汚れちまった幼心にお祭りの喧噪が響く
本日も他愛のないK介エッセイにお立ち寄り頂きありがとうございます。
夏休みに入りまして、暑い日が続いている毎日ですが、同じくらいアツくなるのが『お祭り』ですよね。
各地域で独特の文化があり、そしてその文化と共に受け継がれているのがお祭りと祭事だと思うんですよ。
今回のお話はそんなお祭りに纏わるお話しです。
お時間がありましたらお目通し頂けると嬉しいです。時にはラーメンエッセイ以外のエッセイも書かないとですからね。(笑)
という事でまいりましょう。
私が住んでいる地域では夏になると毎年お祭りが各地で開催されます。そうなんですよそうなんですよ。各町村で行われる小さなものから、市の行事として行われる『お祭り』まで、意外に有るなと思う程に多く有ります。
私が現在住んでいるのは市の中心部に近い為、市の行事としての『お祭り』のど真ん中に近い位置に住んでいる事もあって、お祭りの日はもちろんですが、その前後の準備と後片付けに至る日まで、割と混雑するというか、人影を伺うことが出来るんです。
他の地域と比べると本当に田舎町なので、夜も9時を過ぎる頃には人出を感じる事はあまりないのですけど、この夏まつり付近になると、準備の人や練習する人たちによって、結構賑やかになるんですよ。
私の地元では所謂『山車』のようなものが町を練り歩くんですけど、地元ではその山車の事を『太鼓台』と呼んでいます。
山車全周にかけて提灯を纏い、その山車の上で笛や太鼓に合わせて掛け声を上げながら練り歩くのですが、各地域によって提灯はもちろん山車の形も少し違いますし、山車から流れる太鼓や笛の音も曲が違います。
地域によって『色』があるんですよね。
その色を代々大人から子供に継承していて今日・今代に至るわけですが、先ほども既述したように、夜になると『練習』する音色などで賑わいを見せるんです。
今住んでいる場所は、そんなお祭りの雰囲気を期日前からじんわり感じられる。そんな場所です。
子供の頃はですね、実家は少し離れた地域に有りまして、山車を持たない区域だったので、この太鼓や笛の練習などには参加していなかったんですよ。
でも、少し離れた所に住んでいる友達は山車がある地域なので、夏になる前からこの練習に出ている事が多く、それが楽しそうでした。
私はあまり音楽等に興味が無かった事もあって、それを羨ましく思ったりはしませんでしたし、逆に「うわぁ……大変そうだなぁ……」なんて思ったりもしていました。
そうは思っても、友達などがその練習に行くようになると、夏休みや夏祭りが近づいてきているという実感もするわけで、子供心にワクワクドキドキしたもんです。
そんなワクワクドキドキも年齢を重ねると変わってしまうもので……。
今となってはドキドキ感よりも先に、「あぁそんな季節か……」なんて練習の音色を聞き出すたびに思うようになりまして、更には「また混む日が来るんだなぁ」なんてがっかりする事の方が増えてきた気がします。
楽しくお祭りに参加していた時は、周囲の事など気にもせず、ただただ楽しさのあまり騒ぐだけだった日々が、今となっては冷静に『第三者目線』から外周で伺う程度にしか『お祭りの雰囲気』を感じられないという、少しばかり心が汚れちまった大人になっている事に気が付いちゃったんですよね……。
そういう気持に気が付いちゃったらどうなるか……。
正直に言うと寂しいですよ……。
時折ですが、そのお祭り中の町の中へと繰り出すことが有るのですけど、やっぱり子供の時に感じていたような高揚感や沸き上がってくる感覚を、今の所感じることが出来ません。
子供でいられる時間は本当に短くて一瞬です。
大人という括りに足を踏み入れてしまえば、もう幼い心のままではいられないですしね。
今でもその夏祭りの練習へと出掛けている、楽しそうにしている子達や、一生懸命に練習する様子を見ると、こういう伝統的な物も失くさない様にしたいなと思いますし、ましてや失う様な事をしてはならないなとも思うのです。
伝統的な物の継承って、継承する側の子供の事ばかりが気にかけられてますけど、実は継承させていく側の責任も大事な事だよな……なんて思ったりもします。
心の汚れてしまった大人に……。
幼心の消えてしまった大人に……。
何が出来るのかは分かりませんけど、目の前を練り歩く山車とその周囲で楽しそうに演奏する人たちの笑顔を見ながら、改めて考えさせられました。
本日のエッセイはちょっと真面目な事を書いてみましたがいかがだったでしょうか?
今回のお話はここまでです。
御読み頂いた皆様に感謝を!!
あんなに楽しかった、待ち遠しかった『お祭り』ですが、いつの間にかその楽しみを感じなくなってしまった私は、やっぱり心が汚れてしまったんでしょうね。(^▽^;)
皆さんの地元のお祭りはいかがですか?
今もまだ楽しんでおられますか?