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近代ロシアから来た彼女とふつうの現代日本人男子なオレ

「すごいですわ、ミキヒロフさん!」


 里依紗リーザがいつものように感嘆の声をあげた。見るとコンクリートの床の上にカラフルな光でたぬきのイラストが浮かびあがっている。


「ホホホ! なんということでしょう!」

 里依紗がたぬきの上に乗ると、たぬきが消え、彼女の顔にたぬきが現れる。

「アライグマさんが消えてしまいましたわ! わたくしが魔法を使ったのかしら? どう思いまして、ミキヒロフさん?」


 里依紗リーザは近代ロシアからやって来た。

 正確にいうと、オレの幼馴染の里依紗りいさの身体の中に転移してきた。

 ロシアでは貴族の娘だったらしく、なんとも優雅で、見ていて呆れる。

 ちなみにオレの名前は幹大みきひろであり、彼女がオレのことを『ミキヒロフ』と呼ぶのは、単に呼びやすいからだ。



 ほんの三日前、突然、隣の家のおばさんが夜に訪ねてきた。

 ちょうど両親は旅行に出かけていて、オレは一人で留守番していた。


「幹大くん……。里依紗がおかしいの」


 そう言われ、見にいってみると、テレビの中のバラエティー番組で騒ぐ人たちを見て、里依紗が大声をあげていた。


「板の中に人間が入っていますわ! これはどういうこと!? ここはどこ!?」


 そして彼女が19世紀のロシアから精神だけタイムスリップしてきた貴族令嬢だということがわかり、オレが彼女のエスコート役を任されたというわけだ。



 ショッピングモールの床にたぬきを発見し、ソフトクリームの味に大袈裟なまでに感動し、上空を旅客機が通り過ぎるのを見て悲鳴をあげ、ボルゾイ犬を連れて散歩している人に駆け寄って自分の犬だと言い張り、とにかく人混みの中で里依紗は目立ちまくった。


 正直連れて歩いていて恥ずかしかったが、嫌ではなかった。


 中身がこっ恥ずかしい貴族令嬢でも、見た目は幼馴染の里依紗なのだ。

 小学校までは仲良しだったのに、中学に上がってから、高校二年の今まで、やたらと距離を置かれるようになってしまった、オレがずっと想いを寄せている女の子なのだ。


 彼女とこんなふうにデートみたいなことができるなんて、夢みたいなのだ。


「ホホホ! 楽しいですわ! この世界って、珍しいものばかり!」

「なぁ……、りいさ」


「リーザですわ!」

「うっ……。かわいいその顔でキッ! と睨まないで」


「ところで何ですの? ミキヒロフさん?」

「これからオレん家、遊びに来ないか?」


 行き交う男どもが里依紗のことをチラチラ見るのが嫌だった。

 オレだけの里依紗にしたかった。




 オレの部屋のデスクの椅子に里依紗が座っている。

 ずっと夢に見てきた光景に、紅茶を運ぶ手が震えた。


「まぁ! サモワールではないんですのね!」


 ティーバッグから抽出される紅茶に、彼女が目を見開いて驚く。

 見た目は里依紗だけど、中身はへんなやつなんだよなと、改めてがっかりした。


 ガラスのローテーブルに紅茶とブルボン菓子を置いた。オレは床の上のクッションに座り、里依紗に見下ろされる格好になる。


「ジャムはございませんの? 紅茶にはジャムを添えるのが常識でしてよ?」

「うーん……。うちにジャムはないなぁ」


「でしたらウォッカは? ウォッカを入れるのも最近の流行らしいですわ」

「未成年だろ! 砂糖入れて飲め」


 里依紗はおもむろにソーサーごとティーカップを手に持つと、ストレートでそのまま口に運ぶ。


「あら美味しい。甘くしなくても飲みやすいですわ。この世界のお紅茶はエグ味が少ないんですのね」


 扇子のようなもので口を隠して笑うような仕草をすると、オレのデスクの上にそれを見つけた。


「あら! パソ・コンですわ! わたくし、これ、操作できましてよ!」


 そう言うなり、オレの許可も得ずに、いきなりキーボードに触れて、スリープ状態だったデスクトップPCを立ち上げた。


 24インチサイズのモニターに、エロ動画がでかでかと展開した。


 男が無言でエッホ、エッホと動き、アイドルのような女性が「あん、あん」と甲高い声をあげる。


 わざとだった。

 彼女が立ち上げなくても、オレがこれを見せて、ヤバいムードに持って行く計画だった。

 西洋人女性はオープンにエロいと聞く。里依紗のカラダとえっちぃ展開にもつれ込めるかと期待したのだ。


 オレは生唾を呑み込む。


 ハァ、ハァと、息が荒くなる。


 けっしてオレが特別スケベなんじゃないぞ。これが現代日本人男子の『ふつう』なんだ。

 もちろん、できれば中身も里依紗のままがよかったが、それでは一生望みなど叶いそうにない。

 里依紗とエロいことができるとすれば、中身が西洋人になっている今しかなかったのだ。


 さぁ、リーザよ、獣のようなおまえの本性を見せてみろ。


 映画で観て知ってるぞ。西洋人の女がどれだけスケベかを──


 はしたない笑顔を浮かべ、ブロンドの髪を振り乱して腰を振る、恥知らずな姿をさらけ出せ! ハァハァ……


 すると里依紗が椅子から転げ落ちた。


 絨毯の上に膝をついて立ち、前に合わせた手をぎゅっと握った。目を瞑り、何かブツブツと唱えている。オレは耳を近づけ、それを聞いた。


「おぉ……神よ。穢れたこの者たちを許し給え」


 そんなことを泣きそうな小声で呟いていた。


「里依紗っ!」

 オレは後ろから抱きついた。


 外まで聞こえるほどの悲鳴に吹っ飛ばされかけた。


 慌てて彼女の口を手で塞ぐと、羽交い締めにしながら、意思を確認する。

「なっ……? いいだろ? おまえもしたいだろ? 誰でもやってることなんだ。しっぽり楽しもうぜ!」


 しかし里依紗は暴れ、やがては泣き崩れた。

 ……なぜだ。西洋人のくせにコイツ、エロくないというのか?


 とりあえずオレはレイプがしたかったんじゃない。彼女の合意がない以上、諦めるしかなかった。


「……ごめんなさい」

 オレは土下座して謝った。

「つい……。イケるかと思って」


「心から悔いてらっしゃるのですね? ……それなら、神がお許しくださいます」

 涙をハンカチで拭ってそう言いながら、しかし彼女の震えは止まらなかった。


 パソコン・モニターの中では男女が相変わらずあんあんやっている。里依紗はそれを振り返ると、また両手を組み、オレに聞いた。

「あれはソドムの民なのですか? ……恐ろしい。神がきっとお滅ぼしになります。消して……消してくださいまし!」


 オレは大人しく動画を閉じると、聞いた。

「いや……。でも……、こんなの、ふつうでしょ? 男女がひとつの部屋にいたら、ふつう、こういうことおっ始めるものでしょ?」


 すると彼女は恐ろしいものを見るような目でオレを振り返った。

「この世界では、ああいうのが『ふつう』ですの? それでは誰もが地獄へ落ちます! 狭き門を通れる者はおりませんよ!」



 オレは彼女の話を正座しながら聞いた。

 リーザは敬虔なカトリック信者で、いつでも神に空から見られており、徳を積めば死後に復活して天国へ召されるが、悪徳を積み重ねれば地獄へ落とされるのだという。

 特に肉欲に溺れる者は悪魔に取り憑かれたとされ、けっして天国へは行けないのだそうだ。

 その昔ソドムという国があって、あまりに乱交パーティーをやりすぎたために、激怒した神に滅ぼされたということだった。


 聞いてみた。

「……いや、でも、子どもってどうやったらできるか、知ってる?」


「もちろんですわ! わたくし、もう子どもではないんですもの! お父様とお母様のインブが合体して──」


「じゃ、カトリック信者もエロいことをやってるんじゃないか」


「頭に袋をかぶりますのよ! 頭では神への祈りを捧げながら──」


「それでよく欲情できるなぁ」


「お手伝いの者に腰を動かしてもらうんですの。自分では何もせずに──」


「馬かよ!」


「人間らしさですわ! それこそが神がお創りになった人間というものですわ!」


 なんかめんどくさくなった……。


 創作物の中の、ナーロッパに転生した日本人の女にも飽き飽きしていたけど──


 カタブツの近代ロシア人にも呆れるばかりだった。


 しかし、リーザの話を聞くに、現代日本はそのソドムとかいう国みたいだな。乱れてる。


 そしてあんなことを思ってしまったオレは、地獄行き確定なのかもな。


 ま、いいや。


 神なんていないんだし。


 そんなことを思っていると、里依紗の様子がなんだかおかしくなった。せんべいが喉に詰まったサ○エさんみたいに苦しんでいる。


「里依紗!? どうした!?」

 オレが聞くと──


「……あれ? ミキくん?」

 里依紗が懐かしい呼び方でオレを呼んだ。


 それは小学生の頃まで彼女がオレを呼ぶ名前だった。


「里依紗! 元に戻ったのか!?」


「ミキくん! 怖かったぁっ!」


 里依紗がオレに抱きついてきた。

 

 そのまま、オレは彼女を押し倒した。



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押し倒すんかい!? 里依紗ちんの精神性がカトリックに冒されていなければいいけど…………。 ん? ロシア人だと主だったものはカトリックじゃなく正教会なんじゃ………?
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