嘘鳴りに
「おはよう」
涙を拭って陽を迎える。
夢を観た。
久しぶりな夢だった。
舞う埃と漂う憂鬱が私と部屋を覆っていて、スノードームみたいな、水晶の中で沈んでるような感覚に見舞われていてとても苦しい。
起きる度に揺さぶられる脳内と心。ぐるぐると部屋の中を浮く。
黄色い優雅で厳しく優しい少女。
モノクロの天真爛漫が背を押してくれる彼女。
まっ空な色がよく似合う、背中を見せてくれる人。
彼ら三人と出会えた事、それが嘘じゃない事。
そう信じたい事。
記憶か現実のどっちかが私にウソをついているとは思いたくない事。
ぐちゃぐちゃになってしまったリアルとイマジナリーの境を考えて、頭を振る。
また埃が舞う。
「……おはよう」
繰り返して、確かめる。
私は、ここに一人でいる。
///
「明日香、おはよう」
「響兄、おはよ」
小太りの丸まった優しい背中。
早くに私を待っていてくれた。キッチンから甘い香り。
「土曜だな。どっか行く?」
「行かないかも」
「そか」
軽く相槌代わりに送ってくれた誘いをふんわり断って、顔洗い歯磨き。
下着の上に軽くだぼついたシャツを重ねて、そのままソファーに座ったころにフレンチトースト。甘い食欲の正体はこれだ。うれしい。
「ありがとう」
「どういたしまして。食器洗いしたら座るから食ってろ」
「おっけ」
小さな一口をパンにつけて、テレビを付ける。
と、なんか地上波が映らない。度々ある。
「テレビ調子悪いね」
「ああ、朝からずっとな」
「そっか」
テレビをゲーム画面にしてこの後の予定を作りながらパンをはむっと。
やがて兄が来た。兄の一口は私の三口くらいあるから、すぐ追いついて一緒に食べ終わる。ごちそうさまの声が揃って、そのままお皿を渡し感謝を伝える。
「ありがとう、おいしかった!」
「そりゃどうも。じゃあ手加減してくれよな」
「え~、しないよ」
「だよな」
皿を水付けした音も程々に隣に兄が来る。手にコントローラー。
二人とも何かの言葉を交わすでもなく格闘ゲームを立ち上げて、そのまま無言でマッチ。
結構しっかり本気で戦うから、やってる時に煽り合うとかもない。
ヒット確認してコンボを繋げる。置き放し警戒のガードして。
そうやって、順当に戦ってたら順当に負けた。
投げ技二回決められてこれまで積み上げた慎重で堅実なプランが台無し!
「拗ねそう」
「ブイブイ。俺の勝ち~~~」
「拗ねる」
「その前にこれ」
そう言ってメモを渡してくる。
『卵一パック 食パン一袋 バター一個……』
「ええ~! 買い出し?」
「ああ。朝一緒に行こうと思ったのに断られたから楽しようと思ってな」
「今からでも一緒に行けばいいじゃん!」
「それだと罰ゲームっぽくないだろ。さっさと行くんだ~」
そう言って格ゲーを切った。
朝に一戦して、勝てばゲームの権利と罰ゲーム命令権一回。これが休日のちょっとしたお遊びのルール。休日とはいえ、コミュニケーションやメリハリはあった方がいいと思って響兄が提案した。
いつもだったら私が完封してそのまま上手く休日を過ごせてたのにな~と思いつつ兄がRPGを始めたのを見届ける。
「帰ってきたらまた対戦は受けてやるからさ」
「……はーい」
「気を付けて行って来いよ。車とか人とか」
「うん」
私の調子がよくないのもきっとバレてるんだろうな。
ズルい人だ。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
朗らかに、笑顔な声が背中に掛けられた。
振り返った。兄は手だけピースしていた。
ズルい。
///
太陽はまさに爛々と言った具合で、3月の平均的で中央的な気温へ向かうように高らかに当てている。風も適度に空気を読んでいる。鳴りを潜めていて、過ごしやすい。
花の匂いがする、空の水色が澄み始めている。
土が瑞々しい。路辺に草も生え始めていて。
ああ、春は遠くないなって思う。
風景に集中していた。おかげで他の事に気を取られないで済んだ、と思っていた矢先。
信号待ち。赤と青の真ん中の点滅。前に四人で街を歩く””私達””の姿。
紫、白、黄、青。人影。それぞれの色、私達の色。
友達だ。
皆で友達なんだから、私はあっちにいないと。居たいのに——
はやく私も向かわないと!
「ちょ、ちょっとお姉さん」
気付けば赤。車の通りが始まっている最中に私の足は一歩踏み出していた。
ちょうどお天気の青空みたいな水の髪がさらりと揺れる。
パーカーの上にヘッドホンを降ろす彼女は、焦ったように私の腕を掴み続ける。
「大丈夫ですか」
「……まあまあ?」
苦笑いしか返せなかった。
「そうですか?」
苦笑いが返ってきた。
信号は赤のまま。気まずい沈黙が続く。
「ご飯奢りましょうか? 怖かったら人目の付くチェーン店でいいですし」
「ああ~」
ちょっと迷うな~と眼を泳がせる。
違う。
迷って目を泳がせてるんじゃなくて、さっきの四人を、私達を探してる。
私は、私と友達は……どこに行っちゃったんだろう
「決めた」
腕がぎゅ、と握られた感じがする。腕?
なんだこの状況……
「お姉さん、一緒にデートしましょう」
「へえ……え?」
「デート。いいですよね? いや、よくなくてもいいです」
「……?」
「ちょっと付き合ってください」
普通に逆ナンされた。
え?でも私って女性だから逆ナンなの?
通常のナンパ? 友達は?
私はどっちだ……ナンパは一体どっち?
私と友達がナンパされてるから……
「ね」
やたらとお茶目めいたその笑顔で、ふと軽くなった。
「……はい。デートではないですけど……」
「うん」
そう言って、行きずりの二人でご飯することになった。
///
『ちょっとお外でごはんたべてきます』
『あれ昼ごはんのお使いなんだけど』
『それは頑張って!』
『マジかよ』
兄への連絡も終わらせて目の前の、中性的な女性に向き直る。
水色の髪が目を隠す。邪魔じゃないのかな。
奢ってもらったチーズバーガーを一口食べる。
「美味しい?」
「うん」
「よかった~」
無邪気な様子で手を合わせて、増量したポテトを食べる目の前の人。
バーガー食べないんだ……
「名前をきいてもいい?」
結構な速度でポテトをむしゃむしゃしながら彼女はふと訊いてきた。
ずっとポテト食べてるな。本当に。
名前……教えてもいっか、下の名前だけなら。
「……明日香、明日に……香るって書く方」
「明日香ちゃんね、私は流月音日」
よろしく~と軽い調子で手を振る音日。
なにを話せばいいんだろう。
ああ、でも、今ならわかる。
そっか、そうだ、感謝を伝えないと。
「ありがとう」
「いえいえ、見過ごせないので大丈夫」
「見過ごせない……」
多分根がいい人なんだろうな。
少し引っ掛かる表現で私を助けてくれたんだなあ、とぼんやり考える。
ふと、ポテトを食べる手が止まる。違う。全部食べ切っただけだ。
「ええ。今はもう見えないものを見ようとしてがんばって追いかけて、それで死んじゃったりするのは悲しいですから」
「……?」
何の話、と言いかけたところで
「あなたと、あなたの友達の話です」
喉元にハンバーガーが戻る。
空想、イマジナリー、友達、思い出。
不思議な冒険。暖かい物語。波乱万丈な体験。
世界、私、姉、友達、出会いと感謝と別れ、
「病気ですね」「お薬出しておきます」「思春期特有の」
「妄想と思い込みが強くて」「そういう事言う人いるんだよね」
「嘘はやめてね」
頭に駆け巡る。
嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘。
全部嘘と断じる他人。全部嘘と話す他人。
「大丈夫」
ダレカは私を抱く。 他人! 私でもない、兄でもない
私は嫌だ。嫌 もう否定されたくない
あの思い出を、心を、世界、あたたかさ
嘘 ではないって
「大丈夫、嘘じゃないよ」
吐瀉物 鼻を擽る酸 焼ける喉
嘘ではない 噓ではない
私は確かにあの時間を 頭痛がする
意識が
///
私は昔から、変な癖があった。
ぼーっとしていると、目の前が変わって変な世界に飛ぶことがあった。
なんてことはない妄想だと思っていた。
漫画みたいだなーとは思いつつ、いわゆる「想像力が豊か」って言葉で片づけられる程度の特徴でしかないんじゃないかと思っていた。
やがて認識は変わった。
意識をすればいつでも夢の世界へ潜ることはできるようになったし、自分の全く知らない、予想だにしない人物たちと予測できない行動をする人達と出会い、時を共にすることが増えた。
その世界を素直に受け入れて生きていた頃、私はとても心が豊かだった。
そして、その「空想」で「現実で会おう!」という約束をした。
半信半疑ではあった。いや、半分も疑ってなかったけど、その時に「本当に会えるのかな」と思っていたことは確かだった。
結論から言うと会えた。居た。喋れた。触れた。
あれは、
あれは、嘘じゃない。
やがて、それから2年3年と経っていくにつれ、友達と話し遊ぶ機会が減って行って、私はだんだん静かに、色々なことを考えて知っていくようになっていた。
みんなも少しずつ大人になって、少しずつ自分の人生を歩んでいくようだった。
それが少しうれしかった。
気付けば一年、あの空想に行かなくなっていて。
そしたら、空想はいつのまにかもう潜れなくなっていて。
それに気付いたとき、私は
友達に会えなくなったことを悟って
だから、目の前に、友達が
///
「大丈夫?」
がらがらのイートイン。
コートを掛けられていて、お盆は片づけられていて。
私は窓の陽射しを受けて眠っていた。
音日と名乗った人が目の前に居る。
変な人。
「……はい」
口の中がまだ気持ち悪い。夢じゃないんだ。
置いてあった、溶けきったシェイクを飲む。
「ごめん。どうせなら美味しい飲み物がいいかなって思ったけど溶けてるかな」
「溶けてる」
「そっかー……新しいの買ってくるよ!!」
「いい……って、早い」
言い終わる前にほぼ走って向かっていった。
さっきの醜態は、ここに誰もいなかったからバレなかったのかな
埃一つない陽射し。私の部屋じゃない。
コートが暖かい。
でも、とても寂しい。
「はい!新しいシェイク一丁!」
「うわっ」
「うん、こっちは貰うね」
「えっ」
勢いよくストローから飲んでいる。
どう考えても悪い気がする。
「……ごめんなさい」
「いいよ、大丈夫。できるだけ気にしないで」
「わ……かりました」
「いい子だね」
そっと頭を撫でる優しい手。
暖かい手。
何でか視界がぼろぼろになって、暖かい陽射しがうざったくって。
喉が詰まって、息が出来なくて、背中が曲がってしまって。
声が抑えられなくて。私はそれでもひとりきりで。
悲しくて、寂しくて、辛くて、
なんでか、せなかをさすってなでるてがあたたかくって。
わたしはなんでこんなに、
なんで、
「今は、それ以上考えなくていいから」
へんなひとは、ずっとまっててくれた。
///
「実は!! 私は宇宙人なのだ~、って言ったら信じる?」
何故か指をカニのポーズにして、ちゃらける。
「二割は」
「そっか~」
私のシェイクのストローがずるずるという不快な音を立てた。
「おかわり?」
「もういいです」
「そっか~」
「……」
この人は、どうしてこんなに付き合ってくれるんだろう。
『まだ飯食ってるのヤバくね』
『夕飯には帰るよ』
『気を付けろよ?何かしてるんか』
『気晴らし』
『素敵だ。後で聴かせてくれよな』
『ヤだ』
『残念』
夕焼けがイートインを照らす。ぼちぼち、人が増えてきた。
誰かに見られる訳にもいかないし、ずっと窓の側を見ていた。
「明日香ちゃん」
「はい」
「あのね」
手を握って、抱きしめてきた。
あたたかい。
「びっくりしないで聴いて」
「はい」
「私、お友達とおんなじ所から来てるから」
「……」
「これ言ったら、あんまり居られないかもだけど……まあそれはそれとして」
「うん」
「話、しよ」
「わかった」
「離れないで、このままで聴いて。まだ顔は見ないで。……私もね、夢を見るんだ。夢を見る人の夢を見る。それがどういう意味なのか、分かってるようで分かりたくなくて、色々考えないようにしてるけど、とっても大切な夢なんだ」
「……」
「う~~ん、遠回りに上手く喋るのは得意じゃない! よ~~し!! 私は、皆の思い出だって自覚がある!」
「……そう、なの?」
「うん。私は名前違ったし、姿も喋り方ももうちょっと幼かったし、ここに来るまでに時間がかかったからちょっとカッコよくなっただけで。もともと……もっと、夢に溢れたものだったんだ。そして、いろんな冒険をして、経験をして、皆に覚えてもらったんだと思う」
「そっか」
「そう。だから、ここに居る」
「だから?」
「人の記憶に焼き付いた私達は、この世界のどこにでも、どこかに、絶対存在する」
抱く手が強い。
「じゃあ、私の友達は」
「きっと、どこかに居る! 絶対。この世界の、はたまた違うあの世界の、星のまた向こうの、宇宙の先かもしれないし、ふとすれ違うくらいのすぐ隣かもしれないし。でも」
「絶対、どこかに居る」
「そう。絶対」
「この机の下にギターケースがあるんだ 私の」
「……ギター?」
「うん。私を象徴するもの」
「そっか」
「あげる。大切にしてね」
「……わかった」
「それで、……忘れないで。疑わないで。私は、皆は、”ここ”にいるから」
心臓の音。手のある場所。
「……わかった」
「最後に、挨拶しよ」
きらきらをたっぷり溜めた音日の目は、綺麗だった。
私はどう見えてるかな。
「あなたの明日に、元気があることを祈るね」
「ギター、音楽。素敵な詞と音。君に、幸せな空想が常に寄り添う事を願う」
「本当に、ありがとう」
「私こそ」
「さようなら、いや。……またね!」
「うん!またね!」
瞬きをした一瞬だった。
別れないといけないと思ったし、そうしてよかったとも思う。
それが間違いじゃなかったことも分かる。
仄かな頭痛。
「……」
ギターは、本当にあった。
イートインを下る。
「お会計……」
「ん?ああ、さっきの姉ちゃんか。ギターで覚えてるよ」
「?」
「払ったじゃあないか。大丈夫だよ、気を付けてお帰り」
「……」
一人分のレシート。
「……ありがとうございます」
「? おおきに~!」
店を出た。
私は、寂しくはなかった。
コートとギターが、とてもあったかかったから。
///
「おかえり~」
「ただいま」
「あ~……夜飯、後で作っておくよ」
「助かる」
目が合った。それでこう言うって事は、きっと目元なんて酷い筈。
ギターは……気付いてるのかな。
気付かないのかな。
……後で、勇気を出そう。
不思議だった。
頭に描いた音がそのまま指から鳴る。
音がそのまま彼女の声の様に、滑らかに優しく、強く響く!
「ああ」
嘘っぱちだと思う。本当は何も鳴ってないんじゃないか。
私はこんなに楽器が弾けるはずないし、格好いい音が出る筈もない。
けど、ここにある。
「ああ!」
弦が震える。現が震える。境界が曖昧になる。
それでも辞めたくない。まだ鳴る。強く、深く、滑らかに
それでいて熱くさくて青い音。
音楽、こんなに好きだったかな。
ううん、
「私、空想が大好きなんだから!」
音は最後にカッコよくでっかく鳴らす。
私のギターに続く、四つ分の拍手が聞こえる。
一つはきっと幼くて力任せな、それでいて思いでいっぱいの柏手。
一つはよくやったじゃない!と褒める高貴で暖かい拍手。
一つは腕前と上手さ、込められた想いを肯定する拍手。
一つは、きっと、それらを導いてくれた、私に道をくれた人の拍手。
「ありがとう、さようなら、また、元気で」
そして、格好良く、名残惜しく、弦をミュートした。
拍手も止んだ時。
銀テープみたいな埃が、夕焼けに照らされていた!
///
「あのギター、誰のかわかる?」
「え、明日香のだろ」
「いやそういう事じゃなくて」
「……帰ってくるとき持ってたんだから~、なんかあったんだろ」
「あ~……」
少し考えて、頷く。
「素敵な事があったよ」
「よかった」