取ったぶどう飴を、ニルファがひとつ俺に差し出す。
「はいっ。一緒に食べよ!」
「おう。サンキューな」
頬張ると、懐かしい味が口の中に広がる。
甘くて少し固めの食感が、屋台の熱気と混ざって更に美味しく感じられた。
「これ、美味しい~っ!」
ニルファも同じように頬張り、体をくねらせて喜んでいた。
「ルーンたちの分も買ったから、二人のところ行こー!」
「了解。人が多いから、袋がぶつからないように気をつけろよ」
「あいあいさ~!」
笑いながら、ニルファの手に引かれて後ろをついていく。
離れたところで休んでいるルーンとシグに合流。
静かに座る二人の間に、ニルファがぴょんと割り込む。
「ぶどう飴、買ってきたよー! これ、すっごく美味しいの。食べて食べて」
「あら、ニル。ありがとう……美味しそうね。ひとついただくわ」
「……ありがとう、ニルファちゃん。僕も、ひとついただこうかな」
ニルファが二人にひとつずつ渡す。
ひとつ余ったな。
そう思っていると、ニルファはそのひとつをぱくりと口に入れた。
「美味しぃーっ!」
「ああ、それお前用だったんだ……」
「……ん? 食べたかったの?」
ちゅぽん、と少しだけ形の崩れたぶどう飴が、ニルファの口から出てくる。
「食べる?」
「いらんわ」
「そう? 遠慮しなくても良いのに」
ニルファは、ぱくりとぶどう飴を再び頬張った。
「一度口に入れたものを、人に渡すのはなしにしとけな」
「トネ以外にはしないよ?」
「……ん」
藪をつかず、話題を切り替える。
ふとシグを見れば、ぶどう飴を手に持ったままじっと見つめていた。
「シグ、食べないのか?」
シグの肩がビクリと震える。
「……ああいや、食べる……食べるよ」
ぎこちなく笑うシグに、ニルファが反応する。
「シグ、飴嫌いだったっけ? それとも、ぶどうの方?」
「どっちも好きだよ。ごめん。まだ、昨日の疲れが抜けてないみたいでね」
「……それは、悪かったな」
「え?――ああいや、違うんだ!
そうじゃない。そうじゃないんだよ、トネリコ……」
しどろもどろになるシグを見て、俺とニルファは顔を見合わせる。
ルーンは呆れ顔で、シグを見つめていた。
「昨日はあんなに威勢が良かったのに、どうしてウジウジしてるのよ」
「――ルーンっ!? その話は……っ!」
「うるさいわね……ほら、せっかくの飴が溶けちゃうじゃない」
ルーンはさっとシグのぶどう飴を取り上げる。
「あ」
シグが呆けた顔を見せる。
ルーンは、そんなシグを見て溜息を吐く。
そして――あろうことか、手に持ったぶどう飴をシグの口にねじ込んだ。
「ぐぇっ!?」
「食べたいんなら、さっさと食べなさい。人に盗られちゃう前にね」
喉奥にまで突っ込まれたのか、勢いよくむせるシグを見る。
「えげつねぇな……」
「ルーン、なんか怒ってるのかな……?」
ニルファと二人、こそこそと話し合っていると、ルーンが頭に手を当てた。
「情けない。他の勇者も、皆こんな感じなのかしら」
「ル、ルーン!? だからっ……! その話は、僕が自分から――」
慌てるシグと、それを呆れ顔で見つめるルーン。
「勇者ってなんだ?」
「なんだろね?」
怪訝な顔でニルファと見合っていると、シグが間に割り込んでくる。
「後で話す! だから、今は気にしないでくれっ!」
「お、おう。わかったから、とりあえず落ち着けよ」
「……シグ、なんか気持ち悪い」
ニルファが腕に抱きついてくる。
「ぐうっ!?」
シグが見たことないほどに動揺していた。
「ニルの言う通りね。貴方、気持ち悪いわよ」
「きもちわるー」
「ぐああああっ!」
頬を掻く。
シグの様子がおかしいことだけはわかった。
深く考えるのは止めて、大人しく祭りを楽しむとしよう。
日が傾き、祭りの灯が一段と鮮やかになる。
空に浮かぶ光は、ただの提灯ではない。
小さな精霊たちを宿した光球が色とりどりに漂い、屋台ごとの趣向を彩る。
「この世界の祭りも、いいもんだな」
「日本のお祭りも、こんな感じ?」
「ここまで派手じゃなかったが……賑やかさは、同じくらいかもな」
「ふーん。いつか、日本のお祭りにも行ってみたいな」
「……行けたらな」
「むっ、なにその反応。……決めたっ! 絶対に行くもんねー!」
ニルファの笑顔に釣られて俺も笑う。
相変わらず、太陽みたいに明るいやつだ。
こうして日常に戻ると、ニルファの活力というか、エネルギーのようなものを再認識させられる。
ニルファと日本の祭りを周れたら……
それはきっと、考えられないほど楽しい時間になるだろう。
ルーンとシグも一緒なら、より楽しそうだ。
過去を振り返る。
この世界に来た当初は、生きることに精一杯で、日本に帰ることも諦めていた。
暗がりに堕ちる俺を救ったのは、今目の前で笑う太陽だった。
だからこそ、俺は決めた。
ニルファと共に歩む。何があろうと、逃げはしない。
そして、ルーンとシグ。
この二人がいたから、今の俺がここに立っていられる。
俺は、そんな大切な仲間たちを守りたい。
人が誰かを守りたいと思うのに、理由なんていらない。
誰かと共に生きたいと思うのも、同じこと。
理由なんて、なくたっていい。
守る相手、共にいる相手を選ぶときに、力の差なんて関係ない。
守りたい――その気持ちがあれば、十分なんだ。
それを、ルーンが教えてくれた。
「――トネ、どうしたの?」
ニルファの問いに、我に返る。
「なんでもない。ほら、あっちも見てみようぜ。面白そうなことやってんぞ」
「んー? ……うわ、ほんとだ。トネ、早く行こう!」
「おう」
屋台を回り、人混みをかき分ける。
香ばしい匂いやハーブの香りが鼻腔をくすぐる。
既に結構な量を屋台で食べているにも関わらず、胃が反応してしまう。
「見て見て! このお店、氷菓の実演してるよ!」
ニルファの指差す方を見ると、店主の氷魔法により、台に置かれたいくつかの菓子に霜がかかっている最中だった。
一口サイズの氷果に、果実と蜂蜜が入っているらしい。
試しに買って食べてみると、冷たくも甘酸っぱい味が口の中に広がった。
個人的には、食べ慣れたぶどう飴より美味しく感じられる。
「これ、ぶどう飴より美味しいかも……ルーンとシグにも買っていこう!」
ニルファにも好評だったようで、追加で氷菓を五つ買う。
ルーンとシグを捜し歩く。
その道中で、ニルファと氷菓をひとつずつ食べた。
「余ったひとつはどうするの?」
「お前用。どうせ、おかわりしたくなるだろ?」
「えへ、流石トネ。あたしのこと、好きすぎー!」
「まぁ、長い付き合いだからな」
少し経って二人と合流。
残った二つの氷菓をルーンとシグに渡す。
評判は上々で、特にシグが気に入ったようだ。
ニルファの希望もあり、最後は四人で収穫祭を周る。
「お祭り楽しいねっ!」
「そうね。ニルが一緒にいるから、私も凄く楽しいわ」
前を歩く女性陣の背中を見ながら、シグと並び立って歩く。
「そっちは祭りどうだったんだ?」
「楽しかったよ。ルーンの体調の事があったから、移動して周ることはしなかったけどね」
「やっぱり、魔力の回復って時間かかるんだな」
「……そうだね」
シグが仄暗い表情を浮かべる。
その顔を見ると、無性にイライラしてくる。
ルーンも、こんな気持ちだったんだろうか。
「お前さぁ」
不機嫌な顔をあえて隠さず、声をかける。
シグは少し驚いた顔をしていた。
「なんだい?」
「その、なにもかも僕が悪いんです……みたいな顔、止めた方がいいぜ」
「……」
「なにがあったのかは知らねぇけどさ。あんまり背負いこむなよ。
頼りないかもしれねぇけど……俺たちがいるだろ」
「トネリコ……」
シグの背中をバシッと叩く。
「いつも助けてもらってんだ。恩返しくらいさせろよな」
「……それは、違うよ」
シグが立ち止まる。
振り返ると、俯いて肩を震わせていた。
「シグ……?」
顔を上げたシグは、泣いているようだった。
「僕は、いつだって君たちに救われているんだ。
なのに……なのに、僕は恩を仇で返してしまった」
「お前、なにを言って――」
「――聞いてくれ、トネリコ。
君に……君と、ニルファちゃんに言わないといけない事があるんだ」
シグがゆっくりと自身の眼帯に手をかける。
その時――空の色が、ほんのりと変わった。
微かな紫色の光が、視界の隅にちらりと揺れる。
空気の奥で、何かが不安定に蠢いている。
「バカなっ!?」
シグが驚きに表情を歪める。
「なんだあれ……?」
「なにあれ?」
ニルファの声が、少し離れた位置から聞こえた。
「三人とも、どうかしたの?」
ルーンは、怪訝な顔で俺たち三人を見ていた。
「どうかしたって、空見ろよ」
「空……?」
ルーンが空を見て――
「――なにもないけど?」
「は?」
ルーンの不思議そうな顔に言葉を返そうとして――
――パキッ……ピシリ……
耳に小さく亀裂音が響く。
目を凝らすと、紫色の膜が、かすかに揺れているのがわかった。
「早すぎる……! なんで、なんで今なんだ……っ!」
シグの言葉に、反応を返せない。
気づけば、呆然と空を見上げていた。
ビリビリ……ピキッ……
膜はじわじわと裂け、枝分かれする亀裂が空を走る。
風が止み、祭りのざわめきの中に、何か冷たく重い気配が忍び込む。
ガリッ……カリカリッ……パキパキッ……バリッ……
連続する亀裂音が耳を刺す。
周囲の提灯の光が瞬き、影が乱れた。
そして――
――ガシャアアアアアッッッ!!!
膜が粉々に砕け、空気そのものが裂けるような破壊音が街を飲み込む。
瞬間、ぞくりと身の毛が立った。
「……っ!?」
反射的に膝をつく。
周りを見渡すと、俺だけじゃなく、ニルファ、ルーン、シグ……
それに街中の人々までもが、その場に屈み込んで動けずにいた。
ざわつきが一気に広がり、街全体が異様な空気に包まれる。
屋台から漂う香ばしい香りに、焼きすぎて焦げた獣の匂いが混ざり始める。
少しの時間が経って、チラホラと立ち上がる人が増えてきた。
俺も、ニルファたちと共に立ち上がる。
「なにが、起きてんだ……」
「結界が割れたんだ」
シグの声に、全員が注目する。
「結界?」
「古の聖女様が張った結界だよ……状況は、最悪だ」
シグの厳しい顔に、心臓を掴まれたような錯覚を受ける。
シグは言葉を続ける。
「やつらが来る」
どういう意味か聞き返そうとしたその時――
――カァアアアアアアアアアアアアアアアアンッッッ!!!
鋭く、重く、全身に衝撃が走る鐘の音。
胸の奥底まで振動が響き渡り、提灯の灯りも屋台も、人々の囁き声も、
街全体が一瞬にして静止したかのように感じられた。
祭りの楽しさは消え去り、街中が異常な緊張に包まれる。
俺たち四人だけではない。
街の人々全員が、明白な異常事態に息を呑む。
「警鐘……?」
「まさか、魔物が……?」
「なにが起きてるんだ……?」
ざわめきが街中に広がる。
そして――
「――スタンピードだッ! 戦える者は至急、南門に集合せよ!!」
慌ただしく動き始めた衛兵の叫びが、街中に響き渡った。
この時をもって、穏やかな日常は終わりを告げる。
後に『龍の夜』と呼ばれる未曾有の災厄が、ゆっくりと牙を剥こうとしていた。




